懸け橋とはどんなものかと考えてみた。自然科学論は人が自然世界や生命を認識するとき、普通は決まった法則や原理という眼鏡を通して理解する。その法則や原理は過去の自然世界の観測手法によって確立された解釈法に基づいたものである。中には、クーロンの法則のように、決して電荷量が測れないという意味で実験的に検証できないにも拘らず、科学常識となっているものもある。自然世界の認識には、科学論はその観測技術があって初めて成り立つのだろう。哲学は実験的な検証を飛び越えて感覚的な捉え方で認識するものかも知れない。例えば、光の空間エネルギーの縦波伝播現象の認識は空間エネルギー分布を観測する技術は無かろうから、科学論として確立するのが困難かも知れない。自然世界の人の認識には懸け橋としての実験的か哲学的かの関わり方の問題が重要な意味を持っているように思う。もう一つ懸け橋として考えなければならない点を指摘したい。科学論の根幹をなす「論理性」の問題である。理論的矛盾の存在を気づいたとき、その対策が科学論の未来への道しるべとなろう。(2020/5/13)追記。この記事の後、力の概念と電気物理 (2019/5/21) でクーロン力は全く論理性の無さで矛盾の法則であることを証明した。
自然は悠久の大河
その懸け橋はいずこか
自然と科学理論の間に
その溝の深さよ
懸け橋の掛け方を知らず
深さを探れば
更に隔たりて途方に暮れる
ひとり孤の道
澄む月の寂しさ
独創と共和の溝深し