月別アーカイブ: 2021年8月

共振現象とエネルギー空間

自然は時空の花。

空間に展開される『エネルギー』の実相だ。

共振現象を問う (2014/10/06)で考えた。当時より少し認識が深まった。電気回路は全て導体で囲まれた空間の構造内での『エネルギー』の伝播現象である。回路静電容量と回路インダクタンスと言う二つの電気技術評価要素で、その中の自然現象が捉えられる。その科学技術を完成した技術文化に乾杯。

『電圧』と『電流』と言う回路解釈概念が如何に優れた智慧の賜物かをよく理解しなければならない。具体的にその量が測定器で測れると言う不思議さもある。電流は流れずと言い乍らである。そんな素敵な概念を間違った解釈で論じることは許されない。『電子』の逆流だ等と言う間違いが堂々と科学論の中に罷り通っているのだ。『電子』など、自然界のどこにも無いのに。原子の周りを回っている『電子』など有り得ないのだ。

電線導体の中を『電子』が流れる等と言う理屈・理論はきっと何時か子供たちに笑われる時が来る。

共振回路について

基の記事も一つの過程としてみたい。その回路をもう一度取り上げて、回路要素の意味と『エネルギー』の振る舞いを考える。

『(2021/09/07)追記。周期 T と回路定数 L 、 C の間の関係。コイルの端子電圧について、コイルの電圧とエネルギー (2021/09/07)で結論を得た。その結論の結果として、下記の記事は訂正しなければならない。回路の伝送現象も L   C の間の『エネルギー』の転送現象で進行する事に成る。

右の正弦波電圧波形の周期Tも、T=4√(LC)となる筈だ。以上訂正、修正とさせて頂く。この理由は次の記事で述べたい。』

電気回路における『エネルギー』の有り様は、その分布に偏りをもって現れる。この図ではまだその事に気付かない時の物だ。この図のコンデンサの電圧v[V]と貯蔵エネルギー qc[J] の波形で、周期 T[s]は L[H]と C[F] によって決まる。

この波形は未だ『エネルギー』が貯蔵されたとき、その分布は電極の負側が高密度分布になると言う認識には成っていなかった。今は、その分布の偏りが『エネルギー』の空間特性であるとの認識にある。その分布差をエネルギーギャップと呼ぶことにした。さて、この L とC の組み合わせ回路には特別の共振現象が見られる。少しその現象の意味を深く探ってみよう。

共振現象の意味。

先ず初めの段階として、適当にL とC を離して配線でつないでみた。共振の意味を考える為に。今コンデンサは充電されている(エネルギーが貯蔵されている)ものとする。しかし、コイルはスイッチSでコンデンサとは並列には繋がっていない。コンデンサの電圧は図の通りの極性とする。スイッチが off の時、電線路のエネルギー分布はどの様になっているだろうか。

コンデンサの貯蔵エネルギーqc[J]は電極の負側に高密度で分布し、

qc=C vc ² [J] となる。

スイッチSの端子にも『エネルギー』qs= Cs v²[J]がコイル端子側スイッチ端子に分布する。そのスイッチ端子間電圧値もエネルギーギャップもスイッチ間の静電容量 Cs[F] (及び回路全体の空間構造の影響)によって決まる。

電線路の負側配線及びLのコイル巻き線にも『エネルギー』が分布する。その分布量は電線路空間の静電容量の空間分布構造によって決まる。配線部の回路要素 Lo やCoの分布状況等によってそのエネルギー分布は決まる。

上に述べた事は、所謂科学論とは見做されないかも知れない。科学的実験データでの検証を示し得ないから。空間に分布する『エネルギー』を検証できないから。科学論としての説得の力はない。これが科学哲学と言う部類なのかもしれない。『エネルギー』への感覚的心に共感する矛盾排除の論理でしかないかも知れないから。だから誰にもその解釈は、その人が如何に電気回路の特性を評価するかに掛かっている事でもある。『電荷』や『電子』概念で解釈する人はその意味で矛盾なく認識すればよいだけであろう。

上の回路の配線部が長ければ、共振現象に大きく影響する。スイッチ投入以後、エネルギーがどの様な流れ方をするかで共振特性が変る。『エネルギー』は配線の回路要素によって伝送速度も変化する。共振回路としては配線(Lo,Co)は極力無くする意味がそこに在る。ただ回路のLとCだけで共振現象が決まる訳では無く、回路全体の空間構造に因ることを先ず理解すべきだ。そこに『エネルギー』の空間での実在性が認識されるべき根拠が在るのかとも思う。

②の回路の共振は基本の共振現象(LC)が(CとLo)、(LoとCo)更に(CoとL)の関係が加わる事に成る。LoとCoの排除で理想的な共振現象になる。それはタンク回路とも呼ばれるL C が密接な一体構造空間を成すような理想空間となる。その回路の共振周波数 f[1/s] が電気工学では、

f=(1/2π)(LC)^-1/2^

と角度の2πが入る。

ω^2^LC=1 の ω=2πf [rad/s] の f から算定したからである。

しかし、周波数 f [1/s] に角度が入る事は論理的に正しくない。

f=1/√(LC) =1/T [s^-1^]

と解釈する。

「まとめ」 新たに浮かぶ疑問に挑戦すると、結論に到達せずに課題にぶつかる。今回の共振回路問題も少し新しい認識を得たようだ。以前からの思い・疑問が解けそうだ。インダクタンスもコンデンサも空間構造としてみれば同じ基本的物理的意味を持っているとの結論になる。それは空間の『エネルギー』の認識から到達する解釈だ。またそれを次の記事の共振現象問題として、今度こそ纏めにしたい。

今、下書きの記事が多数残っている。次々と、未解決の問題を手掛ける度に、結論に纏まらない。冒頭の記事、共振現象を問う(2014/10/06) の周期 Te についてはそのまま、(6)式とする。また、電気回路の角周波数ωの意味は? (2016/02/04) の疑問も未だ未解決の問題だ。

共振現象問題が下書き記事の解消になればと願って、一旦まとめとする。

雷から光量子像へ

先日の夜は雷と豪雨を久しぶりに経験した。稲妻と雷鳴に少し虞を感じた。

地球の自然現象で、雷はやはり特異なものである。その意味をいくつかの記事で考えた。雷の正体 (2012/11/13)がある。最近も、雷と電荷の物理 (2021/06/22)にも取り上げた。科学技術の具体的認識から物理学理論の理論検証が重要であると思うからである。ここでは、光の物理的現象を理解するにその空間に展開される『エネルギー』の認識が欠かせない。一粒の光量子 (2021/08/12)にも示した。

雷は電力工学での重要な研究対象でもあった。電力設備、鉄塔送電系統などの防護対策の為である。

雷の衝撃電圧波形は、その標準形が右図のような波形で研究される。過去記事 雷と指数関数(2011/11/15) に載せた図である。

この波形は

28aYW9 プランク定数の次元と実在概念 2001年の日本物理学会での発表用投稿論文の光量子エネルギー空間像を表現する為の基本的拠りどころとした衝撃電圧波形である。

自然現象はその深い奥に秘められた基本は、極めて単純で共通の現象であるとの認識を持っている。それが空間の『エネルギー』である。

雷撃波形をオッシロスコープで観測すれば、その電圧波形は上の図に近い。雷の正体が何であるかは昔からの天空の謎であっただろう。それを『電荷』の仕業と解釈したのが伝統的科学論の基になった。科学理論はどうも特殊な色眼鏡で見る手法がその精神構造の奥に潜んでいるようだ。しかも残念ながら、そのメガネは専門特化の視野狭窄眼鏡に思える。失礼をも顧みず🙇。

『電荷』などと解釈したものは空間の『エネルギー』を観る科学的認識の一つの解釈法でしかないのだ。『エネルギー』は『熱』でもあり『光』でもある。それは電気回路の電線路空間を伝送する電気エネルギーでもあるのだ。みんな同じ『エネルギー』をそれぞれの専門的色眼鏡で解釈するそれぞれの姿でしかないのだ。

物理学理論を学ぶ前に。学校での理科教育で自然の意味を知るには、空間に『エネルギー』が様々な形で変化している事を認識しなければならない。その上で、専門的科学研究に進んで欲しい。お日様に当たると、何故暖かくなるか?その答えがすぐ感覚的に分からなければおかしいと思わないのですか。光と熱は同じ空間を流れる『エネルギー』の現象の姿なんだと。物理学理論を学ぶ以前の話であろうと思う。

そこで『雷』の解釈の話になる。何も科学理論など知らなくても解る話だと思う。

稲妻と『エネルギー』の空間伝播。冒頭の雷の正体の記事の図である。

光とは何か?雷は光の放射を伴う。ピカ!と強い光を放つ。単純な質問である。光は何が変化したものですか?雷は『電荷』が原因だと言う専門家の解釈がある。

所謂稲妻と言う強烈な空間の発光現象を呈する。一瞬でその光は消え去ってしまう。その光は何か?と素朴に疑問に思わないだろうか。自然科学とはそんな身近なところに起きる現象への疑問を理解する事ではなかろうか。例えば大学の理学部での研究で学習する前に、科学リテラシーとしての基礎的自然観を日常生活の中で修得しておくことが大切と思う。その具体例として、雷の自然現象は好適例であろう。

少し説明しておこう。冒頭の衝撃電圧波形(1×40 μs)について。電気設備に雷の電圧が侵入すると設備機器が損傷する。その対策で試験電圧を標準波形で決める。波頭の立ち上がりの時間が1μsで、電圧最大値の半分まで低下するまでの時間を40μsとして決めた。電力工学の研究対象が雷対策で、その標準波形での試験結果で共通認識をする。その電圧波形の物理的意味を従来はやはり『電荷』でしか理解していなかっただろう。しかしそれは、空間を伝播する『エネルギー』の密度分布波なのだ。空間の『エネルギー』密度波となれば、その単位は [J/㎥]となる。空間の『エネルギー』の伝播現象となれば、物理的概念として、『エネルギー』の空間実在像を認識しなければならない筈だ。

稲妻と言う現象を光の『エネルギー』空間展開波形と見做すことはそれほど難しい事ではなかろう。上の衝撃標準電圧波形を空間に伝播する波形で展開してみよう。

先ず稲妻の波動源。

ピカっと光った瞬間に光の『エネルギー』の変換された空間の『熱エネルギー』が光速度で、四方に放散する。それが電気設備には雷の衝撃電圧として侵入する。雷が空間に『電荷』を放射する訳では決してないのだ。放射するのは熱エネルギーを光の『エネルギー』として放散させるのだ。その波頭のエネルギー密度が衝撃波状の分布波形なのだ。それは雷と言うが、光の『エネルギー』が持つ空間分布の波形と捉える。光の光量子像の基本的認識の原点でもある。光と電圧も『エネルギー』して観れば、同じ基の現象なのだ。

衝撃電圧波の空間展開。

電圧波形の空間分布寸法で表現した。波頭から波尾までの空間長は数十キロメートルとなる。一瞬の稲妻でも光速度伝播だからだ。その空間の『エネルギー』分布は電圧の二乗で解釈できる。

εo[F/m]を空間誘電率として、

δ(t)= εo {v(t)}^2^ [J/m]

ただし、伝播面積を考慮すれば、ほぼ単位 [J/㎥]と解釈できよう。電圧値の二乗が空間を伝播する『エネルギー』の分布波と見做して良かろう。それはまた、光のエネルギー密度分布波でもある。

一言指摘しておく。指数関数表現の欠陥は、時間が無限大になっても零にならない論理的矛盾がある。光量子像で、波長λの分布値が『ゼロ』になる工夫をした。

(参考)。27aZA-1 量子論の起源を問う 日本物理学会。2006年3月27日 愛媛県、松山大会。(訂正)当該資料の式(6)に断面積λ²が欠落。

SDGsと温室効果ガス

IPCCから世界気温の見通しが発表された。

残念ながら筆者にはSDGsに関わる「温室効果ガス」という意味が理解できない。多分、主に二酸化炭素CO2の事ではなかろうかと思う。さらに、驚いた事に牛の吐き出すゲップが温暖化に関わるようなテレビニュースの話があった。

『気温』で平均値とはどの様な測定法に依る値(定義値)かを知らない。地球温暖化は今年の連日の35度を超える状況は既に異常である。

科学者の発する論理に大きな疑問がある。日々の豪雨災害や森林火災を目にして、気温だけの判断で未来の環境を予測できると考えているのだろうか?

地球環境における『エネルギー』の消費総量を評価せずには、未来への的確な評価は出来ないと考える。

地球の熱エネルギーは、人間の経済活動による消費エネルギーがその主体を成している。『クーラー』も地球への熱発生源としての『エネルギー』消費設備である。地球上での、その熱エネルギーの年間の総発生量が幾らで、その発生源が何か、更にその発生の技術的分野別比較の総合的評価が欠かせない。科学技術の総体的認識眼が無ければ、SDGsの目標を確定することは困難である。

熱エネルギーの評価で、地球環境を評価するに、北極・南極の永久凍土の年間減少総量の算定が不可欠である。発生熱量をその氷が身を削って地球環境の過熱化を少しでも補っているのである。消費燃料の総量、核燃料の消費による発生熱エネルギー量など総合的評価が科学者全体の総力で成されなければ、一部の科学的知見など全く信用できないのだ。気温の影響がどれ程かを理解できる科学的知見には成っていない。

海の温度がどれ程大きな地球環境に影響を及ぼしているかが分かっていない。海の温度が、水蒸気の発生量に影響しており、豪雨災害の主原因になっているのだ。その水蒸気が地上で雨となり、水蒸気の保有していた「熱エネルギー」が地球の気中の高温化となり、フェーン現象の基になっているのだ。フェーン現象の熱が山火事の発生源であるかも知れない。原子力発電が温暖化の『温室効果ガス』発生の抑制になるなどの妄言が発せられている。業界ごとの科学的業界解釈が地球環境を破滅に導いている事を知って欲しい。

物理学理論に、空間の『エネルギー』の実在認識が無い科学理論を市民が理解しなければならないのだ。市民の科学認識が問われている。水素発電や燃料電池自動車も二酸化炭素は発生しないが、大量になれば水蒸気の発生源として環境に影響を及ぼす。さらに電気自動車も同じくその発電エネルギーは発電所の熱効率の問題を考慮しなければ科学的総合知見としての評価は難しい。それらがすべて、未来への姿を予見するに足る科学的知見でなければならない。

コンパスが示す道

今年初めに、磁気に関する記事をまとめた。文末に、「コンパスは自然世界の羅針儀 」。

電磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03)で原子結合等もマグネットの機能が担っている事を述べた。

コンパスの指し示す意味が科学理論の本質の理解に欠かせないと思った。

コンパスは何故北を指すか?

誠に気が重い。筆者のような謂わば偏屈者が、伝統的で歴史の重みを背負った科学理論に異論を唱える事態をどう理解すれば良いかが分からず、途方に暮れる。

長い科学技術理論(電力工学の半導体電力制御論)に関わったお陰で、あらゆる電気理論の諸法則の深い意味を統合することによって、その関りに於いての矛盾が観えてきた。見えるもの 見えないもの (2015/03/12)にも『電荷』の意味を述べた。『電荷』と同じく『エネルギー』も目で見ることはできない。自然の眞髄は見えないものを観ることに尽きるかと思う。見えるは目で確認できるが、観るはその空間像を見ることが出来ないものを心で捉える意味と解釈する。

コンパスの磁極近傍空間に『エネルギー』が回転して流れていると観る。

『静電界は磁界を伴う』と表現した。しかしもう少し具体的な表現をすれば『静電界もエネルギーの回転流の場である』となろう。電界も磁界も同じ『エネルギー』の光速度流を解釈する技術的評価概念であると。

磁気コンパスの認識で、その磁極の Axial energy flow の方向の見えないものを観る作務であったと思う。何故マグネットの磁気は消えないかが不思議な疑問として残る。

世界は軸性エネルギー流によって創られた (2021/01/04)。

コンパスは自然世界の羅針儀 (2021/01/05)。

エネルギーと素粒子

現代物理学理論の研究内容はとても高度な学問で、筆者のような、その分野の素人にはとても理解の出来るものではない。だから素人がそんな特別の研究に異論を唱える事は、社会的常識からは許されない。しかし同じ自然科学の分野に属する学問であり乍ら、素粒子論の目指すものが一体この自然世界の中の何を探ろうとしているのか位は、誰もが理解できるものでなければならないと思う。『電荷』の存在理由さえ無いと分かった現在、改めて学問の意味を問いたい。何処でどのように関わる道があるのか?スポーツじゃないが、科学論を戦わす土俵は何処にあるのか。

ここでどのように解釈を論じても、専門家は見向きもせず、無視されるだろう。専門家が唱える内容は、量子色力学(QCD)、コペンハーゲン解釈、反水素原子あるいは電子気体モデル等の概念用語の高度専門的学術理論の世界である。しかしここで取り上げる内容は、中学生の学習内容程度の易しい範囲の電気回路論でしかない。しかしその内容は、初歩的でありながら、教科書にも解説されていない、新しい電気回路論である。『電子』の存在理由も無い事を唱える電気論である。

しかし、敢えてその素粒子研究が未来の社会への希望となるかを専門家にお聞きしたい。基礎研究は役に立つかどうかは分からない事でも、研究が大切な事は分かる。それでも科学への理解を深めたい思いを、共通の市民科学意識の深まりの為にやさしい電気回路現象との関係で確認したい。

何を確認したいか?それは空間に在る『エネルギー』はどのような素粒子から成り立っていると現代物理学理論の高度な自然世界の認識から見て解釈されておられるかを理解したい。それほど難しい事ではないと思うが、とても不思議に思うのは、物理学理論では空間に在る『エネルギー』をどの様に理解されているかが分からないのだ。

電気回路のエネルギー。

右図は豆電球の点灯回路だ。懐中電灯と同じだ。ただ、電線路の途中にコイル、電線を巻き付けた部分がある。回路要素としてはインダクタンスと言う。その値を La[H] とする。先ず、物理学理論ではこの電気回路現象をどの様に捉えているか。『電子』が回路動作の主役として取り上げられているように思う。しかし、そんな解釈はもう止めなければならない筈だ。その点に関して既に、中学生への応援電気回路論 (2021/05/09) でも解説した。自然現象はとても易しく、素直に接すれば分かり易いのだ。難しい概念で解釈すべきでなく、深い純粋な自然の心に触れて欲しい。それが空間に在る『エネルギー』なのだ。そこで述べた事はランプから放射される光は『エネルギー』であり、電池から供給されるのも『エネルギー』であり、電気回路全体の動作の主役は『エネルギー』であるという事だ。決して『電子』などの出る幕は、電気回路には無いという事である。ー今し方、8月16日10時半頃、上空をヘリコプターがうるさい轟音を挙げて行きすぎた?ー

コイル内の『エネルギー』の存在確認。

今までの論考で、電気回路は電線で囲まれた空間を『エネルギー』が光速度で伝送される現象の機能回路だと分かった。マイナス側の電線の近傍空間を伝送する現象だと。しかしプラス側にコイルがある。一体そのコイルにはどの様な意味が有るのだろうか。この回路の電流 I は電圧を V とすれば、

I= V ÷ R

と計算される。コイルの意味は式には何も現れない。ではコイルは電気現象に何も関りが無いかと言えば、そうでは無い。確実にコイルの中には『エネルギー』が貯蔵されている。しかもプラス側の電線路のコイル内である。その『エネルギー』を物理学理論ではどのような概念で理解しているかが分からないのだ。物理学理論では『エネルギー』が空間に在ると認識しているのだろうか?その『エネルギー』は『電子』など全く関りが無いのだ。もし、電気回路に『電子』が欠かせない論理的基礎概念だと言うなら、その訳を解説して頂かなければならない。『電子』がどの様に『エネルギー』の発生原因であるかを。

コイルの中の『エネルギー』は電気理論では一応、

E=(1/2)La×I² [J]

と解釈している。その式を理解するに、電流が『電子』の逆流と解釈するから、その式の『エネルギー』の意味を捉えるのは甚だ難しいだろう。

だからコイル内の空間に『エネルギー』が実在するとの解釈は教科書には無いのだ。何故か空間の『エネルギー』は物理学理論では認識していないようだ。

コイル内の『エネルギー』の実在性の証明。これがまた難しいのだ。コイルに電流が流れると、コイル内には「アンペア―の法則」によって『磁束』が発生するとの解釈を迫られる。自然世界に磁束など全く無くても、物理学理論によって、解釈の手法が決められてしまう。そこでコイル内に『エネルギー』が実在することをどう科学的論理で証明するかとなる。それが磁気コンパスに頼る事になる。有り難きコンパス様、様である。確かにコンパスをそのコイルの傍に近付けると、決まった向きにコンパスが向く。それは実験で確認できる。しかしだ、コンパスがコイル内で力を受けて、向きを変えたとしても、それがコイル内に『エネルギー』が実在する証明になるとは物理学の専門家が認めるかどうかは分からない。元々磁界と磁気コンパスの間の力の原因を物理学理論で、その訳を説明できるかどうかが怪しいのだ。磁気の「クーロンの法則」で、n極とs極の関係で解釈しているだけであるから、磁束があると言っても何故コンパスの向きが決まるかの訳は説明できていないのだ。その訳は空間の『エネルギー』の認識が無いから、磁束と言う物理概念の自然現象の本質を捉えていないからだ。磁束も『エネルギー』のある空間の現象でしかないのだ。それを、Axial energy flow の空間状態と解釈した。参考資料(*)。

コイル内空間に、『エネルギー』の軸性回転流がある。コンパスにもその磁極近傍空間には軸性エネルギー流がある。その空間の『エネルギー』同士の近接作用力が磁気コンパスの向きを決める現象の原理なのだ。すべて空間の『エネルギー』の関係で決まるのだ。『エネルギー』はどの様な素粒子で成り立つのかをお尋ねした。

(*): 25pWD 磁力密度 f = rot(S/v)  日本物理学会講演概要集 63-1-2. p.310. (2008).

お粗末な年賀状。

その年のマグネットへの恋模様。

一粒の光量子像

何故か?

光とは何か?₋光量子像‐ (2012/01/16)。の冒頭のファイル「一粒の光量子」が枠□に変わっていた。クリックすると「写真151 404-File not found.」となる。投稿者の知らないところで、何故そんなことが❓

光とは何か?₋序章₋  (2011/09/30) 。にも同じことが起きていた。

折角だから、

電線路の回路特性

電気理論と回路空間 (2021/07/29) で電気回路現象が電線路の空間に因る事を述べた。

決して、電気配線の導体内を電流や『電子』が流れることはない。しかし、現実の教育で子供たちに誤った科学論を押し付けているのだ。残念ながら、科学者が真剣に自然と向き合わないで来た結果であり、教育者が教える事に疑問を抱かないで過ごしてきた結果である。

もう少し、具体的に電気伝送技術からの『線路定数』の意味を掘り下げて、数式の解釈法を利用して解説しよう。

この解説は、基本的に電気現象の解釈で、物理学理論は全く役に立たないものである事を前提にしている。科学技術理論として、電圧や電流の概念を使い、学習することはとても大事な事である。それはあくまでも自然現象を人の生活に利用するための、簡便な解釈法としての技術理論である。日常生活での生活の術としての知識として重要である。しかし、物理学理論としては、それはあくまでも自然現象の真理を解明することを目的とした学問である筈だ。意味も分からない『電圧』や『電流』などの電気技術用語を利用して、如何にも自然の真理であるかの如くの教育は完全に間違っている。何時までも訳の分からない『電子』の空間像の実相を認識できずに、消化不良の気持ちを持ち続けなければならない不快な気分で居なければならない。そんな気持ちを子供たちに味わわせて過ごす教育の現状は許せない思いだ。

物理学理論の罪。『電圧』、『電流』で解説すること自体が、全く電気現象での物理的機能を知らない専門家という不思議な伝統組織群の話となっている。典型的な事が『電荷』や『電子』の空間像を真摯に描こうとして来なかった事にその原因があると思う。

空間に在る『エネルギー』を認識していない。

光がどの様な『エネルギー』であるかを、その自然に向き合って来なかった事、その事に対しては科学者に、特に物理学者にその責任がある。

その電気回路での空間特性と電線路空間構造の関係を示して、電気現象が『電子』などで解釈できるものでない事を示す。何時までも『電子』の在りもしない仮想概念に頼っていては益々、物理学の存在理由が問われることになる。考える科学論でなければならない。

電線路空間特性。分布定数回路空間の世界 (2019/10/14) による。

電線の太さdとその間隔Dが電気回路の特性のすべてを決定するのである。ただし、電線路空間の空間媒体の影響が大きく関わる。裸電線での回路空間としての解釈を上の図では示してある。実際の電線はビニル絶縁電線などである。金属導体の近傍空間がエネルギー分布に大きな意味を持っている。そこは普通はビニル絶縁体で被われている。だからその媒体の影響を強く受けることは認識する必要がある。また、エネルギーの分布は電圧の負側に偏ることも認識しなければならない。それが『エネルギーギャップ』と言うものだ。電気回路から物理学理論と教育 (2021/07/22)にその参考記事がある。

ここ迄の認識に至るには長い道のりがあった。筆者の過ち。それは、日本物理学会での2001年の発表での失態である。

28aYW9  プランク定数の次元と実在概念  日本物理学会、第58回年次大会。p.338.(2001).

実は、その内容を発表せずに、とんでもない御迷惑をお掛けしたことである。実は、電気学会での『静電界は磁界を伴う』の資料を会場に置き、その内容を話した。誠にお恥かしき限りだ。この発表に至る経過がある。2000年に新潟大学で、物理学会の大会が行われた。その大会がプランクの記念大会となっていた。その事を知って、翌年の2001年に発表するために用意した。考えてみれば、如何にその当時の、『電荷』概念への疑念を明らかにするべき研究の場を失う事への、自己に対する科学研究の責任と社会的不可解への怒りが心の奥にあったからとは思う。

その直接の切っ掛けは、物理学理論で「粒子性と波動性」の解決すべき課題があった。一つの現象を波動性と見るか粒子性と見るかの曖昧な未解決の問題があった。一つの物理現象が二つの見方で解釈しなければならないとは如何にも不可解であった。その解決は光を『エネルギー』の空間流として認識する以外ないと考えていた。その空間像を指数関数の表式で、提示したのである。曖昧な波動ではその空間的実体を理解できない。それでは物理学と言えないと考えた。その意味を示した。しかし、その事を理解するには、空間の電磁エネルギーの実像を認識しなければならないという意味で、『静電界は磁界を伴う』の意味を話した。電界と磁界は空間の『エネルギー』の分布をそれぞれの捉え方で解釈しているだけでしかないのだ。その意味で、発表に行き過ぎであったことをお詫びしなければならない。しかし、そのプランク定数の捉え方は間違いなかった。

プランク定数での疑問。余りにも有名であり乍ら、大きな謎、それはその『次元 [Js]』であった。最初の日本物理学会での発表も、[JHFM]と言う次元を明確に認識する事の大切さであった。

現在の認識は プランク定数の概念 (2018/07/17)に述べた。プランク定数の次元が [Js] である意味を考えれば、空間の伝播『エネルギー』の一つの単位とその通過時間の積だという事位は感覚的に思いつく筈だと思った。それ以外粒子性と波動性の矛盾は解決できないとその当時考えた。その空間に実在する『エネルギー』という認識が、物理学理論に欠かせない基本である筈だ。『電子』ではその『エネルギー』は理解できない筈だから。

関連記事。

27aZA-1  量子論の起源を問う 日本物理学会講演概要集 61-1-2. p.394. (2006).

30aXG-8  量子エネルギー mv² の空間 同上 61-1-2. p.329.  (2006).

23aWA-1  量子エネルギーのベクトル解析 同上 69-2-2.  p.291. (2006).

等で、光の空間エネルギー分布像を論じた。それらは、光とは何か?₋光量子像‐ (2012/01/15) に記した。

前の記事。質量とエネルギーに、光のエネルギーと質量の関係への思いを詩に託した。

質量 それはエネルギーの象形

エネルギー それは質量の解放像

エネルギーは 眠りで世界に現れる

その寝姿が質量である

エネルギーは不均衡を好む

その局限で質量となる

エネルギーは光で その本領を発揮する

光は 自然が託した 未来への伝言である

物理学理論と科学技術理論との関係をきちんと捉え直して、未来の教育をどのようにすべきかは皆が、一般市民が考えるべき問題と思う。それが教育行政に上手く反映することが民主主義の基本であるだろうから。

 

質量とエネルギー

質量とエネルギーの関係  E = mc²  [J]

が質量とエネルギーの相互変換を捉える原則である。アインシュタインが唱えた。

この式で、質量 m とエネルギーの等価性を定義していると理解する。しかし、その式の厳密な導出については理解していない。

自然の表現形式 自然世界は質量とエネルギーによって自己表現をする。

質量とエネルギーの関係を詩に表現した。下手な筆字で心苦しいが、思いを表現した。

科学技術から異端の世界

私は異端者だったか?自分を振り返って考えた。

基本的には、科学理論の基礎概念『電荷』、『電子』を疑って長い道のりだった。しかし、我が自然感覚にあまり間違いは無かった。異端の愚か者しか出来ない大切な事もあるかとは思うが、何しろ梲の上がらない世間的無様が悲しい。無能者呼ばわりされて過ごす毎日が切ない。家族には申し訳ない限りだ。

ただ申し訳ないと思うことも多い。電力技術分野という学術の世界では、その所謂専門性の分野から外れたら、仕事が出来ない事に成るとも気付かないで、異端の道を歩いてきた。『電荷』、『電子』の否定など電力技術者のトンデモナイ道であるから。それと、身分についての意識も無く、助教授から助手で過ごす、教授になるなどの社会的常識の意識も無かった。それが異端で道が消えたのかも知れない。研究室所属や学問の自由と職務の関係など度外視していた。それが余りにも異端過ぎたのだった。

言う事成すことが世間の常識から外れる。異端とは正統でないという事らしい。正統とは世間の常識の道を歩むことのようだ。普通の人は成人するまでに様々な経験をそれぞれの年齢に経験して成長する。

だから仕事もそれなりに自分の能力と世間の実情とを勘案して、その生きる道を選択するのだろう。特に専門的業務となれば、中々その辿った道から外れる事は出来ない。

振り返って自分の場合を考えてみた。

『暴れ太鼓』のような歌で表現される道は難しい。世間の常識の道から、異端の道は想像もできない危険な道かも知れない。

それが『静電界は磁界を伴う』に象徴されるかもしれない。筆者のような向こう見ずの無鉄砲は世間の笑いものの例えになりそうだ。

異端者を世間はとても我慢できない存在に思うだろう。特に関係の深い身近なものにとっては理解できる訳はないだろう。

最近思う。子供の頃の事を。小さい時から友達との関係が無かった。幼少期は東電(旧日本発送電株式会社)の社宅住まい(長野県栄村志久見)で、友達は一人も居なかった。その後多分新潟縣鹿渡村の社宅から京都府舞鶴市溝尻海軍住宅に住み、昭和20年4月舞鶴国民学校に入学し、終戦まで、友達と遊んだ覚えがない。海軍住宅には子供は居なかったし、近所の住民も避けていたのかも知れない。近くの草原で良く一人で遊んだことは覚えている。大きな毛きり虫などが多くいて、手に取って遊んだ。あとは防空壕に空襲警報で毎日のように逃げ込んだ記憶がある。鳶が多くいたのも記憶にある。母が近所に売りに来たリヤカーの魚売りから、魚を皿にのせて、帰る途中に急に薄暗くなったと思ったら、皿から鳶が魚を奪っていった。そんな経験をするほど鳶が多かった。

敗戦で、新潟県の生家に戻った。姿地区である。貝野小学校は生徒名簿が集落ごとに纏まって順番に付けられていた。姿が初めで、安養寺、新屋敷、本屋敷・・宮中と順番になっていた。姿等、冬は危険な峠を越えるから纏まって登下校をする対策と思う。しかし自分だけは、小学校から中学校を卒業するまで、名簿順は遠く離れた宮中の名簿の最後になっていた。何か学校行事や掃除当番などの名簿順によって、帰りはいつも一人であった。しかも、姿でも疎開ッぺと特別扱いで、中々遊びや付き合う機会も無く、仲間外れになっていた期間が長かった。子供時代の遊びが無かったようにも思う。性格だけの事ではなかったと。

そんな育ちが世間と異なる異端の行動に繋がっているかも知れない?

『エネルギー』への感覚的実在認識を強くしたのが『電圧時間積分』の技術感覚であった。コイルに直流電圧を印加すると、その巻き線コイル内の空間に『エネルギー』の回転流が保存される。それが磁気現象の本質である。それは励磁電流不要の「アンペアの法則」の否定につながる。結局自然には『電荷』など無いと言う確信に繋がった。だから『電子』やその構造論としての『原子論』には感覚的にも、その誤りを許せない思いが強くなった。教育の原点を問う事に成る。

偏屈の異端が唱える反逆論かも知れないが、教科書の中の『電子』は矛盾の権化だ。

追記。あれ?と気付いた事がある。昭和62年(1987年)12月、何故かパワー研で、忘年会に連れられて温泉に行った。しかし、電力技術の研究をする意識は無かった。年が明けて、論文を書いた。『上顎洞炎』で病院に掛った。結局抜歯で治療をして頂いた。とても歯医者さんには感謝だ。しかし、その健康保険証が怪しい意味を? 更に投稿論文が

32 電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 (昭和63年電気学会全国大会、講演概要集 p.35 )

であった。全くパワー研とは無関係の物理学理論の電磁気学論であった。その参考文献に挙げたのが、マックス・ヤンマー著の 質量の概念 である。とても読み応えのある内容の本だ。

物理学理論と市民感覚

物理学理論があらゆる科学論の基礎をなしていると、漠然と捉えられていると思う。しかし、科学者あるいは研究者など高度な学術研究に携わる方々はそれ程物理学理論を本当に、その研究の基礎として意識しているとは思えない。物理学理論が真に科学理論の基礎としての意義を持ってほしいと願わずにはいられない、それ程怪しい学術論に?

しかし、ここに述べる内容は、理数式による科学論らしからぬ文学のようであるかも知れないが御笑覧いただきたい。

(事ども削ぎ棄てて 世の煩いあるまじく 省かせ給えど)ー源氏物語 若菜下ー

今、その科学研究の最前線の一つが「医学・生理学」であろう。コロナウイルスに対する『ワクチン開発』とその接種等の最先端の話題が日常生活に密接に関わっている。その分野の科学論は筆者のような素人には余りにもその専門的科学技術の内容が高度過ぎて、全く理解の仕様が無い。例を挙げれば、採決した血液成分の分析など、その余りにも精度の高い結果が示されると、理解の限度を超えている。その成分分析は、一つ一つの成分分子構造を詳細に捉え、分離していると理解する。

一方、分子の化学結合構造はそれぞれの原子の結合によって捉えていると思う。その結合はどのような物理現象に因っているのかと考えると、全く理解の限度をやはり超えてしまう。

原子間の結合原理は何か?

化学論でも、高分子結合やDNAの二重らせん構造でもその原理は全て原子間の結合によって決まっているものと理解したい。二重らせん構造になるには、その基本は原子間の結合の方向性がその決め手になると思う。その方向性も原子間の結合原理が基になる筈だ。「原子構造」は核の周りを周回する外郭電子が取り巻いている事になっている。日常の生活空間感覚から推し量ると、その高速回転(どの程度の速度かは不明)している電子が隣の原子の電子との間で何故結合の機能を発揮できるかが理解できない。その程度の原子間結合認識で、先の血液分析技術との科学論的乖離を埋める能力を持ち合わせていない。その辺の解説は、それほど難しい話ではないと思うが、何処にも納得できるものが見えない。勿論、専門家用でない、一般の教科書にもないだろう。電子同士が「共有結合」するという最初の解説で、理解不能に陥る。何方もみんな御理解為さっているらしく、少しも疑問を抱く人はいないようだ。「共有結合」の仕組みを詳しくご解説頂くことからやっと、原子結合への理解の糸口も見付かるかと願っている。「共有」という言葉の詳しい電子同士の空間的関係性の具体像は、その機能が分かっているのだろうから、本当の基礎的内容でしかない筈だから、詳細に解説できない筈はないと思う。筆者のような、目の前の空間像でしか理解できない具体性を求める無能な者にはその具体的姿を日常用語で解説頂かなければ、中々その理論を信じられないのだ。何がどの様に『共有し合うか?』はそれほど難しい説明ではない筈だ。どの様な電子同士がクーロンの電荷排斥力に抗して、『共有』という結合の原理を発揮することが出来るかは、最も教科書の解説すべき課題と思う。その為には先ず、『電荷』および『電子』の存在の理由を現在の科学認識に基づいて明確に分かり易く解説するのが科学者に課せられた責務と思う。筆者には高校生の時からその「共有結合」の原理が分からず、分子結合の意味不明のまま今日に至った。そんな分子結合論などは生活には何の意味も持たない些細なことかも知れないが、卑しくも論理性をその根本に置くべき物理学理論で、その訳を明確に解説されないと、すべての科学理論と科学技術との間の不可解な溝が拡大し、専門家と市民の科学リテラシーの不可解な関係が増大する事に成る。それは又の機会に、マグネットが何故接合する力を発生できるのか?についても疑問を提起したい。科学理論が市民の理解できる易しい自然の原理により成り立っていて、誰もが疑問を抱かないものであると思うから。専門家とはそれが出来る方だと信じているから。

コロナウイルスと血液成分分析に関わる科学技術の専門性と市民(筆者だけかも知れないが)の科学認識の間の溝は埋まるのだろうか。余りにも筆者には遠い隔たりの壁となる。炭素のダイヤモンド結合、シリコン結晶などすべて余りにも幾何学的な美的結合を成している。電子が周回軌道を回転しながら、互いに回転し合う電子がどの様な空間的関係で、結合機能を発揮できると言うのか?そんな魔術的空間関係が可能な訳はないと筆者は考えてしまう。物理学理論の電子結合論が何処までも欺瞞性を匂わせているように思えて堪らない。電気回路には決して電子の出る幕は無いことから、電子論による科学理論の統合失調症を治療できないものかと失礼ながら空想してしまう。統合失調症と新潟県立病院に、病巣に閉じ込められた(平成2年12月)過去もある。その当時は、どう暴虐無人に近所に迷惑を掛けても、電荷概念の否定のためには研究発表の場がない事が許せない思いで居た頃の事情だ。科学論の不可解の根源を断ちたいが故に。丁度その年の春に、自然単位系 [JHFM]をまとめた。それは1998年4月、日本物理学会に入会させて頂き、初めて発表させて頂いたものになる(*)。

『電荷』の空間像を示すのは素粒子物理学の研究者の社会的責任と思う。『エネルギー』がどの様な素粒子から成り立つかを示すこともその一つと思う。物理学理論には空間を流れる『エネルギー』の認識が無いようだ。その『エネルギー』の代わりに『電子』などの概念を創造(人が考えて作り出した自然の解釈の創造の概念像)したように思う。

日々過ぎて行く日常生活において、SDGsという未来への科学技術との関係の問題でもあろう。日々のエネルギー消費増大による、蒸気タービン発電方式の科学技術への依存度の過剰が海の加熱エネルギー放出を招き、豪雨災害とフェーン現象性の灼熱環境を作り出している事を御理解頂きたい。この問題はどうも、脱炭素で置き換えられているようだ。原子力発電推奨の隠れ蓑として、海水温度上昇の弊害の意味が消されてしまう。科学理論と科学技術の関係の意味が曖昧になっている。エネルギー問題で、クーラーの電力消費とのイタチごっこ現象と思える。緑の森も消えたコンクリートジャングルが象徴的に未来を映し出しているようで恐ろしい。海の魚介類の生育環境を守る事は人の生活の基本を守る事になると思う。

(*) 2p-D-11 物理的概念とその次元。(参考):エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2011/12/18)。