それは1994年7月22日早朝5時の事だった。庭の足元に小さな蛙が居る。よく見ると、お腹に虫が付いている。未だその頃は雨蛙に何も意識を持っていなかった。雨蛙と言う呼び名も知らなかった。青ガエルと言う意識で居た。
不図気づいたその蛙に惹かれて写真に撮った。幾つかのその時の写真を載せる。当時は、南陽団地のある大きな食品工場の排水処理設備の管理の仕事をしていた。お世話になった。曝気による食品の油性分処理。とても不思議な微生物との関りで、面白かった。曝気設備が機能すると、臭かった設備が芳香に包まれた場所に変わった。「風来坊」の額と共に。そんな朝の出かける前の2時間ほどの間の出来事だった。



地面から1mほどの高台の土鉢のヘリに上っていた。未だ不安そうな表情だ。


2002年の絵柄。1997年から5年経った。その間に、狭い庭の中で、雨蛙の不思議に思いを重ねて、その在り様をじっと眺めてきた。水の無い小さな場所に、多くの雨蛙が居る。決して「オタマジャクシ」の生態を雨蛙は採らないと判断する時間が必要だった。

比較的良い出来だ。それにしてもこの版画を受け取った人はきっと、『こりゃ何だ?』と驚いただろう。小生は気付かなかったが、人がNHK新潟放送局の放送でこの版画を見たと言っていた。当時は誰もが「オタマジャクシ説」を信じていた筈だ。トンデモナイ版画だ。この版画にする決断を迫った事件がある。十日町市内のある温泉施設で、「日本雨蛙」と言う写真の載った解説本を見た。山と渓谷社の本だ。そこに日本雨蛙の写真として、相当図太い形状の赤みを帯びて、長い尻尾を付けた姿で、日本雨蛙として示されていたのを見た。専門図書のような解説本として。その当時平凡社の百科事典(全七巻)でもオタマジャクシ説で解説されていた。何処にもみんな同じ解説で、オタマジャクシ説を否定する人は居なかった。最近までwikipedia もオタマジャクシ説だった。
しかし、どう考えても水の全くない場所で、オタマジャクシの生息は無理だと確信した。そこに一つの大きなヒントが土の中に隠されていた。ある日土を掘っていたら、15㎝程の深さと思うが、そこに白い細長い虫が塊状になって蠢いていたのに遭遇した。太さはマッチ棒程度で、とても多くが一塊に絡み合って居るのを見た。しかしその時は全く特別に注意を払わなかった。直ぐに土を埋め戻した。おそらく1年くらい過ぎてから、その情景を思い出した。あれは何だったのか?と不思議が脳に上った。完全にその事と雨蛙の生態が繋がった。それがいつの日かは今は忘れてしまったが、日本雨蛙は決して「オタマジャクシ」の生態を採らない事を確信した。
それを文集に纏めたのが2006年7月である。雨蛙―その謎― (2011/08/31)。
日本雨蛙の肖像権を汚さないように、きっと自分に自然世界の真実を伝えてくれと頼まれたように思った。『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づ電磁界の本質― (1987年4月) 以来の精神的葛藤を覚えた。漸く『電荷』が自然世界には存在しない、科学論的仮想概念であったと確信できたのと重なる。自然は不思議の魅力がいっぱいだ。
今思う。雨蛙の腹部の生物はいったい何なのか?未だにそれは謎だ。土の中が雨蛙の誕生の場所である事は間違いない。しかし土の中でどのように卵塊が産み落とされ、それが何年かかって成長し地上に生まれ出るかは全く分からない。蝉が7年と言うが、雨蛙の場合は特別何年と決まっていなくて、何かその状況によって相当の年数土の中で過ごすかと勘繰れる。早いものも、遅い者もいるような気がする。最近年に数匹しか生まれ出ない様子から、相当古く土の中に生まれたものが出てくるのかと思える。蝉以上の不可思議を未だ抱えている。最近はセミの声も聞けないようになりそうだ。人間の自然への畏敬の念が欠落し、自分自身の自然の生命さえ冒す経済成長と言う魔物が住み着いているようだ。コンクリートジャングルの言葉も消えて久しい。『エネルギー』の意味を教育で教えて欲しい。自然の多様性は『エネルギー』一つから生まれている事を!