月別アーカイブ: 2021年5月

論理矛盾の業界単位 [eV]

(2021/04/29) 。『電荷』、『電子』の概念矛盾が導く。
記号[e]および[V] から単位[eV]の意味を検証する。

この単位[eV]が物理学理論の『エネルギー』の量を定義する代表的概念となっている。しかし、それも素粒子論での特殊な専門分野の概念単位かも知れない。この単位が自然世界の深い真理を理解するために欠かせない基本概念であるのだろうか。単位は一般市民の誰もが共通に理解する科学的知見の基礎であろう。[eV]と言う単位は『エネルギー』の単位[J(ジュール)]に対して、一般には馴染みにくい単位である。具体的な物理概念、電荷や電子に対する認識を詳しく確認し直すことによって、この単位の意味を検証してみたい。

[eV]の意味は? [eV]は電子が電界中で加速されて得た『エネルギー』の量を表す単位と解釈している。その意味を考える空間の状況を何とか表現してみたいと思うが、電子の空間像をどう表現すればよいかが分からず、誠に奇妙奇天烈な図になってしまった。電子は質量と負の電荷を保有した素粒子と定義されている様だから、電界加速場で定義に相応しい電子像をと思って表現してみた。ただ、電子が電界と言う場の中で、どの様な原理によって加速されるかが良く理解できない。電界の空間は一般には、その空間の誘電率との関係でεoE²[J/㎥](あるいは磁気エネルギーμoH²[J])の空間エネルギーの場と解釈して良かろう。そのエネルギーの空間で、電子がどの様な力を受けるかは中々理解し難い。理論では、電界ベクトルをE[V/m]、電子の電荷を負の-e[C]と扱って力 F を捉えている。

 F= -eE[N]

と解釈しているようだ。単位関係は[C][V/m]=[(FJ)^1/2^][(J/F)^1/2^/m]=[J/m]=[N]と一応、力の単位となる。少し前に、電荷間の力の矛盾論および電荷Q[C]とは何だ 更に大学入試問題例‐(エネルギー問題)-で電荷の意味を考えた。それと同じように電界の場で電子はどのようにその電界と言う物理的実体を認識し、その空間のエネルギーからエネルギーを吸収して受け取る事になるのか考えると解釈に困る。人が勝手に『電子』を仮想して、その気持ちを人間的な感覚で推し量り、誠に上手く辻褄合わせが出来上がっているようだ。何とか電気力線に絡みついて電界エネルギーを吸い取れるかと空想してみた。速度と言うエネルギー増加になるような物理学理論の感覚的理解でお茶を濁して済まそうか。

記号[e]とは何か。
[e] は電子を表す記号だ。その物理学的意味は電子の『電荷』を含意したものであろう。

記号[V]とは何か。
[V] は電圧の単位あるいは空間に定義した電界E[V/m]の空間距離dxでのスカラー積で、電位差 V=∫Edx=El[V]を捉えた単位であろう。電子が移動した空間の電位差の意味の単位である。


【クーロンの法則】の力学矛盾。
考えれば何故今まで誰も指摘しなかったのか?科学理論は広く俯瞰的に解釈することによって、世界的視野の基学問の自由がますますその意味を輝かすようになるのが理想と考えたい。しかし俯瞰的にとなると進むも戻るも出来ない、論理矛盾の限界に突き当たる。結局、原点の基礎の意味を検証せざるを得ないところで、『電荷』概念の自然認識の間違いに到達してしまった。電気要素のコンデンサーに電荷を貯えてもクーロンの法則の同一電荷間の排力は全く考慮しなくてもよく、幾らでも同一電荷が密集できると言う物理学の誠に巧妙な理論体系である。この問題は教育の子供たちに対する姿勢の課題だ。

[eV]のエネルギー概念とは。電荷概念の空間的描像に無関心である事が専門科学者の問題である。

色それは天然

金の色、銀の色その輝きは人を惹きつける。コガネムシの羽根が輝く。

「色それは天然の詩心 平等と自由の掟の下で」

色は自由な空に載せて運ぶ『エネルギー』の手紙なんだ。それを人は光と呼ぶ。
そこには競うことも無く、心を表現するだけでよかろう。

その色の訳に疑問の心が沸く。そんな日常を科学の心と言いたい。

光の正体 (2018/01/25)。

想定外の盲点―柏崎原発―

今夏は特別に電気エネルギーの供給・消費バランスが厳しい状況になると報じられている。

脱炭素と言う温暖化への対策が正念場を迎えている中で、原子力発電への依存を強める政策に疑問を提起しなければならない問題がある。

温暖化の解決は脱炭素では基本的に無理である。

エネルギー消費量の増加が温暖化の原因である。原子力発電はじめ、海水温での熱エネルギー50%以上を冷却する必然性による蒸気タービン発電方式が気象変動の要因としての海水温上昇及び魚の漁獲量変動などを引き起こしている。

柏崎原子力発電の想定外の盲点。

発電所立地地点と電力消費地点の遠隔問題である。地震などの発電所運転制御に直接関わる『制御情報』が頓珍漢な懸け離れた状態にある問題である。関東電力消費地点で、地震災害などが発生した。その激震震度情報は発電所での制御信号には全く感知されない。人がその状況を、何らかの手段で原子力制御情報に組み込まなければ、自動的には制御システムは感知できない問題である。原子力発電所の熱源は『核分裂反応』である。危険を察知し、核分裂を停止する制御棒の投入は簡単ではない筈だ。更に電力消費地が遠隔地域である事は、その地点の災害状況によって、電力停止判断は、とても危険を伴い、電力供給の法的縛り(電気事業法)との兼ね合いをどの様に採るかは「電話」での首脳部間の判断を要する問題となろう。突発的な災害状況に自動運転制御システムが効かない状況は『想定外の問題』として後の祭りにならない保証があるか?さらに、原発の運転停止制御の危険は負荷の消費電力が関わるという点である。消費地の突然の停電で、消費電力ゼロとなった時、発電所は核分裂の熱エネルギーの処理が出来ない虞が大きい。福島第一原子力発電所の事故にも関係していたかと言う問題であろう。

今夏の夏の電力状況に、誠の不躾で申し訳ない事ですが、一言感じた危険を述べさせて頂きました。皆様のお知恵で安全の確保をお願いいたします。

大学入試問題例(エネルギー問題)

基礎ほど難しい。『電荷』と『エネルギー』の間の問題。記事の文末に追記した。電気現象の解釈矛盾の最大問題、それが電池が『エネルギー』の供給源であるとの認識の欠落であると理解した。論理性の欠落が科学論の課題だ。電気回路技術論は貴重な実用における技術科学文化である事には変わりがない。『電子』による科学理論・物理学理論が自然現象の真理を説くものではない事である。『電荷』は決して自然界には存在しないのだ。そこで次の問題である。

大学入学試験で、次のような問題を課したなら。

【問題】上の図の電気回路で、電池をスイッチSでコンデンサにつないだ。次の問いに答えなさい。

(問1)電池は何を供給する機能用品ですか。

(答) (         )

(問2)コンデンサには何が貯まりますか。

(答) (         )

現在の教育課程で子供たちに教えている事に対して、その教育内容をどれだけ修得し、大学での進んだ高等教育を受けるに必要な能力を備えているかを見るのが入学試験の目的であろう。

答えは (エネルギー) でなければならない筈だ。

もし (電荷)と回答したら、おそらく教育内容を修得した効果が出た事に成りそうだ。特に、(問2)のコンデンサに電荷が貯まるとなれば、教育内容に沿うとなろう。

コンデンサの正電極側には電池からどのように『正の電荷』が貯まる事になるか。クーロンの法則に逆らって、どれ程の同じ『正の電荷』が密集できるのだろうか。

(2021/05/27)追記。コンデンサと電荷‥についての記事で、電流は流れないけれども電荷は貯まると❓ この解説記事は余りにも酷過ぎる。こんな内容を学習する羽目にある学習者はどうなるのか。間違いを世界に広げる手先になるのか。通商産業省は、こんな解説の試験問題が出題されるとすれば、受験生に対して誤った知識を要求する事に成る。これが科学技術論か? と言わなければならない事態になった事はとても悲しい。50年前に、筆者も電気主任技術者第二種免許(宮澤喜一通産大臣)の認定を受けた。当時の電気工事士、高圧電気工事士などの免許も取得した。電気回路の解析は得意だ。しかし残念ながら、電気技術理論は極めて重要な技術論ではあるが、それは自然界の真理からは程遠い科学技術用の仮想概念(自然の真理としては、電圧や電流の概念が)でしかないのだ。その理論的現状の混乱の責任は『現代物理学理論』が背負わなければならない問題である。更に子供達への教育の未来について、喫緊の課題として教育機関及び授業担当の教育者・教科書編集者がその責任を負わなければならないのだ。論理的矛盾に目をつむる事は許されない筈だ。科学技術理論と物理学理論の違いを明確にすることが求められている。

電気現象の基礎を深く考えると、だんだん科学理論と言う内容はその論理性が無いことに気付く筈なんだが?結局『電荷』と言う自然界に存在しない物理概念量を仮想して構築したところに問題が有ったのだ。

マグネットの基礎研究

(2021/05/22)。マグネットの世界。

基礎研究とは不思議な意味だ。
これだけ科学技術の恩恵の中で生活している。長い伝統に支えられた電気技術の中で、磁気の意味は解っている筈なのだ。しかし、その理論は少し人が複雑に解釈し過ぎた概念で構築されたものだ。自然はそれ程複雑な意味ではないように思う。マグネットは日常生活にとても便利な生活用品となっている。

マグネット。
マグネットは科学理論での解釈には磁束がその基礎概念となっている。しかし自然はそんな磁束など持ち合わせていない。

マグネットの力。それは『エネルギー流』 -Axial energy flow-  の間の近接作用力だ。図の青い色で仮想した。


マグネットの特徴はその力の謎に隠されている。科学技術としてマグネットを捉えれば、S極と N極がありその二つの磁極の間にとても強い引力が働く。 それだけで利用できるから、技術的にはその原理など過去の法則で十分だ。という事で済まされる。磁極間の離隔距離 x と力 f の関係には興味を抱かない。しかし、本当に過去の法則通りかどうかを実験で確認してみようと思えば、それは「基礎研究」になる。おそらく法則通りの結果には成らないだろう。問題はその『力』の測定法がとても難しい筈だ。実験器具とその測定法(秤と仕組み)をどの様にするかがその結果に響く。なかなか思う通りの、実験結果が得られないかも知れない。元々磁束など自然界の無い上に、その概念では近付くとどのように変化するかの科学的論理はない筈だから。

磁束概念の否定。実験結果の予測をすれば、磁束の意味が分からなくなるだろう。間隔 x と力 f の間に磁束量が関わる結果はない筈だから。物理学教室におられる研究者がやる意味はある筈だ。それが基礎研究と言うものだろう。実験も無く申し訳ない記事です。

素敵だね基礎研究

基礎研究とは本当に見えない未来への志。
コロナウイルスのワクチン開発にこんな素敵な研究が有ったんだ。新潟日報の新聞記事で知った。とても難しい生物学の内容であるが、その基礎研究の意味を理解するには今まさに適時記事だ。

 

基礎研究体制が日本ではすでに消滅しているようだ。成果が求められる短期の研究費獲得競争の制度ではこのような事は期待できない。短期任用研究者の制度は最悪の政策的欠陥だ。未来はウイルスとの戦いの時代と言われている。

電荷Q[C]とは何だ❕

(2021/05/18) 。「電荷とは何か」と検索した。「受験物理ラボ」に筆者が指摘したかった電荷問題があった。参考にさせて頂く。

電荷の論理性 (2020/10/26)で取り上げた課題でもある。

『〈問題〉二つの電荷の帯電体があり、接触すると、電荷は幾らになるか。

〈回答〉二つに等しく分かれるから、

{4.0×10⁹ +(-6.0×10⁹) }/2 = -1.0×10⁹ [C]

の電荷量となる。』と言うような解説である。

電荷が自然界に実在すると言う科学認識に立てば、当然上のような問題が取り上げられてもおかしくない。それは科学常識の科学パラダイムであるとも言えよう。

ただ帯電体の形状と『電荷の保存則』に対して、どう理解すれば良いか少し疑義は在る。プラスの電荷とマイナスの電荷は相殺して消えてしまう事に成ると言うのも解る。もし、両電荷とも等量なら、

4.0×10⁹ +(-4.0×10⁹) = 0[C] 

と、ゼロ[C]になる。

ここで、この電荷概念の不可解な疑問が起きる。この世界で『実在』するものがその存在も無かった如く消え去るなど、『あの世の幽霊』の話としか考えられない。実在する物は光などの『エネルギー』から成り立つものである。コンデンサの電極に正と負の電荷が充電されたとする(実際は電荷などでなく、『エネルギー』の貯蔵であるが)。その電荷が合体して消滅したとする。その時ただ消滅するだけでなく、アーク放電などで火花として光の『エネルギー』が放射される筈である。それが技術の世界の現実である。

電荷Q[C]が空間に在ると科学パラダイム・物理学理論によって仮定する。

Q[C]とその周りの空間の物理学的状況をどの様に解釈するか?図は古い記事のものだ。

電界強度ベクトルE(r)[V/m]の空間点p(r)のエネルギー w(r) [J/m³]を認識する筈だ。それは電荷Q[C]がもたらした空間の『エネルギー』の筈だ。物理学理論でこの『エネルギー』を認識するか無視するかを確認してもらわなければならない。この程度の電気概念にきちんと解釈を示さなければ、物理学理論の教育的意義が無くなろう。この認識がマックスウエル電磁場方程式の『エネルギー』の解釈に繋がるのだ。電波が横波だ等と逃げてはいられない筈だ。電界も磁界も『エネルギー』に無関係では済まないのだ。

むすび。 電荷概念はそのエネルギーとの関係の論理的な収拾がつかないのではないか。電荷Q[C]が空間全体に無限遠方まで、『エネルギー』を伴う等となれば、理論の野放図な無責任論となる。市民が誰でも分かる理論である事が物理学理論に求められているのだ。教科書を書かれる方は、空間に表現する「電荷と電界とエネルギー」の関係を御理解されていると思う。曖昧な内容を教える事は子供たちに申し訳ない。教育機関及び関係者の課題である。

色が生まれる物理現象

(2021/05/15) 。世界は彩鮮やかだ。この地球に生きる世界は華やかな彩に満ちている。そんな美しい世界に物理学など絡めるのは誠に心苦しい。それでも未来を担う子供たちの為にも、伝えておかなければ成らない事がある。

彩と科学論。
色彩は光のエネルギーが醸し出す自然現象だ。自然現象の中で、光に関する科学論は物理学が担う学問的分野であろう。しかし日常生活の身の周りの光の不思議について、物理学は余り役に立たない自然世界認識論になっている。その原因は光のエネルギー空間像の認識が無いからであろう。

波と量子力学。
光は量子性と波動性を兼ね備えていると量子力学と言う科学理論で言う。とても難しいから深入りできない。今日改めて量子力学と検索した。2重スリットのお話の解説が出た。量子力学の不思議さを殊更解説して、その不思議な現象が有るからこそ量子力学が学問として貴重な分野である。と言わんがための専門領域の宣伝記事に思えた。その不思議を説こうとしない専門性の不思議に脱帽だ!学問的解釈では、日常生活で不図疑問に思う事に対して必要な易しい自然現象の解釈を示せないのだろうか。突然高く聳える絶壁で学問領域を権威の城壁に囲い込む。光の何たるかについて解き明かそうと言う学問研究の姿勢が見えないのが残念である。

薔薇、真赤なバラが咲いた。
何故薔薇の花弁が真赤な色になるのか。どの様に物理学は答えを示してくれるでしょうか。光を振動数で解釈している限り、真赤なバラの色の訳など理解はできなかろう。二重スリットの解説から、光がそこに示す現象の訳を考えた時、空間を伝播する光の実相を・空間像をどの様に捉えているのか。波の意味をどう解釈しているかで、その物理現象の捉え方が変ってこよう。その物理現象を理解するには色彩の生れる訳を知ることが必要だ。その意味で、色彩の訳を考えてみたくなった。景色が醸す彩はすべて同じ空間の光が基で、それぞれの色合いを演出する。それが自然の姿だ。不思議な世界だ。その意味を物理学で紐解いて欲しいのだ。

花虎の尾に揚羽。この揚羽蝶の彩はどのような物理現象によって解き放たれているか?そんな日常生活に触れる自然現象の意味を物理学理論に求めたいのだ。光の物理的実体を物理学ではどのように解釈しているか?花虎の尾の花弁の色は何故その色を醸し出しているか。何が原因でその色になるのか。全て特別の事ではなく、目の前の光が創り出す世界でしかない。目の前の光とはどんなものと物理学では認識しているか?振動数では自然の色の解説はできない。光は全てに平等なエネルギーを振り撒いている。その光のエネルギーをどの様に処理して放射するかがそれぞれの存在する自己主張・アイデンティティーであろう。自由と言う世界の姿を見せている。それが個性でもある。揚羽蝶の羽の彩模様は代表的な自然の極微模様と言っても良かろう。自由な羽の表面構造が創り出す光エネルギーの共振空洞現象の結果と認識する。

赤くはないが白い椿の花。白い光がある訳ではない。目の前の空間に満ちている光が花弁に入り込み、その花弁の表面の細胞空間内でのエネルギーの空間像の変換を経て、固有の光成分の集合体として放射現象に至る。その光の波長分布成分スペクトラムが白色を演出するのだ。その反射光を人の色覚と自然の関りとして白く捉える仕組みでしかなかろう。

白熱電球と言うランプ光。昔の穏やかな光の色。

光にはそれぞれ独特の色合いがある。電球はそのフィラメント等の物理現象でその特徴の色合いを出す。この放射光は少し赤み側の波長成分に中心波長が在るスペクトラムであろう。そのような光成分になる訳は、フィラメント内に入射する電気エネルギーがそのフィラメント空間に時間積分で増加し、ある程度の貯蔵限界に達するたびに外部に放射する。その周期が電球フィラメントのエネルギー放射周期となるからと解釈する。その周期が電球の色調を生むからと考える。

記事を書きながら、分からない事に突き当たる。その疑問を解くのに暫く考える。過去に解決した解釈と突き合わせて、考えを纏める。全く実験もなしに、解釈法を提起するその基は『エネルギー』に対する感覚しか頼りになるものは無い。白熱電球のエネルギー変換について中学2年生の学習課題がある。その意味も兼ねて、己にその解決を課した。その結果が上の図である。この白熱電球の発光の物理現象は電球の抵抗が等価的に√(Lr/Cr) [Ω]であるとの認識が基礎にある。全ての空間の『エネルギー』は空間の定数 C[F/m] L[H/m] あるいはεo[F/m] μo[H/m]に因った共鳴現象で伝播する縦波である。電気抵抗の技術単位オーム [Ω] も自然世界の現象との関係で理解するにはL C 機能で捉える必要がある。電気回路要素の『エネルギー』処理機能 (2020/04/12) 。図2.でその意味を捉えた。

 

 

 

 

(2021/06/20)追記。サイエンスコミュニケーションの機関誌を読みながら、科学理論の果たす役割は何かなと不図思いながらこの記事を読み直した。準備した絵図の掲載を忘れていたことに気付いた。年の性かな?

空間と色彩 自然の天然の色合いは言い様もなく美しい。昼光と言う光が平等に照らし、みんな違う色合いを奏でる。同じ光が創り出す世界なのだ。デジタルCD 板の模様もその空間構造が創り出す。同じ原理で世界の色彩は生まれる。模型で書けば上の空間のような仕組みと解釈できる。自然は極めて単純であるが故に、その姿は極微の美しさを生む。忘れていた図を載せた。

 Axial energy flow も軸対称の回転エネルギーの流れである。縦波とは言えないかも知れないが、エネルギーの流れである。その『速度』が光速度かどうかはいつか分かるか。今は不明。

電気抵抗の物理特性 (2019/11/17) がCL解釈の方向へのはじめか。

むすび。

光が特別のものでなく、その『エネルギー』の空間分布構造によって、無限の色彩模様を演出しているのだ。空間に実在する『エネルギー』の光速度の縦波伝播模様が世界の色彩を生み出しているのだ。専門の科学研究に進む前に、日常生活の身の回りの出来事に疑問を持ち続けて欲しい。光が『エネルギー』の空間の流れであることを知って欲しい。絵具もクレヨンもその成分の分子構造が光に対して『エネルギー』をそれぞれ特有の変換作用をして、光の分布構造を創り変える結果によって生み出された色彩なんだろう。たった一つの『エネルギー』の姿が光の色彩なんだ。揚羽蝶の羽根の極彩色も昼光が差し込み、その光のエネルギーが羽根の空間構造の中で変換されて、放射される光の空間分布エネルギー波の醸し出す造形である。光が空間の『エネルギー密度波』であると言う認識が無ければ理解できないと思う。人の視覚との関係で世界が繋がっている。

電荷間の力の矛盾論

(2021/05/09) 。電荷と電荷の間に力が生じると言う科学理論の矛盾。そんな解釈が何世紀にも亘って物理学世界の理論を主導してきた驚き。

電荷とは何か。
世界に電荷など存在しない。何故電荷が自然世界に存在するかの訳を物理学は示していない。

理論の電荷。

そこには2種類の電荷が定義されている。(+)と(-)と言う2種類である。それが空間にも物にも何時も欲しいと思えば、直ちに限りなく理論的に存在する事に成っているようだ。厳密な物理学理論で、その電荷の空間像が如何なるものかは確定していないようだ。空間に実在するという事は、必ず空間に占有する体積を占める筈だ。実在とは体積を占める条件を伴う。そこで空想によって、その像を上の図のように仮想してみた。(+)と(-)の記号で分けた。種類が異なるという事はどの様な空間的違いを備えているべきかと仮想して描いた。何処かコロナウイルス的な想念が含まれるかも知れないと顰蹙を買う恐れもある。お笑い頂いて結構な、厳密性や論理性が微塵もない空想図で御座います。専門家から定義に相応しい電荷概念の空間像をお示し頂ければ幸甚である。相手の電荷の認識を自然はどのようにするかが示されて初めて、2種類の電荷間の関係が論議の対象となると考える。その点で、触手を伸ばし、空間に雰囲気を醸し出し、何とか相手の素性を感知しようとの思惑で表現してみた。科学的な意味は全くないことをお断りさせて頂く。

力とは何か。
そんな事まで問わなければならない程、物理学理論が専門家業界の業界解釈に創り上げられているのだ。力の論理性さえ曖昧な解釈で虚飾されている。電荷間に力が生じるという前提が理論の根幹をなしている。異種電荷間には引力が働くと言う。引力の原因は、先ず互いに相手の電荷の素性を確認出来ることが条件となろう。目で見るあるいは匂いで確かめる訳では無かろうから、接触すること以外困難であろう。そんな意味も含めての空想上の図である。ただ(+)と(-)の電荷と言うだけの条件では、その間に力が生じると言う必然的な意味は全く含意されていない。そんなところから理論には権威的な強制が支配していることが多いようだ。科学理論でさえ、論理的とは言えない実態に冒されている。引力あるいは反発力は必ず相手の素性を知る事によって、はじめて生じるものである。相手が何物かを認識できずには、自然現象は関係性を発生しない仕組みの筈だ。

クーロンの法則の力概念矛盾。
何故気付かないのか?身の周りの自然世界と関りを持てば、そこには科学理論で解釈できる事象がどれ程あるだろうか。科学理論はそれぞれの専門的分野においての科学論的解釈の評価法による狭い領域に特化した解釈法であるように思える。この地球の現在の姿を、ここまでの長い何十億年もの歴史を経て辿り着いた結果として観たとき、どの様に思うか。太陽が送り届けた光の『エネルギー』がここまでの地球に育てた結果だと思うのはあくまでも個人的な感覚による解釈である。地下深くの石油資源や届かない深くの地下資源も必ず太陽の恩恵で蓄積されたものである。電気制御技術、情報技術が身の周りの生活環境を支配している。そこには独特の科学技術理論が専門領域の特化した姿で日常生活を支配している。電荷とその関係のクーロンの法則が科学理論の世界解釈の根幹を成して、全ての人の科学常識となっている。元素、原子構造もその電荷で解釈されている。自然世界の科学的認識には、その電荷が必ず必要となっている。しかし、自然は光のエネルギー一つがあれば、それが花も虫も水素も水も塩もベンゼン核も全てを創り上げる素原となる。自然は電荷など少しも必要としない。マグネットの結合力とその原理は何だろうか。それもエネルギー一つで賄える。軸性エネルギー流がマグネット結合の原因だ。原子周期の8も原子表面の8面磁極で解釈できる。電子周回運動の結合不可解は解消でき、目が回る論理的結合不可解論は消せるはずだ。原子・分子の結合力と周回軌道電子論の矛盾 (2018/01/09)。人が電荷間の力を解釈するのでなく、自然が結合の関係を決めるのだ。誠に申し訳なきことながら、文学的科学論になってしまった。電荷が相手の電荷をどの様に認識するかを科学理論でなく、自然の心に沿って考えれば分かると思う。

まとめ。
電磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03) を結合力の意味として挙げる。

 

中学生への応援電気回路論

(2021/04/30) 。一緒に新しい世界への扉を開けよう。
誤謬に満ちた科学理論の真相を知ろう。その根源は『電子論』に在る。未来は君たち若者が担っている。学習の楽しさを学ぼう。『楽しい不思議がいっぱいの自然』だから、汲めども尽きぬ宝の山だ。

白熱電球のエネルギー変換が中学2年生の学習課題になっている事を知った。自然の優しいそして深い不思議の宝物を探しに行こう。少し手助けしたい。


懐中電灯の電気回路だ。一番易しい基本の電気回路だろう。電池と電球をスイッチS と電線でつないだ回路だ。学習内容はこの回路で、白熱電球のエネルギー変換の意味を理解することが目標らしい。

しかし、その白熱電球の【エネルギー変換】と言う電気現象を理解するという事は途轍もない物理的意味を理解しなければならないのだ。その『物理的意味』と言う内容は、残念ながら物理学理論できちんと解説できる状態にまで、自然現象を認識できていないのだ。自然現象は本当は易しい意味にも拘らず、構築された科学理論では、複雑な捉え方をするように概念・定義を決めているから、本当の自然現象の理解に到達していないのが現状だ。若い皆さんは回り道をしないで、自然に素直に向き合う事によって複雑な概念など知らなくても納得できる解釈に到達できる筈なのだ。その為の話でお手伝いをしたい。

最大の物理学理論の欠陥。それは空間に在る『エネルギー』を認識していない事だ。巷の解説で、『エネルギー』とは?と問えば、「仕事をする能力」などと説明されている。仕事をする能力等と言われても理解できますか?『光』とはどの様なものでしょう。身の周りにあふれて、景色や文字や自然の世界の花や虫の姿を見せてくれる物理量、それがその『光』だ。それは空間を光速度で流れる『エネルギー』なのだ。その人に景色を見せる能力をもって、光の仕事をする能力と解釈するのかも知れないが、そんな意味で仕事とは言わなくて良かろう。光のエネルギーの流れで景色を認識できると言う、日常の『エネルギー』の世界を知って、まず基本的認識にそのことを感じて欲しい。光の姿がどんな物かは知らなくても今は良い。何で光の話をしたかと言えば、電気現象は、電線路で囲まれた空間を流れる光のエネルギーの現象だから。

上の図の電気回路の動作原理を考えよう。回路は3つの部分に分けられる。電池、電線路そして電球の3つである。それらがどの様な電気現象の機能を果たしているのか。結論を言えば、それはすべて『エネルギー』に関わる機能である。

『エネルギー』とは何か。

この最も自然界の基本である『エネルギー』の意味が、現代物理学理論では捉え切れていないのだ。身の周りに溢れている『エネルギー』の空間像が分かっていないのだ。存在もしない『電子』を仮想的に概念として設定し、それを電気現象を解釈する基本素子として定義し、それに因って理論を構築してきたのだ。残念ながら教育がその『電子』によって電気現象を解釈する伝統的論法で成されているのだ。『電子』などでは結局いつまでたっても論理性で納得できない迷い道を歩くことになるのだ。もっと簡単に、『エネルギー』の意味を感覚的に捉えられれば、すべての電気現象が分かりやすくなる筈だ。そこから電気の技術法則の意味が自然現象との関係で分かるのだ。

電池とは何か。

電池とは『エネルギー』を貯えた電気製品だ。その電池の中にどのような『エネルギー』を貯えているのか。この『エネルギー』がどの様なものかを現代物理学理論では認識できていないのだ。その『エネルギー』の解説が出来ないのだ。決して『電子』はその『エネルギー』の運搬の役割など担えない。『電荷』も『電子』もこの自然世界には無いのだ。だから、その解釈は若い未来の皆さんの解釈に掛かっているのだ。

乾電池のエネルギーが行方不明 (2021/05/01)。電子でエネルギーは運べない。

電線路の役割。

電線路は最低二本の導線で囲まれた空間が必要だ。電池のエネルギー(光と同じエネルギー)を負荷(電球など)に届ける伝送空間を構成する機能設備だ。

電球の機能。

電線路空間を伝送された電池のエネルギーを電球のフィラメント内に貯蔵して、高エネルギー密度の高温度空間とする。その空間の飽和エネルギーが光のエネルギーに変換されて空間に放射される。白熱電球は電池のエネルギーを只光に変換する機能技術製品である。電子などは無用である。

乾電池と花一匁 (2021/01/13) 。