(1)電気・磁気とエネルギー
(2)電気回路現象とエネルギー
(3)物理・数学・科学論
(4)自然と災害と哲学
(5)光と視界
(6)社会と教育
(4/8) 電気技術は 女神の・・
(5/10) 何故非公開に成るか?
(6/23) 戦後75年の不可解
(7/1) 言葉とその意味(日本国憲法に観る)
(7/13) 父と相撲と長岡市
(7/22) 教育の政治的中立性
(8/19) 敦賀駅前から満天の星空の下
(9/3) 政治と教育
(9/6) 科学論の土俵は
(9/6) 教育とオームの法則
(9/12) Why does the update stop at 30%?
(9/12) 給与の現金渡額?
(9/15) 新電磁気学の事始め
(10/10) 学問の自由とは
(11/11) 戦争と戦後
(11/14) 自由と平和は尊い
(11/21) 新潟県道への分筆の『法』?
(11/25) 理解の限界 削除された記事。関連記事、理解の限界を超え
(12/9) アップデート30%停止遮断の怪!
(12/13) 物理学理論の社会的責任を問う
(12/29) PCのプロダクトキーとは?
2011年3月11日 東日本大災害が発生した。それは地球の自然活動によっておこる人が制御出来ない、避けることの出来ない災害だ。特に海底を源として起きる津波は想像を絶する災害をもたらす。人は地球の命の上に生き、その恩恵の上にしか生きられない。海の幸が人を豊かにし、喜びの糧を与えてもくれる。海と共に生きる、それが生活でもある。
海は恐ろしい牙をむくこともある。避けることの出来ない津波災害が起きる。それでもそれは地球の自然の姿と、覚悟を持って海と共に生きなければならない。
福島第一原子力発電所の崩壊事故に遭遇した。決して有ってはならない人間が起こした悲惨な災害である。想定外と言う責任逃れの人間の起こした災害であり、許されない事件である。人は自然災害に合う事は有りうる。しかし原子力発電所の事故は、人が住む権利を奪う人権の否定を前提とした事件である。
柏崎刈羽原発は世界最大容量の発電だ。『避難訓練』と言う許されない事件を想定した行為が如何にも当然のごとくに執り行われる不可解な集団訓練。そんな避難をしなければならない危険な科学技術が人の権利を奪う町中にある事が許される筈はないのだ。傍の住人は原発事故で、そこの生活を奪われても良いと覚悟をして避難訓練を受け入れるのか。その覚悟を住人は持って原子力発電所の運転を認めているのか。一人一人にその覚悟を聞きたい。
原子力発電所は人が制御して、安全に運転できる保証などどこにも無いことを知るべきだ。本当にちょっとした過ちがとんでもない原発崩壊事故につながる可能性を含んでいる。次の事故が何処に起きるか全くわからず、一瞬の偶然が原子力発電崩壊の原因となるのだ。その事を認めたうえで、原子力発電所の稼働を許容するのか?
福島第一原発事故の事後処理の目途も立たない現実に目をつむって、またその避けられない危険を住民は受け入れるのか。『カーボンニュートラル』と言う政策で、地球温暖化は決して防げない。原子力発電や火力発電での海水加熱による水蒸気冷却システム、その仕組み『復水器』の科学技術の本質を理解することが皆に課せられた事だ。事故による街崩壊への住民の覚悟が問われる。熱効率40%以下の発電システムだ。60%の熱は海水の加熱で、発電可能な方式だ。それが海水水蒸気蒸発に因る気象の風水災害の基に成っている。