熱 (2020/11/18) 。
ペルチエ素子型除湿器。今年の夏はこの除湿機の威力に驚いた。小型であり乍らその能力は強力だ。原理は何かと調べたらやはりペルチエ効果らしい。
熱エネルギー。
時代が科学技術への過信の中に居るようで恐ろしい。何が恐ろしいかと言えば、やはり人の意識を導く全体主義的傾向にあるように思う。例をあげれば、核爆弾がある。そこには何の「安全と平和」に貢献する論理的意義を人に解く意味が無い筈だ。しかし、人は人を殺戮し破壊するための『核兵器』を保持して、経済的競争による世界的優位の武器として戦う意識は増大してやまない。核爆弾を使用した結果がどのような世界の姿となるかを予測すらできないのだろうか。未来への予知能力さえ、犯罪的破壊への欲望の前には失ってしまう宿命を背負う、それが偉大なる「人類」の智慧なのだろうか。科学理論と科学技術を考えても不可解なことが多い。自然の世界に『電荷』などない。しかしその無い『電荷』が科学理論の基礎概念として、世界の常識となって来た。何故か理解できない事が世界の未来に向かって進んでいるようで恐ろしい。その理解し難い事の例として、日常生活科学の意味で、『熱エネルギー』について考えてみる。
熱電効果。
ペルチエ効果、ゼーベック効果あるいはトムソン効果と熱と電気回路の間の現象が有る。とても気になる事に、物理学で高度な理論が解説されているが、空間に『エネルギー』が流れているという認識が無いようだ。具体的問題として、例を挙げてみたい。透明なガラスの真空容器を想定する。その中に光を照射する。光は当然真っすぐその容器を通過する。その場合、真空容器の中を通過する間、光の『エネルギー』はその波長の長さ当たりで真空空間に実在することを物理学理論では認識しないのだろうか。光が振動するか、しないかには関わりなく、光の『エネルギー』は空間体積を占めて実在すると解釈するのだが、物理学理論では如何なのかを確認したいのだ。物理学理論では、恐らく空間に光の『エネルギー』が分布するとは認識していないと思う。その『エネルギー』の空間分布については科学的、実験的測定による検証は不可能な事であるから。どんな真空空間でも光は『エネルギー』の分布密度の光速度伝播現象の基にある。立派な科学理論にとっては、空間に『エネルギー』が実在すると認めれば、その『エネルギー』を構成する素粒子論は成り立たなくなるから、科学常識の根底から崩れてしまう。『エネルギー』はどこまで小さくなっても『エネルギー』で在り続けるから。とても大変な問題なのだ。そこで熱と『エネルギー』の関係のことになる。
検索で「驚き桃の木山椒の木」なる記事を見た。試しに、「熱とエネルギーの違い」で検索した。結果のトップに、高校で「エネルギー」、「熱」やその違いがわからない方へ・・Carefreechen.com>化学.に「エネルギー」は燃料で、「熱はエネルギーを燃やした後のゴミ」と言う表現で説明されていた。現代物理学理論が理解できない筆者には、科学常識がどこに在るかも分からない。熱とは『エネルギー』の一つの姿としか認識できない。お日様に、この小春日和にあたれば、体も心も温かく温められる。この暖かい事の意味を、日常生活感覚で感じる事を物理的現象としてどの様に解釈するかと皆さんに聞いてみたい。科学技術開発の研究には何の役にも立ちそうもない日常生活科学論だ。お日様の光を受けると体が暖められる関係を『熱』と『エネルギー』で説明してほしい。熱は決してゴミではない。それでは地球がゴミの為に温暖化しているとなる。魚を焼いたり煮炊きをするのもゴミの御蔭か?みんな熱エネルギーの御蔭なんだ。『エネルギー』と言う用語の使われ方は曖昧だ。資源論になると確かに化石燃料などの燃料を『エネルギー』と言う用語で表現し、解釈して使っているようだ。しかし灯油でも重油でもウランでもそれは『エネルギー』では決してない。それは『エネルギー』を利用するための原料物質である。必要なのは『熱』であり『動力』であり『光』なのだ。それが全て『エネルギー』なのだ。太陽が放つ光も全て『エネルギー』なのだ。光は物に吸収されれば、光速度の空間『エネルギー』が『熱』に変換されるのだ。地球の植物の質量にもなるのだ。太陽の核融合が『エネルギー』の発生原理だという科学論も筆者にはとても理解できない事だから、未来の夢として温めておきたい。
科学理論への懐疑。みんな1987年(昭和62年)の『静電界は磁界を伴う』から始まった『電荷』否定に端を発している。ロゴウスキー電極空間の磁界 (2020/06/08) 。熱の正体と不明 (2020/08/18) や燃える酸素の力とは? (2013/11/07)にも同じような記事があった。🙇。