自由と平和は尊い

自由も平和も努力なしには得られないから尊いと言える(2020/11/03)。
先日、ある新聞の座標軸と言う記事に教えられた。ドイツの反ナチス運動指導者のマルチン・ニーメラ―牧師が残した言葉。
本当にその通りと思った。少し違うが、次の言葉を書き記して置きたい。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、私は社会民主主義者ではなかったたら。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は労働組合員ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげるものは誰一人残っていなかった。

 自由も平和も、それがどの様なものかを理解できないから。自由の無い中で生活を経験し、自由を束縛された中で生きた時、初めてその意味を知るのだろう。
自由も平和も、それを手に入れる事を意識して、生活することは無いだろうから。

自由と平和は気付いた時には、それが無くなったことを知る時だろうから。

自由と平和、それを守る事は、それが観えないから余程意識しないと消えてしまう。それを守るには大きな知恵と心の戦いを必要とするから尊いのだろう。

何のために軍備や戦争兵器を準備するのか?自由と平和など気付いた時には無くなっているのだ。

『学問の自由』は目に見えるものではないから尊いのだ。『自由』とは目に見えないのだ。『学問の自由』はどこを探しても売ってはいない。『平和』もカネでは買えない。

失って初めて気付くもの、だから尊いのだ。

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