「金原の物理」を繙いてみて

手元に大好きな本が残っている。筆者が高校生の頃、物理の受験参考書として一世を風靡した本である。今でもその内容は、重厚で考える理想的なものに思える。
物理の研究 (上巻) 262頁 旺文社 昭和31年3月1日 重版 定価200円。『金原(キンバラ)の物理』と言って大学受験の有名な参考書であった。時代の雰囲気がある。

今、電気工学の回路理論を電気物理と言う視点から考えた見たとき、物理学理論の教育的に取り扱う教科書の内容が何か不都合な状況にあると思えてならない。現代物理学理論が本当に自然界を理解するに有用な未来への指針を示していると言えるかに大きな疑問を抱かざるを得ない。『非力学的エネルギー』と言う視点で『エネルギー』の意味を考えている。どこか物理学では『エネルギー』の意味が間違って捉えられて、そして教育されているとしか考えられない。

金原の物理の緒言  はじめに緒言として述べられていることが、今読んでも古典的名著としてのその風格の高さに敬服させられる。相当長い文章(42字× 60行)であり、その内容には深い哲学的な意味合いが込められていると思う。そこには

『われわれには自然界に向かってかくあるべきだと命令する権利は少しもないのである。このようにして得られた法則を基礎としてこれを一つの体系に組み立て、学問としたものが自然科学である。』とある。その最後の文章に

『こうして根本を掴み理法を整え、整然とした完全無欠な体系を作り上げることが物理学の目的であって、この体系が出来上がれば今度はこれを基にして新しい現象を説明することも出来るし、応用して種々の発明をすることも出来るのである。 しかしこれはどこまでも目的であって、現在の物理が、この域に到達しているわけではない。今までの物理学者達が練りに練って作り上げた体系もまだまだ不完全なものであって、この体系では到底説明の出来ないような新事実が次から次へと発見されている。矛盾するような新事実が発見されたときにはその都度体系に修繕を加えて、これをも包含するように作り変えてきた。しかし変えても変えても、矛盾の種が尽きることがない。恐らくは、体系の作り変えというこの努力は永久に絶えることはないであろう。これが生きた物理学の姿であり、そしてその物理学を生かして行くのがわれわれに課せられた任務である。』と締めくくられている。

この緒言には、自然に対してとても敬虔な姿勢で向き合っている気持ちが表れている。それに対して現在の物理学教育の姿勢が、何か全てが分かってしまって現在の理論をそのまま学習すれば良いと言わんばかりの硬直性に縛られているようで、危険にさえ思える。

研究的態度の養成 寺田寅彦』 が検索に出る。そこにも上の『金原の物理』の緒言の心掛けに似た思いが綴られている。

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