(2021/04/06) 量子力学理論は理解困難だ。
『電子』と原子構造。本当のところ、自然界に存在もしない『電荷』の話を取り上げたくはない。多くの科学者の反感と無視と蔑みを覚悟しながら取り上げたくはない。しかし教科書が科学理論の基礎岩盤概念として、『電荷』中心に解釈論を展開し、子供たちに教育している。その教育の間違いをどう質すべきかが緊急の課題でもある。儚い無駄とは思いながら、科学パラダイムを取り壊すには当然の事として取り上げざるを得ない。
現在の科学理論の根源的基礎をなすのが原子構造論だ。その構造は図のように示されよう。全ての原子は中心の核の周りを電子が周回している構造体として解釈されている。電子殻の電子周回軌道がどの様な球面軌道かは分からないが、一般の表記は平面図で示される。原子の結合、分子構造は平面的ではないから、原子の球面像が然るべき姿と考えるが何方もあまり問題にはしないようだ。ただ太陽系のように、星座の星軌道のように平面として理論が成り立っているとされているのかも知れない。この構造で、電子のエネルギーとの関係から、光放射の原理や自由電子の意味を取り上げて、電子による原子構造の非論理性や矛盾を指摘したい。力不足の文学論に成るだろうが。原子論を問題にする事等、決して誰も論じないだろうから。
さて、誰も科学者はその構造に対して異論を唱えない。本当にそれで納得しているのか?決して心から納得している訳ではなかろう。『電子』の空間像など考える暇は無いと言うのが実情であろう。専門の研究に心血を注いで日々を送っているから。しかし、子供たちに教えるべき教育内容の事柄は、ただ覚えるだけの過去の科学パラダイムに固執していて良いものだろうか。そこに論理的矛盾や虚飾的な権威論が有ってはならない筈だ。そんな意味で電子にまつわる『エネルギー』の姿、物理的概念と解釈手法を取り上げて、問題点を指摘したい。
電子とはどの様な実体か?電荷と質量から成ると定義する、その空間構造を示せるか。電荷とはどの様なエネルギーで捉え得るのか。世界に存在する物に『エネルギー』に関わりない物は無い。質量は mc^2[J] なる解釈で捉え得る。しかし、その質量の解釈の真意がどの様であるかは極めて曖昧である。自然世界に存在する物は、必ず空間的体積を占有する。物理学的理論が抽象論であっては破綻する。必ずその空間に実在する具体像を示さなければならない。『電荷』と『質量』の合体空間構造とはどの様な論理性で説得できるのか。そんな油と水を混ぜ合わせるような合体構造は自然空間では存在し得ない仮想概念である。『電子』は、その質量の運動エネルギーしか保有する特性は持ち合わせていない物理的解釈論である。その速度の変化として捉える以外『エネルギー』の解釈法はない筈だ。原子周回電子はその軌道が速度によって決まる解釈法である。
物性論と自由電子。
電子は必ず原子構造の中しかその存在は定義されていない。電子が空間に存在するには、原子から解き放たれる以外は自然界に存在しない原則と理解している。他に勝手に空間に自由に大量の負電荷の粒子があるとは教科書には示されていない。電気回路などではことの外、簡単に正と負の電荷が無限に存在するかの如く、原子とは無関係に解釈されている。「雷」の解釈なども負の電荷が必ずしも「電子」と認識している訳でもなく、正の電荷がどの様な「原子イオン」であるかも全く意に介さずに論じられる。そこでは、ただ『正の電荷』と『負の電荷』だけで論理が成り立つ。とても自由な気分で解釈されているようだ。それぞれの解釈手法が専門家ごとに異なるのは科学理論の特徴的な実状の姿だ。だから、原子から『電子』が解き放たれて、自由電子になって原子結合空間に漂うと理解するには、どの様な物理的原理に因るか、その詳細を理解しなければならない筈だ。余談ではあるが、先日NHKの番組で、原子と周回電子の関係をグラウンドを例に取り上げて解説していた。ピッチャーの位置が原子核で電子の周回軌道は観客席の位置に当たるというような解説であった。それ程離れた位置関係で解釈される電荷同士のクーロン力での原子構造結合論が真理として公共放送で取り上げられるとは不思議の極みだ。教育効果が絶大だからその責任は大きい。『電荷』とは何かと認識できているのか?と疑わざるを得ない。さて、電子がどの様な原理で原子から解き放たれるのか。何故電子が原子核の周りを回らなければならない事に成っているのか?自由電子は如何程の『エネルギー』を保有しているのか。その速度は如何程か?速度は直線的でも原子空間に矛盾はないと説明できるのか?原子構造の間の空間でどのような速度を保ち得るのか、そのような自由電子は如何程の『エネルギー』を保有していて、それをどのような機能によって放出する事に成るのか?その時の『電荷』の機能はどう働くのか?その論理的説明は可能か?自由電子となる前と変わりない『エネルギー』を保有している事に成っているのか?具体的理屈が自由電子の空間での機能として求められる。電気回路の金属内に『電子』が存在し得る訳が無いのだが、教科書は違う。茫洋とした曖昧さで論説される教科書の理論であってはいけない。
原子からの光放射論の意味を問う。
もう一つの論点は量子力学として現代物理学理論の根幹を成すものだ。原子からの光放射を解釈する理論だ。その原理には電子の周回軌道の運動が基礎に据えられている。白熱電球の発光現象もタングステン原子の周回軌道の電子によると言う解釈だろうか。蛍光灯の発光現象は水銀蒸気の放射紫外線が蛍光物質の分子を励起し、その電子軌道の変換により電子のエネルギー差分を光として放射すると解釈されている。さて、ここで原子からの光放射は、原子の軌道電子の運動エネルギーが光のエネルギーに変換されるという解釈である事にその原理は採られている。
それでは電子が周回軌道を変える原因となるものは何だと解釈するのか。さらに、電子が速度を変えることによって、何故光のエネルギーとして電子から放射されると解釈できるのか。
電子が原子の周回軌道を回りながら、下の軌道に落ちるとき光を放射すると教科書で解説される。その原理は電子の速度エネルギーの差分を放出する意味と解釈せざるを得ない。そもそも電子、その構成が「質量と電荷」の混合体と言う事らしいから、空想でもなかなか描けないもどかしさがある。空間の物理的実在粒子・電子が電荷と質量の混合体と言う定義をどの様に捉えたらよいか、その実態を認識できずに困惑にある。専門家はとても優れた頭脳によって、筆者のような電気回路現象しか分からない、原子論の素人にとっては理解し得ない理論を構築成される。ご指導を乞いたいものだ。
レントゲン検査の技術理論とその原理について確認したいと思った。『熱電子』が登場し、原子構造論が解説される。再び真空管の『熱電子』の意味を電気回路動作から考え直さなければと思った。『熱電子』の物理的概念の不可解さを。『熱電子』とは単なる「熱エネルギー」の流れでしかないだろうと。『電荷』などそこには不要だから。この辺の事はまた宿題としたい。
レントゲン検査の原理を調べると、原子の周回電子論がその解説の基に成って論じられている。そんな教科書的解説が溢れている現状で、未来の教育が良い筈はない。何も考えない古い知識を踏襲するだけの理科教育は未来につながらない。科学者すべてが考えるべき問題だ。専門分野の研究だけで済ませられる時代ではない筈だ。周回軌道電子の速度がどの様な原因で減速し、その減速によって何故光の放射になると言えるのか。その意味を上の図にしました。
その発光現象には多くの軌道電子の内、特定の電子が減速する訳は何だろうか。電子が原子空間の中で、摩擦ブレーキでも受けてその熱エネルギーを光として放射するとでも言うのだろうか。電子の運動エネルギーが光エネルギーに変換される原理・訳が全く理解できない。電子の運動を何が止めるのか?そこには、光のエネルギーとはどの様なものかと言う疑問に答えなければならない、初めの前提が関わる。電子の運動エネルギーと光のエネルギーで、『エネルギー』に違いは無いことを知らなければならない。光のエネルギーは光量子の運動エネルギーじゃない。プランク定数との関係で解釈、評価できる空間像は有り得ない。
光の振動数とは?
振動数γ[Hz]によって認識しようとしても、それでは光のエネルギーを理解できない筈だ。例え電子の存在を認めたとしても、電子一つの放射するエネルギー量はプランク定数によって評価するエネルギー量には成り得ないから。プランク定数で評価するエネルギー量は光の強さが強かろうと弱かろうと、その表現する意味のエネルギー量は同じ量に成るから。そんな『エネルギー』がある訳はない。完全な論理矛盾だ。即ちプランクの表式はエネルギー量を評価できない概念なのである。プランク定数による評価式の『エネルギー』は光の単一の波長成分の作用性を評価する概念でしかなく、『エネルギー』量の評価はできないのだ。光は空間を伝播する『エネルギー』の空間分布の縦波なのだ。この認識をすべての人が理解しなければ、物理学の未来はない。残念ながら、この光の空間エネルギー分布の概念は物理学概念には無い。理科教育でも教えていない。それは空間分布のエネルギーを計測できない科学論の限界の問題でもある。だから現在の科学理論の実験的検証を前提とした限りは無理かもしれない。そこには哲学的な論理性を極める考え方が必要になる。そこには自然と科学理論との間の統合性が求められる。光の『振動数』とは何か?に答えなければならない。
光の空間像。それは『エネルギー』の縦波伝播現象である。
まとめ。空間の『エネルギー』の流れを認識する事に、考える理科教育の未来が掛かっている。光の正体 (2018/01/25)。