月別アーカイブ: 2021年10月

奇跡の遭遇

日本雨蛙。

この写真は名刺にも使ったものを額に収めて、傍に飾っているものだ。『いつも脇にある』雨蛙と幼生生殖 (2012/10/04)の写真だ。

偶然とはいえ、こんな表情をされたら、撮る自分の気持ちをすべて見通しているよと言われているように思わざるを得ない。

普通の雨蛙の写真は多く検索結果に出ている。それは普通に昆虫を撮ったものに見える。少しも、特別の感情は起きない。しかし、この狭い箱庭に現れる雨蛙は、鳥などに捕食されずに残れば殆ど何処にも行かず、ずーとその狭い中で過ごすようだ。いつも現れる自分の姿も見慣れて覚えているから、こんな表情で写真に納まったのかとさえ感じさせる。他にも、梅の盆栽に毎日、毎日同じ枝で過ごし、筆者が近付こうが、写真を撮ろうが全く意に介せず、暑い陽を背に浴びて平然と日中過ごす、茶色の保護色(梅の木の茶色と同色)の大きな親雨蛙が居た。そんな生態の虫が雨蛙なのだ。冊子『雨蛙 その謎』(2006年7月)の裏写真の一部、上(2000/04/30 .撮影)がその蛙だ。

いつも脇にある、こんな表情を見て、皆さんは何も感じませんか?他にも、信濃川での鯉との出会い。雀の恩返し(稲穂)など考えられない不思議に出会った。

心は、その情報は空間伝播の『エネルギー』であれば、不思議も夢の出会いと思っても良いだろう。

こんな日本雨蛙に出会うこと自体が奇跡と思う。しかし、日本雨蛙が水中の「オタマジャクシ」の生態を採らないとの解釈に至るまでには他にも大きな観察の不思議があった。

それが右図の観察経験である。植木のため、土を掘った。其処に白い精々2㎝程の見たことも無い白い昆虫が、無数に塊となって絡み合いながら、蠢いていた。その時は、まだ雨蛙の事には関心も無く、青ガエルと捉えていたからそのまま意識も無く、埋め戻した。しかし、その後何年か経って、何故こんな水の溜まりも無い狭い庭に毎年雨蛙が30匹以上も棲んでいるのか?と気付いた。その当時は、まだ雨蛙の生態を常識の通りに水中の「オタマジャクシ」から成長すると思っていた。その不思議に気付いて、雨蛙に注意しながら、日々観察を無意識にするようになった。今は、年に1,2匹しか新生の雨蛙は出ないが、当時は相当多く居た。雨蛙は親雨蛙になるには相当の年数掛かるようだ。新生のものから、2年、3年と年数も幅が広いものまで居る。そんなことを観察しながら、土の中の白い虫の群れが居た事を思い出した。2度とそんな白い虫の群れを観ることは無い。その奇跡の遭遇が日本雨蛙についての、「オタマジャクシ説」の否定につながった。

蠢く(ウゴメク)の文字は?

春の新芽が生えて日差しが強くなる頃に、その草の下で虫が動き出す情景を象形文字にしたのが『蠢く』の文字に思える。白い虫の塊に成って、蠢くという意味に土の中の雨蛙の幼虫がそれに合うように思う。

しかし、日本雨蛙の土の中での生態は全く不明だ。幼生生殖かどうかの確認も出来ない。雄の雨蛙がどの様に関わるかは全く不明だ。何年土の中で過ごして誕生するかも分からない。生れ出る年数もまちまちで、異なる様な気がする。

拾遺科学論題考 (2021/ /  後日投稿) の一つとしてもう一度取り上げておきたかった。私と雨蛙 (2021/07/08)。

電流計とエネルギー流

電流計は何を計るか(2)  の結論を印す。

上の回路(2)の電流計は回路のエネルギー流に対してどの様な意味を持つか。

結論。

回路のプラス側に電流計A を繋いだ。その回路の回路定数をまとめた。回路定数は単位電線路長当たりの値とする。L[H/m] 、C[F/m] 等の電線路に電流計が接続されれば、負側電線路近傍を伝送される『エネルギー』δp[J/m]が負荷の特性で決まる。そこに電流計が挿入される訳だから、その伝送エネルギー流は乱れる。『エネルギー』はその値や波形を科学的実験で測定できない。電気理論は電圧計や電流計で、その回路現象を捉える。しかし『エネルギー』は観測できない。電流計のコイルに貯蔵される『エネルギー』の量をδa[J]とする。Laa[H]が回路に挿入された時、回路定数をどの様に解釈するか、それを平行二線式回路の定数について に述べた。電線路電圧は電流計の電圧降下分を無視すれば(コイルに平行に抵抗値ゼロと見做せるシャント抵抗SHで回路電流Iを流す)、回路電圧V一定と考える。ただ、電流計接続回路部だけの回路に『エネルギー』分布に変化が起きる。電流計がプラス側に繋がれているから、そのコイル分の『エネルギー』が電圧のエネルギーギャップ条件を乱す事に成る。その『エネルギー』分は負側で保障して、電圧一定条件の『エネルギーギャップ』を保持する事に成る。電流計部の『エネルギー』の伝送速度が遅くなる。その事で、電線路全体の伝送電力p[W]は何処も一定に保たれることになる。負側電線路近傍空間の伝送『エネルギー』密度δA[J/m]および電流計コイルエネルギーδa[J=(J/m)と等価]の間に

δa=(Laa/L)δp

の関係がある。

以上が結論である。『エネルギー』量が計測できない科学的検証の限界が在る。それは文学、哲学と言われるかも知れない。ただ一つ重要な実験結果として、変圧器の奇想天外診断 (2015/06/02) および天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)に示した意味が電線路の『エネルギー』伝送の電磁現象の原理を示していると言えよう。

電流計は何を計るか(2)

初めの頃の記事、電流計は何を計るか (2010/11/10) で、少し長い記事だが磁気の関係を論じた。

電気回路について前の記事で漸く、電線路の回路特性 (2021/08/10) の認識に辿り着いた。線路空間を伝送する『エネルギー』が電気回路の機能の眞相であった。それでは電線路に繋ぐ電流計は何を計るのかと、新たな疑問が浮かぶ。

この記事(下書きは、8月28日で止まっていた。)を書くために、その準備が必要であった。平行二線式回路の定数について がそれだ。

 

図は電灯回路だ。電源は電池の直流電圧だ。

図(1)はプラス側の電線路にコイルLaaが付加されている。このコイルはどんな働きをするのだろうか。直流回路でコイルはどのような機能を持つと考えるか。さらに、プラス側の電線路には『エネルギー』は分布しないと今まで解説してきた。図(2)の電流計の接続との関係も含めて考えてみよう。電流計接続はプラス、マイナス側のどちらでもほとんど変わりなく、同じ値の計測値を示す筈だから。

このような簡単な回路で、電気現象を考えることに科学理論としての価値をどの様に観るだろうか。

その検証は学術理論の専門家の科学論の世界に入って論じても、無理である。『電子』否定の科学論が愚直に、真剣に考えて頂けて意味を持つのは、このような中学生にも解る単純な電気現象にこそ、そのカギが隠されている。今もって、電気回路で『電子』が『エネルギー』を如何に負荷に伝送するかの機能を高度な物理学理論を研究なさる専門家は誰も説明しない。それは論理的に理論が矛盾に満ちているから、『エネルギー』を負荷に伝送するための、どの様な『電子』の具体的機能によって『エネルギー』の保有を担うかの合理的解釈が出来ないからである。

(1)の回路。直流では、定常状態でコイルはインダクタンスとしては機能しない。周波数が無いから、ω=0 であり、ωL=0 である。電源電圧 V「V] とすれば、電流は

式   I=V÷R [A]

となり、コイルのインダクタンスLaa[H]は式には現れず、負荷に影響を与える意味は無く、『エネルギー』伝送に何の意味も持たない解釈となる。

コイル内の『エネルギー』を考えてみよう。電流の式にはコイルの意味は現れない。しかし電気回路内の現象で、コイルが全く存在しないと同じかと言えば、そうではない。コイル内には必ず『エネルギー』が貯蔵される。その『エネルギー』をどの様な物理量と認識するか、それは科学理論での『エネルギー』の概念とは何を指すのかの問題でもある。市民が学校教育で受けるべき科学リテラシーの基礎的素養としての内容に関わる問題でもある。コイル内の空間に実在すると考えるか、数式上の抽象的な意味で考えるかの問答である。

答えは空間には『エネルギー』が実在するだ。それが自然世界の物理的(物理学理論的ではない)実像である。しかし、ここ迄科学技術が進展し、ドローン空撮、極超音速ミサイル、自動運転自動車等空恐ろしい程の、予測し難い未来社会に突入しようとしている。技術は進展すれど、自然認識の基礎となるべき現代物理学理論が余りにも前時代的な認識の誤りの中を彷徨う現状を恐ろしいと思う。

『エネルギー』が空間に実在する物理量だと見做せない意識の中に、基礎理論としての役割を果たしていない科学常識の過ちの中に居る。

そんな自然哲学、社会科学の課題を多寡が電気回路の電磁現象の中からではあるが、明らかにしなければならない未解決の問題の中に居る。『電子』が電気回路で、何の役にも立たない概念である事を長く指摘してきた。電流計のコイル内の『エネルギー』の実像を考えれば、そこに『電子』がどの様な役割を果たすと理解しているかを個々人が考えれば、上の意味が分かる筈と思う。

そんな科学理論の基礎の危うさ、矛盾の困難の中を、皆が泳がされているのだ。科学技術の経済的競争の中で、経済的利益に無関係の基礎概念など、誰も研究対象として取り組まない。電流は『電子』の逆流だ等と逃げているようだ。狭い専門性の細分化された研究体制は哲学を忘れたカナリヤ科学論になる。

『エネルギー』一つの意味を認識して欲しい。波はエネルギー流 (2021/10/08) など誰もが観測できる『エネルギー』の物理現象だ。『エネルギー』を忘れてはカナリヤ科学論から脱却しなければならない。

今までの物理学理論では、光についても『エネルギー』の空間の流れとは認識していないようだから。振動数では空間の『エネルギー』が認識できない。

直流回路の電流計が電気回路内で、どの様な『エネルギー』を計測しているのだろうか。回路定数C[F/m] およびL[H/m]との関係を含めて考えてみよう。

結論。記事 電流計とエネルギー流 (2021/10/ 23 )にまとめた。

 

 

分かった!より はてな?

人も生まれた時は何も知らない。

生きるために、空気に触れて産声と呼吸。口から母乳で消化器官が機能し始める。

命のプログラムが自動的にスイッチオンする。何も考えずとも、生きてそして死を迎えるまで、不思議な生命制御の仕組みが始まる。どの様な仕組み、遺伝情報、生活環境など複雑な人生行路で、個性が際立つ一人の人になるのだろうか。行く先の見えない歩みが始まる。

 

振り返れば、“はてな”と思う事ばかりが増える。

何も知らずに過ごしてきた。

“はてな”に会って、科学理論のすべてに疑問が膨らんで、とうとう『電荷』の否定への確信となった。決して科学論の世界では受け入れられない暴論として、排斥されるだろう。原子構造論まで否定する事に成るから。それでも自然世界に『電荷』は存在しない、人間が仮想した間違った物理概念だった。科学理論とは何か、その社会的意義を人に問う命題となった。

辞典で調べた。

分かる・解る・判る。それは、①区別が明らかになる。②理非が明らかになる。事実がはっきりする。知れる。「とかく理非がわからぬ(狂言・羯鼓炮碌(カッコホウロク))」

はてな。怪しむ時、考える時などに発する声。“はて”の意を強めた言い方。「はて、こちらへは帰りませぬが(狂言・貰婿)」

等とあった。

科学理論は、自然世界の真相を明らかにする事より、人の生活に便利で、有意義な結果をもたらす解釈論を、理論としての価値が有意義と見做す基準から計られる。そんな思いに自分を“はてな”が連れてきた。

『電荷』への科学的信任の如何は、今やすべての皆さんに関わる教育的問答のように思う。

平行二線式回路の定数について

電気回路現象の解釈理論は電圧と電流による『オームの法則』が基本となって完成している。

しかし、電圧と電流と言う概念はとても優れた解釈概念であるが、それはあくまでも科学技術用の創造概念であり、それに自然界での真相を求めようとすると矛盾の壁に突き当たる。

それは電圧、電流の本質を問えば、『電荷』と言う物理量の実在性に依存せざるを得なくなる。プラスとマイナスの二種類の『電荷』が欠かせない論理的根拠となる。マイナスの『電荷』は『電子』であるが、プラスの『電荷』が何かは極めて曖昧である。その論理的矛盾は『電荷』を切り捨て、『エネルギー』の流れとして理解する事で解決できる。

電気回路現象を『エネルギー』の流れとして捉えれば、導線導体内を流れる『電子』などの必要はなくなり、電線路内の空間の電気定数の解釈の問題となる。この関係は電線路の回路特性 (2021/08/11)にまとめた。それでも未だ残った問題があった。

電気回路例。

電池からの『エネルギー』が電線路空間を流れるとなれば、その特性は回路分布定数L[H/m] とC[F/m]で解釈すれば良い。電線路の特性インピーダンスZo[Ω]は

Zo=(L/C)^1/2^[Ω]

となり、空間の構造で電気現象の特性が決まる。負荷ランプの特性値R[Ω]とZoとの関係で、電気回路の『エネルギー』伝送特性が決まる。

以上の意味を基本認識として、二本の電線で構成される電線路のインダクタンスLと静電容量Cの意味をもう少し考えておこう。

二本の電線だから、具体的にその電線路の特性値を考えれば、右図の様になっていると考えてよかろう。

 

 

 

等価回路。回路特性値 L[H/m] および C[F/m]は右図のように算定される。その訳を考えた。

 

 

 

 

電線路空間を『エネルギー』が伝送するとき、その流れは電線にどのような関係になるか。

L=2La[H/m] およびC=Ca/2[F/m]と回路特性値を解釈する。その訳が右図の様なCaとLaの間での遣り取りとして伝送する『エネルギー』という意味で解釈する。

この解釈は回路に電流計を接続する。その電流計の計測値に及ぼす回路特性を理解するに欠かせない事から取り上げた。

こんな回路論は余りにも、当たり前の基礎論で、学校教育の教科書の問題の指摘でしかなく、科学論としての学術論文になるような内容ではない。然し乍ら、現在の科学理論の根源概念、『電荷』を否定するところから生まれる新しい解釈である。現在の学校教育での物理学理論からは生まれない解釈ではある。

自然界に存在もしない『電荷』概念に論拠を置いた学校での理科教育は、その矛盾の伝統の引継ぎ業界の体制保持の意味しかないのだ。その事は未来を背負う子供たちに対しての教育行政の責任を問う事でもある。また大学教育の物理学基礎理論の根幹が問われる事でもある。例え困難があろうと子供達の未来への考える教育への転換が望まれる。

光は何を語るか

光は何も語らない。光子の概念(考えない物理学)?の具体例とした。

自然の実像を世界に示す手段は、その究極は光だ。他に何もない。

人も光によって、世界を観る。

しかし、その光を見ることはできない。光がどの様な姿かを見られない。

その訳は、光が『エネルギー』だからだ。

『エネルギー』は見ることの出来ない世界構成の素原なのだ。心の機能も『エネルギー』が支配している世界だ。『エネルギー』の瞬時波形が観測できれば、心をみることはができるかも知れないが。水素を構成する『エネルギー』も見る事はできない。光は一波長の縦波分で、既に基本的『エネルギー』の空間分布量となっている。光の正体 (2018/01/25)。

光変換の秘め事  色の世界を尋ねて (2012/01/30) より。Digital Audio DISC 面の反射光。(2012年盤)。

光と色彩について、最初の記事は、2010年の光束[lm(ルーメン)]と比視感度 (2010/11/25) と眼球の光ファイバーと色覚 (2011/11/28) であった。

上の蛍光灯光源。鏡に映せば、右図の様な蛍光灯が写る。この鏡の代わりに、DISC面に映すと、光変換の秘め事の三原色の分光になる。DISC面がプリズム効果を演出している。しかもその像は一般的な、平面の反射光とは違う。なお、ブルーレイディスク面に反射させると、何も反射光が見えない。

光変換の秘め事。改めて、この反射光が、光と言う物理量『エネルギー』の自然現象を認識するに極めて重要な点を提示していると考える。その意味を考えた。

眼で見る像とカメラの写像とは同じものだ。この光の像は、平面像ではなく茫洋とした通常の視界では経験し得ないものだ。DISC面からの反射光が立体的な奥行きのある体積の空間からの様々の光路の集合光を捉える結果の視界の像となっているからである。しかも左右が反転した反射像である。

別に、歌手のCD盤で確認したのが次である。

分散像1.DISC面での反射光を確認する。すると右の様なものになった。盤の中心部に光源の反射像が在る。分散光の色模様も、青、緑、黄そして赤と、(2012年盤)とは異なる。この像は光源とDISC面との角度が分かり易い。蛍光灯ランプは正反射像だ。分散模様は反射角度が違う。DISC面は平面であるのに、分散光は反射の角度が違う事を示している。その訳が光と色彩の意味を理解する鍵である。光の干渉と言う解説がある。光を波長で解説しているが、何故波長がこのような分散光に成るかの物理的現象の訳には成っていない。それは伝統的解釈手法でしかなく、原理の解説になど成っていない。誰も原理として納得できないと思う。CDの溝内の反射による分光がこの現象の物理的理由である。溝内には溶剤で満たされていよう。その溶剤内での光の屈折により、波長で反射角度に違いが生じる結果としてプリズム効果が表れるのだ。

分散像2.同じCD面の角度を変えて、捉えて見た。何層にも成って、波長の違う反射面が重なって現れた。干渉光の解釈でこの反射像の説明が付くだろうか。CDディスク面の構造を検索で調べると、ポリカーボネートと色素材が反射面のAlの突起を覆っているようだ。その構造では、内部でのColor cell 内の屈折と反射による分散光の解釈も成り立たないように思う。反射面の突起構造がどの様な光の反射に分散模様を生み出すかがこの反射像を見て、分からなくなった。ポリカーボネートと色素材が光の屈折、分散の主原因である事には間違いない。その分光がどの様な面での反射に因るか、反射面の突起構造との関係を考えると、残念ながらその訳を説明できない。日常生活からの単純な疑問でもあるから、物理学教育で光の研究を御専門にされている方に御解説をお願いしたい。

『我』とは何か❓

突然のTwitterの変乱に驚いて。

私は私でないのか?

驚いて、振り返った。

『エネルギー』が自然界を支配している物理量だ。質量や分子は顕微鏡などによってその実像を観測できるようだ。しかし『エネルギー』は目の前の自然界の空間に実在しても、その像が見えない為に物理学の概念量として認識されない。光が在る事は分かっても、その光の『エネルギー』の実像を認識できないが故の驚くべき、認識矛盾の現代物理学理論だ。止む無く自然界に存在もしない『電荷』や『電子』が仮想的な理論的論拠概念として代用される事になった原因だ。

生命現象を司る生体の情報統合はその『エネルギー』による以外困難である。分子の流れる伝達速度は遅く、神経情報の伝達には間に合わない筈だ。心・精神と言う人が生きる根幹を支配する、その『エネルギー』への思いを記事にしてきたように思う。生理現象や医学には全くの無知ではあるが、自身の『我』という存在を心の働きの視点から内省しながら、思いを綴ってきた。電気回路の電磁伝播現象も身体の分子生物・医学的分野以外の生理現象も、情報伝達現象としては『エネルギー』から統一的なものと見做せるだろう。

はじめは2010年の

1.基礎科学とは何だろう から始まり、

2014年に自身の生物学への無知を改めて意識し、少し基礎を考えた。その年は特別に多くの関連記事を投稿していた。

2.脳と生体制御の謎 (2014/03/21)

3.生命の本質 (C.H.ウォディントン著)を読んで (2014/04/06)

4.細胞分裂の意味を問う (1014/04/18)

5.染色体と遺伝の仕組み (2014/05/08)

6.生命の始まりと脳 (2014/05/11)

7.脳の機能と個性 (2014/09/05)

8.アミノ酸(amino acid)を追って (2014/11/06)

9.ニューロン(Neuron)を尋ねて (2014/11/13)

10.細胞とその機能 (2014/11/18)

11.人の色覚と三原色 (2014/12/11)

12.意識とは何か (2015)。

13.生体電流と生体制御 (2017)。

14.生命活動とエネルギー (2018)

15.ヘモグロビンは何処へ行く (2021)

どういう訳か、考える基点とその方向が科学的常識と違うようだ。生きるための、憲法で保障された、文化的でと言う条件も最初(1939年12月1日:舞鶴鎮守府への戸籍転籍【内務省?】をされ、戻った記録の痕跡が無い)から無かったのかと煩悶しながら、科学基礎概念の『電荷否定』と『エネルギー一筋』の道を追い求めて、今は確信に至った。その反科学常識の自分の生理的思考の軌跡をまとめておきたかった。

光子の概念(考えない物理学)?

物理学理論の概念・用語、その意味不明。

光の『エネルギー』とは何か?そもそも『エネルギー』とは何かに物理学は答えられるのだろうか。

光の特性に屈折現象が有る。プリズムでの分光現象はその特徴的なものである。

水面での光の屈折現象。何故屈折するかに答えられるだろうか?誰でも屈折することは経験で分かる。『何故屈折するか?』に答えるのが物理学である。この様な現象が有るでは、それは物理学とは言えない。

 

屈折の訳?

媒質の異なる面に光が入射すると、屈折と言う現象を起こし、光の進行方向が変る。それを屈折と言う用語で定義した。

『何故屈折するか?』

現代物理学では光を『光子』と捉えるようだ。光は光子の集合した進行波と観てよかろう。光が光子なら、その光子の空間像はどの様なものと理解すれば良いのか。筆者は『エネルギー』の縦波と認識するが、物理学の専門家は「横波」と解説するようだ。

横波が何故屈折するのか?『光子』の何が横に振動するかを明確に示さなければ、それは物理学が論理的な科学論とは言えない筈だ。横に振動するものが何かを理解してこそ、屈折の論理的な解釈に進めると思う。

振動数γ[Hz=1/s]とは何が振動現象の機能を担うのか?物理学者は答えるべきだ!答えずの誤魔化す物理学でよいのか。

今、音楽用DISC面での反射光の分散模様の解釈の御説明しようと記事を書いていて、物理学教育の余りにも考えない、伝統伝達手法に毒された現状が我慢できずに苦言となった。

何故光が屈折するのか?ホイヘンスなどと宣う誤魔化しで過ごすな!理科教育界よ!教育行政機関よ!一人一人が答えて欲しい。何故屈折現象が起きるかを。その自然現象の本質を❕

(参考) 金澤 喜平:28aYE-2 プリズムと光量子の分散    日本物理学会 第64回年次大会 講演概要集:62-1-2. p.405. (2009).

1ooohP の台風への見識を問う

(2021/10/12) 異常気象の認識。

気象庁と言う気象・防災害に関する機関がある。

最近の異常気象に対する見解をお聞きしたい。

台風の210日と検索しても、もう忘れ去られた言葉らしく検索に出ない。昔から、立春より数えて210日目が、日本列島への台風が襲い来る特異日であった。しかし最近は、異常気象の地球となり、正常な季節、春、夏、秋そして冬の正常な季節循環が望めなくなった。

1000hP 程の高気圧の台風が最近目立つ。その訳を気象庁は如何に認識しているか?その専門機関としての見解をお聞きしたい。

10月に、真夏日が続く訳は何か?

職歴も、所属歴も不明な者が、お役に立てないもどかしさを噛み締めながら、科学的解釈を申し上げる。

現在の異常気象の原因のほとんどは、海水温度の人工的過熱による現象である。科学技術(発電所の復水器による冷却システム)に過度な依存をした世界的経済競争の結果である。地球温暖化ガスの削減などと言っていられる状況ではないほど緊急事態なのだ。

魚の漁獲高の減少、赤潮の発生での漁獲鮭が大量に死滅している現実など、みんな海水温度の人工的過熱が原因なのだ。

1000hPの台風は海水温度の高温が引き起こしている。その水蒸気の異常発生が上空の冷気との相対性エネルギーギャップにより、台風と言う海水面からの水蒸気回転上昇気流を引き起こし、その海洋での降雨とその空気中への残存熱エネルギーが列島への高気圧と連動して、異常季節高温夏日をもたらしているのだ。

空気中への残存熱エネルギーが流れなければ「雷」となり『エネルギー』の放射現象を呈し、流れればその熱エネルギーを吹き下ろした地域の「フェーン現象」となる。

自然界には決して『電荷』など存在しないのだ。人間が過去に科学論の為に、『電荷』概念を創造して仮想した結果が現在の科学リテラシーとして、教育の大きな弊害となって残っているのだ。