日本犯罪行政国家

何故『クラシックエディター』でないのか?『ブロックエディター』は止めたい。

(2021/04/08) 追記。後から気付くことばかりだ。昭和46 (1971) 年4月、産業教育中央振興会の研究助成を受ける事に成った。下記にも記したが、1944年10月から無届で、東京工業大学、宮入・片岡研究室での半年間の研修を受けた。1945年度はその研修で学んだ「パワーエレクトロニクス」の基礎の研究・実験で夜遅くまで実験室で過ごした。ダイオードの整流回路の理解の為に。そこで変圧器の直流偏磁現象の起こる訳を理解した。電気回路には、電気理論の学習では理解できない事が実際の技術を実験で感覚的に身に付けなければ成らないことを学んだ。その為か、昭和46(1971)年4月末にとうとう『A型急性肝炎(この原因?邪魔な人材で、3月頃コーヒーにネズミの糞でも入れられたか?)』で黄疸を発症し、3か月間の入院となった。思い出した事・その不可解な事。それは、入院して職場を休んだ。しかし「病欠届」をどこにも出したことはない。提出を求められもしなかった。考えてみれば、その前にも、事故(湯たんぽの加熱爆発で、上半身と顔面の火傷を負った)で4月末に1月以上入院して、休んだ。しかしその時も「病欠届」のような「休暇届」を提出もせず、事務局からの要求も無かった。考えればすべて、新潟県教育委員会には採用もされていなかったから、幽霊人材扱いだったとしか考えられない。これは人権侵害・存在無視行政ではないのか?病気休暇中の給与が銀行振り込みでないからどの様に支給されたか不可解だ。新津から現金が汽車に乗って長岡まで送られる訳はない❓考えれば職歴は初めから無かった事になる様だ。原子構造と光放射現象など意味が無いご時世かも。

(2021/04/05)追記。理解の限界を超え (2021/02/01)。にも述べた。昭和44年10月からの6月間の東京工業大学、電気工学科の研究室での『内地留学』は全くの無届であった。新潟県教育委員会にも、新津工業高等学校にも何も『内地留学許可申請書』などを全く提出していなかった。それ程無知の自分であった。当然新潟県に採用されたなどと言う意識も無かったし、そのような採用の決まりがある事さえも知らなかった。採用事務を受けた経験も機会も無かったから。昨年新津工業高等学校に『内地留学』の件を尋ねた。そんな履歴は何も無いというご返事であった。何故そのような無届での職場放棄が『処分』されないで過ごされたのか。しかもその時の学校長が『勇退』という事で辞められたらしい。その後に県教育委員会から源川管理(課長・主事?)が赴任されてきた。全く不可解なことなれば、そんな行政が罷り通ること自体が信じられない異常なことである。

更に昨年、公立学校共済組合本部に尋ねた。その時、厚労省発行の『年金番号』を聞かれ、答えたらその番号は存在しないと言われた。確認のため、長岡市発行の『ナンバーカード』の写しを添えて、文書での共済組合登録の有無をお尋ねしたが回答頂けなかった。今でも時々、闇の声⦅戻って来い⦆?と聞こえる。そんな人権侵害状態で、何処の闇の幽霊機関に行けるところがあるのだろうか。以上(2021/04/05)追記。

 

今(11時10分)も、この記事の関係か?飛行機が上空で音を立てていった。

(2021/04/01) ずーと気掛かりであった。

『柏崎』と言う声が聞こえていた。

眞坂と思うような事❓

昭和62(1987)年5月の連休が過ぎたころ。長岡技術科学大学、電気系の研究棟(パワー研)の廊下で、奇妙なことを尋ねられた。難波江教授から“柏崎に行ってきたか?”と聞かれた。更に奇妙に思う事は、その当時韓国から研究生が留学で研究室に来ていた。多分同じ日だと思うが、その留学生からも難波江教授と同じことを聞かれた。確かに妻と柏崎の米山の観光地に行って来たので“そうだ”と答えた。

眞坂という意味は筆者を『泥棒』に仕立てたのではなかろうと言う疑念が強くなってきた。その月には、「学長選挙」があり、新聞などでも事件扱いされた。

投稿が消されるようなので、『このブロックには、想定されていない無効なコンテンツが含まれています。』と記されているから、公開しながら追記する。

今まで、気味が悪かったが、確認する術もなく、相談する者もいない闇の中に居た。実は、2013年頃の話であるが、筆者を『ある者(肝臓機能障害に因るアンモニア脳症の病気に因り意識がなくなる時期)』の取り調べのために連れて来い。と言う長岡検察庁、佐藤 副検事の通知が届いた。何故筆者を指定したのか今に成れば極めて不適切な検察庁の行政手法だ。筆者の無知を良いことに、筆者が長岡検察庁の二階に呼ばれ、そこで佐藤副検事が筆者に何か訳の分からないことを話し、こちらは『ある者』の事と思っていたが、今考えれば、無関係の筆者を拘束して話すこと自体が行政犯罪だ。しかも冒しなことに、『ある者』が言うには、後で二階に行って同じく佐藤副検事の話を聞いたが、何の話か全く意味が無かった。と言っていた。筆者を犯人に仕立てた法務省の行政犯罪だ。

この検察庁事件の基は長岡警察署の若井刑事が関わっていた。無理やりに筆者の写真を撮って、犯人に仕立てた。恐ろしいことが成されている。

元を糺せば、新潟県教育委員会に正式に採用されていない、公立学校共済組合に登録されていない筆者が、昭和54(1979)年文部省の『工業高等学校教員指導者講習会』に、登録されて参加する筋が見えない。しかも7日間、東京工業大学での講習を受けるとは?

昭和60(19859)年4月からの「中曽根教育審議会」の対象候補に選ばれるのは、排除・抹殺の意味しか見えない。

(2021/04/01) ずーと気掛かりがあった。

『柏崎』と言う声が聞こえていた。
眞坂それは❓昭和62年春、5月の連休過ぎの或る日に冒しな事を尋ねられた。長岡技術科学大学の電気系の研究棟の廊下であった。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください