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電気自動車と物理学理論

科学技術が好きだ。昔大学で、電気磁気学の講義を受けた。余り特別な高等数学も無く、電気理論は理論的な解釈論で楽しい思い出だ。ところが、最近は電気理論だけでなく、物理学理論が心に違和感を生むようになった。

最近は電気自動車が将来の技術革新の一つの研究目標となり、その実用化の未来が近付いている。自動車は科学技術の総合力の結実製品だ。

『梃子でも動かぬ』と言う表現がある。面白い表現で、電気自動車を物理学理論から、考えながら頭に浮かんだ。

物理学理論の考察対象として、電気自動車について考えた。

電気自動車。

電気自動車は何を動力源として動くのか?

学校教育の理科の学習例題としてとても好適例に思えた。

その最初の躓きが『トルク』である。『トルク』の次元の意味が「❔」マークで頭の中を駆け巡る。得意な『次元解析』と思っていたが躓いた。

『トルク』とは?

τ[Nm] が使われる。τ(タウ)は自動車の車輪の半径の長さr[m]と軸中心からの接地面までの距離のタイヤに掛かる『力』 f[N]の積で表現される技術概念であろう。余り物理学では取り上げないかも知れない。物理学では『梃子』の原理が問題になる。それと同じ自動車の車輪の力学の問題に成ろう。物理学と言うより科学技術概念としての意味が強かろう。物理学では、トルクと言うよりモーメントと言う概念であるが。力と距離の積という事から、同じように思う。

「❔」という意味はトルクの次元が何故か『エネルギー』のジュール[J]に成るのだ。梃子の原理で、『梃子でも動かない』と言う状態は重くて動かない。あるは人が思うように動いてくれない嘆きの表現でもあろう。運動力学論によれば、一寸も動かなければ、『エネルギー』の消費にはつながらない。距離がゼロなら仕事はしていない事に成る。『トルク』が掛かっても、移動しなければ仕事量『エネルギー』はゼロである。動かなくても、『トルク』は次元が『エネルギー』のジュール[J]なのだ。今日の解けない疑問だった。

学校の廊下に立たされて、「罰」と言う次元の解釈法で、水を入れたバケツを持って耐える業が課されるお話がある。これなどもじっと重力に逆らって、一定の距離を保持しているだけなのに、運動力学論の『エネルギー』消費には成らない筈なのにとても『エネルギー』を使う。この意味は物理学理論ではどのような解釈をするのかと思った。精神的な消費『エネルギー』も基礎代謝と同じく、『エネルギー』の体内消費だから運動エネルギーとは異なる空間内の『エネルギー』による解釈の概念が必要になる例だろう。少し話が自動車技術から離れすぎて、🙇。

物理学理論では『エネルギー』の消費問題は余り考察対象にならないように思う。科学技術と科学理論と言う捉え方で、電気自動車と物理学理論の関係を『エネルギー』の概念から見た意味についての認識を深めたかった。学校物理学で、まず最初に認識を深めて欲しいのが『エネルギー』の問題だから。

電気自動車は電気充電センターで、バッテリーに何かを貯える。さて『何』を貯えるのか?物理学理論では、どうも『電子』が理論上に載らないと物理学的学術論にならない様な気がする。そこが最大の精神的苦痛の負荷に成るのだ。

電気自動車の駆動源は電気モーターだ。電気モーターの力学を『電子』で解釈しようとすれば、日が暮れても終わらない。誰でも分かる易しい物理学であって欲しい。自然世界に存在しない『電子』では電気自動車の技術開発による、精神的にも理論の混乱なく、蟠りなく快適な運転をする事は理論的に困難である。

市中の配電線路の電柱から電気自動車の運転速度制御まで、何をどの様に利用して運転するのか?その基本的物理量が何かを御理解頂きたいのだ。

モーターから車輪は軸で繋がっている。その軸はどの様な意味なんだろうか。『答』それは軸を伝わる『エネルギー』の縦波だ。それが物理学理論に求められる教育上の意味と思う。水面波も『エネルギー』の縦波だ。太鼓の原理も『エネルギー』の縦波だ(撥で膜を打つ。膜の固定端迄『エネルギー』が伝播しそこで反射する。その往復振動の合成で膜が固有の周波数で振動する。その振動が空気を叩くことで空気の縦波『エネルギー』密度波を放射する)。『エネルギー』の認識の教育が求められている。『電子』では混乱教育、無益なものになる。

 

これが電気理論だ

もう真ともに働ける程身体能力が無い。

教育現場で仕事ができる程の能力は無い。

人前に出られるほどの生活環境にない。スーツ1着も無くなった。ジーパン一つのみすぼらしさで生きてきた。過去の補償が無ければ動けない。

全てがこの意味を問う事から始めるしかない。いつ舞鶴鎮守府から帰還したか?知らずにいた事が本人の自己責任か?

ー今朝から再び、平成2(1990)年頃の異様な、怒りの基であった『電磁波』の衝撃が再び頭に掛けられている。その現象は、頭脳の中に『ジー、ジー』と高周波の電磁波を照射され続けられている状態だ。これが人権侵害と言うものだろう。日本政府機関の仕業か?今午前11時すぎ、先程の電磁照射の『ジー、ジー』の耳触りがが消えた。その訳は何で、誰の犯罪行為か?ー

たった一つの自慢は、電気理論の易しい基本が分ったように思うだけでしかない。

もし大学で講義をするとしたら、こんな事しかできないと思う事を『講義の要点』としてまとめてみた。ただ、恐らく専門家らしい論説とは言えなく、あまり評価はされないだろう。寧ろお邪魔虫論と見做されるかも知れない。学術論の様な理数的解説の雰囲気も無く、実験室での結果に基づく伝統的科学手法論とは懸け離れたものであろうから。きっと、これは文学論だと言われるだろう。確かに哲学論かも知れない。

電気回路と理論。科学理論関係の特徴も、その用語や概念を的確に理解することが必要になる。其処にほとんどの要の意味が隠れている。

図には「電源」、「負荷」そして「電線路」の回路機能要素が記してある。電気回路現象を解析する科学技術専門用語で、『電圧』の v[V] 、『電流』 i[A] そして『電力』 p[W]等 が理論的解釈の基本概念である。

図は基本となる回路である。電源と負荷を二本線でつないだものだ。電源が交流電圧源の場合も電池の様な直流の場合もある。負荷も蛍光灯スタンドから、電気洗濯機であればモーター、電子レンジであれば熱源としてのマグネトロンとなり、最先端電子制御製品の4Kテレビなど様々な特徴的な負荷がある。誠に困ってしまう事ながら、『電子』と言う科学理論の基礎概念があらゆる技術用語に使われている。電子制御、電子回路と『電子』と言う基本中の基本として電気の常識になっているのが『電子』だ。その『電子』など自然界に実在しないと前から唱えてきた。それは『電荷』が存在しないからだと唱えてきた。

さて、以上の経過も踏まえて、基本的な疑問を提起しよう。科学理論とはどの様なものかを考えてもらいたい。

〈疑問1〉電気回路の電源は『何』を供給する為の設備か。

〈疑問2〉負荷は『何』を利用するのか。

〈疑問3〉電気回路で『電子』はどんな役割を果たすと考えるか。

まず最初の、講義の問題提起としたい。精々こんな基本の易しい話ししか筆者には出来ない。黒板に回路図で説明する程度だ。『電子』に依存した講義が出来れば、当たり前の常識的伝統踏襲に成るのだろうが、筆者にはそれが出来ないのだ。常識が分からず、苦手だ。物理学の専門家の御高説が拝聴できれば、質問もさせて頂きたい。

【回答】(大学入試問題にも良いと思う。)

図には、その他に回路内に静電容量 C[F/m] 、誘導容量L[H/m]さらに特性インピーダンスZo[Ω]と光速度co[m/s]を赤色で記した。

ー電源は電圧で表す。負荷に電流を流して『何か』を供給する。電力は電圧と電流の積で解釈する。ー

電気理論と言う物理学理論の教科書では、上のー電源は・・電流の積で解釈する。-の部分の基本的解釈が説かれている。

科学理論は論理性がその身上の筈だ。『電圧』とは何か?『電流』とは何か?何故『電圧』と『電流』の積が「電力」となるのか?このような基礎的な意味を、電気回路現象の中に明確に捉えているか。『電子』があらゆる科学技術の中で、自然界の絶対的存在のごとく、その基礎概念に依拠して解釈されている。『電子』が10桁の『電荷量』の数値で解かれ、10桁の『質量』の数値で解かれている。誰も疑問にも思わず、そんな情報が溢れている。全て専門分化の、お互いに不干渉黙認の統合失調症の科学論に陥っているのじゃないか。

再び問題。何度も取り上げた問題だ。せめて、物理学理論の専門性の視点から、中学生や高校生が納得する解釈を示して欲しい。

〈疑問4〉『電圧』とは何か?

〈疑問5〉『電流』とはどんな物理量か?

〈疑問6〉『電圧』と『電流』の積が、何故1秒間の『エネルギー』量となるのか?

本当に、物理学者は、自然科学者はこんな単純な概念量に疑問を抱いた事が無いのだろうか。あるいは、疑問を抱いたなら、どの様に納得しているのだろうか。教科書を執筆している著者は本当に分かっているのだろうか。

この2年間、コロナウイルス感染が世界中の日常生活を混乱に巻き込んだ。その丁度2年間が、電気回路の電線路空間での『エネルギー』伝播現象の解釈法が纏まった時期となった。電気現象で、『電荷』や『電子』は全く無用の長物概念となってしまった。この事は、あらゆる科学理論の根底が瓦解してしまったと言ってよかろう。確かに科学技術は日々新しい状況を生み出し、進展している。その新たな世界を作り出している科学技術の基礎に、『電荷』や『電子』などは全く必要も無いものである。電気現象を『電荷』や『電子』などでその論理的解釈をしようとしても、矛盾が大きくて無理なのである。その基本の論理を結局考えてこなかったという事になる。教科書が説く電気理論を取り上げ、その論理的矛盾を指摘したい。

電気の単位に、電圧のボルト[V]、電流のアンペア [A]さらに 負荷抵抗のオーム[Ω]がある。それらの基本単位量の意味をどう説明するのだろうか。

〈疑問4-1〉 1[V]とはどんな物理量か。

電圧にも交流と直流電圧が在る。電源に繋がった電線路間に『電圧』が掛かる。電源が変圧器の場合には、二次巻線内から『電荷』が分離するとは考え難いから、『電荷』が電圧の基礎物理量とするには無理があろう。では交流の場合の『電圧』はその論拠の物理量を何と解釈すれば良いか?電線路の『電圧』の発生原因は何か。

〈疑問5-1〉1[A]とは何か。

電気理論では、1[A]とは1秒間に1[C(クーロン)]の『電荷』が導体内を通過すると言う定義だ。ただし、何故かマイナスの『電荷』を保有する『電子』が『電流』と逆向きに導体内を通過すると解釈される。そこで『電子』の数量は幾つかと計算すると、6.24×10の18乗「個」程となる。1[A]が1秒間でそれ程の数量となるとなれば、どの様な原子から、どの様な原理によって電源から放出されることになるのか。原子から電子が電離(分離?)するには電源内でどのような電界が働くか、その論理的合理性が無ければならない。『電圧』は電源が決めるが、『電流』は負荷がその要求量を決める訳だから、負荷抵抗のどの様な特性・機能が電源内に『電子』量の要求を働き掛けるのか。教科書の電気理論に従えば、『電子』には電界以外に作用力は働かない筈だ。だから負荷抵抗値で『電流』値が決まる訳は、電源内の原子に負荷抵抗値が作用して、『電子』を剥ぎ取ると考える以外説明の仕様が無い。『オームの法則』は電源の『電圧』が直接負荷抵抗に印加され、その『電圧』によって回路の『電流』が決まる意味である。それはとても便利で、利用価値のある優れた技術法則である。しかし、その意味を他の電気理論の内容に照らし合わせると、必ずしも納得できる論理性を担保しているとは思えない。電気回路論としては分かり易いが、電気磁気学論との関係で、整合性が採られているかと確認すると、「クーロンの法則」の物理的『力学論』の『電荷』に働く加速度の慣性欠落矛盾を取り消せない過去を引きずって来てしまった。『電荷』は電界による以外加速度運動の力を受けない筈だが、『電子』はその矛盾排除条件として『質量』を付加して辻褄合わせはして、如何にも「力」の論理矛盾は避けている。それでも「クーロンの法則」は都合よく理論に組み込んで、場合、場合で法則利用の使い分けをしている。それが如実に表れているのが、教育現場での、教科書の内容の問題になる。とても素人には不思議な事だが、専門家は「陽電子」等の加速に円形加速路で、電磁石での加速実験が執り行われている。「陽電子」でもやはり加速原理はプラスの『電荷』に作用する電界加速が電気理論の原理の筈だ。それが何故専門家は電磁石で『電荷』の加速が円形リングで出来るのか理解が出来ない。教科書の電気理論と何故異なる事が専門家には可能なのか不思議だ。

かと思えば、太陽光が半導体に働き掛ける太陽電池の原理も電界でない訳がこれ又理解を困難にする。これは半導体原子の周回『電子』に光子と言う光の粒子が衝突(?)して、『電子』を弾き飛ばして自由電子と言う状態にする原理で解釈するらしい。光の『エネルギー』がどの様に『電子』の『エネルギー』に変換されるかは、とても高等理論で理解できないが、実際の技術としてその理論が基礎理論となっている。高等物理学理論はとても飛躍的・超法則性の現象がいとも簡単に、恣意的に解釈通りに起きると唱えられる魔訶不思議な魔術論に思えてしまう。それは『電子』が自由となって、電気回路に流れ出ると言う量子力学理論に従えば、電気回路現象の筆者の解釈とは相容れない電気現象解釈論である。

〈疑問6-1〉『電圧』と『電流』の積が何故電力P[J/s]となるか。物理学理論の欠陥は『エネルギー』が空間を流れると言う物理的概念がその理論の基礎に据えられていない事だある。『エネルギー』は質量が運動する事によってはじめて、運動エネルギーと言う形式で世界に現れるとの認識しかない。『エネルギー』と質量の間の相互変換式:e=mc^2^ [J] の意味が解っているならば、m[kg] が消えて、全て『エネルギー』 e[J]になる事を知っている筈だ。

C+O² = CO² + E

と表現したとき、『エネルギー』E[J]は必ず、炭素 C と酸素 O²の質量の幾らかが消滅して『エネルギー』に変換した事によって、初めて発生する事を基本認識に持たなければならない。その時に発生した『熱』や『光』が空間に存在する『エネルギー』であるとの認識が無くて、なんで物理学か。『熱』や『光』の『エネルギー』が何処から発生すると考えているのか。『無』から生まれるものなど無いのだ。気体分子運動論での『熱』意識に縛られた間違いが物理学理論の矛盾を創り、考えない役立たない分野に成っているのだ。

〈疑問7〉1[Ω]とは?抵抗体のどんな内部構造がそのオームの意味か。『電子』が通ると何故熱が発生するのか。この辺で、終りとして次の考察に譲ろう。

むすび。

電気回路の電源は決して『電子』などの供給源ではない。『電子』は負荷に取っても全く役に立たない、迷惑な代物だ。『エネルギー』の伝送現象として捉えない電気理論は、結局物理学理論用のお飾り論でしかない。

電気回路から物理学理論と教育 (2021/07/22)。そこにまとめた意味を、冗長になったが噛み砕いて述べた。『以下余白』の不覺  (2015/02/02)に戸惑いと不可解人権事件。

冒頭の『電磁照射』に傷ついて、「続き」の付け足し投稿にした。

体温36度5分に思う

最近、街の中で体温を測る機会が増えた。コロナウイルスの性で、公衆の場での感染防止対策の為である。

前にも、体温と身体活動エネルギー「理科基礎(仮称)」を想定して (2016/04/08) でも述べた。

ここ数年で、電気回路現象を『エネルギー』で捉える考え方が、その意味を理解し易いと思うようになった。

生物や生体の事には素人と言ってよい程無知だ。そんな筆者が解釈する事は余り信用されないかも知れない。しかし、何故人の体温が36度か?と尋ねても、答えられるのだろうか。専門的な解説も多くあり、良く解説されている。

人だけでなく、動物や昆虫もそれぞれ固有の体温を維持しているのだろう。蛇などは低い体温らしい。それぞれ生命活動を営むに、必須の条件が体温であるように思う。

電気回路の電圧に似た意味が人の体温のようだ。『電圧』は電気回路の『エネルギー』レベルを決める基準量だ。送電線路のような高電圧は、負荷の必要な要求に対して、瞬時に大きな『エネルギー』を供給可能である。乾電池の様に電圧が低ければ、供給対応『エネルギー』の量は小さい。

人の体温は、体の生命活動の瞬間の対応能力を得るに必要な『エネルギー』の供給能力を保持するための『エネルギー』レベルを保っている指標と見れよう。

人も外界の危険から身を守る事は必須の条件だ。危険に会えば、痛みを感じて避ける。熱さを感じて冷やす。皮膚の感覚機能がどの様であるか、その細胞の医学的意味など何も知らない。然し痛覚や痒みや熱さはそれぞれ異なった情報として脳が認識するものと思う。その仕組みを生理・医学的にどのように解釈しているか、とても興味がある。外界の状況、痛覚などもその一つであれば、それをどの様な仕組みで人は『痛い』と感知するのか。この事にも、体温が一つの基準を整えている筈だ。要するに『エネルギー』の物理的現象を、身体活動・生理活動の中で生かされているという事と解釈する。

『エネルギー』は分子のような物質ではないから、物理学と同じく、分子生物学の対象にはならない筈だ。身体には神経細胞が張り巡らされている筈だが、その神経細胞は外界の危険な状況などの情報を脳の中枢機能へ伝達するのが、その機能の主たるものであろう。痛覚がどの様な仕組みで脳の判断の基の情報となっているか。それは『エネルギー』の波形しか無かろうと解釈する。『エネルギー』は測定が困難であるから、科学理論の対象として確認するのが難しい筈だ。光の『エネルギー』分布波形の観測が無理である事と同じ意味であろう。その『エネルギー』の波形は痛覚や熱さの信号の意味を分けて脳に伝えていると予想する。分子の物資では、神経伝達などでの危険を避ける程の迅速性は保てないだろうから。『エネルギー』の波形なら細胞内を伝播する光と同じ速度での伝達が可能だから。

誠に勝手な解釈で済みません。自然世界は『エネルギー』の伝播現象がその基本を担っている筈と解釈するからである。これは電圧が電気回路の『エネルギー』分布による電磁現象環境保持の機能を担っている事と同じ身体機能の意味と解釈する医学知識に無知ながらの捉え方である。

 

 

磁気エネルギーと解釈描像

『エネルギー』と言うと何を思うだろうか?

エネルギー(ENERGY)とは? (2011/09/07) と初めの頃に取り上げた。特に自然科学は、物理学は確認可能な検証できる即ちその論の意味が目で見て確認できることが要求される。しかし『エネルギー』はその姿を見ることが出来ない。例えば、光を見ても、その光の空間像は見ることが出来ない。真赤な花弁を見ても、その光の赤い訳を見ることはできない。『物』は目でその姿を見て、その物の存在することは疑いなく確認できる。月を見れば確かに月は見えるからその実在を疑わない。ところが『エネルギー』は目で見ても、顕微鏡で見てもその姿を見ることはできない。その見えない対象は、物理学での観察・考察対象になれないのかも知れない。見えるもの 見えないもの (2015/03/04) もそんな意味を考えたのだろう。

少し考えても、『エネルギー』は漠然としていて、その実態を捉え難い。空間に存在するのだが見えない。磁石の磁極を見ても、マグネットの金属は見えるが、そのマグネット金属体の周りの空間に何が在るかは全く見えない。磁石の先端の空間には何かが在るから、N S極間に磁力が働くのだ。その磁石の空間に在るものを、科学論として解釈できるか。人が納得するように、その磁力の意味を解説できるだろうか。N極から出る磁束がS極に入ると言う説明で、だから磁力が働くと解説する。何となく磁束と言う線が繋がれば、その間に力が働いて、引合うと解釈させられる。という具合では、磁力の発生する明確な説明には成っていない。学校で先生に聞いても答えられないだろう。何故磁力を取り上げたかと言うと、磁石の磁極の周りの空間には『エネルギー』が回転している意味で、見えない『エネルギー』の具体例として選んだからである。磁束と言ってもそれも目には見えない。だから本当に「磁束」が在るのですかと質問されたら答えに窮する。同じく『エネルギー』がどうして回っていると証明できるのですかと質問されたら、矢張りお手上げだ。と言って居ては埒が明かない。

見えないものの存在を、『存在する』と分かって貰う、納得してもらうことは至難の業だ。

電気回路のコイルの中に『エネルギー』が実在する事を納得してもらう事は難しい。

E=(1/2)Li² [J]

等と、数式で表現して、コイル内に『エネルギー』がある事を理解してもらう。と言うより、強制的に憶えさせる。覚えても決して理解してはいない筈だ。分かる、納得して理解するには、『電流』とは何かが明確に分からなければならないから。『オームの法則』を使えても、決して『電流』の意味など分からない筈だ。殆どの物理学の先生も分からない筈だ。教科書の解説を『電流』の意味が分かった人が書いていないから。『電子』や『電荷』などは自然界に存在しないので、その概念では分かった説明には成らないのだ。

と言う訳で、『磁気』とは何か?一体磁石の周りに『何』が在るのだろうか?その事の意味を導き出すのが物理学の学問としての専門性なのだ。しかし物理学には空間に存在する『エネルギー』の認識が残念ながら無いのだ。『エネルギー』は見えないからだろう。だから『電子』で全ての解釈をしているのだ。『電子』など電気回路の解釈には何の役にも立たないのだが。以上、磁気の『エネルギー』の空間像を電気回路の中で解説しようと言う訳だが、その困難さを述べた。

磁気回路。

前の記事に関連した解説である。右図のようなコイルに方形波の交流電圧を掛ける。このコイル内には磁気の『エネルギー』が出入りする。普通は電源電圧と電流値で解釈する。しかし実際は、『エネルギー』しか流れていないのだ。その『エネルギー』をここでは、e の記号で表現する。『電子』記号の意味ではないのでご注意ください。電線の負側の近傍空間を『エネルギー』は流れる。丁度『電流』の向きと反対である。その流れ方は、電線路空間の線路特性の定数、静電容量C[F/m] インダクタンスL[H/m]によって、その電線路空間構造が評価でき、その特性によって電気『エネルギー』の流れは決まると先ず理解する必要がある。その状況は負荷特性にも勿論関係する。

電源スイッチング回路。

Lo に印加する電圧波形はスイッチAB とCDの二つの組み合わせを交互にオン、オフさせれば得られる。スイッチと逆並列にダイオードを繋ぐ必要がある。負荷がリアクトルLoだけであるから、『エネルギー』は消費しない。スイッチをオン、オフする一周期T[s]とする。リアクトルのエネルギー e[J]は時間T/4[s] 毎に貯蔵・放出を繰り返す。

電圧v、電流i は過渡から定常状態になった後は、右の様になる。リアクトル Lo の『エネルギー』 e[J] は図のように、4分の一周期、T/4 毎に充・放電する。この e [J]の波形の値は電圧極性によって、コイル巻き線間の『エネルギーギャップ』分布を考慮していない、『エネルギー』貯蔵量を示すだけである。

回路伝送特性。

伝送回路はスイッチを含む複雑な回路である。然し乍ら、基本的には電源電圧 V とリアクトル Lo 間の L 、C 定数回路を通した伝送回路となる。実際にはスイッチ部の電圧降下損失があり、その特性への影響を考慮しなければならないが、少し難しい。

『エネルギー』 e の極性変換。

コイルの貯蔵エネルギー e は電源電圧極性で、コイル内の『エネルギー』もその極性が変る。モード④からモード①への転換時にコイル巻き線空間の『ギャップエネルギー』δoの負極側への急転で電圧極性に対応する。然し内部回転流の方向は変わらない。その極性が右図の向きである。

コイル巻線内の『エネルギー』の様相を示す。上の図のモード④から①に転換した状況である。コイル巻線の1ターン当たりの静電容量 Co[F]とし、巻き線間の1ターン当たりの分布エネルギーをδo[J]とする。コイル印加電圧Vが逆転した瞬時に、分布エネルギーδoの位置が上下で移動する。その様子を示した。電圧が逆転しても電流は同じく流れ続ける。しかし電線路分布の『ギャップエネルギー』は電圧の負側に連れて同時に変わる。なおコイルの茶像『エネルギー』 e[J] は巻き線間だけでなくコイル内に軸流として存在している分を含めたものとなる。その軸流がコイルに磁極を意味する事に成る。

1ターン当たりのコイル巻き線電圧 vu[V] は

vu=√(δo/Co)

で、端子電圧 V=n vu と巻き線数n倍となる。

ここに示した解釈の論は決して観測、測定できない『エネルギー』に関する現象を論じたものである。『電子』などが電気回路現象には何の役割も持ち得ない事の確信から、電源も負荷も全て『エネルギー』に関する供給、需要をその核心に捉えるべきものとの解釈に立てば、自然とその『エネルギー』のあるべき姿を感覚的に捉えた結果の論理である。『エネルギー』とはどの様な物理的現象を呈するものかの一事に因った解釈である。

なお、スイッチング素子の電圧ドロップのロスは回路に等価的には、電池を電線に直列に挿入した回路で評価できよう。電源側の供給『エネルギー』が負荷側電線路で『ギャップエネルギー』δp[J/m] の減少を来すと解釈すれば良かろう。

右図のコイル『エネルギー』。

周期Tの4分の1づつ電線路の『エネルギー』流が変る事に因っている。丁度、LCの共振現象と同じく、電圧一周期の T/4 毎にコイルの『エネルギー』の充・放電が起きる。その様子を示すものである。

過去のすべての研究が生き甲斐である。物理学理論の新しい認識を生かすために、その経済的補償を要求する。

物理学理論が学問の基盤たるには

 

物理学理論と言えば、あらゆる自然科学理論の根幹を担う学問分野であると、誰もが思うだろう。

それに対して、筆者が物理学理論が役に立たない学問分野だ、と指摘しても誰も意に介する事は無いだろう。余りにも長い間、自然世界はその本質を『電荷』と『磁束』と言う物理量(人の仮想概念であり乍ら)によって構築されているのだとの間違った世界観が人の意識を支配してきたからだ。それが『パラダイム』と言うものであろう。原子構造が『陽子』と『電子』で構成されていると言う間違った世界観が『パラダイム』を成しているから。プラスの『電荷』とマイナスの『電荷』が空間に存在するなら、その空間的差異を空間像として論理性を持って明確に示さなければ、その『電荷』の論は科学的論理の基本条件から逸脱した、こうあれば良かろう程度の空想的な論理で、結局その論理の本質を追究すれば必ず矛盾によって立ち行かない論である事に行き着く。

その点から考えて、物理学理論を組み立てる、その論理の基礎概念が余りにも貧相である事に気付いた。様々な現象解釈理論の依拠概念とするには、とても矛盾が大き過ぎて、自然科学論の基盤が物理学だ等と考えられている現代科学論の現状に耐え難い思いが強くなった。その矛盾に満ちた物理学理論の基礎概念を含めて、社会的に常識と捉えられている現代科学論の実状を放置したまま、その矛盾が未来を担う子供達への教育内容となっている事を許す訳にはいかない。だから、黙ってはいられないのだ。

時は2015年、丁度変圧器の奇想天外診断 (2015/06/02)の自宅台所での実験に、少し興奮気味でいた頃の事。とても理解しかねる内容の報告書が日本学術会議から公表されていた。誤った科学常識からすれば当然かも知れないが、学術専門家の報告書だから尚更放置はできない問題なのだ。

筆者は研究の場所と身分を失う不可解に戸惑った。『静電界は磁界を伴う』の発表の意義を失う事への怒りがあった。科学論の根幹の矛盾を問う問題提起を止める訳にはいかなかった。学術機関を離れても、意地でも科学理論の矛盾を説く為の物理学会での発表があった。 2p-D-11 物理的概念とその次元   (1998年)。 28aYW-9 プランク定数の次元と実在概念   (2001)。27aZA-1 量子論の起源を問う (2006)。23aWA-1 光量子エネルギーのベクトル解析   (2006)。25pWD-13 磁気密度 f = rot (S/v)   (2008)。等どれも特異な内容である筈だ。

結局、居場所が無く、機関から排除されて、自宅での科学研究を積み重ねて、漸く電気回路現象の真髄を理解したと、科学論では研究継続を誇りに思う。生活の貧しさの世間的屈辱感と精神的葛藤に恥じ乍らも。生き方改革とはどんな意味かと考える。

三十年以上前の、大学での奇っ怪事件を契機に、初めて気付いた基点として自己確認をしてきた。1980年4月、履歴の継続(前職なし)なく、長岡高専で1985年7月1日、文部大臣の発令辞令と同日に、以下余白で履歴が消され、人権侵害が筆者の知らない闇で処理されている。京都府舞鶴市溝尻海軍住宅で、昭和20年舞鶴国民学校への入学の痕跡も消されて、一体どこに入学した事に成っているのか。戸籍在艦の巡洋艦「香取丸」が昭和19年2月撃沈沈没した。1944年3月31日香取丸船籍除籍。全てはそこに原因があるか?文科省に、総務省にお尋ねしたい。未だに動ける基盤が無い。

2015年の文科省の要請に基づく「電気電子工学分野」の『参照基準』報告は、その意義が見えない。穿った見方もしたくなる。

 

相当大々的な日本の高等教育の改革を目指した、未来への希望を掛けた政府の取り組み(?)であったのだろう。要旨にもある通り、『大学をはじめ各方面で利用していただけるよう、・・』という事から、その成果の評価も必要だろう。どんなに利用されたか、目的の達成度の評価は如何であったのだろうか。何処が評価したのだろうか。

その報告書には、物理学が「電気電子工学分野」の基盤となって・・とある。その物理学が「電気電子工学分野」の基盤となって云々と言う表現が全く見当外れにみえる。奇想天外実験で偶然得られた結果が、電気回路の『エネルギー』伝送現象の本質を明らかに示していると、今思う。その実験結果に勇気付けられて、『静電界は磁界を伴う』(1987年)の実験結果以来の強い確信の裏付けを得た思いで、回路伝送現象の本性を明らかにできた。決して『電子』などは電気回路現象解釈に何の役にも立たない虚飾の概念であったとの結論に到達した。今でも、物理学理論が本当に電気工学の基盤の学問と言えると物理学理論の専門家は考えているのだろうか?

職歴不明の『半年間の東京工業大学での内地留学(1969~1970年)』で、目から鱗の科学技術の真髄を研修をさせて頂いた。不可解さは、文部省も新潟県教育委員会も全く関知していない留学であった。そこでの『ロイヤーインバーター』の物理的電気現象を物理学の専門家が如何程御理解為されているかがとても心配だ。その点を物理学理論(素粒子、『電荷』や『磁束』に論拠を置いた物理学)の伝統的内容の学問としての意義を考えて、その矛盾に気付いてほしいと言う思いで指摘する。

結局は『電荷』、『磁束』の物理学的概念の意義を問う事でもある。それは「アンペア―の法則」、『電子』が何故『磁束』を空間に発生するかの論理矛盾を認識する哲学にもなる。

ロイヤーインバーター回路。

この回路は、NASAの開発技術と理解している。この回路の技術に触れた時、当時の筆者の電気理論は交流については正弦波交流電圧しかなかった。しかもトランジスタの動作原理はラジオなどの信号制御の真空管代わりの意識しかなかった。まさか、変圧器に直流電圧を掛けるなど、とんでもないことと思っていた。ところが、ベース電流を十分流せば、トランジスタが完全なスイッチ代わりの機能を発揮すると言う。驚いたなんてものじゃなかった!トランスの鉄心に可飽和特性の物を使い、トランジスタ2個、ダイオード2個、サージ吸収のコンデンサ1個で図のような回路構成にする。モーターMの速度制御が簡単に電圧を変えるだけで可能だ。電圧波形は正弦波でなく、方形波である。電圧波形がどうあろうと、モーターは周波数f[Hz]に比例して回転数が変る。こんな素敵な半導体制御技術が当時既にアメリカでは、山での巨大な鉱石運搬車に使われている事を知った。当時の高等学校電気科では、直流電動機の始動法など、パワーエレクトロニクスと言う最先端の科学技術に対して、余りにも遅れた実習内容が基本に成っていた。ロイヤーインバータのスイッチング技術で、変圧器と直流電圧変換・制御の原理は正しく目から鱗の電気回路現象であった。この回路から、「アンペア―の法則」の電流と磁束の解釈論は無駄な理論との認識に至った。1970年の事である。何故「アンペア―の法則」に疑問を抱かない物理学理論が教育されるのかが、考えられない不思議であった。

『電圧時間積分』が鉄心中の磁束量となる。磁束量φ[Wb]の最大値が鉄心の飽和値φmとする。

ファラディーの法則       v=n dφ/dt

の積分形     φ=∫(v/n)dt

鉄心磁束が飽和値φmに到達した瞬間に、トランジスタのスイッチング切換が自動的に起きる。

電源電圧 V の値でスイッチングの切り替え周期が変る。負荷への出力周波数f[Hz] が電圧 V に比例する。

こんな素敵な回路動作が起きる。これが電気回路技術と言う自然現象の実相を表している事と知った。

実際は、『磁束』が鉄心中に発生する訳ではないのだ。物理学理論で、鉄心中に『磁束』が発生すると人が解釈しただけなのである。ファラディーに法則として、磁束と電圧との関係を式に表現して、理解し易い法則として捉えた現象解釈式でしかないのだ。『磁束』の空間像としての具体性を追究すれば、その自然性は矛盾に陥るだけである。科学技術法則としての簡便性は、その価値は高いのだ。然し自然世界の実在概念としての物理量には成り得ない。自然世界にそんな「磁束」があるとは描き切れないから。磁束が空間にどこまで伸びて、電界を世界の果てまで創ると言うのか。

「アンペア―の法則」も、電線内を流れる『電流』によって『磁束』が電線周りに発生すると解釈した、人が感覚的に捉えやすい数式形式での法則化でしかないのだ。『電荷』と『磁束』の空間の相互関係が曖昧な論理矛盾概念だから。『電子』の質量が『磁束』に関係する訳ではないのは当然であろうが、質量は何の為に付与した概念化は、『力』概念との関係の為に取り敢えず追加したに過ぎない。『電荷』と『電荷』では『力』の概念を法則にできないから。しかし「クーロンの法則」はそんな『力』発生の科学論理を無視した、質量が無くても良い非論理的法則だ。それが特徴的な物理学理論の世界を表している。

『電流』と言う物理量を、本当に電線内を『電荷』が流れると考えられるのですか。『電荷』でなくて、『電子』が『電流』と逆向きに電線内を流れると、人が解釈したに過ぎないのである。『電子』が流れて、何故電線の外部に『磁束』が発生すると言う理屈が成り立つと考えているのですか。『電子』と言う物理概念は『磁束』をその自己(電子構造)の中に備えていて、その影響が電線外部迄広がると言う論理なのですか。その仕組みを厳密にご説明頂かなければ、ただ都合が良い解釈法だからと言うだけで、そんなに勝手にいろいろの物理概念を創り上げられては、とても自然科学理論の基盤を成す基礎概念だ等とは言えない筈と思うが如何ですか。『電子』と『磁束』の空間的関係の実在的『像』を厳格に示す必要が論理と言う意味からして無ければならない筈だ。

『磁束』と言う科学技術概念が結局『エネルギー』の解釈概念でしかなかったのだ。

『磁束』の意味を考える。

鉄心にコイルを巻いた回路要素インダクタンスLo[H] がある。その印加電圧はロイヤーインバーターでも何でも良いのだが、直流電圧をスイッチング機能回路で方形波周期波形とする。一応、電圧と電流の記号も記した。電圧とはどの様な物理的意味なのか。電流とは同じくどの様な物理現象を捉えた量なのか。電圧、電流とは何を評価する概念量かが明確に定義され、論理的に矛盾や曖昧さが有ってはならない基本概念の筈だ。電圧は『電荷』などの意味は無く、電線路空間の回路定数 C[F/m] と『エネルギー』の分布密度δp[J/m]による物理量を評価したものだ。電流も『電荷』や『電子』など無関係で、電線路空間定数 L[H/m]とその空間を光速度で流れる『エネルギー』の分布密度δp[J/m]の量を評価した技術概念量なのだ。電源と負荷間の回路定数が電気『エネルギー』の伝送特性を決めるのだ。電線路の空間構造が伝送特性を決めるのだ。電気回路は全て静電容量C[F/m]と誘導容量L[H/m]が支配する空間構造特性なのだ。其処に負荷の特性値R[(H/F)^1/2^]等との関係で電線路の『エネルギー』伝送特性がすべて決まるのだ。其処には『電荷』も『電子』も全く無関係なのだ。『エネルギー』一つの空間現象なのだ。当然負荷のコイル特性のインダクタンスLo[H]に起こる現象も全てただ『エネルギー』のコイル空間に起きる現象でしかないのだ。

右の回路図の様な、スイッチA、B、CそしてDの4つの組み合わせのスイッチング動作で、負荷には方形波電圧を印加できる。そのスイッチング周期T[s]はコイルの『エネルギー』量の飽和制限が掛かる。なお、負荷は『エネルギー』の消費をしないから、貯蔵と放出の繰返しで、必ず電源への『エネルギー』回生動作が伴う。その為に、スイッチに逆並列接続のダイオードが必要となる。

エネルギー貯蔵特性。

大まかな『エネルギー』変化波形を表現すれば、右図の e[J] の波形のような2次放物線となる。コイルの貯蔵エネルギーの最大値を Em[J] 、スイッチのスイッチング周期を T[s] とした。

この『エネルギー』 e[J] と『磁束φ[Wb]』との関係は

e = (1/2)Loi^2^ =(1/2)φi [J]

という科学技術解釈の意味で表現している事になる。

磁束とは、

φ=√(Lo e) [Wb=√(HJ)]

のように貯蔵『エネルギー』 e [J] を評価した科学技術概念なのだ。

この関係の解説は、冗長になるので別に(○○)で示す。

物理学理論の自然世界解釈法は、実際は科学技術概念に因る自然界に実在しない、解釈手法を表現しているだけなのである。物理学理論が空間に実在する『エネルギー』の何たるかを認識しなければ、それは決して、学問の基盤などとは成り得ないのだ。少なくとも電気回路現象に『電子』は不要の概念で、その出る場はない事を知ることから新しい物理学の未来が開ける筈だ。『電子』概念の虚飾性は、考えない物理学が故に今まで気付かずに来た科学理論の曖昧論の象徴である。

残念ながら、物理学学科での高等教育を受けていたら、その専門家としての学識・知識から決して『電子』論の矛盾になど気付かなかったと思う。

自然の一分と物理学

昨日は、天高く澄む青空の下、僅かながら飛び交うアキアカネに出会えた。

10月の異常気象の性で、アキアカネも生まれ故郷の里山の田に戻れずにいた。11月に番で庭に来てくれた。ホッとして、一安心した。

自分の生き様に誇りが持てない。

はじめは、科学理論の研究に生活も犠牲にして、『俺がやらずに誰がやる』等と心に秘めて、旅立った。

『俺の出番はきっと来る』などの歌にも励まされて、道のない道を彷徨いながら過ぎてきた。

物理学理論が余りにもお粗末な論理性で、長く人の心に過ちの、虚飾の概念『電荷』や『磁束』で世界に混乱を残してきたと残念ながら伝えなければならない事態を来してしまった。

このままの物理学理論が、教育の中身で続けられて良いと言うのか。

辿り着いてみれば、時効でございます。過去は消せない、先に進むより道は無い。とやっと分かった。それが人の世の仕組みのようだ。人の一分の道なんだろう。

SDGs の未来予想図も科学論がその道筋を描く役割を担う筈だ。哲学のない専門家論理では心配が大いに残る。

自然道に法則はなし。科学技術理論は法則による飾りの道。どうも物理学理論は、その利益第一主義の技術法則構築道に思える。

とこんなことを言ったら、人でなしの生き様を晒しているようで誠に忸怩たる思いだ。人のために自分を生かす方法を知らない。時折「戻って来い」等と言う闇の声に襲われて、精神的被害を受けもする。愚かにも棚ぼたの期待が、人の世の間違いであったと知った。消された道は戻らないと。戦後75年の不可解を悔やみながら思う。

 

ただ 悲しみ

全てに応えられず、悲しみしかない。

せめて、アキアカネが青空の中、舞っていた。それが異常気象の中でも、命を繋ぐ意味で、一安心した。

今も、壁紙に嫌いな紫色の気味悪い花が出ている。気分が悪いからシャットダウンする。

一体いつに成ったら『電荷』概念の物理学理論の誤りに気付くのか?間違った教育から脱出できるのか。もう30年も経ったはずだが、教育機関は何も考えずに来たのか?

言いたくないが、理論物理学とは何を目的にした学問なのか?と苦言を呈さずにはいられない。この100年間に亘って!!

電気回路と哲学

職歴不明のままであり乍ら、長い間の電気理論との格闘のように、電気回路の現象を考察し、漸く『エネルギー』伝送現象による総合的な解釈に到達できた。

“哲学”と言えば、普通はとても難しい学問分野の様にも思うかも知れない。しかし、ここで標題に使った訳は科学理論の伝統を根本から破壊するような作務であるから、世界の常識を否定する思索という意味で、それが“哲学”の意味かと考えて使った。学問的には日常の不図した疑問を突き詰める作務を“哲学”としたい。『エネルギー』と質量の等価性。その意味の本源を納得することが物理学理論に求められている。

今『電荷』や『電子』が自然世界に存在しないとの確信にある。科学理論の根幹を否定するような内容の繰返しに、特に電気磁気学等の教育御担当の皆様にはご迷惑な事かも知れない。内容は単に、科学理論と言う範疇で捉え得るかどうかは分からないが、「哲学」の領域まで踏み込むことに成っているだろう。『エネルギー』の空間像を観測できないから、実験による検証に応えられない意味で科学論とは言えないかも知れない。しかし、それは実在しない『電子像』が観測できない意味とは異なる。『電子』の実在性は思考を深く重ねれば、その存在その物の矛盾に誰でも気付き『電子』が理論の為に人が創造した仮想物理概念であると分かる筈だ。少し前の記事、科学論と電荷 (2019/07/28)がある。

前の記事、エネルギーと素粒子 (2021/08/16)で取り上げた回路について再考して、『電荷』概念が科学理論の論理性から見て、その矛盾に耐えられない、何の役割も果たし得ない事を示したい。何故その存在が疑問を抱かれないで、科学理論の基礎概念として評価されているのだろうか?

『電荷』による電場とその概念とは。

『電荷』や『電子』は科学論の基本概念として、世界共通の自然界の真理であるとの常識になっているだろう。誰もその科学常識の『電荷』の存在を否定はしてこなかったと思う。もし、『電荷』によって発生する筈と考える空間の電界が、実は磁界だった。等と言う事に成れば、科学理論とは一体何なんだ❓という事になる。静電界は電流も流れず、ただ『電荷』によって静かな電気力線の空間場であり、世界の基本物理量『電荷』が実在すると考えるから発生すると唱えられる電界空間だ。自然世界の『電荷』の実在認識が長い歴史の絶対的科学常識・パラダイムである。それが否定されるのだ。その実験による証明の結果発表が『静電界は磁界を伴う』だった。そもそも、電界および磁界の空間は『エネルギー』の場だと物理学理論でも解釈している筈だ。しかし、感覚的に意識化されていないようだ。その場その場で、都合よく論理を創り上げる、その訳は『エネルギー』の空間像が認識できないからであろう。見えないからと言う理由で、『エネルギー』を認識しないでは済まない筈だ。電界、磁界の空間の意味を『エネルギー』の分布密度との関係で瞬時電磁界と概念 (2018/10/23) にも示した。

【今気付いた(2021/10/29)。ロゴウスキー電極間の高電界中で、何故コンパスで磁界を検出したか。その訳は電界と言う場に『エネルギー  -εE²[J/m³]-』が必ずある筈で、それが磁界と無関係の筈はない。その事で『電荷』の意味を明らかにできると考えたのだと。しかも、『電荷』の存在で発生すると言う空間の電界(電気力線)は何処までの領域を捉えるものかの解釈が全く曖昧である事を以前から疑問に捉えて、悩んでいた。正・負の電荷間の空間はどの様な『エネルギー』の空間場の広がりに成るかが物理学では全く無視されている。今考えれば、やはり物理学理論では全く空間の『エネルギー』の存在を認識していないからだと結論できる。だから『電荷』周りの空間の『エネルギー』を考えない訳だ。空間に実在する『エネルギー』を認識していないのだ。】

電気物理(電圧時間積分とエネルギー) などで述べたように、インバーターの変圧器動作の技術感覚が、電気現象の根本は『エネルギー』であるとの認識になった結果に基づく結論であった。その後の長い回路動作の解釈から、電界と磁界は切り離せない、空間に在る同一の『エネルギー』を観るそれぞれの観方の解釈技術概念でしかないとの感覚的捉え方になっていた結果の実験結果であったのだ。その事が『静電界は磁界を伴う』と言う表現での実験結果の発表となった。結局電界も磁界も、空間の同じ『エネルギー』の解釈法でしかないのだ。変圧器‐物理学解剖論‐ (2011/09/13)、あるいは L とCと空間エネルギー (2017/08/02)などに結果を示した。

『瞬時虚電力』なる空間概念も電気理論が余り信頼に足るとは考えられずにいたから、感覚的に空間表現の新しい捉え方に躊躇は無かった。空間ベクトルと回転軸 (2017/09/07)の電線路内の『エネルギー』の回転流と解釈する。

今改めて思う。『電荷』や『電子』を否定するという事は科学理論の世界の常識を否定する事なんだと。エネルギーと素粒子 (2021/08/16) を投稿して、これが哲学と言うものではないかと思った。社会常識を否定して、危険な道を踏み出すことが哲学なのかと。科学的共通基礎概念の認識の中で、初めての新しい科学的発見ならば歓迎もされるだろうが、長い科学理論の根幹を「嘘」だと否定したら、今までの科学理論の権威を傷つける事に成り、それは大変な事に成る筈だ。単なる新発見では済まない筈だ。

その時代の平穏な仕組みを否定する事は、社会的に存在が許されないかも知れない。特に自然科学論の組織の中では。多寡が電気回路現象の解釈でしかないのに。

それでも電気回路現象の解釈を深めるしか道は無いのだろう。大学がどの様な自然科学の研究、教育を目指すべきかを問う事でもあろうから。大学が本当の基礎に、自然世界の真相に真摯に向き合うことの必要性を問いたい。だからと言って、その事が新しい科学技術の開発を妨げるという事ではなかろう。ただ余りにも物理学理論が法則の意味を深く考えずに、その利用に安易に頼り、思考停止の集団教育体制や集団研究体制が業界組織強化だけに使われているような現状は間違っている。大学の教育に対する『参照基準』などのような物理学が「電気・電子工学」の基礎にあると言う認識は間違っている。その弊害から抜け出す道は簡単な事である。覚悟が問われるが。その第一歩が空間に実在する『エネルギー』を認識する事であり、その為に一粒の光量子(2021/08/12)などの光の空間のエネルギーの流れを認識する事であろう。しかし、認識すると言ってもその空間に在る『エネルギー』を科学的手法で観測することはできない。それは実在しない『電荷』を観測できないと同じ次元ではなく、実在する空間の『エネルギー』であり乍ら観測できないという意味である。しかし、どちらが真の実在であるかは科学理論のあらゆる分野の広い哲学的論証による矛盾の排除から、正しい結論に導かれる筈だ。豆電球からの放射光は空間に何が解き放たれているのか?を考えれば分かるだろうと思う。基本法則の意味を考えることで分かる筈だ。本当に『電流』とは何かを考えて、納得しているだろうか? 1[A]とはどんな物理現象の量なのか?しかもそこには『光速度』の伝播現象がある事を合わせて認識する必要がある。

もう一度電気回路の現象の真相が何かを深めてみよう。『電荷』や『電子』の仮想概念では自然現象の理解に到達できない事を確認するために。決して『電子』に光速度伝送の機能を課すことは不可能な訳を考えれば、誰でも分かっている筈だ。何故その事に真剣に向き合わないで、曖昧な論理の誤魔化しに逃げて居るのだろうか。

再び、電気回路。

これ程単純な電気回路はないだろう。

【問】 この回路の電気現象を説明しなさい。

さてどの様に解答するでしょうか。コイルのインダクタンス Laa は電源電圧が直流だから、ωLaa=0 となり、定常状態では単に負荷抵抗 R だけの回路と考えて、解ける。オームの法則で、I=V÷R[A] 、消費電力 P=RI² =VI [W] である。と答えれば、標準的な回答として100点満点でしょう。

しかしこの回答は、電気技術論的法則による標準の回答でしかない。少しも自然現象としての電気回路内の真理・眞實を解答していない。

【再度の問】 電流 I [A] とは、どの様な物理量か?電圧 V[V] とは、どの様な意味の物理量か?電球からの光放射の『エネルギー』はどの様に供給されたか?電源電圧の物理概念 (2021/06/18)。原子構造と光放射現象 (2021/04/07)。

この再度の問いが自然現象がどの様であるかを尋ねているのである。尋ねている事は『エネルギー』をどの様に理解しているかである。先ず『エネルギー』とは何かを知らなければならない。それを考えるにはコイルの電気現象に対する機能、動作特性を理解する必要がある。インダクタンス Laa [H] の回路部分の働きであろう。

Laa回路近傍の空間の『エネルギー』の姿、流れ方を認識する事であろう。

電源側スイッチSを投入した瞬間から、負荷抵抗 R に単に電源電圧 V が掛かる訳ではない。

V=Laa(di/dt)+Ri

の微分方程式を解くのが標準的解法である。そこでは、電流瞬時値 i が定義されて、その電流値を解くことになる。しかし、それは電流その物が科学技術的解釈概念であって、その電流とは何かを物理学理論では理解していない。電線導体の中を『電子』が流れる訳ではないのだ。さてどう解釈するか?この微分方程式が解ければ、電気回路現象はすべて解明できたとなるのが科学技術理論だ。しかしよく考えれば、電圧も電流もそれが何を定義したものかを分かったと納得されておられますか。きっと分からないで、はっきりとは意味不明なのではなかろうか。

電気回路の機能原理。②図に示したように、線路空間が『エネルギー』の流れを支配している。電線路定数のLに更にLaaが加わった時、どの様な回路機能として働くかが問題の解くべき点であろう。LaaとLが電気エネルギーの伝送を決める要素として働く。その部分の空間の『エネルギー』分布は静電容量 C[F/m] が決める。『エネルギー』の基本的分布はマイナス側の電線近傍に流れる。Laaはプラス側電線路にある。この  Laa[H]が回路の電磁現象にどのような影響を及ぼすかは先に電流計とエネルギー流  で解説した。

多分コイルのLaaの電圧vは零であろう。しかしコイル内には技術概念の磁束が生じていると解釈するが、それは内部に軸性エネルギー流が貯蔵されている意味だ。その磁界の向きは、③図の方向で解釈する。しかしその図に示した、磁極の周りの空間を回転する『エネルギー』の流れについて、残念ながら物理学理論(教科書)にはその認識がない。 電気磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03) 。

磁界や磁束と言う磁気概念が、結局その磁気ベクトル軸の周りを回転する空間の軸性エネルギー流を解釈する技術概念であったという意味になる。兎角科学技術あるいはその基礎理論はその専門家特有の現象解釈概念を捉えて、その特有な理論展開をする。しかし、その専門的概念は何処か自然世界の様相に整合しないと感覚的違和感を覚える。その感覚の違和感を解消する為に、根底で調和する真相を求める作務、それが科学と言うより哲学になるのかと思う。見えない『エネルギー』を理論の矛盾からの解放の眼目とすることが科学的検証の出来ない解釈法であるから、科学論とならないのかも知れない。知っている と 分かる に解釈を示した。

職歴不明のお恥かしさは戦後75年間の不可解? (2020/06/23)から対処法の欠落状態にある。

知っている と 分る

教育の意義と弊害。

こんな形でしか、生きている意味を表現できない無様を晒して。昭和14年12月1日:舞鶴鎮守府への戸籍転籍以降の不可解が足かせになって。戻るにも何処に戻れば良いか❓戸籍丸「香取丸」の船籍除籍(昭和19年3月31日)をどう回復できるか、御政府問題と自力では無理故に。昭和55年3月31日職歴無しの新潟県教育委員会による『免職』辞令と存在しない筈の同年4月電気科主任手当ての御支給の不可解?新潟県にはお尋ねしたが御回答頂けない。『分かる』には程遠い。

学校教育では、系統的に効率よく、子供たちに教えることが出来る。数学や言語あるいは社会科学は、その一般的な日常生活での必要な事を教えて記憶によって、修得させてほぼその目的は達成できよう。数学もそれ程考えると言うより、規則に従う意味を理解することで済むのではないか。

その初等教育で学んだ内容は、其の後も支障をきたすような問題は余り起きない。

しかし、自然科学分野はその学習した内容が余りにも多くの問題を抱えている事に気付いた。それは自然を観察し、その意味を解釈する学問であるから、人がその意味をどう解釈するかによって、その捉え方には大きな隔たりを含む可能性が大きい。

物理学理論は自然世界の現象を解釈する方法を、皆が納得出来て、共通の評価基準を取りまとめる学問体系である。それは科学技術など、自然現象を利用し、応用し、人の生活環境(自然環境をよくする意味ではなく、あくまでも人間の為だけの)を便利にする物事の解釈の根本原理と言う意識にある。しかし、今それが殆ど誤った解釈基準であった事に気付いた。

物理学理論が全く自然現象解釈の基準になど役立たない、人が仮定した解釈の一つの手法でしかなかったのだ。それは、何世紀にも及んで、科学学術界と言う有名人の殿堂での解釈が世界の基準となって、余り市民の関われない世界で構築されてきた。権威によって決まってきた。専門と言う納得しがたい学説が唱えられる学問領域が、狭い専門性で哲学無しに伝統学理が伝承されている。

学校教育で、『理学』に当たる教科内容はとても可笑しな内容であったのだ。良くここまで問題視もされず、歴史を重ねて来たものだと驚かざるを得ない。

『理学』は他の教科目と同じように記憶する学問ではないのだ。『何故か?』と常に疑問をもって、理解する事の考え方を教えるべき教科目と捉えるべきだ。

教師も、伝統的解釈法を『知識の受け売り』的伝達では、その役割を担え切れない。長い歴史的経過を、その『知識の受け売り』的教育法が現在まで続けられてきた結果、驚くべき物理学理論の不可解さ、曖昧さを引き摺って来てしまった事の原因となってしまったのだ。

『金原の物理』を繙いてみて (2018/05/11)で考えた。そこには寺田寅彦博士の意見も載せてあった。

磁束という科学論用解釈概念を取り上げて再び問題を指摘する。

磁気現象の一つの特徴はその磁力にある。マグネットなどの磁力の強さは他に比べるものが無いほど強力だ。

その訳は何か? 

勿論物理学や理科を習えばその訳を答えられるだろう。電気回路のコイルに電流 I が流れれば、その内部は磁場と言う磁気に関わる現象が生じる。コンパスを近付ければ、何故か力を受けて、ある決まった方向を向く。マグネットは鉄板などの鉄性の面に張り付いて落ちない。

【問題】その磁力の発生する訳を説明してください。

【解答】?    

誰もが、理科で磁気の事を学習すれば、磁石などの表面には磁束が空間に伸びている事を習って知っている。N極とS極の間で、磁束が繋がり、それだけで引合う力が生じると解釈するようだ。磁石の接合力の強さは誰もが経験で知っているから、その解釈法に疑問も持たない。教えられた通りに良く理解したと記憶できる。それが『知っている』ことだ。学校で教えられた事を覚えているという意味だ。大学での専門学部では、その指導内容を良く汲取り憶えて、その指導内容を忠実に後輩に指導し続けることで専門家の後継者となり得る。指導教官の教えに対する疑問や反論はご法度だ。

『分かる』とはどの様な事か。自然現象は解釈法を記憶しても、それは『分かった』ことには成らない。

〈疑問〉を抱かなければ『分かる』には到達できない。磁束でN極とS極が繋がると『何故磁力を発生する事になるのか?』。磁束の事を如何にも力に意識が繋がるような意味を持たせた磁力線と言う言い方まである。

〈疑問〉磁束に因って磁力が何故生じるか。

磁力に関して、『磁気のクーロンの法則』がある。しかし、それは『磁荷』のN磁極とS磁極間に働く力という意味である。その法則の磁力発生原因は磁束とは意味が違う。『磁荷』と言う概念は既に、物理概念としてはその存在は否定されている。divB=0 と言う基本認識は、磁束を発生するような原因たる「基」即ち『磁荷』は無いという意味である。しかし不思議にも、それはそれとして、磁気のクーロン力が基礎法則として有効に、頑迷に利用されているのが物理学理論の教育上、教科書での方針に成っている。

磁力の発生する論理的原理が分かったでしょうか。

磁束が繋がるとどの様な訳で皆さんは磁力が発生すると理解しているのですか。『分かった』のですか?

自然界に磁束など実在しないのです。昔から電気法則で、納得し易い方便として仮想的に唱え、使って来ただけなのだ。そんな社会的対策と手法は余りにも当たり前な事なんだが、科学理論となると、如何にも権威ある立場からして何とか納得させるに方便が必要だっただけである。これはマイケル・ファラディーの法則として素敵な業績を残してくださったことで、便利な解釈法で通常は良いのだ。しかしその法則を、本質を考えずに、ただ利用して過ごす「考えない」科学理論集団の社会的権威が過ちを世界に広めるのだ。

『磁束』だけでないのだ。『電荷』もこの自然界になど存在しないのだが。

何故磁力が強いのか。磁力が無ければ、と言う言い方も間違いを伝える事に成るかも知れない。磁力と言う物理的現象も、何も磁気など厳密には無関係なのだから。『磁気』と言っている自然の意味は『エネルギー』の姿でしかないのだ。質量も『エネルギー』の世界に現われる形象の一つでしかないのだ。「質量とエネルギーの等価性」とは『エネルギー』『光』が局所化した結果が質量でもあるという意味だ。分子結合の結合構造も、同じ分子なら同じ結合構造となっている筈だ。それも磁気と言う結合力が有るからの結果なのだ。原子結合も磁気力結合なのだ。こんな事は科学論文になる訳のない論だ。余りにも世界の本源が単純過ぎ、純粋過ぎるから。

磁力は軸性エネルギー流だ。

前出の図も併せて、示す。

磁気のN磁極とS磁極の意味は、ともに同じその表面の空間に流れる『エネルギー』の示す現象なのだ。N極を見れば時計方向に回転する『エネルギー』なのだ。それを軸性エネルギー流と表現した。空間内での『エネルギー』流間の近接作用力を磁力と言う解釈で捉えていたのだ。

『静電界は磁界を伴う』の発表から、『電荷』否定の論を固めるために、何を考えて来たかと言えば、『磁気』とは何かであった。初めの頃の記事、磁界・磁気概念の本質 (2010/11/16)がある。『磁気』の正体を明らかにすることで、『電荷』概念の否定の確信に繋がった。

はじめに挙げた問題の回答。それは『エネルギー』の回転流での近接作用力として『分かった』ことになると思う。それでも疑問が無くなる訳ではなかろう。寺田寅彦博士に学びたい。決して原子結合が『共有結合』などで出来る訳がない。高等学校の化学の授業での「共有結合論」の理解不可能と諦めた内容が今少しは『分かった』になったかもしれない。