日別アーカイブ: 2019年7月6日

生きる雨蛙

(2019/07/11)追記。雨蛙と幼生生殖 (2012/10/04) の記事がある。今でも信じてもらえるかが気になる。誰もが信じられないかも知れない。しかしもう一度述べておきたい。日本雨蛙は決して水の中でのオタマジャクシの生態は取らない。これが全ての基になる。では普通のカエルの生殖行動が土の中で可能か。しかも、日本雨蛙の雄がいることも確かである。雄は比較的細い体形をしている。しかし、人目に付く場所にはあまり現れない。素早く草の茂みに逃げ隠れてしまう。先日、少し予想と異なるものを見た。雨蛙の鳴き声がした。当然鳴くのは雄と理解していた。ところがその鳴き声の雨蛙は色が茶色系の雌の体形であった。(2019/07/16)追記。色は茶色でなくご覧のようであった。喉元も膨らんで鳴き声を立てそうに見える。雄の体形ではなく、腹部のずんぐりした雌雨蛙であった。この点は初めてのことで、鳴くのは雄との認識が正しいかどうか悩ましいことになった。幼生生殖との生態も科学的な検証結果があるわけではない。土の中で雄と雌の生殖行動が卵胞になされるかは理解困難であることからの推論として幼生生殖にたどり着いた。この点は今でも絶対正しいと断言できる訳ではない。雨蛙の度胸ある生活とその悟りの姿が並の生物に観えない。

生きると言う意味

日本雨蛙は土の中に生きる。土の中で生きるものに蝉がいる。蝉は7年間土の中で成長し、地上に出てからは短い生命で終わる。しかし日本雨蛙は長い年月地上と土の中の生活を繰り返して、生き続ける。決して1年では親雨蛙にはならない。しかし土の中での生態が分かっていない。新生雨蛙となって地上に誕生するまでの生態が分からない。何年土の中で幼虫の生活をして地上に生まれ出るかが分かっていない。ハッキリしている土の中の姿、それはたった一度の春5月頃に遭遇した土の中に観た事実である。木の苗木か花かを植えようと土を掘って、そこに見た光景である。それは白くて、1.5cm程のマッチ棒より細い幼虫が数十匹も絡み合って一塊りで蠢いているのを観測した。それは長い尻尾があり、4本足で細いオタマジャクシと同じ形状をしていた。その時は未だ全く雨蛙の生態に何の関心もなく、これは何だ?と一瞬感じただけでまた土を被せて、その事も忘れて過ごした。その後何年か経って、全く水や池のない狭いその場所に毎年雨蛙が溢れ出ることに何故かと気付いた。それまで水の中でカエルはすべてオタマジャクシの生態を取るものと世間の常識どおりに思っていたのに、不図気付いたら、眼の前の雨蛙の発生が理解できない疑問となった。それから何年も毎年そこに棲む無数の雨蛙をじっと観察することに成った。特に母親雨蛙は大きくて、貫録が有り、傍でじっと観察しても逃げもしなければ、隠れもしない。毎日夏の日照りの中で背中に強い陽を受けてもじっと過ごし、同じ梅の盆栽の木に棲み続ける。特に雨蛙の生態で不思議に思ったことがある。保護色の茶褐色かと思わせる色で毎日居る。そんな生き物がいることを知って、自然の世界は不思議に満ちていると驚嘆せざるを得なかった。そのような雨蛙を見ていて、あの過去の土の中の蠢く白い虫の存在が頭に蘇った。それからが、雨蛙の筆者が考える生態と世間の科学常識(百科辞典でも、専門書籍でもすべて水中のオタマジャクシ説)との間での葛藤が始った。夜行性の生態で、夕方寝床の傍に糞一つを残して、食事に出かける。朝はまた同じ場所に帰って来て、夕方までじっと一日そこで過ごす。そんな姿を見れば、如何にも禅僧の悟りの象に見える。それは相当年数を生きた親雨蛙の日常生活であるが。

地上への誕生。

雨蛙の形状で、特筆すべきは決して生れ出たその瞬間からオタマジャクシのような尻尾は無いことである。既にあの特有な美しい緑色をして、とてもか細いが逃げ足は速く、多くが集団でいる。水の中から生れ出るなら、尻尾が残っている状態を見せる筈だ。決してそれは無い。或る専門図書に薄赤色の尻尾の有る姿を雨蛙として示してあるが、それは無い筈。すべては推論の域であるが、雨蛙が水のない場所に長い間生まれ出る意味を考えれば、その誕生まで地中で何年も過ごしているのではないかとも思える。解らない不思議を秘めた日本雨蛙にささやかな応援を送りたい。

アジサイに姿を見せた。親雨蛙1っ匹。

大きな親雨蛙であるが、少し寸法が小さく見える。

 

全部で、姉さん雨蛙が3匹。妹(今年の新生なら大き過ぎる)雨蛙が1っ匹。計5匹。

 

姉妹で。右側の妹雨蛙は今年の新生児にしては少し大きい。あるいは1月前ぐらいに生まれたか?正面の雨蛙は今年の新生ではない。

 

 

ハーブに娘。傍に昨夜の糞一つ。雨蛙の生態で特徴となるものが昼夜の生活スタイルである。

 

 

 

もう一匹の姉さん。