日別アーカイブ: 2022年3月22日

論理性の欠落した科学基礎理論

(2022/03/20)。悩みの中で、書き続けた。2010年からブログを書き始めて11年が過ぎた。それまでは日本物理学会に入会させて頂き10年余り発表させて頂いたが、東日本大震災が2011年3月11日に起き、その後事情があって学会発表に参加できなくなったからでもある。

今振り返って初めの頃の記事を見る。大震災の衝撃を受けて、その4月に『電荷』という虚像 (2011/04/10)を書いた。更に津波現象について、専門家の解釈にとても違和感を抱いていた。その意味が同じ月の、大津波の発生原因を探る (2011/04/18)となった。

その記事の前に、2010年に電流計は何を計るか (11/10)、磁界・磁気概念の本質 (11/16)、眼球の光ファイバーと色覚  (11/28) 、エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (12/18) および電流は流れず (12/22)等がある。

また、光の速度と空間特性 (2011/05/22) や同じ2011年1月にファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学矛盾 等の5個の記事。それらの記事の根底に在るのは『エネルギー』の空間像を求めた道だったかもしれない。

11年間に亘って書き続けて来た訳を今振り返る。その目的は、科学研究を行う職業上の身分への不可解から、混迷の中を彷徨った。しかし、科学基礎理論と言う学術論が余りにも狭い貧相な姿に思え、その原因が科学技術理論と自然学とも言うべき自然現象学の基礎理論との隔たりにあるとの強い苛立ちに突き動かされてきたのかも知れない。『静電界は磁界を伴う』の発表が研究者の身分と科学基礎理論との二つの重大な課題となって彷徨いの姿をさらしてきた。今振り返れば、余りにも無謀で、幼稚な社会性の無知に気付かずに己の思うが儘のブログであったかも知れない。

彷徨いの原因。どうしても頭から離れない原因として、昭和14年12月1日、舞鶴鎮守府への貝野村からの『戸籍転籍』の意味である。更に、昭和19年3月31日、戸籍の置かれた巡洋艦「香取丸」の船籍除籍。昭和20年の敗戦8月15日まで、一体自分は在るべき市民権が何処にあったのか?京都府舞鶴市溝尻海軍住宅に住んで居たが、同地区の舞鶴国民学校への入学者名簿にも無い訳は、市民権が無く入学の通知も無かったからとしか理解できない。その後何処で、どの様な行政手続きによって市民権を取得したのか、あるいはそのままの不明にあるのかが全く理解できない。義務教育から大学卒業までの市民権は?職歴を書き様が無い現在の状況?自分の知らずに来た愚かさを噛み締めながらも、とても理解に苦しむ問題が電気学会に『学会費』を自分が収めた事が無い事実である。

社会的な無知が故に、成し遂げられた科学基礎理論の姿を暴き出せたのかも知れない。多寡が電気回路の基礎現象の解明であっても、その根底に隠されていた真相は、余りにも科学理論の基礎概念が間違っていたかを抉り出した功績ともなろうか。長く科学パラダイムとして、その社会的な科学認識の共通理解の基盤であった『電子』や『電荷』概念の無意味さを曝け出せたことかも知れない。結局科学研究が、当然ではあるが生活に有効な技術開発のために注がれ、経済性を伴わない基礎概念や法則への深い疑念を抱かない、無関心な研究者の意識構造に在るとの結論に至った。それは一面止むを得ないことでもある。研究者は競争によって得た成果が科学界で認められる事に生き甲斐を持つ筈だ。歴史的基礎理論や法則等に関わっていたら、研究成果など望めない。時代の流れに逆らうような竿を指す事はしない。

しかしそれにしても『電子』と『共有結合』❓

原子結合の原理として「共有結合」が基礎科学認識の内容として教育されている。その同じ負の『電荷』の『電子』同士が何故結合の力となるかを誰がどの様に解説できるのか?『電荷』に関するクーロンの法則で反発すると教えながら、どの様な訳で引合う力が生まれると言うのか?誰も疑問に思わないのか。その訳は、こんな問題は科学技術の経済性には全く無意味な研究であるからだろう。今日も教育現場ではクーロンの法則で同じ『電荷』同士は反発すると試験の解答をするように教えている筈だ。兎に角覚えなさいと!『雷』の学術論では同じ『電荷』が集合して空間電荷集団をなすと、専門家は不思議な専門論をお唱えなさる。クーロンの法則を超えた学術論が専門家の学術論では幅を利かす。『共有結合』が幅を利かすところに専門性が生きるようだ。正々堂々と今日も教科書で『共有結合』の非論理性が説かれている。この『共有結合』への愚かな高校生の時の疑問が、今も社会的教育問題として燻り続ける。11年を振り返って。