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電気エネルギーの測定法(電圧)

はじめに(2020/4/19) 電気回路技術は驚くべき文化に完成された。その基本には「オームの法則」がある。『電圧』と『電流』という二つの技術概念に依って誰もが理解し易い回路技術として、現代社会の基盤技術となった。しかし、その『電圧』や『電流』と言う計測量の意味を考えれば、そこにはとても深い哲学的問題が隠されているのだ。その意味を知ることは深く電気回路技術の中にある自然現象の活用の科学技術力とそこへの叡智の結晶が結実している意味を知ることにつながる筈だ。電気回路には、基本的に自然の本源である『エネルギー』を如何に活用するかの手法を獲得した技術の結晶が隠されているのだ。その測定法を通して電気技術が如何に自然との関係を活用しているかを深く理解できる筈だ。その事は『電流』とは、『電子』とは何かが理解できることにつながるだろう。科学技術が飛躍的に発展し、日常生活に深くその影響が及び、人がその恩恵に浸りながらも、誤った物理学理論によって曖昧な科学理論常識に染まる傾向が強まってしまった。地に足を付けた地道な自然観であるべきところ、誤った理論によって人の意識を曖昧な思考の方向に導いてきた。その代表が『電子』の概念である。『電子』の空間像が示されずに、その『負』の実在性が論じられずにここまで来てしまった。その意味を解きほぐす道はあくまでも具体的な技術の意味を通して理解するより道はない。『電子』が如何に曖昧な概念であるかを電気回路の測定の意味を通して考えてみたい。半導体で論じられる量子力学について論じるほどの力を筆者は持たないが、少なくとも電気回路における電線内を流れると解説される『電子』は全く役に立たない仮想概念である事だけは強調しておきたい。

『電圧』は『エネルギー』の計測、技術評価量。

電圧とは、その回路の電線で囲まれた空間に『エネルギー』をどの程度貯蔵した状態かを知る、あるいは評価する技術的基準量である。電圧計は何を計っているかを知らなければ、『電圧』の物理的意味を知ることはできない。水を高い所から流す力の仕組みと同じ意味が『電圧』であるというような、怪しい論説が多くある。その解説ではやはり水のような何か流すものが必要になり、結局『電流』とか逆向きに流れる『電子』が必要になって来る。電線の中には何も流れていないことを理解しなければならなし、電線路空間が有ればその空間を通して幾らでも自由に電気の『エネルギー』は伝送できる。しかもその即応性は光速度で対応できるのだ。電気(と言う『エネルギー』)は光と同じように真空や空気の空間がその最も特性を発揮できる場である。ここで言う『空間』とは、電気については真空以外にも、コンデンサの金属板に挟まれた空間あるいはその誘電体空間、コイルの巻き線で囲まれた空間や鉄心あるいは抵抗体内の結晶構造体内の空間、更に電線路の電線間の空間あるいは絶縁電線の絶縁体などの空間などを指す。例えば、ガラス戸やレンズは光も電波もその『エネルギー』が伝播する空間と見做せよう。しかし、電線の金属体は基本的に『エネルギー』の反射体と見做すべきだ。だから金属の電線内には電気の担い手と科学常識になっている概念の物理量(『電流』や『電子』)は流れない事を理解しなければならない。

コンデンサとコイルの貯蔵エネルギー。

VOLT and ENERGY 直流電圧 V の回路にスイッチ S を通してコンデンサC[F] とコイル L[H] の回路を繋ぐ。

図のスイッチSを投入してからどのように『エネルギー』が貯蔵されるかを、少し数式で考えてみよう。その電気現象は所謂過渡現象を経て、『エネルギー』が貯蔵されることになる。過渡現象は数式では一般に指数関数(*)で表現される。ー(*)指数関数での数学的問題は幾ら時間がたっても定常状態にならないという論理性の現実的矛盾を抱えているー。

(1) 貯蔵エネルギーと電圧の関係。係数の2分の1は省く。

最終的に、貯蔵エネルギーは(1)式のようになる。その貯蔵エネルギーは結局電圧によって決まる値である。だからその電線間の電圧Vは貯蔵エネルギーの量から(2)式の意味であると解ろう。『エネルギー』の単位、次元はジュール [J] であるから、電圧の単位、次元は(2)式から [(J/F)^1/2^] であると解ろう。電圧の単位はコイルもコンデンサも同じ静電容量の単位ファラッド [F] に関係した物理的意味を持っているものと理解できよう。それは当然のことで、電線路は最低二本の電線で組み立てられる。その電線の間には静電容量がある。その静電容量の空間に貯蔵された状態で電気の『エネルギー』が分布して電気の送配電系統が成り立っているのだ。この電圧の次元あるいは単位の意味を理解することが電線路の物理的意味の理解に欠かせない事なんだ。(2)式のコイルの場合について、その次元について付記しておく。(r/√L)はr[(H/F)^1/2]により、[(1/F)^1/2] となるから。

(2) 要素の端子電圧と回路時定数。

コンデンサの端子電圧vcとコイルの端子電圧vlは(3)式のように評価される。コンデンサの電圧は最終的には電線路電圧値 V に等しくなるが、それまでは指数関数の変化になる。コイルの電圧vlは最終的に零となる。コイルに『エネルギー』が貯蔵されるとコイルの端子電圧は恰も回路から切り離されて、線路側には接続されていないと同じ状態になる。コイルには内部空間に『エネルギー』だけが貯蔵されたことになる。厳密にはコイルの抵抗分があるからその分の電圧は残る筈ではあるが。

指数関数の累乗の次元は『無次元』でなければならない。時間 t[s] に対して時定数が rC[(HF)^1/2^]  =L/r[(HF)^1/2^] =[s] となっているから理に適っていることになる。

(*)この指数関数式は無限の時間でも論理的に零には成らない矛盾を抱えているが、その辺は数学的に曖昧でも良いとなるのだろうか。文末に指数関数の図を示す。

(3)貯蔵エネルギー計測法。

コンデンサとコイルの貯蔵エネルギーの時間変化は(4)、(5)式となる。両方とも同じ式で表される。ここでさて、線路の電圧をどのように計測するかとなる。コンデンサ内の様子を外部から伺い知ることはなかなか出来ない。コンデンサの電界と言う状態を知る方法が無いから。それに対して、コイルの中の状態は運良く、磁気と言う誠に都合の良い自然界の贈り物がある。それはコンパスや磁石と言う身近な電磁気現象の具現像として自然世界の顔を示してくれている。アンペアの法則やファラディーの法則あるいはレンツの法則等あらゆる電気現象を外部から観測する手段として活用されているのが「磁気現象」である。何か空間の秘めた「力」を磁気が持っている。当然のこととしてコイルの秘めた空間の力を『測定法』に活用することになる。自然世界の現象を探る科学技術の始まりである。19世紀に『電圧計』「電流計」が開発された。もちろん『電圧』はボルタの電池や熱現象を利用した電池などからその安定した『電圧』を開発利用してきた訳であろう。まだ当初は『電荷』概念は明確ではなかっただろうと考えたい。

(4)『電荷』と『電子』と『電圧』の間に横たわる現代物理学理論に基づく論理性の不可解。

電気回路論で、電線路の『電圧』をどのように解釈するだろうか。プラス端子とマイナス端子の間の空間に生じる『電圧』の原因を何に求めるか?プラス側には『正の電荷』、マイナス側には『負の電荷』が分布してと解説が始まるだろう。そこに思考停止の現代物理学理論が在るのではないか?『正の電荷』と言うその正体をどのように認識するのだろうか。簡単に『正の電荷』がプラス側の電線に雀が止まるように集まるのだろうか。どんな理論によって『正の電荷』だけが一方の電線に集まるのか。みんなが電気現象の基本法則と崇める「クーロンの法則」では、同じ『電荷』は反発し合うと大原則を学習して居るにも拘らず、無意識に所が変れば同一電荷同士が集合体となって結び付く。金属電線の中に『プラスの電荷』とはその正体はまさか『陽子』とならないだろうから『電子』の抜け殻の『+金属イオン』だろうか。図に示したように『+金属イオン』は銅線なら銅イオンしかない。『+金属イオン』を置き去りにして、その『電子』はいつの間に隠れて逃げ去ったことになるのだろうか不思議だ。科学理論は論理性がその身上の筈だ。一方反対のマイナス側の電線にはマイナス電荷の象徴の『電子』が集合すると解説されるだろう?図のように『電子』の密集状態が出来るとなろう。それでプラスとマイナスの電線路空間図が完成して、『電圧』の科学的理解ができるとなり、万々歳となって終わるのか?そこへ『電圧計』を繋ぐとどうなるかを考えれば、思考停止で終われないだろう。そこに不可解と言う意味が追加される。まず、乾電池に電線を繋いで配線すれば、それだけで電線間に電圧が掛かる。プラスの電線の銅金属からどのようにして『電子』を引き剥がすのだろうか?プラス側の銅線には電線内に電界などできない筈だ。電界もないのに銅金属から『電子』を引き剥がす論理的根拠が欲しい。その辺の高度な専門性は大学院などの物理学科の博士課程などで高等教育を受けた専門家やその指導者が答えるべき内容であろう。余りにも専門性のない素人の疑問では答えるに沽券(コケン)に関わる話となろうか。乾電池から『エネルギー』をランプに送る。その時『電子』が電池のマイナス側から流れ出し、ランプを通って電池のプラス側に戻る。どれ程の『電子』が集団高密度で『電子』の密集分布電線の中へと流れて行くのだろうか。流れ出す時点で、『負電荷』量が増加しても、線路『電圧』に影響を及ぼさないで済むのだろうか。さらに、ランプで『電子』はどのようにフィラメントの抵抗体で光を放射する物理学理論を展開して、電池のプラス側に戻り、『電子』の面目即ち電池から『エネルギー』を伝送する役割を果たすのだろうか。『電子』がただ電池の負極から流れ出て、電池のプラス側に流れ込むだけの『電子』の役目で、電磁気学という学問の科学理論の論理性が唱えられるというのだろうか。とてもその論理性が見えない科学理論に思えるのだが、皆さんはそれで安心できるのか?

(5)コイルの貯蔵エネルギーの磁気特性の活用法と『電圧』計測。(2)式によってコイルのエネルギーW[J]とすれば、図のように線路電圧によってコイルのエネルギーから電圧を測定できよう。そのコイルのエネルギーをどのように計測に活用するかとなる。

簡略計測法。最も単純にエネルギー量W[J] が有るか無いかは図のようにコンパスの振れで分かる。しかし、これでは計測には成らない。

可動コイル型計器が直流回路には使われる。貯蔵エネルギー保有のコイルを磁石の間に配置すると、コイルはW[J]の平方に依った回転角度を示す。測定器の概要は図のようになる。

むすび

電線路の直流電圧を計る『電圧計』がどのように、何を計っているかを示した。この測定法で、直流電圧を電線路の『電荷』分布で解釈する論法の矛盾を論じた心算だ。このコイル内に『空間エネルギー』がコイルの巻き線に沿って軸性の回転流として貯蔵されている。その回転方向は丁度『電子』が流れるという電子論のその向きであり、『電流』の逆向きである。この電圧計の測定量の意味を知った上でも、もし『電荷』分布が電線路電圧を決めると解釈するなら、それが現代物理学理論の『パラダイム』という事であろう。更に一言付け加えておく。コイルの貯蔵エネルギー W を抵抗r による『電流』で計算して式を導出した。しかし実際の物理現象は電線の負側を『エネルギー』がコイルの端子電圧の時間積分に関係した過程を経て、コイルに入射するのである。しかし、その状況を『エネルギー』の様態として観測することはできない。『エネルギー』が実在するにも拘らず、その『エネルギー』の姿を眼前の空間に見る事が出来ないという、自然世界の掟によって支配されているとしか考えようがない。科学理論は実験的にその値を検証可能でなければならない人の決めた矢張り掟と言うべきものに縛られている。そこに現代物理学理論が認識不可能な空間の『エネルギー』である物の意味に在るのだろう。どんな方法でも電線路の空間に在る『エネルギー』の分布を観測することは残念ながら出来ない。それほど空間に在る『エネルギー』は神秘的な物理量である。

指数関数

電圧と電流の正体 (2013/5/16)

電磁界と空間エネルギー

はじめに(2020/03/24)
電気磁気学はあらゆる電気現象を理解する基礎物理学となっている。しかし、物理学理論では空間に『エネルギー』が質量から独立して存在すると認識していないように思える。電気回路のコイルの中には『エネルギー』が貯えられるというが、その『エネルギー』はどこに在ると物理学では認識するのか。物理学理論では『エネルギー』は何から出来ていると考えるのか。素粒子と『エネルギー』のどちらが世界構成の大本と解釈するのか。

電界と磁界
空間に電界が在るという。空間に磁界が在るという。電界や磁界は電気磁気学での空間に仮想した概念の電気物理学用語の代表である。空間に仮想した概念 (*)であるが、電界や磁界は『エネルギー』との関係を持たないのか?その電界や磁界が空間に在るという意味は何を原因として、どのような空間像を表現したものか。空間がコイル(透磁率μo)とコンデンサ(誘電率εo)から成り立つという解釈を『誰が』最初に唱えたのか、きっと仙人かも知れない。仮想した概念(*)という意味が御理解いただけないかと心配だ。その単位に含まれる、空間距離の[m]は現実に在り、それは実在概念だ。しかし電圧 [V] あるいは電流 [A] は確かに測定器で測れるから、仮想した概念とは誰も認められないのじゃないかとも思える。電圧あるいは電流を計るとは測定器の中で何を計っているのだろうか。その測定する実体はコイル内の空間に在る『エネルギー』じゃないですか?とお尋ねしたい。電圧とか電界あるいは磁界と言う概念の物理量は『何』を原因として発生するのか?その意味を以下で考えてみたい。電圧[V]=[(J/F)^1/2^] 、電流[A]=[(J/H)^1/2^] が空間構造特性値L [H]やC [F] と『エネルギー』 [J] との関係にある。

乾電池で豆電球を点灯する。これも専門用語を使えば電磁界の回路となる。スマホで発信する電子回路の複雑さとは違って、電気回路で言えば、小学校の理科の話にも成る、易しい内容である。しかし、筆者が『電流は流れず』と唱えた基本の考察対象に取り上げた回路でもある。易しいことは難しい事でもある。基礎とか基本という事の中には、とても複雑な意味が隠されている。その事に気付くかどうかは、それぞれ各人のそれ迄の生活環境、受けた教育環境即ちどのような高等教育で専門的な事を修得してきたか、また社会人になって仕事としてどの様な専門的業務に携わってきたか等にも因ろう。その点からいえば、筆者は大学の工学部で、電気工学を4年間学んだだけの所謂「工学士」でしかない。そんな筆者が述べる内容が余りにも学術機関に所属して研究をされている方々の研究業績に比べて稚拙で、乖離度が大きく全く研究と言う基準には遠く及ばない内容であろうとも思う。しかし、それも宿命と思いながら、ここまで日常の生活感覚に科学理論や物理学理論を照らし合わせながら、その論理的矛盾を追求してきた。この電気回路は高度の科学研究の対象とはならないが、どこから考えても、おそらく誰にでも考えることの出来そうな、取り付きやすい回路であろう。そんな易しい電気回路でありながら今現在の電気理論で解釈しようとすれば、余りにも矛盾が大きくて、将来の子供達への教育内容としては耐えられないと断ぜざるを得ないのだ。そんな思いから、これからこの回路を通して問い掛けようとする内容はとても気難しいことかも知れない。特に電気理論に関する教育に携わっておられる方々、あるいは電気回路に関する教科書をお書きになられておられる方々にとってはとても反感を覚えるような内容であるかも知れない。そんな何も得るものが無くても書かずにいられない切羽詰まった状況であることをご理解頂きたい。ただ一言付け加えておきたい。それは電気理論として取り扱われる技術理論が悪いという訳ではないのだ。技術法則は電気現象の技術的取り扱いにはとても簡便で、優れた歴史的文化である。その技術的解釈理論が長い科学の伝統を作りながら、今日の科学技術社会を発展させてきたのだ。そんな社会的文化でもある、技術概念を簡単に捨てる訳にはいかないのも当然である。電気技術者として過去に少しは関わった筆者もその辺の意味を十分理解した上での訴えなのである。何が良くない点かが分かり難いとも思う。それは科学技術理論と自然世界の『真相』とは異なるという事を理解してほしいという点である。誠に言い難いことで恐縮なのだが、自然の『真相』は易しくて、きわめて純粋であるという事に尽きるのだ。だから、自然科学理論として社会を導いてきた、その技術法則を自然界の物理的「真理」と捉える考え方、その如何にも権威的な教育の姿勢が間違っているという事である。筆者が我慢できない解説、それは電気回路の電線内を『電子』が『電流』の逆向きに流れるという非論理的な伝統科学論に支配されている事である。『電子』が通ると解釈すると、その回路の『エネルギー』伝送機能と電磁現象の光速度流が見えない科学論になるから。今も手元にある、「科学革命の構造」トーマス・クーン著、中山茂訳 (みすず書房)が。その『パラダイム』に関わる科学理論と自然現象について論じたいと思う。難しい学術論の形式的内容にはならないから、誰でも考えられる内容で論じられると思う。それはどこの家にもある生活用品の懐中電灯の話でしかないから。しかも数式を極力使わないで、日常用語で述べたいと思う。

空間エネルギーと『エネルギー保存則』

『パラダイム』と言う用語の定義で、トーマス・クーン氏も一度撤回せざるを得ない程激しい攻撃にさらされたとも言われている。その用語の持つ意味本来の意味と更に通常科学などの用語の新しい捉え方など合わせて、その論説の優れた先見性も中々受け入れられ難かったからかと思う。『パラダイム』の意味も新たな捉え方で筆者には適切な用語と理解したい。そう訳者あとがきをみて思った。また、英和辞典にも、模範、典型の標準的意味と別に、パラダイム:⦅思想・科学などを規定する方法論・体系⦆として適語が示されている。

空間エネルギー

この言葉・用語が受け入れられ難いのだろう。その理由は、『電流』あるいは『電子』『電荷』など電気理論の根幹である概念と対立する物理概念・量であるから。検索すれば何か精神論と関係付けられた意味が載っている。そのような意味も考えれば必ずしも否定しかねる面もある。人が言葉も文字もなかった、人類生誕の時代も社会的意思の疎通が成された訳であれば、それぞれの思いは精神的な意味のつながりで可能であったとしか思えないから。生きとし生けるすべてがその心のつながりの中に居るのかも知れない。しかしここでは、この『空間エネルギー』と言う筆者が唱える用語の意味は全く物理現象として身の周りの自然界に溢れている物理量を指すのである。その代表が光である。また配電線路が有れば、それは電気エネルギーである『空間エネルギー』の流れの設備であると見える。『空間エネルギー』は質量から独立した『エネルギー』が空間に存在するという事を述べるものである。それは物理量として自然の世界、空間に実在するものを対象に観ているのである。しかし、それは測定することも出来ず、見ることも出来ないものであるところに、認識し難さの大きな壁があるのかも知れない。光の1波長のエネルギー分布を観測する事など夢の世界の話であるから。『空間エネルギー』が理解されにくい最大の原因は『電流』、『電荷』あるいは『磁束』などの基本物理量・概念をすべて飲みつくしてしまう概念・意味を持っているからであろう。だから考えてみれば、空恐ろしいことに挑戦してきたのかと思わざるを得ない。『禪』とは何か?

掲げた懐中電灯の回路で、乾電池から豆電球までの間は導線で繋がれている。その部分を図にエネルギー伝送路とした。電線が何の役割を持っているか。電池は何を貯えたものか。豆電球は何を光に変える電気製品か。光とは何か?豆電球が熱くなるのは何故か。こんな<問答>は、誰でも日頃の日常生活で不図思う疑問に関わるものではなかろうか。このような事を、科学理論・物理学理論の諸概念と突き合わせながら、考えてみよう。

〈第1問〉電池は何を貯える製品ですか。

『電子』ですか?『エネルギー』ですか?『電流』ではありませんね!多数決で決める訳にもいきません。電気技術者は、物理学者は何と答えられるだろうか。

〈第2問〉豆電球は何を光に変える製品ですか。

『電子』ですか?『エネルギー』ですか?

〈第3問〉電線で囲まれた空間の物理的意味は何ですか。

何の意味もないのですか?

〈第4問〉電球から放射される光や熱はどの様な物理量ですか。

『エネルギー』ではないですか?

〈第5問〉『エネルギー保存則』の『エネルギー』とはどの様な物理量ですか。

降り注ぐ太陽光線は保存されますか?その前に太陽光線が『エネルギー』と思いますかと聞かなければなりませんね。トマトもキュウリも太陽光線の『エネルギー』、それを栄養の一つとして食べて成長していると考えたら間違いですか?それを『エネルギー保存則』の意味と考えられませんか?『質量』と『エネルギー』は等価という意味に繋がりませんか?

懐中電灯回路のエネルギー論

上に挙げた幾つかの〈問題〉は電気回路の中に、『空間エネルギー』の存在を理解するか、認識するかの人の意識の問題に掛かっている。ここに在るのは『パラダイム』に関わる問題なのである。その専門性が故に細分化され自然科学と言う広い自然界を包含した学問の哲学性が衰退し、どんどん知的魅力に欠けつつあるように思われる。しかし、日常生活に直結した科学技術の分野の先鋭化は益々経済的競争に資する形で進んでいる。そこに自然の真理と科学技術理論との関わりの乖離が進んだ。理論の矛盾が遠くに霞んでいるように観える。その意味を懐中電灯の中に示したい。残された『パラダイム』の問題として。

回路電磁空間。

乾電池と豆電球を導線で結べば、電球に電圧V[V]が掛かり、電流I[A]が流れる。これが電気回路解釈の基本法則で、「オームの法則」である。この法則から見れば、導線が2本で十分電気現象を理解できる。豆電球の抵抗値が何Ωと分かればすべて解決する。電線で囲まれた空間など殆ど意味がない。殆どの人はその空間など意識しなかろう。電池のマイナス側から『電子』が流れ、電池のプラス側に戻れば、それで科学理論の原理は全て解ったと言っても良い科学論の『パラダイム』に在る。1864年、有名なマックスウエルの電磁場方程式が登場した。電磁波が空間を伝播するという事をその方程式に表現してまとめた。電気信号が空気中を伝わるという科学的発見の理論方程式である。後にヘルツと言う人が無線通信(空気中の電気信号の伝播)の実験に成功した。その後の100年に亘って、電気送電網が生活に灯りをともし、近代生活を支えて来た。今は「携帯通信機」が誰もの生活必需品になっている。情報革命ともいえる時代を生きている。光も電磁波の一種であるという。光の速度は「特殊相対性理論」でとても理解できない数学的記述で、どこで測っても、例えば地球の速度との相対速度にも無関係に『光速度一定』の規範に在ると説かれる。レーマーの光速度測定実験に照らしてその確かさを信じれば、筆者には「特殊相対性理論」の唱える意味がさっぱり理解できない。筆者にはPCや通信機の回路の意味さえ何も知り得ない電子回路の通信技術全盛時代だが。みんな空間を伝播する電気信号理論の筈だ。そんな科学技術が先導する社会に生きて、懐中電灯回路の導線で囲まれた「空間」の電気磁気学的意味を紐解いてみようと思う。光も電波も、それを伝える媒体(昔はエーテルが伝える媒体と考えたこともあった)が何もない真空空間を伝播するというのだ。その電気的な現象が有るのに、何故懐中電灯の回路で、電線で囲まれた空間に電気的意味が無いと考えるのか?電線路空間には本当は電界と磁界と言う電気磁気学の専門用語の空間概念があるという事になっている。しかしオームの法則ではそんな意味は全く考えない。技術法則は誰でもが理解し易く出来ている。しかし少しでも専門性がその威厳を持って、介入してくるととても複雑な理論に化けるのである。オームの法則が電気現象の自然世界の真理を唱えたものかと言えば、それは必ずしも正しくはない。ここで「間違い」と言う言葉を使うことがとても複雑な心理的負担を感じるのだ。「間違い」ならオームの法則は教科書から消して良いかとなるが、それは困るし、正しくないと言わなければならない。しかし「間違い」とそう言わざるを得ないその訳は、本当は電線の中を『電流』が流れられないから。また『電子』が『電流』の代わりに電線の中を逆向きに流れると解説されるが、それも「間違い」である。自然の『真理』と社会的技術概念との間にはとても曖昧で、複雑な意味が隠されているのだ。何故マックスウエルが空間を電波が伝播すると唱えたのか。懐中電灯の電気と電波の電気は違うのだろうか?空間に『電界』と『磁界』があると電気磁気学理論では解説される。しかし、懐中電灯の回路では電線の間の空間に電磁界が在るとは考えなくても、オームの法則だけで立派な電気技術者として社会に貢献できる。それで電気回路の専門家として、いわゆる科学理論の『パラダイム』の専門家集団の一員として立派に責任を果たせる。しかし自然世界の『真理』として『電子(電流の逆向き)』を流さなければならない訳・理由は無い筈だ。金属導体は本質的に『エネルギー』を反射する。『エネルギー』伝播に何の障害にもならない空間がマックスウエルが唱えたように有るのに、その空間を通らない電気現象あるいは『エネルギー』などない筈だ。導線で囲まれた、導かれる空間にこそ電気現象の本質があることを考えて欲しい。光と同じ電気『エネルギー』は空間しか光速度で伝播できないことを理解してほしい。この科学的認識の前提には、光の空間エネルギー分布縦波認識が必要ではあるが、それは別に学習すればよいだろう。振動数では光の1波長の空間のエネルギー分布波は理解できないから。

電圧と空間と電界

マックスウエルが唱えた方程式には、電界と磁界と言う理論の根幹をなす概念がある。電気現象は空間の中に存在するという意味である。右の図のような電池の配置で空間の電気的意味を考えてみよう。乾電池1個なら電圧は1.5ボルトである。その乾電池を2つ繋げばその電圧は2倍の3ボルトとなる。乾電池も電気にはプラスとマイナスがある。このプラスとマイナスという意味も中々意味深な概念で、哲学的論題になる。世界に「マイナス」と言う物の存在は無いのだ。電気だけの特殊な、不思議な世界観のもたらした概念なのだが。身の周りに「マイナス」の物を探してごらんなさい。見つかりますか?「プラス」も「マイナス」も原子論の世界で生れた概念なのでしょう。本筋の論議に戻りましょう。電池の端子から電線を張りましょう。その電線の間には、それぞれ電池の電圧が何処の電線にもかかります。その電線から別の電線を枝分かれして図のように空間に或るギャップを開けて配線した。その間の間隔は A も B も同じとする。今電線路には何も電球などの負荷は繋がっていない。さて何を問題とするか。それは空間が電気的に何か意味を持っているかどうかを考えて欲しいのだ。『電界』と言う概念について。図の AとB で空間の電気的状態が違うことを知ってほしいのだ。A とB の『電界』が違うのだ。と言う事は『空間』がオームの法則では理解できない意味を持っているという事になる。そこに電気現象の本質が隠されているという事だ。世界は空間で出来ている。空気と水の空間で、音も光もその速度が違う。今、A とB のギャップを1㎝とする。Bの方の電池の電圧をどんどん高くしてみよう。とても高い1万ボルトの電圧としてみる。するとそのギャップの空間が何か異常な空気になるかも知れない。 近くの田圃の上に送電線が通っている。多くの電気エネルギーを送る電気設備だ。電線の間が大きく離れている。何故そんなに間隔を開けなければならないのかと理由を考えるだろう。その空間の広がりが必要だからとしか考えられない。電気を送るには無駄と思えるような空間が必要なんだ。『電流』、『電子』が電線の中を流れるだけで、電気を送れるならそんな空間はいらない筈だ。空間が電気現象、電気エネルギーの伝送に必要だからと理解できよう。もう一つ空間の『電界』の意味を取り上げてみよう。

空間と『エネルギー』。電池の導線にもう一つコンデンサを繋いでみよう。コンデンサと言う要素の構造は金属導線を平板に広げた2枚を向かい合わせた形態である。その平板面積に比例してコンデンサの容量 C[F] が決まる。コンデンサ容量が大きいという事は、その金属平板の間の空間により大きな『エネルギー』を貯蔵できることになる。その物理的意味は単に金属の間の空間には『エネルギー』が存在するという事でしかない。細い電線でも2本あればどんなに少なかろうと、そこには『エネルギー』が在るのだと言える。『電荷』の存在と言う基本認識の『パラダイム』に属する科学論に賛同される方も、コンデンサの空間内に『エネルギー』が貯まるという意味を理解できると思うのだが、どの様な『エネルギー像』で認識なされるのかとお尋ねしたい。当然誘電体の分極と言う『電荷』概念に基づく解釈をなさるのではないかと思う。しかし、たとえ誘電体の無い真空空間でも『エネルギー』は貯まる筈と考える。それは光が電気の『エネルギー』と同じ物理量であることからの認識になる。

『電界』と『磁界』

『電界』と『磁界』は本来空間に定義された概念である。そこで、物理学理論ではその空間にある『電界』や『磁界』は何の為に必要と考えるのか。空間に張られた電線の間に電圧が在るという事は、その電線の間隔の距離で電圧を割った値が『電界』の値で、E[V/m]と言う単位の意味である。空間に電圧が掛かっている意味だ。電線の中に『電子』を加速するための電圧が掛かっている意味はない。次に『磁界』とは何か。懐中電灯の二本の電線を広げて空間を作り、その間に磁石のコンパスを近付けると向きが変り、その空間に何かが在ると考えられる。それが電線に流れる『電流』を原因として空間に生じる磁気の意味と考える。電線で囲まれた空間に何も無かったら、コンパスが力を受ける理由が無い。空間に磁気があることは確かだ。その回路の電線を広く広げて空間を大きくする。きっとコンパスの作用する動きの強さが空間の場所によって違うはずだ。コンパスが力を受ける強さで、そこに磁界が在ると考えて良かろう。『磁界』もその大きさを電流の単位アンペア[A]で、 H[A/m]という距離との比率で評価する。電線の『電流』からの距離で評価する。その『電流』が流れないと言いながらの『磁界』であるから、筆者の理屈は矛盾していると言われそうだ。それが『アンペアの法則』と言う電気磁気学の基礎理論の意味の話になる。誰も『アンペアの法則』が間違っている等とは言わないだろう。それを『電流は流れず』という事で、『電流』の概念を否定した解釈を1987年の秋、電気学会の電磁界理論研究会で発表した。『電流』を否定したら、電気理論は使えない『パラダイム』からの離脱と言える状況になる。電気の研究者などと言っていられないことで、職業の場を失う。それは空間の『エネルギー』の実在を認識するかどうかに関わる電磁界理論の根幹を問う課題となる。現在の電気理論を、物理学概念を科学論展開時の論理的論拠として考える専門家は決して『電荷』や『電子』を否定しない筈だ。否定したら『パラダイム』からの離脱を意味するから。『電子』が『電流』の逆向きに電線内を流れるという『パラダイム』の現代科学者集団の専門性に則っているから、『電流』や『電荷』を決して否定はしない。そこにその科学理論が現代社会の規範となって、一般市民も信奉する科学常識に支配された世界となっている。そこに『パラダイム変革』の難しさがあるのだろう。

電球の機能と放射エネルギー

電球の物理現象は何だろうか。電線路空間に『電界』と『磁界』があることは理解されても、だからと言ってそれがどれだけの価値があるのかと反論され、理解されないかも知れない。さて、豆電球は灯りをともす。灯りは空間に光を放射することで得られる。光は電波と同じ電気の姿ともいえる。光は電波と波長が違うだけの空間に放射される『空間エネルギー』である。空間を飛び、伝播する電気の『エネルギー』である。電球はどんな秘術を尽くして光を作るのだろうか。簡単に理解できない魔術的物理現象を使って豆電球のフィラメントを『電子』が通過すると、置き土産に光の『エネルギー』を放射して、しかも『電子』は何も失わず『エネルギー保存則』の原理も無視して世間的に通用する科学常識と言う理論となり得るのだろうか。フィラメントと言う抵抗体のコイル内を『電子』が通過すると、どの様な機能で光の『エネルギー』を放射するのかを解説できなければ、科学の論理性が疑われる。『電子』が『エネルギー』に対してどの様な機能を発揮するのかが説明されていないのだ。『電子』論は『エネルギー』を全く無視しても、その解釈が科学論として通用している。其処が不可解なのだ。

電池の機能

乾電池も図のようなプラスとマイナスの意味を持たせた長短の二本線の記号で表示する。誰もがその記号で電池を理解するだろう。記号からプラスとマイナスの『電荷』による電圧が掛かっている意味の機能素子と思うのではないか。しかし、電池に求める技術的機能は『エネルギー』の貯蔵機能ではないのか。『電子』の貯蔵器とは思わないだろう。Energy Cell とした。「+」と「-」の記号は少しでも電気を学習すると、全く違和感もなく当たり前の科学常識として意識化される。考えてみればプラス、マイナスと言う表現で定義する物がこの世界に存在すると何故考えるのかその訳が理解できない。何故「+」と「-」を必要としたかはクーロンの法則で代表されるような、物の結合力を託す理論構築のための概念が必要だったからであろう。それならそのような『電荷』が空間で引合う結合力を発揮するには、単に「+」と「-」と言うだけで、その空間像がどのように違うから引合う力が生じる現象かを、その空間的理由を論理的に示さなければならない筈だ。日本の「この紋所が見えないか!」と同じ科学的暗黙の威圧だけで納得させているようだ。「+」と「-」に空間的にどのような構造的違いがあるというのか。その違いが無ければ互いに作用し合うという理屈は成り立たない。論理性が理論の根本からないまま、科学常識として暗黙の科学論となってしまった。なぜ電池が「+」と「-」の『電荷』を貯蔵することでその役割を果たせるとなるのか。あくまでも欲しいのは『エネルギー』の筈だ。『電子』と『+イオン』で『エネルギー』がどの空間に、どの様に貯蔵されると考えるのか。『エネルギー』は空間に実在する物理量なのである。『電子』や『電荷』ではコンデンサやコイルの空間に或る『エネルギー』の代わりには成り得ないことを認識すべきではないかと思う。『電荷』を否定した立ち位置で想定できることは、化学材料物質の構造形態の変化として、空間に『エネルギー』が貯蔵されるものなのであろう。

 

まとめ

『空間エネルギー』と『電荷』の間の関りをどう解きほぐすかの社会哲学的課題であるかもしれない。自然世界の『神髄』と自然科学理論の論旨との関係を自覚したうえで、教育に誤った権威的態度を取らないことを目指すべきと思う。この記事を考えながら、『Electrons』の紋所と科学理論 (2020/4/7) と電気回路要素の『エネルギー』処理機能 の関連記事となった。

電気回路要素の     『エネルギー』処理機能

電気回路は芸術だ。
電気回路要素は『エネルギー』の演技舞台。
直流回路は電源とコイルとコンデンサと抵抗の組み合わせだ。電源は『電子』など貯めていない。それは『エネルギー』を供給するための『エネルギー』の貯蔵ダムだ。『エネルギー』を緑色で示した。電池の負(?)側の銅線に沿って『エネルギー』はその近傍空間を流れ出る。定常状態では、『エネルギー』は抵抗体にだけ流れ込む。コンデンサもコイルも『エネルギー』を貯蔵して、電源との『エネルギー』のやり取りはない。回路要素の機能を纏めてみた。

コイル。
コイルLは『エネルギー』の忍者宿。コイルは既に電源回路とは切り離されたような状態にある。だからその端子電圧は零である。コイル内に貯蔵された『エネルギー』は回路側からは見えない。端子電圧がゼロという意味は回路から切り離された『エネルギー』の隠れ蓑の貯蔵宿だから。あたかも忍者によって『エネルギー』が隠されたようだ。

コンデンサ。
コンデンサはその電線間の電圧分だけの『エネルギー』を貯蔵している。電線路空間もコンデンサもその『エネルギー』分布を支配する空間構造定数回路と見做せる。だからコンデンサ機能の静電容量が電源『エネルギー』分布を導く道標役の道祖神だ。

抵抗。 
抵抗は『エネルギー』の空間手品師。抵抗は『エネルギー』の処理には高度の技能を発揮して、まるで手品師のようだ。図1.抵抗は『エネルギー』変換要素。抵抗は『エネルギー』の空間構造による処理の手品師だ。抵抗は図の右上に示した単位・次元の関係 [(H/F)^1/2^] で捉えられる。抵抗は結局その内部空間構造がコイルとコンデンサの組み合わせと見做せる。回路要素の中で、この抵抗の物理的機能が最も手ごわいものであった。抵抗は単純で、単に『エネルギー』の消耗体と見做される。電源から供給される『エネルギー』はこの抵抗体の中で回路から消えてしまうから。しかし、本当は『エネルギー』が消耗される訳ではなかろう。実際は図のように、抵抗体の中で『エネルギー』が変換されて、電源の中で観えなかった『エネルギー』が熱や光に変換された姿になって空間に放射される。それは『エネルギー』変換現象を経た『エネルギー保存則』の自然の原理の表れである。抵抗の単位はオーム [Ω] である。そのオームの単位、次元では抵抗体の物理的機能は見えない。何を意味しているかは分からない。電圧と電流の比を示す単位でしかないから。元々『電圧』も『電流』もその現象の隠された真相には『エネルギー』があるので、ボルトとアンペアではその物理的意味は捉えきれない筈だ。長く、抵抗の次元が [(H/F)^1/2^] である意味と、その抵抗体の中での『エネルギー』が見え難かった。    

結局、図2.抵抗要素構造のような空間構造機能を持った要素素子の合成体と解釈した。抵抗体に入射する『エネルギー』が先ずコンデンサ要素に蓄えられる。その『エネルギー』が要素のコイル構造を通して、コイル終端が解放したアンテナからの空間に放射される。その抵抗体内からは二度と電源側には戻れない。抵抗要素の特性インピーダンス Zr がその次元は [(H/F)^1/2^] となる。抵抗体内の空間に蓄えられた『エネルギー』は熱の『エネルギー』となる。その『エネルギー』が高密度で貯蔵されると、光として自由空間の特性インピーダンス空間に放射される。一通りそのような物理的機能要素として“抵抗”を捉えた。

『エネルギー』は『電子』や『電荷』では捉えきれない筈だ。電池から『電子』が流れると解釈するなら、『エネルギー』の供給を『電子』の機能で解説しなければならない。

電気技術は 女神の・

電気技術  (2020/4/8)

今日、4月8日はめでたい「花祭り」。お釈迦様の誕生日。花飾りの中のお釈迦様の像に甘茶をかけて、お祝いの気持ちを捧げる。甘茶をいただく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電気技術は

女神演ずる

舞台芸術

今日は一つの飛躍があった。久しぶりに筆墨にした。『エネルギー』の世界は恰も「女神さま」が演ずる舞台を見るが如し。

『Electrons』の紋所と科学理論

はじめに お読み頂くには恥ずかしいような低次元の科学論である。何処かに落ちこぼれていたモノを繋ぎ合わせたお伽噺とお笑いください。実は、電気回路の計測器で、電圧計と電流計があり、その意味を理解することがとても良い電気現象の解釈例題になるかと思った。その測定回路はコイルの内部空間の自然現象(『空間エネルギー流』)を巧みに利用した、優れた科学技術の結晶なのだ。その測定器の過去の記事を考えながら、纏めようとして、躓いたのが『electrons』と言う「お方」の姿の不可解さであった。何方かが明確な『electrons』の空間像をお示しいただければ幸いと思ったのが以下の記事の切っ掛けです。後から付け足しの前書き。

一本の銅線があった。今でも、その中を『電子』というとても不思議な「お方」が通っているとお偉い方々が仰っている。みんながその通りと、それを信じて疑うこともない。水戸のお殿様のお話、TVドラマに「この紋所が眼に入らぬか!」がある。そう言われれば、平身低頭で御もっとも、御尤もとなる。
 そんな「お方」に肘鉄砲を食らわすように、撥ね除けたら世間から爪弾きされるは必定だ。
 その「お方」は不思議なお供を連れている。一本や二本では表現できない、頭も尾もない閉塞環の『磁束』と言うリング坊主(div B = 0) を連れている。その磁束はどれ程の大勢なのか定かでないが、護衛役よろしく、必ずどの程度かの、付かず離れずの間を取って侍るかのように、兎に角どこにでもお付きになっているようだ。そんな『電子』と『磁束』の関係について、その論理性を考えてみたい。『電流』は流れていないで、『電子』が電気回路を流れると解釈する事が最近の科学理論の常識と見做す風潮にあるようだから。

『electrons』と『磁束』の因果関係?

銅線のコイルに電流が流れるという。本当は『electrons』がその金属の導線の中を通っているのに、『electrons』でなく電流が逆向きに流れると勘違いして決めてしまった。実際は図のように『electrons』が流れているのだと。その『electrons』が流れると磁束がその電線の周りに発生する。『electrons』の電気回路における役割は何だろうか。『electrons』は負の『電荷』と『質量』を兼ね備え持った不思議な「お方」だ。なかなか凡人には、その負の『電荷』と言う具備条件の意味を理解しようと努力してみても、未だに腑に落ちない。矢張り素直に言われる通り御尤もと腹に収めれば、爪弾きされずに済んだのかも知れない。磁束と言うリング坊主は『electrons』のどの様な袖の下から繰り出す代物かと悩んでしまう。ある所には、『電荷』も『質量』も10桁のとても厳密性のある物理的権威を持って御達しが成されている。それを誰も本当ですかと疑うような非難はできない。今日も、ダッシュボードに励磁電流とは (2019/4/14) とご覧いただく記事が載っている。

『磁束』は『electrons』のどの様な機能によって創り出されるのだろうか。『電荷』は『磁束』も身に纏っているのだろうか。まさか『electron』の具備条件の『質量』は『磁束』の発生に関係ないだろう。『電荷』のクーロン[C]と言う物理単位に『磁束』のウエーバー[Wb]と言う物理単位が隠されているのだろうか。そんな付帯条件が『電子』に加味されているとはあまり聞いたことがない。御専門の方々がおられる筈だから、凡人にも分かるように御解説いただければ嬉しく、感謝申し上げたい。『electrons』は遠く離れた空間にも『磁束』を張り巡らす超級の能力をお持ちのように思える。普通は『電流』が『磁束』を作り出すとなっているのだが、『電流』は実際には流れて居なくて、『electrons』が電線の中に隠れて流れていることになっているから、その『electrons』の『磁束』発生の仕組みを皆さんのご理解成される程度に少しは分かりたい。『electrons』はどの程度の距離までその能力を発揮するのかとても興味を覚える。

空間を飛ぶ『electrons』も『磁束』を周りに纏いながら速度を上げるのだろうか。『electrons』の持つ『電荷』が原因でないとしたら、他の何が『磁束』発生の原因となるのだろうか。とこのような疑問を膨らませると益々『electrons』や『電荷』のお姿が、その実在性が信じられなくなるのである。有名な「アンペアの法則」による『磁束』発生の物理学の原理が本当かと疑いの深みにはまってしまったのが、『静電界は磁界を伴う』の『電荷』否定の実験の基になった。新世界への扉 コンデンサの磁界 (2011/2/20) 。

勝手乍ら以下に『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づく電磁界の本質―と言う過去の発表記事の前書きを載せたい。

1.まえがき 現代物理学の基本概念に電磁界理論がある。その電磁界解析に欠かせないのがマックスウエル電磁場方程式である。しかし、マックスウエル電磁場方程式には時間的に変動しない電磁界いわゆる静電磁界に対してはエネルギー伝播の概念は含まれていない。この解釈から「電荷も電流も時間的に不変である限り電気と磁気とは別々の現象である。」(1)という当然ともいえる結論が得られる。しかし、マックスウエル電磁場方程式をエネルギー伝播と言う観点から考察したとき、筆者は「電界あるいは磁界のみが単独に存在するような場は有り得ない。」と言う結論に到達せざるを得ない。

2.空間瞬時電磁界ベクトル解析式の導出 

がその部分である。それはコンデンサ内の『エネルギー』を実験的に、磁気コンパスで測った内容だ。

まとめ

計測器と『空間エネルギー』。『空間エネルギー』の貯蔵空間の一つがコイルである。その空間の『エネルギー』の織り成す磁気的と解釈する自然現象の技術利用が『電圧計』『電流計』なのである。