物理学理論が学問の基盤たるには

 

物理学理論と言えば、あらゆる自然科学理論の根幹を担う学問分野であると、誰もが思うだろう。

それに対して、筆者が物理学理論が役に立たない学問分野だ、と指摘しても誰も意に介する事は無いだろう。余りにも長い間、自然世界はその本質を『電荷』と『磁束』と言う物理量(人の仮想概念であり乍ら)によって構築されているのだとの間違った世界観が人の意識を支配してきたからだ。それが『パラダイム』と言うものであろう。原子構造が『陽子』と『電子』で構成されていると言う間違った世界観が『パラダイム』を成しているから。プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』が空間に存在するなら、その空間的差異を空間像として論理性を持って明確に示さなければ、その『電荷』の論は科学的論理の基本条件から逸脱した、こうあれば良かろう程度の空想的な論理で、結局その論理の本質を追究すれば必ず矛盾によって立ち行かない論である事に行き着く。

その点から考えて、物理学理論を組み立てる、その論理の基礎概念が余りにも貧相である事に気付いた。様々な現象解釈理論の依拠概念とするには、とても矛盾が大き過ぎて、自然科学論の基盤が物理学だ等と考えられている現代科学論の現状に耐え難い思いが強くなった。その矛盾に満ちた物理学理論の基礎概念を含めて、社会的に常識と捉えられている現代科学論の実状を放置したまま、その矛盾が未来を担う子供達への教育内容となっている事を許す訳にはいかない。だから、黙ってはいられないのだ。

時は2015年、丁度変圧器の奇想天外診断 (2015/06/02)の自宅台所での実験に、少し興奮気味でいた頃の事。とても理解しかねる内容の報告書が日本学術会議から公表されていた。誤った科学常識からすれば当然かも知れないが、学術専門家の報告書だから尚更放置はできない問題なのだ。

筆者は研究の場所と身分を失う不可解に戸惑った。『静電界は磁界を伴う』の発表の意義を失う事への怒りがあった。科学論の根幹の矛盾を問う問題提起を止める訳にはいかなかった。学術機関を離れても、意地でも科学理論の矛盾を説く為の物理学会での発表があった。 2p-D-11 物理的概念とその次元   (1998年)。 28aYW-9 プランク定数の次元と実在概念   (2001)。27aZA-1 量子論の起源を問う (2006)。23aWA-1 光量子エネルギーのベクトル解析   (2006)。25pWD-13 磁気密度 f = rot (S/v)   (2008)。等どれも特異な内容である筈だ。

結局、居場所が無く、機関から排除されて、自宅での科学研究を積み重ねて、漸く電気回路現象の真髄を理解したと、科学論では研究継続を誇りに思う。生活の貧しさの世間的屈辱感と精神的葛藤に恥じ乍らも。生き方改革とはどんな意味かと考える。

三十年以上前の、大学での奇っ怪事件を契機に、初めて気付いた基点として自己確認をしてきた。1980年4月、履歴の継続(前職なし)なく、長岡高専で1985年7月1日、文部大臣の発令辞令と同日に、以下余白で履歴が消され、人権侵害が筆者の知らない闇で処理されている。京都府舞鶴市溝尻海軍住宅で、昭和20年舞鶴国民学校への入学の痕跡も消されて、一体どこに入学した事に成っているのか。戸籍在艦の巡洋艦「香取丸」が昭和19年2月撃沈沈没した。1944年3月31日香取丸船籍除籍。全てはそこに原因があるか?文科省に、総務省にお尋ねしたい。未だに動ける基盤が無い。

2015年の文科省の要請に基づく「電気電子工学分野」の『参照基準』報告は、その意義が見えない。穿った見方もしたくなる。

 

相当大々的な日本の高等教育の改革を目指した、未来への希望を掛けた政府の取り組み(?)であったのだろう。要旨にもある通り、『大学をはじめ各方面で利用していただけるよう、・・』という事から、その成果の評価も必要だろう。どんなに利用されたか、目的の達成度の評価は如何であったのだろうか。何処が評価したのだろうか。

その報告書には、物理学が「電気電子工学分野」の基盤となって・・とある。その物理学が「電気電子工学分野」の基盤となって云々と言う表現が全く見当外れにみえる。奇想天外実験で偶然得られた結果が、電気回路の『エネルギー』伝送現象の本質を明らかに示していると、今思う。その実験結果に勇気付けられて、『静電界は磁界を伴う』(1987年)の実験結果以来の強い確信の裏付けを得た思いで、回路伝送現象の本性を明らかにできた。決して『電子』などは電気回路現象解釈に何の役にも立たない虚飾の概念であったとの結論に到達した。今でも、物理学理論が本当に電気工学の基盤の学問と言えると物理学理論の専門家は考えているのだろうか?

職歴不明の『半年間の東京工業大学での内地留学(1969~1970年)』で、目から鱗の科学技術の真髄を研修をさせて頂いた。不可解さは、文部省も新潟県教育委員会も全く関知していない留学であった。そこでの『ロイヤーインバーター』の物理的電気現象を物理学の専門家が如何程御理解為されているかがとても心配だ。その点を物理学理論(素粒子、『電荷』や『磁束』に論拠を置いた物理学)の伝統的内容の学問としての意義を考えて、その矛盾に気付いてほしいと言う思いで指摘する。

結局は『電荷』、『磁束』の物理学的概念の意義を問う事でもある。それは「アンペア―の法則」、『電子』が何故『磁束』を空間に発生するかの論理矛盾を認識する哲学にもなる。

ロイヤーインバーター回路。

この回路は、NASAの開発技術と理解している。この回路の技術に触れた時、当時の筆者の電気理論は交流については正弦波交流電圧しかなかった。しかもトランジスタの動作原理はラジオなどの信号制御の真空管代わりの意識しかなかった。まさか、変圧器に直流電圧を掛けるなど、とんでもないことと思っていた。ところが、ベース電流を十分流せば、トランジスタが完全なスイッチ代わりの機能を発揮すると言う。驚いたなんてものじゃなかった!トランスの鉄心に可飽和特性の物を使い、トランジスタ2個、ダイオード2個、サージ吸収のコンデンサ1個で図のような回路構成にする。モーターMの速度制御が簡単に電圧を変えるだけで可能だ。電圧波形は正弦波でなく、方形波である。電圧波形がどうあろうと、モーターは周波数f[Hz]に比例して回転数が変る。こんな素敵な半導体制御技術が当時既にアメリカでは、山での巨大な鉱石運搬車に使われている事を知った。当時の高等学校電気科では、直流電動機の始動法など、パワーエレクトロニクスと言う最先端の科学技術に対して、余りにも遅れた実習内容が基本に成っていた。ロイヤーインバータのスイッチング技術で、変圧器と直流電圧変換・制御の原理は正しく目から鱗の電気回路現象であった。この回路から、「アンペア―の法則」の電流と磁束の解釈論は無駄な理論との認識に至った。1970年の事である。何故「アンペア―の法則」に疑問を抱かない物理学理論が教育されるのかが、考えられない不思議であった。

『電圧時間積分』が鉄心中の磁束量となる。磁束量φ[Wb]の最大値が鉄心の飽和値φmとする。

ファラディーの法則       v=n dφ/dt

の積分形     φ=∫(v/n)dt

鉄心磁束が飽和値φmに到達した瞬間に、トランジスタのスイッチング切換が自動的に起きる。

電源電圧 V の値でスイッチングの切り替え周期が変る。負荷への出力周波数f[Hz] が電圧 V に比例する。

こんな素敵な回路動作が起きる。これが電気回路技術と言う自然現象の実相を表している事と知った。

実際は、『磁束』が鉄心中に発生する訳ではないのだ。物理学理論で、鉄心中に『磁束』が発生すると人が解釈しただけなのである。ファラディーに法則として、磁束と電圧との関係を式に表現して、理解し易い法則として捉えた現象解釈式でしかないのだ。『磁束』の空間像としての具体性を追究すれば、その自然性は矛盾に陥るだけである。科学技術法則としての簡便性は、その価値は高いのだ。然し自然世界の実在概念としての物理量には成り得ない。自然世界にそんな「磁束」があるとは描き切れないから。磁束が空間にどこまで伸びて、電界を世界の果てまで創ると言うのか。

「アンペア―の法則」も、電線内を流れる『電流』によって『磁束』が電線周りに発生すると解釈した、人が感覚的に捉えやすい数式形式での法則化でしかないのだ。『電荷』と『磁束』の空間の相互関係が曖昧な論理矛盾概念だから。『電子』の質量が『磁束』に関係する訳ではないのは当然であろうが、質量は何の為に付与した概念化は、『力』概念との関係の為に取り敢えず追加したに過ぎない。『電荷』と『電荷』では『力』の概念を法則にできないから。しかし「クーロンの法則」はそんな『力』発生の科学論理を無視した、質量が無くても良い非論理的法則だ。それが特徴的な物理学理論の世界を表している。

『電流』と言う物理量を、本当に電線内を『電荷』が流れると考えられるのですか。『電荷』でなくて、『電子』が『電流』と逆向きに電線内を流れると、人が解釈したに過ぎないのである。『電子』が流れて、何故電線の外部に『磁束』が発生すると言う理屈が成り立つと考えているのですか。『電子』と言う物理概念は『磁束』をその自己(電子構造)の中に備えていて、その影響が電線外部迄広がると言う論理なのですか。その仕組みを厳密にご説明頂かなければ、ただ都合が良い解釈法だからと言うだけで、そんなに勝手にいろいろの物理概念を創り上げられては、とても自然科学理論の基盤を成す基礎概念だ等とは言えない筈と思うが如何ですか。『電子』と『磁束』の空間的関係の実在的『像』を厳格に示す必要が論理と言う意味からして無ければならない筈だ。

『磁束』と言う科学技術概念が結局『エネルギー』の解釈概念でしかなかったのだ。

『磁束』の意味を考える。

鉄心にコイルを巻いた回路要素インダクタンスLo[H] がある。その印加電圧はロイヤーインバーターでも何でも良いのだが、直流電圧をスイッチング機能回路で方形波周期波形とする。一応、電圧と電流の記号も記した。電圧とはどの様な物理的意味なのか。電流とは同じくどの様な物理現象を捉えた量なのか。電圧、電流とは何を評価する概念量かが明確に定義され、論理的に矛盾や曖昧さが有ってはならない基本概念の筈だ。電圧は『電荷』などの意味は無く、電線路空間の回路定数 C[F/m] と『エネルギー』の分布密度δp[J/m]による物理量を評価したものだ。電流も『電荷』や『電子』など無関係で、電線路空間定数 L[H/m]とその空間を光速度で流れる『エネルギー』の分布密度δp[J/m]の量を評価した技術概念量なのだ。電源と負荷間の回路定数が電気『エネルギー』の伝送特性を決めるのだ。電線路の空間構造が伝送特性を決めるのだ。電気回路は全て静電容量C[F/m]と誘導容量L[H/m]が支配する空間構造特性なのだ。其処に負荷の特性値R[(H/F)^1/2^]等との関係で電線路の『エネルギー』伝送特性がすべて決まるのだ。其処には『電荷』も『電子』も全く無関係なのだ。『エネルギー』一つの空間現象なのだ。当然負荷のコイル特性のインダクタンスLo[H]に起こる現象も全てただ『エネルギー』のコイル空間に起きる現象でしかないのだ。

右の回路図の様な、スイッチA、B、CそしてDの4つの組み合わせのスイッチング動作で、負荷には方形波電圧を印加できる。そのスイッチング周期T[s]はコイルの『エネルギー』量の飽和制限が掛かる。なお、負荷は『エネルギー』の消費をしないから、貯蔵と放出の繰返しで、必ず電源への『エネルギー』回生動作が伴う。その為に、スイッチに逆並列接続のダイオードが必要となる。

エネルギー貯蔵特性。

大まかな『エネルギー』変化波形を表現すれば、右図の e[J] の波形のような2次放物線となる。コイルの貯蔵エネルギーの最大値を Em[J] 、スイッチのスイッチング周期を T[s] とした。

この『エネルギー』 e[J] と『磁束φ[Wb]』との関係は

e = (1/2)Loi^2^ =(1/2)φi [J]

という科学技術解釈の意味で表現している事になる。

磁束とは、

φ=√(Lo e) [Wb=√(HJ)]

のように貯蔵『エネルギー』 e [J] を評価した科学技術概念なのだ。

この関係の解説は、冗長になるので別に(○○)で示す。

物理学理論の自然世界解釈法は、実際は科学技術概念に因る自然界に実在しない、解釈手法を表現しているだけなのである。物理学理論が空間に実在する『エネルギー』の何たるかを認識しなければ、それは決して、学問の基盤などとは成り得ないのだ。少なくとも電気回路現象に『電子』は不要の概念で、その出る場はない事を知ることから新しい物理学の未来が開ける筈だ。『電子』概念の虚飾性は、考えない物理学が故に今まで気付かずに来た科学理論の曖昧論の象徴である。

残念ながら、物理学学科での高等教育を受けていたら、その専門家としての学識・知識から決して『電子』論の矛盾になど気付かなかったと思う。

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