もう真ともに働ける程身体能力が無い。
教育現場で仕事ができる程の能力は無い。
人前に出られるほどの生活環境にない。スーツ1着も無くなった。ジーパン一つのみすぼらしさで生きてきた。過去の補償が無ければ動けない。
全てがこの意味を問う事から始めるしかない。いつ舞鶴鎮守府から帰還したか?知らずにいた事が本人の自己責任か?
ー今朝から再び、平成2(1990)年頃の異様な、怒りの基であった『電磁波』の衝撃が再び頭に掛けられている。その現象は、頭脳の中に『ジー、ジー』と高周波の電磁波を照射され続けられている状態だ。これが人権侵害と言うものだろう。日本政府機関の仕業か?今午前11時すぎ、先程の電磁照射の『ジー、ジー』の耳触りがが消えた。その訳は何で、誰の犯罪行為か?ー
たった一つの自慢は、電気理論の易しい基本が分ったように思うだけでしかない。
もし大学で講義をするとしたら、こんな事しかできないと思う事を『講義の要点』としてまとめてみた。ただ、恐らく専門家らしい論説とは言えなく、あまり評価はされないだろう。寧ろお邪魔虫論と見做されるかも知れない。学術論の様な理数的解説の雰囲気も無く、実験室での結果に基づく伝統的科学手法論とは懸け離れたものであろうから。きっと、これは文学論だと言われるだろう。確かに哲学論かも知れない。
電気回路と理論。科学理論関係の特徴も、その用語や概念を的確に理解することが必要になる。其処にほとんどの要の意味が隠れている。
図には「電源」、「負荷」そして「電線路」の回路機能要素が記してある。電気回路現象を解析する科学技術専門用語で、『電圧』の v[V] 、『電流』 i[A] そして『電力』 p[W]等 が理論的解釈の基本概念である。
図は基本となる回路である。電源と負荷を二本線でつないだものだ。電源が交流電圧源の場合も電池の様な直流の場合もある。負荷も蛍光灯スタンドから、電気洗濯機であればモーター、電子レンジであれば熱源としてのマグネトロンとなり、最先端電子制御製品の4Kテレビなど様々な特徴的な負荷がある。誠に困ってしまう事ながら、『電子』と言う科学理論の基礎概念があらゆる技術用語に使われている。電子制御、電子回路と『電子』と言う基本中の基本として電気の常識になっているのが『電子』だ。その『電子』など自然界に実在しないと前から唱えてきた。それは『電荷』が存在しないからだと唱えてきた。
さて、以上の経過も踏まえて、基本的な疑問を提起しよう。科学理論とはどの様なものかを考えてもらいたい。
〈疑問1〉電気回路の電源は『何』を供給する為の設備か。
〈疑問2〉負荷は『何』を利用するのか。
〈疑問3〉電気回路で『電子』はどんな役割を果たすと考えるか。
まず最初の、講義の問題提起としたい。精々こんな基本の易しい話ししか筆者には出来ない。黒板に回路図で説明する程度だ。『電子』に依存した講義が出来れば、当たり前の常識的伝統踏襲に成るのだろうが、筆者にはそれが出来ないのだ。常識が分からず、苦手だ。物理学の専門家の御高説が拝聴できれば、質問もさせて頂きたい。
【回答】(大学入試問題にも良いと思う。)
図には、その他に回路内に静電容量 C[F/m] 、誘導容量L[H/m]さらに特性インピーダンスZo[Ω]と光速度co[m/s]を赤色で記した。
ー電源は電圧で表す。負荷に電流を流して『何か』を供給する。電力は電圧と電流の積で解釈する。ー
電気理論と言う物理学理論の教科書では、上のー電源は・・電流の積で解釈する。-の部分の基本的解釈が説かれている。
科学理論は論理性がその身上の筈だ。『電圧』とは何か?『電流』とは何か?何故『電圧』と『電流』の積が「電力」となるのか?このような基礎的な意味を、電気回路現象の中に明確に捉えているか。『電子』があらゆる科学技術の中で、自然界の絶対的存在のごとく、その基礎概念に依拠して解釈されている。『電子』が10桁の『電荷量』の数値で解かれ、10桁の『質量』の数値で解かれている。誰も疑問にも思わず、そんな情報が溢れている。全て専門分化の、お互いに不干渉黙認の統合失調症の科学論に陥っているのじゃないか。
再び問題。何度も取り上げた問題だ。せめて、物理学理論の専門性の視点から、中学生や高校生が納得する解釈を示して欲しい。
〈疑問4〉『電圧』とは何か?
〈疑問5〉『電流』とはどんな物理量か?
〈疑問6〉『電圧』と『電流』の積が、何故1秒間の『エネルギー』量となるのか?
本当に、物理学者は、自然科学者はこんな単純な概念量に疑問を抱いた事が無いのだろうか。あるいは、疑問を抱いたなら、どの様に納得しているのだろうか。教科書を執筆している著者は本当に分かっているのだろうか。
この2年間、コロナウイルス感染が世界中の日常生活を混乱に巻き込んだ。その丁度2年間が、電気回路の電線路空間での『エネルギー』伝播現象の解釈法が纏まった時期となった。電気現象で、『電荷』や『電子』は全く無用の長物概念となってしまった。この事は、あらゆる科学理論の根底が瓦解してしまったと言ってよかろう。確かに科学技術は日々新しい状況を生み出し、進展している。その新たな世界を作り出している科学技術の基礎に、『電荷』や『電子』などは全く必要も無いものである。電気現象を『電荷』や『電子』などでその論理的解釈をしようとしても、矛盾が大きくて無理なのである。その基本の論理を結局考えてこなかったという事になる。教科書が説く電気理論を取り上げ、その論理的矛盾を指摘したい。
電気の単位に、電圧のボルト[V]、電流のアンペア [A]さらに 負荷抵抗のオーム[Ω]がある。それらの基本単位量の意味をどう説明するのだろうか。
〈疑問4-1〉 1[V]とはどんな物理量か。
電圧にも交流と直流電圧が在る。電源に繋がった電線路間に『電圧』が掛かる。電源が変圧器の場合には、二次巻線内から『電荷』が分離するとは考え難いから、『電荷』が電圧の基礎物理量とするには無理があろう。では交流の場合の『電圧』はその論拠の物理量を何と解釈すれば良いか?電線路の『電圧』の発生原因は何か。
〈疑問5-1〉1[A]とは何か。
電気理論では、1[A]とは1秒間に1[C(クーロン)]の『電荷』が導体内を通過すると言う定義だ。ただし、何故かマイナスの『電荷』を保有する『電子』が『電流』と逆向きに導体内を通過すると解釈される。そこで『電子』の数量は幾つかと計算すると、6.24×10の18乗「個」程となる。1[A]が1秒間でそれ程の数量となるとなれば、どの様な原子から、どの様な原理によって電源から放出されることになるのか。原子から電子が電離(分離?)するには電源内でどのような電界が働くか、その論理的合理性が無ければならない。『電圧』は電源が決めるが、『電流』は負荷がその要求量を決める訳だから、負荷抵抗のどの様な特性・機能が電源内に『電子』量の要求を働き掛けるのか。教科書の電気理論に従えば、『電子』には電界以外に作用力は働かない筈だ。だから負荷抵抗値で『電流』値が決まる訳は、電源内の原子に負荷抵抗値が作用して、『電子』を剥ぎ取ると考える以外説明の仕様が無い。『オームの法則』は電源の『電圧』が直接負荷抵抗に印加され、その『電圧』によって回路の『電流』が決まる意味である。それはとても便利で、利用価値のある優れた技術法則である。しかし、その意味を他の電気理論の内容に照らし合わせると、必ずしも納得できる論理性を担保しているとは思えない。電気回路論としては分かり易いが、電気磁気学論との関係で、整合性が採られているかと確認すると、「クーロンの法則」の物理的『力学論』の『電荷』に働く加速度の慣性欠落矛盾を取り消せない過去を引きずって来てしまった。『電荷』は電界による以外加速度運動の力を受けない筈だが、『電子』はその矛盾排除条件として『質量』を付加して辻褄合わせはして、如何にも「力」の論理矛盾は避けている。それでも「クーロンの法則」は都合よく理論に組み込んで、場合、場合で法則利用の使い分けをしている。それが如実に表れているのが、教育現場での、教科書の内容の問題になる。とても素人には不思議な事だが、専門家は「陽電子」等の加速に円形加速路で、電磁石での加速実験が執り行われている。「陽電子」でもやはり加速原理はプラスの『電荷』に作用する電界加速が電気理論の原理の筈だ。それが何故専門家は電磁石で『電荷』の加速が円形リングで出来るのか理解が出来ない。教科書の電気理論と何故異なる事が専門家には可能なのか不思議だ。
かと思えば、太陽光が半導体に働き掛ける太陽電池の原理も電界でない訳がこれ又理解を困難にする。これは半導体原子の周回『電子』に光子と言う光の粒子が衝突(?)して、『電子』を弾き飛ばして自由電子と言う状態にする原理で解釈するらしい。光の『エネルギー』がどの様に『電子』の『エネルギー』に変換されるかは、とても高等理論で理解できないが、実際の技術としてその理論が基礎理論となっている。高等物理学理論はとても飛躍的・超法則性の現象がいとも簡単に、恣意的に解釈通りに起きると唱えられる魔訶不思議な魔術論に思えてしまう。それは『電子』が自由となって、電気回路に流れ出ると言う量子力学理論に従えば、電気回路現象の筆者の解釈とは相容れない電気現象解釈論である。
〈疑問6-1〉『電圧』と『電流』の積が何故電力P[J/s]となるか。物理学理論の欠陥は『エネルギー』が空間を流れると言う物理的概念がその理論の基礎に据えられていない事だある。『エネルギー』は質量が運動する事によってはじめて、運動エネルギーと言う形式で世界に現れるとの認識しかない。『エネルギー』と質量の間の相互変換式:e=mc^2^ [J] の意味が解っているならば、m[kg] が消えて、全て『エネルギー』 e[J]になる事を知っている筈だ。
C+O² = CO² + E
と表現したとき、『エネルギー』E[J]は必ず、炭素 C と酸素 O²の質量の幾らかが消滅して『エネルギー』に変換した事によって、初めて発生する事を基本認識に持たなければならない。その時に発生した『熱』や『光』が空間に存在する『エネルギー』であるとの認識が無くて、なんで物理学か。『熱』や『光』の『エネルギー』が何処から発生すると考えているのか。『無』から生まれるものなど無いのだ。気体分子運動論での『熱』意識に縛られた間違いが物理学理論の矛盾を創り、考えない役立たない分野に成っているのだ。
〈疑問7〉1[Ω]とは?抵抗体のどんな内部構造がそのオームの意味か。『電子』が通ると何故熱が発生するのか。この辺で、終りとして次の考察に譲ろう。
むすび。
電気回路の電源は決して『電子』などの供給源ではない。『電子』は負荷に取っても全く役に立たない、迷惑な代物だ。『エネルギー』の伝送現象として捉えない電気理論は、結局物理学理論用のお飾り論でしかない。
電気回路から物理学理論と教育 (2021/07/22)。そこにまとめた意味を、冗長になったが噛み砕いて述べた。『以下余白』の不覺 (2015/02/02)に戸惑いと不可解人権事件。
冒頭の『電磁照射』に傷ついて、「続き」の付け足し投稿にした。