電荷と科学リテラシー

(2021/02/08)。科学理論と科学技術の間の断裂に対する公開質問。

時代は限りなく進む。5Gなる高度情報社会に向かって、人が知り得ない程社会の真相が不可解な世界に突入してゆく。そこに展開される科学技術は人類をどこに向わせようとしているかさえ予測不可能な事態をきたしている。少し前に成るが、次のような報告もある。その意味を踏まえて質問を提起したい。技術概念の『電圧』、『電流』あるいは理論の概念『電子』『電荷』とは何かを。

「提言  これからの高校理科教育のあり方  平成28年2月8日 日本学術会議 科学者委員会・科学と社会委員会合同 広報・科学力増進分科会」での提言の記事の 1 はじめに の部分から抜粋させて頂きました。

それは、2008年9月に報告書『21世紀を豊かに生きるための「科学技術の智」』として公表されたものです。この指摘の意義を踏まえて、科学理論の根源的概念『電荷』を科学リテラシーと言う観点から捉えてみたい。

『電荷は存在するか』と検索しても、『電荷』を否定する記事は殆どない。電気回路現象では、『電子』が導線内を流れると解釈され、その負の『電荷』が基礎となっている。あらゆる現象で、何処にでも在るのが『電荷』で、理論の解釈の基礎概念として容易く登場する。何度も同じことで誠に恐縮であるが、再度『電荷』の否定の具体例を提示して論じたい。それは誰もが考え易い基礎的問題の例題を取り上げて、その中での科学的常識としての『電荷』の取り扱い、解釈の仕方について議論を提起したい。

これは、平成27年(2015年)7月29日 日本学術会議 電気電子工学委員会 電気電子工学分野の参照基準検討分科会 から報告された

『大学教育の分野別質保証のための 教育課程編成上の参照基準 電気電子工学分野』

をも参照しての問題提起でもある。

設問:『電気回路のコンデンサは何を貯蔵するか?』

こんな大学入試問題を出したら、どんな答えが正解に成るだろうか。

『エネルギー』か『電荷』かどちらが正解とされるか。

具体例①。

 

右図のような、直流電源にコンデンサを繋ぐ場合の現象を取り上げる。『電荷』とは何か?『電圧』とは何か?を論じたい。

『電荷』貯蔵論。この電気回路でスイッチSを入れた時コンデンサには突入電流が流れ込み、プラス側に正の『電荷』、マイナス側に負の『電荷』が貯まる。と言う解釈が教科書の解説と考えられる。それが『電荷』を基礎概念とした現代の『科学パラダイム』だから当然だ。さて、この『電荷』は何処から来たものか。独立した『電荷』だけが自由にその辺りに在る訳ではなかろう。この自然世界で、原子の構成要素の基礎として、核の陽子の正電荷と周回電子の負電荷として存在している事に成っている。それ以外に『電荷』の存在する場所はない筈だ。単にプラスとマイナスの『電荷』が存在する訳ではない。『電子』と『陽子』に『電荷』は付帯して存在するのみの筈だ。その『電荷』がコンデンサの正、負電極に分離して集合するとしか、『電荷』論の意味を理解する道はない。従って、正の『電荷』とは正イオンしかなかろう。銅金属なら銅イオンとなる。電子の抜けた銅イオンしか正の『電荷』の機能を発揮する物には成り得ない。という事は正の電極版の銅金属から『電子』を剥ぎ取って、負極側の電極版に集めること以外不可能だ。この辺の解釈はとても理解しかねる事である。正電極銅板から『電子』を剥ぎ取って、電源内を通過してようやく負電極版に集める以外方法が見当たらない。しかし科学理論の現代パラダイムからは当然の『電荷』論でもあるのだろう。この意味での『電荷』の貯蔵について、本当に物理学の大学教育をなされておられる方々は少しも矛盾を感じられないのかと不思議なのだ。正電極版の銅原子から『電子』を剥ぎ取る理論的原因をどの様なものと解釈されるのか。その銅原子にどんな電気的力が働くと考えるのか。銅原子イオン以外の正の『電荷』の解釈が他に在るならそれをお示しいただきたい。

負電極側の『電子』の集合について。負の『電荷』は『電子』以外はない筈だ。専門的な高度の理論に、素粒子論がある。原子構造はじめ『電子』は質量と負の電荷を保有したレプトンと言われているようだ。その『電子』が質量を具備しているとなれば、その『電子』を移動させるには力学理論の『力』が必要の筈だ。上の電源とコンデンサの接続回路で、『電子』をどのような力の原理で、負の電極側に集められるのか?この辺の根本的な科学理論は、本当の現代物理学の専門家の解説でないと手に負えない高度な論と思う。極めて日常生活の場での卑近な電気回路現象であるが、そこに科学論としての論理性を求めると、とても難しいものである。こんなところに、科学理論の本質が隠されているように思う。クーロンの法則に反して、負電極版に負の『電荷』だけの『電子』を集められる訳はどのような原理に因るのだろうか?ここのコンデンサでは『電荷』間の排力と言うクーロンの法則の原理は無視して、どんなに『電子』同士が密接しても、どの程度の力が掛かるかを考えなくても良いのだろうか?誠に都合が良すぎると思うのだが如何のものか?専門家にお答えいただきたい。

理論の『電圧』とその計測技術量。

『電圧』は電圧計で測る。それが科学技術の真骨頂でもある。理論と技術の関係でもある。電圧計を回路につないで測る時、何を、どの様な物理量を計ると意識しているだろうか。『電圧』とは何か?電気回路の現象を理解しようとすれば、『電圧』と『電流』で考える。それはとても考え易くて便利な解釈法を確立した「オームの法則」として現代社会の電気技術文化となっている。それらは電圧計、電流計で計測できる技術概念量である。しかし電気現象はすべて電線導体で構成された空間を光速度で伝送される『エネルギー』の流れなのである。自然現象はすべて『エネルギー』の縦波あるいは軸性回転流の現象なのである。『電圧』もその『エネルギー』の流れる空間の規模を捉えた科学技術の技術量なのである。それを理解するには『電圧計』の内部構造をよく知り、何をどんな原理で計測しているかを理解しなければならない。単純に『電圧計』の内部構造を表せば、図に示したように抵抗とコイルの直列回路でしかないのだ。何故『電圧』と言う技術量が測れるかと言えば、コイルの中の『エネルギー』の貯蔵量と磁石の針(本当はNとSの磁石内の可動コイルの磁界なのだが、磁針で表現した)との間に生じる近接作用力が『電圧』と言う評価量の表示の秤の力になるからである。冒頭に示した提言の中での、「市民と技術現場との隔たり云々」だけでなく「物理学理論」と「科学技術理論」との間における隔たりを理解する一つの例となるのが『電圧』でもあろう。『電圧』が『電荷』との関係で解説される現代物理学理論の矛盾をその根本原理でどう捉え、どのように世界の人が理解するかが今問われている問題であると思う。『電荷』は自然世界には存在しないのだ。科学技術概念での理論を解釈しやすい方法として、その基礎概念に『電荷』を創造し、据えたのだ。残念ながら、原子構造も『電荷』での理論は一つの解釈法でしかなく、『電荷』での理論には矛盾がある筈だ。

具体例②。

直流電圧だけでなく、交流回路の中での『電荷』の意味も考えてみよう。交流回路では変圧器が電力技術の大きな基幹要素となっている。変圧器の基本動作原理は⦅ファラディーの法則⦆である。コイルの中を通る磁束量φ[Wb]がその動作原理の基礎概念である。磁束の時間微分とコイル巻き数の積で『電圧』が決まる。その負荷にコンデンサを繋いだ。コンデンサは何を貯蔵するか?

『電荷』貯蔵論。

直流電源と異なり、交流回路現象での『電荷』論は更に解釈に困難が伴いそうだ。しかし、交流であっても『電圧』に対する原因を『電荷』以外に求めようとしても難しい。現在の科学パラダイムの立場で論じようとする限り。変圧器の二次巻き線コイル内から『電荷』のプラスとマイナスを発生させる原因を解き示すことが出来るかという事に成る。とても巻線の中に『電荷』分離発生の原理を見つけ出すことは困難であろう。それでは交流の場合の『電圧』の原因は『電荷』でないとして、どの様な意味と解釈出来るかとなる。この交流電圧に対して『電荷』論は無理と考えざるを得ないのではなかろうか。コンデンサは何を貯蔵するのか?『電圧』が交流であろうと直流であろうと、その意味の本質は同じでなければならないのだ。

『解答』。コンデンサは『エネルギー』を貯蔵する機能素子である。決して『電荷』などを貯蔵するものではないのだ。

『電圧』とは。

電源に繋がれた回路はその電源端子に対してすべて負荷なのである。ただ電線が張られただけでもそれは負荷となるのだ。電線は必ず静電容量、即ちコンデンサの負荷である。『電圧』とは電源の『エネルギー』供給能力を示す指標とも見做せよう。電源の能力が『電圧』の値を決めるのだ。1.5[V]の乾電池電圧。それは電線路の負荷に対する供給『エネルギー』の能力から決まる値として『電圧』が決まるのだ。

v = (W/C)^1/2^ [V=(J/F)^1/2^]

が電圧の物理的意味なのである。

電圧の次元が (J/F)^1/2^ である訳は、空間の静電容量の次元 [F] の意味を哲学的に捉えることによって、少し分かるのかも知れない。『エネルギー』との意味を如何に捉えるかであろう。

懐中電灯の特性 (2021/01/25) 。『電圧』という意味 (2020/07/04) および電圧とエネルギー (2020/07/10) 。コイルの電圧時間積分と角周波数ω (2016/03/21)。雷の正体 (2012/11/13) 。

電荷と科学リテラシー という表題で論じた。科学リテラシーとは、科学に関する特別の専門的研究を仕事としておられる方々の科学論の常識と捉えられる基礎的知識を、専門的には素人の一般市民が共通理解をするに必要な科学的基礎を共有することが必要だ。という意味かと思う。その意味で言えば、『電荷』程共通に基礎知識として共有してなければならない物理概念はないだろう。しかし、その過去からの長い科学論の基礎として歴史的に確立された基礎概念『電荷』が筆者には、この自然世界に存在するとは理解できないのだ。現代科学パラダイムが信じられないのだ。科学理論をどう捉え、学校教育で如何に理科教育を構築すべきかの瀬戸際に在ると考える。教育機関及び教育者の社会的課題だと考える。

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