日別アーカイブ: 2021年11月2日

電気回路と哲学

職歴不明のままであり乍ら、長い間の電気理論との格闘のように、電気回路の現象を考察し、漸く『エネルギー』伝送現象による総合的な解釈に到達できた。

“哲学”と言えば、普通はとても難しい学問分野の様にも思うかも知れない。しかし、ここで標題に使った訳は科学理論の伝統を根本から破壊するような作務であるから、世界の常識を否定する思索という意味で、それが“哲学”の意味かと考えて使った。学問的には日常の不図した疑問を突き詰める作務を“哲学”としたい。『エネルギー』と質量の等価性。その意味の本源を納得することが物理学理論に求められている。

今『電荷』や『電子』が自然世界に存在しないとの確信にある。科学理論の根幹を否定するような内容の繰返しに、特に電気磁気学等の教育御担当の皆様にはご迷惑な事かも知れない。内容は単に、科学理論と言う範疇で捉え得るかどうかは分からないが、「哲学」の領域まで踏み込むことに成っているだろう。『エネルギー』の空間像を観測できないから、実験による検証に応えられない意味で科学論とは言えないかも知れない。しかし、それは実在しない『電子像』が観測できない意味とは異なる。『電子』の実在性は思考を深く重ねれば、その存在その物の矛盾に誰でも気付き『電子』が理論の為に人が創造した仮想物理概念であると分かる筈だ。少し前の記事、科学論と電荷 (2019/07/28)がある。

前の記事、エネルギーと素粒子 (2021/08/16)で取り上げた回路について再考して、『電荷』概念が科学理論の論理性から見て、その矛盾に耐えられない、何の役割も果たし得ない事を示したい。何故その存在が疑問を抱かれないで、科学理論の基礎概念として評価されているのだろうか?

『電荷』による電場とその概念とは。

『電荷』や『電子』は科学論の基本概念として、世界共通の自然界の真理であるとの常識になっているだろう。誰もその科学常識の『電荷』の存在を否定はしてこなかったと思う。もし、『電荷』によって発生する筈と考える空間の電界が、実は磁界だった。等と言う事に成れば、科学理論とは一体何なんだ❓という事になる。静電界は電流も流れず、ただ『電荷』によって静かな電気力線の空間場であり、世界の基本物理量『電荷』が実在すると考えるから発生すると唱えられる電界空間だ。自然世界の『電荷』の実在認識が長い歴史の絶対的科学常識・パラダイムである。それが否定されるのだ。その実験による証明の結果発表が『静電界は磁界を伴う』だった。そもそも、電界および磁界の空間は『エネルギー』の場だと物理学理論でも解釈している筈だ。しかし、感覚的に意識化されていないようだ。その場その場で、都合よく論理を創り上げる、その訳は『エネルギー』の空間像が認識できないからであろう。見えないからと言う理由で、『エネルギー』を認識しないでは済まない筈だ。電界、磁界の空間の意味を『エネルギー』の分布密度との関係で瞬時電磁界と概念 (2018/10/23) にも示した。

【今気付いた(2021/10/29)。ロゴウスキー電極間の高電界中で、何故コンパスで磁界を検出したか。その訳は電界と言う場に『エネルギー  -εE²[J/m³]-』が必ずある筈で、それが磁界と無関係の筈はない。その事で『電荷』の意味を明らかにできると考えたのだと。しかも、『電荷』の存在で発生すると言う空間の電界(電気力線)は何処までの領域を捉えるものかの解釈が全く曖昧である事を以前から疑問に捉えて、悩んでいた。正・負の電荷間の空間はどの様な『エネルギー』の空間場の広がりに成るかが物理学では全く無視されている。今考えれば、やはり物理学理論では全く空間の『エネルギー』の存在を認識していないからだと結論できる。だから『電荷』周りの空間の『エネルギー』を考えない訳だ。空間に実在する『エネルギー』を認識していないのだ。】

電気物理(電圧時間積分とエネルギー) などで述べたように、インバーターの変圧器動作の技術感覚が、電気現象の根本は『エネルギー』であるとの認識になった結果に基づく結論であった。その後の長い回路動作の解釈から、電界と磁界は切り離せない、空間に在る同一の『エネルギー』を観るそれぞれの観方の解釈技術概念でしかないとの感覚的捉え方になっていた結果の実験結果であったのだ。その事が『静電界は磁界を伴う』と言う表現での実験結果の発表となった。結局電界も磁界も、空間の同じ『エネルギー』の解釈法でしかないのだ。変圧器‐物理学解剖論‐ (2011/09/13)、あるいは L とCと空間エネルギー (2017/08/02)などに結果を示した。

『瞬時虚電力』なる空間概念も電気理論が余り信頼に足るとは考えられずにいたから、感覚的に空間表現の新しい捉え方に躊躇は無かった。空間ベクトルと回転軸 (2017/09/07)の電線路内の『エネルギー』の回転流と解釈する。

今改めて思う。『電荷』や『電子』を否定するという事は科学理論の世界の常識を否定する事なんだと。エネルギーと素粒子 (2021/08/16) を投稿して、これが哲学と言うものではないかと思った。社会常識を否定して、危険な道を踏み出すことが哲学なのかと。科学的共通基礎概念の認識の中で、初めての新しい科学的発見ならば歓迎もされるだろうが、長い科学理論の根幹を「嘘」だと否定したら、今までの科学理論の権威を傷つける事に成り、それは大変な事に成る筈だ。単なる新発見では済まない筈だ。

その時代の平穏な仕組みを否定する事は、社会的に存在が許されないかも知れない。特に自然科学論の組織の中では。多寡が電気回路現象の解釈でしかないのに。

それでも電気回路現象の解釈を深めるしか道は無いのだろう。大学がどの様な自然科学の研究、教育を目指すべきかを問う事でもあろうから。大学が本当の基礎に、自然世界の真相に真摯に向き合うことの必要性を問いたい。だからと言って、その事が新しい科学技術の開発を妨げるという事ではなかろう。ただ余りにも物理学理論が法則の意味を深く考えずに、その利用に安易に頼り、思考停止の集団教育体制や集団研究体制が業界組織強化だけに使われているような現状は間違っている。大学の教育に対する『参照基準』などのような物理学が「電気・電子工学」の基礎にあると言う認識は間違っている。その弊害から抜け出す道は簡単な事である。覚悟が問われるが。その第一歩が空間に実在する『エネルギー』を認識する事であり、その為に一粒の光量子(2021/08/12)などの光の空間のエネルギーの流れを認識する事であろう。しかし、認識すると言ってもその空間に在る『エネルギー』を科学的手法で観測することはできない。それは実在しない『電荷』を観測できないと同じ次元ではなく、実在する空間の『エネルギー』であり乍ら観測できないという意味である。しかし、どちらが真の実在であるかは科学理論のあらゆる分野の広い哲学的論証による矛盾の排除から、正しい結論に導かれる筈だ。豆電球からの放射光は空間に何が解き放たれているのか?を考えれば分かるだろうと思う。基本法則の意味を考えることで分かる筈だ。本当に『電流』とは何かを考えて、納得しているだろうか? 1[A]とはどんな物理現象の量なのか?しかもそこには『光速度』の伝播現象がある事を合わせて認識する必要がある。

もう一度電気回路の現象の真相が何かを深めてみよう。『電荷』や『電子』の仮想概念では自然現象の理解に到達できない事を確認するために。決して『電子』に光速度伝送の機能を課すことは不可能な訳を考えれば、誰でも分かっている筈だ。何故その事に真剣に向き合わないで、曖昧な論理の誤魔化しに逃げて居るのだろうか。

再び、電気回路。

これ程単純な電気回路はないだろう。

【問】 この回路の電気現象を説明しなさい。

さてどの様に解答するでしょうか。コイルのインダクタンス Laa は電源電圧が直流だから、ωLaa=0 となり、定常状態では単に負荷抵抗 R だけの回路と考えて、解ける。オームの法則で、I=V÷R[A] 、消費電力 P=RI² =VI [W] である。と答えれば、標準的な回答として100点満点でしょう。

しかしこの回答は、電気技術論的法則による標準の回答でしかない。少しも自然現象としての電気回路内の真理・眞實を解答していない。

【再度の問】 電流 I [A] とは、どの様な物理量か?電圧 V[V] とは、どの様な意味の物理量か?電球からの光放射の『エネルギー』はどの様に供給されたか?電源電圧の物理概念 (2021/06/18)。原子構造と光放射現象 (2021/04/07)。

この再度の問いが自然現象がどの様であるかを尋ねているのである。尋ねている事は『エネルギー』をどの様に理解しているかである。先ず『エネルギー』とは何かを知らなければならない。それを考えるにはコイルの電気現象に対する機能、動作特性を理解する必要がある。インダクタンス Laa [H] の回路部分の働きであろう。

Laa回路近傍の空間の『エネルギー』の姿、流れ方を認識する事であろう。

電源側スイッチSを投入した瞬間から、負荷抵抗 R に単に電源電圧 V が掛かる訳ではない。

V=Laa(di/dt)+Ri

の微分方程式を解くのが標準的解法である。そこでは、電流瞬時値 i が定義されて、その電流値を解くことになる。しかし、それは電流その物が科学技術的解釈概念であって、その電流とは何かを物理学理論では理解していない。電線導体の中を『電子』が流れる訳ではないのだ。さてどう解釈するか?この微分方程式が解ければ、電気回路現象はすべて解明できたとなるのが科学技術理論だ。しかしよく考えれば、電圧も電流もそれが何を定義したものかを分かったと納得されておられますか。きっと分からないで、はっきりとは意味不明なのではなかろうか。

電気回路の機能原理。②図に示したように、線路空間が『エネルギー』の流れを支配している。電線路定数のLに更にLaaが加わった時、どの様な回路機能として働くかが問題の解くべき点であろう。LaaとLが電気エネルギーの伝送を決める要素として働く。その部分の空間の『エネルギー』分布は静電容量 C[F/m] が決める。『エネルギー』の基本的分布はマイナス側の電線近傍に流れる。Laaはプラス側電線路にある。この  Laa[H]が回路の電磁現象にどのような影響を及ぼすかは先に電流計とエネルギー流  で解説した。

多分コイルのLaaの電圧vは零であろう。しかしコイル内には技術概念の磁束が生じていると解釈するが、それは内部に軸性エネルギー流が貯蔵されている意味だ。その磁界の向きは、③図の方向で解釈する。しかしその図に示した、磁極の周りの空間を回転する『エネルギー』の流れについて、残念ながら物理学理論(教科書)にはその認識がない。 電気磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03) 。

磁界や磁束と言う磁気概念が、結局その磁気ベクトル軸の周りを回転する空間の軸性エネルギー流を解釈する技術概念であったという意味になる。兎角科学技術あるいはその基礎理論はその専門家特有の現象解釈概念を捉えて、その特有な理論展開をする。しかし、その専門的概念は何処か自然世界の様相に整合しないと感覚的違和感を覚える。その感覚の違和感を解消する為に、根底で調和する真相を求める作務、それが科学と言うより哲学になるのかと思う。見えない『エネルギー』を理論の矛盾からの解放の眼目とすることが科学的検証の出来ない解釈法であるから、科学論とならないのかも知れない。知っている と 分かる に解釈を示した。

職歴不明のお恥かしさは戦後75年間の不可解? (2020/06/23)から対処法の欠落状態にある。

知っている と 分る

教育の意義と弊害。

こんな形でしか、生きている意味を表現できない無様を晒して。昭和14年12月1日:舞鶴鎮守府への戸籍転籍以降の不可解が足かせになって。戻るにも何処に戻れば良いか❓戸籍丸「香取丸」の船籍除籍(昭和19年3月31日)をどう回復できるか、御政府問題と自力では無理故に。昭和55年3月31日職歴無しの新潟県教育委員会による『免職』辞令と存在しない筈の同年4月電気科主任手当ての御支給の不可解?新潟県にはお尋ねしたが御回答頂けない。『分かる』には程遠い。

学校教育では、系統的に効率よく、子供たちに教えることが出来る。数学や言語あるいは社会科学は、その一般的な日常生活での必要な事を教えて記憶によって、修得させてほぼその目的は達成できよう。数学もそれ程考えると言うより、規則に従う意味を理解することで済むのではないか。

その初等教育で学んだ内容は、其の後も支障をきたすような問題は余り起きない。

しかし、自然科学分野はその学習した内容が余りにも多くの問題を抱えている事に気付いた。それは自然を観察し、その意味を解釈する学問であるから、人がその意味をどう解釈するかによって、その捉え方には大きな隔たりを含む可能性が大きい。

物理学理論は自然世界の現象を解釈する方法を、皆が納得出来て、共通の評価基準を取りまとめる学問体系である。それは科学技術など、自然現象を利用し、応用し、人の生活環境(自然環境をよくする意味ではなく、あくまでも人間の為だけの)を便利にする物事の解釈の根本原理と言う意識にある。しかし、今それが殆ど誤った解釈基準であった事に気付いた。

物理学理論が全く自然現象解釈の基準になど役立たない、人が仮定した解釈の一つの手法でしかなかったのだ。それは、何世紀にも及んで、科学学術界と言う有名人の殿堂での解釈が世界の基準となって、余り市民の関われない世界で構築されてきた。権威によって決まってきた。専門と言う納得しがたい学説が唱えられる学問領域が、狭い専門性で哲学無しに伝統学理が伝承されている。

学校教育で、『理学』に当たる教科内容はとても可笑しな内容であったのだ。良くここまで問題視もされず、歴史を重ねて来たものだと驚かざるを得ない。

『理学』は他の教科目と同じように記憶する学問ではないのだ。『何故か?』と常に疑問をもって、理解する事の考え方を教えるべき教科目と捉えるべきだ。

教師も、伝統的解釈法を『知識の受け売り』的伝達では、その役割を担え切れない。長い歴史的経過を、その『知識の受け売り』的教育法が現在まで続けられてきた結果、驚くべき物理学理論の不可解さ、曖昧さを引き摺って来てしまった事の原因となってしまったのだ。

『金原の物理』を繙いてみて (2018/05/11)で考えた。そこには寺田寅彦博士の意見も載せてあった。

磁束という科学論用解釈概念を取り上げて再び問題を指摘する。

磁気現象の一つの特徴はその磁力にある。マグネットなどの磁力の強さは他に比べるものが無いほど強力だ。

その訳は何か? 

勿論物理学や理科を習えばその訳を答えられるだろう。電気回路のコイルに電流 I が流れれば、その内部は磁場と言う磁気に関わる現象が生じる。コンパスを近付ければ、何故か力を受けて、ある決まった方向を向く。マグネットは鉄板などの鉄性の面に張り付いて落ちない。

【問題】その磁力の発生する訳を説明してください。

【解答】?    

誰もが、理科で磁気の事を学習すれば、磁石などの表面には磁束が空間に伸びている事を習って知っている。N極とS極の間で、磁束が繋がり、それだけで引合う力が生じると解釈するようだ。磁石の接合力の強さは誰もが経験で知っているから、その解釈法に疑問も持たない。教えられた通りに良く理解したと記憶できる。それが『知っている』ことだ。学校で教えられた事を覚えているという意味だ。大学での専門学部では、その指導内容を良く汲取り憶えて、その指導内容を忠実に後輩に指導し続けることで専門家の後継者となり得る。指導教官の教えに対する疑問や反論はご法度だ。

『分かる』とはどの様な事か。自然現象は解釈法を記憶しても、それは『分かった』ことには成らない。

〈疑問〉を抱かなければ『分かる』には到達できない。磁束でN極とS極が繋がると『何故磁力を発生する事になるのか?』。磁束の事を如何にも力に意識が繋がるような意味を持たせた磁力線と言う言い方まである。

〈疑問〉磁束に因って磁力が何故生じるか。

磁力に関して、『磁気のクーロンの法則』がある。しかし、それは『磁荷』のN磁極とS磁極間に働く力という意味である。その法則の磁力発生原因は磁束とは意味が違う。『磁荷』と言う概念は既に、物理概念としてはその存在は否定されている。divB=0 と言う基本認識は、磁束を発生するような原因たる「基」即ち『磁荷』は無いという意味である。しかし不思議にも、それはそれとして、磁気のクーロン力が基礎法則として有効に、頑迷に利用されているのが物理学理論の教育上、教科書での方針に成っている。

磁力の発生する論理的原理が分かったでしょうか。

磁束が繋がるとどの様な訳で皆さんは磁力が発生すると理解しているのですか。『分かった』のですか?

自然界に磁束など実在しないのです。昔から電気法則で、納得し易い方便として仮想的に唱え、使って来ただけなのだ。そんな社会的対策と手法は余りにも当たり前な事なんだが、科学理論となると、如何にも権威ある立場からして何とか納得させるに方便が必要だっただけである。これはマイケル・ファラディーの法則として素敵な業績を残してくださったことで、便利な解釈法で通常は良いのだ。しかしその法則を、本質を考えずに、ただ利用して過ごす「考えない」科学理論集団の社会的権威が過ちを世界に広めるのだ。

『磁束』だけでないのだ。『電荷』もこの自然界になど存在しないのだが。

何故磁力が強いのか。磁力が無ければ、と言う言い方も間違いを伝える事に成るかも知れない。磁力と言う物理的現象も、何も磁気など厳密には無関係なのだから。『磁気』と言っている自然の意味は『エネルギー』の姿でしかないのだ。質量も『エネルギー』の世界に現われる形象の一つでしかないのだ。「質量とエネルギーの等価性」とは『エネルギー』『光』が局所化した結果が質量でもあるという意味だ。分子結合の結合構造も、同じ分子なら同じ結合構造となっている筈だ。それも磁気と言う結合力が有るからの結果なのだ。原子結合も磁気力結合なのだ。こんな事は科学論文になる訳のない論だ。余りにも世界の本源が単純過ぎ、純粋過ぎるから。

磁力は軸性エネルギー流だ。

前出の図も併せて、示す。

磁気のN磁極とS磁極の意味は、ともに同じその表面の空間に流れる『エネルギー』の示す現象なのだ。N極を見れば時計方向に回転する『エネルギー』なのだ。それを軸性エネルギー流と表現した。空間内での『エネルギー』流間の近接作用力を磁力と言う解釈で捉えていたのだ。

『静電界は磁界を伴う』の発表から、『電荷』否定の論を固めるために、何を考えて来たかと言えば、『磁気』とは何かであった。初めの頃の記事、磁界・磁気概念の本質 (2010/11/16)がある。『磁気』の正体を明らかにすることで、『電荷』概念の否定の確信に繋がった。

はじめに挙げた問題の回答。それは『エネルギー』の回転流での近接作用力として『分かった』ことになると思う。それでも疑問が無くなる訳ではなかろう。寺田寅彦博士に学びたい。決して原子結合が『共有結合』などで出来る訳がない。高等学校の化学の授業での「共有結合論」の理解不可能と諦めた内容が今少しは『分かった』になったかもしれない。