戦争と戦後

人は何故争うか。国家と言う集団組織同士で争えばそれが戦争。人と人との争いは喧嘩で、殺人事件にもなる。

戦争と戦後は未来への人の生き様を示す。75年前に〈第二次世界大戦〉と言う大きな犠牲と悲しみを残して、新たな戦後の歩みを始めた。平和への国際連合の仕組みの下での歩みを始めた。

日本の戦後は、広島・長崎の「原子爆弾」による惨劇を残して始まった。「核廃絶・核禁止条約」への日本の参加を切に望む。今は、戦後に生まれた若い人々がその社会を創り進んでいる。戦後世代がその中心になって未来に進んでいる。戦争とは、街も平和も全て無残に消し去ってしまう結果を承知で起こすのだろうか。誰が戦争を起こすのだろうか。それは未来への希望をみんなが自分の意見を表明しないところから始まると思う。物言わないで我慢する生き方、姿勢が大きな過ちに進む基になると思う。政治は自分が造るものと言う意識を忘れたところに、危険が墓穴を造っている。選挙に行かない人が一人一人政治から離れて、危険な未来を作る道に進むのだと思う。筆者自身の生きた過去を反省にして。

今日、新潟日報の2,3面の記事を読んで、また嫌われることを言わなければと思った。『北方領土の返還問題』が一つ、もう一つは座標軸、世代間格差。である。北方領土返還問題は既に2島返還で進んでいた問題がいつの間にか4島返還の話になっている。素人ながら、そんな4島返還が可能と思う人が日本にいるのだろうか。永遠に不可能な問題を掲げて、残念ながら「ジェスチャー」問題にしているとしか思えない。戦後に、日本は何故『北方領土を失ったか』その原因はどこに在ると考えるのか。日本で、自身で戦後に『戦争の責任』がどこに在ると政府は表明したか?その戦後問題は決着していると考えるのか。同じ惨劇を未来に起こさない為には、そこが肝要ではないか。どうしても未来の平和を守りたいと思えば、戦争の原因をみんながしっかりと認識してこその政治問題と思う。韓国の『戦時労働補償問題』も、政治決着と言うけれども、被害を受けた方々はその政治決着にどのような関りで納得したのか。『北方領土返還問題』と重なって悲しみになる。

政治は民主主義の根幹である。政治は選挙によって未来の世界を選ぶ仕組みだ。選挙を棄権したら、未来に責任を放棄したことになる。そこに民主主義のみんなに責任を持たせた仕組みがあるのだ。選挙が投票率60%以下ではやり直し位の政府の意識が必要だ。学校教育は、政治問題を大いに話せることで、みんなの未来への責任を意識付ける大切な機会の場だ。

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