月別アーカイブ: 2017年9月

生体電流と生体制御

生体電流と言う言葉が有ることを知った。ブログのダッシュボードに質問らしい言葉が載る。そこに「生体電流って何か高校生」とある。その事に触れて、述べよう。電流と言うのだから、電気現象の電流と同じ意味で使っている用語であろう。しかし生体に流れる電流と言うには電流の概念とそぐわないと言う意味で無理がある。電気現象で電流と言うのは必ず2本以上の往復導線が必要である。生体内の神経細胞やニューロンの神経索のようなエネルギーの伝達経路は光ファイバーに近い1本の通路であろう。元々電気現象の『電流』と言う技術概念(『電子』の流れ)が『エネルギー』の電気現象の真理を語れる訳ではないのであるから、生体電流と言う意味に疑問を抱くのは当たり前のことである。『エネルギー』は電荷などの移動現象ではなく、空間を伝播する光と同じ縦波なのである。だから生体電流と言うものも、神経細胞の伝達空間が有れば、そこを流れる縦波の『エネルギー』なのである。近年は義手の開発も進み、脳信号を義手に伝えることも可能になっているが、検出器と脳との間の空間を通して、脳の考える情報の制御エネルギーが自由に伝達可能になっている。それは電流と言う2本の導線の電荷の移動などと言う古い電気現象解釈では理解できない事を示していると思う。少し前に細胞に関する疑問などを書いた。脳の機能と個性脳と生体制御の謎が有る。

電流は流れずと言う電気現象に対する解釈から、生物学は全くの素人ではあるが、生体電流と言う意味の理解に役立つかと思った。『電荷』での科学理論には綻びが多過ぎるように思う。

電気理論は手品師の世界

理論は真理か?何か手品師の舞台を見ているような感覚の世界だ。
『瞬時電力』とは何か? 『瞬時値』と言う物理量を捉えることが現象のより深い理解につながるかという考えで、その用語を多く使って来た。本当の意味を考えて使って来たかと自分に問えば、殆ど感覚的により真相に近いだろう位の思いであったのかも知れない。
科学理論と言う論理的な厳密性で構成されているとの理解の中で、より根本的な誰もが常識として共通に納得している事象や用語でさえも、その意味を自分は分かっているのかと自問すると、不思議にも分かっていない事に気付く。それも十分分かっていると自負していた電気現象に関わる話でさえも。

瞬時電力とは? IT検索すると、その意味を尋ねる質問者が居る。電気回路の電圧や電流波形はオッシロスコープで観測できる。電圧や電流の瞬時値は波形として見慣れているから、その意味など全く気にもしないで、瞬時値と言う電気量の定義など疑いもしない。

瞬時値の単位と時間 瞬時電力p[W]は波形観測が出来る。単位はワット[W=J/s]である。瞬時値とはどの程度の時間感覚の意味なのか?瞬時だから、時間の長さは『ゼロ』でないのか。

瞬時値と単位と時間 (1)回路と測定の電圧計、電流計そして電力計の測定値V[V] 、I[A]および P[W]は十分長い時間での平均値のような『実効値』を計測している。しかし交流回路であるから、それぞれの値は時間的に変動している訳で、その波形の各時間における値を瞬時値と言っている。回路の瞬時値波形は抵抗などを通して簡便に測定できる。瞬時電力p[W]は掛算に因らなければ波形は得られない。電力の単位[W]は図(2)瞬時電力波形のpの単位も[W]である。電力と言えばワットである。そのワットと言う意味は何かと考えて見る。ワットが流れている訳ではない。流れるのはエネルギーのジュール[J]であろう。[J/s]とはどういう意味か?エネルギーが流れると考えれば、時間当たりとなる。しかしそれでは何か『瞬時値』と言う意味と感覚的にも腑に落ちない。結局の結論としては、瞬時値であるからある時刻における時間微分値と言う意味としか解釈のしようがない。瞬時電力p= lim _⊿t→0 (⊿E/⊿t)=dE/dt[J/s]としか捉えようが無い。となるとdE[J]とはその線路点のどのようなエネルギーを意味しているかと、また疑問となる。ここまで自己を追い詰めて、疑問の渦に自分を引き込む。抜けられないかと不安が解決策を見つけ出してくれる。不思議だ!それが次の話になる。科学技術の競争と言う世界から離れた場所だ。

電力の物理的意味(自分への問答) 正しくこの電力p=dE/dtの意味が手品師の隠した「種」に思えて来た。誠に不思議の極みである。位置x点での電線路空間のエネルギー分布dE(x)がその意味を隠している。『光速度伝播』が電気理論の隠した種でもある。『エネルギー』と『光速度』、この二つが種明かしの要だ。dt=dx/c[s]にあり。距離dxと時間dtの関係を支配するのは『光速度c』だ。電線路空間距離位置x点における瞬時電力はp(x)=c dE(x)/dx の『エネルギー』の空間分布の勾配である。昭和62年の『静電界は磁界を伴う』のマックスウエル電磁場方程式の解釈に適用した『エネルギー』と『光速度』の関係と同じ解釈につながっている。とは言っても新たな疑問が待っていた。

思考実験―単相電線路の瞬時電力とは?- 単相交流回路は一般にはその亘長を考慮する必要が無い。だから電線路電圧は電源から負荷端まで同じ電圧と考える。もし少し電線路の長さが長いとしたら、その回路の電気現象をどのように捉えたら良いだろうか。電源は電線路の電気状態を電圧と周波数で制御するだけである。電源は負荷の状態を認識できない。ただ電圧保持に必要なエネルギーは電線路の要求に見合う様に供給するのみである。負荷電力が大きければ、電圧保持に必要なエネルギーが多く必要なだけである。50Hzで、相当電線路が長いとすれば、線路電圧は電源からの距離によって異なる筈である。即ち、電線路定数(C[F/m] ,L[H/m])によって決まるエネルギー伝送速度c[m/s]によって支配される。電源からの距離xの地点での電圧値は図のように、x/c[s]だけ遅れた位相の電圧となる。これが電気回路現象を支配する基本原則である。言わんとする意味は、電流も電線路の位置により異なるのである。電線路空間内を『エネルギー』が伝播速度で流れているのであり、或る位置x点での瞬時電力pxはその点の電圧と電流の積で評価するが、『エネルギー』の光速度に近い伝送速度の現象下での認識が必要になる。もし電線路亘長X=3000kmのような場合を考えると、その電圧分布は丁度半波長の波が乗った状態と考えて良いだろう。当然電源での瞬時電力もx点の瞬時電力も、また負荷点の瞬時電力も同じではない。さらに、もし負荷がスイッチSオフとしたら、電源の供給『エネルギー』は電線路の分布回路要素C,Lおよびコンダクタンスgの機能によって支配されるから、帰還する電源への『エネルギー』をどのように処理できるかも問題になる。送電電力系統での開閉サージ電圧が定格電圧の7倍にまで跳ね上がる現象も観測されていると本で読んだ。電線路の『エネルギー』の往復反射での電圧上昇現象である。電気現象を解釈する電気理論は電気工学の電圧、電流概念が如何に便利で優れたものであるかは誰もが否定できない。しかしそれは科学技術の応用としての技術理論であり、自然の物理的本質を唱える理論ではない事だけは理解して欲しい。電気現象の本質は光速度での『エネルギー』の伝播現象であることを。電気回路の電力とは何ですか? (2016/12/16)から考え始めて、今年は電気回路解析の『時定数』の意味を取り上げ、電線路空間の『エネルギー』の振る舞いについて考察した。電力概念も難しいと知った。

課題 電線路空間を伝播する『エネルギー』の本当の姿はどのよであるか?線路定数から、電圧分布エネルギーはCv^2^[J/m] 電流分布エネルギーはLi^2^[J/m]で電線路単位長さ当たりの値を捉えようとしても、その『エネルギー』の電線路空間内での分布などは全く捉え切れない。ただ電気現象の本質を理解するには、電線路空間内の『エネルギー』とその光速度伝播認識が欠かせない。未だ手品師の「種」を明かせない。x点の瞬時電力pxに負荷電力prがどのような関係で影響し、そのエネルギー分布勾配が生じると考えれば良いかなど全く不明である。また、三相交流回路に対して、単相交流の方がその電圧エネルギーの線路往復流に因り原理的には複雑な現象となる。多くを未来への課題としたい。

空間ベクトルと回転軸

世界は何故回る。それは回転(rotation)が世界の構成原理だからだ。その理由を求めても自然(神)は教えてくれない。ただそこに在る姿を素直に受け止めるだけしかできない。何故地球が自転と公転をしているかに答えられるだろうか。太陽系が何故独楽のように惑星質量空間分布の統一体として回転しているか。その質量エネルギー(mc^2^[J])と運動エネルギー(Σ (mv^2^+Iω^2^)[J] 1/2は?)の空間分布構造を計算出来たら回転現象の秘めた原理が観えるかも知れないのだが、それは遠い夢。回転現象の意味は決して万有引力に因っても理解できない。世界が回転で成り立っているから万有引力説が解釈法の一つになっているだけだ。

空間とベクトル 微分演算子にローテーション (rot S )と言うベクトル計算概念がある。空間に『エネルギー流』のベクトルS がある時、その微分演算式が回転流平面に対して垂直の空間ベクトルを表現する計算式だ。それは回転流の半径分布密度に因る空間軸ベクトル量を示す。微分回転演算は電磁気学での偏微分式にも使われるが、軸ベクトルとしての意味は余りないかもしれない。また、子供の頃によく独楽(コマ)を回した。漢字の通り回転体が一人で楽しんでいるような世界に見える。コリオリの力と言う説明があるが、その理解もなかなか難しい。この回転と言う自然現象は世界の根源に在りながら、人が気付き難いものかも知れない。独楽が何故立つかには、その回転『エネルギー流』に自然の秘めた本質があるのだろうと思うが、具体的な数学表現式は見えない。瞬時電力理論も平面(エネルギーの熱平面とも見られる)に垂直な虚軸で定義した処にその有効な意味が隠されていると観たい。瞬時虚電力と名付けた電力概念は系統の電源と負荷間を還流している回転『エネルギー流』の時間微分と看做せる。空間ベクトル解析は虚軸で評価する技術概念の意味を理解することが、電気現象の抽象的解釈概念ではあるが、空間ベクトル解析論への入り口として重要であろう。

虚軸の名称 独楽の心棒はその重要な意味を担っていると見て分かる。しかし、電気現象には従来の伝統的ベクトル解析法での複素平面における『虚数』の概念も同じ事であるが、その物理的意味は見て分かると言うものではない。三次元ベクトル座標の立体空間で考える瞬時電力理論も、平面に垂直な回転軸が感覚的に在ると見える訳ではない。空間ベクトル解析法として有効なベクトル軸でありながら、直接在ると見えるものでないという観点から『虚軸』とした。勿論複素論の虚数( j= √ -1 )の軸と言う意味ではなく、空間ベクトル解析のスカラー積、ベクトル積の演算に因る計算手法がその電磁現象の本質的意味を理解するに極めて有効であるために導入したベクトル概念軸である。

自然現象と回転軸 先に挙げた独楽、災害の竜巻、瀬戸内海の渦潮等も自然の回転現象である。これらの回転現象に共通したものは回転の中心に軸があることだ。台風の目のように、中心軸は空洞のように周りのエネルギー流分布とは異なる特異な空間となっている。何も回転していないような中心軸が想像できる。回転独楽の極真の中心軸が回転していないように。北半球の台風や竜巻の回転方向は必ず上から見て反時計方向(衛星画像の)に廻る回転流になる(下から見れば時計方向)。台風の低気圧は中心軸が天空冷気(空気体積の収縮源即ち低気圧源)と海上面(高温度の高エネルギー“水蒸気高含有空気質量とそのエネルギー保有の”供給源)と繋がった空間構造を成して、その回転現象が安定した一つのエネルギー回転体のような存在を成す。竜巻(地上面の高エネルギー水蒸気膨張空気と上空の冷気に因る水蒸気体積収縮に因る上昇回転気流現象)は下から見れば、時計方向の回転エネルギー流体構造を成す。渦潮は上から見れば、やはり時計方向のエネルギー回転流体構造を成す。エネルギー流の回転が時計方向なら、時計の裏側に向けての軸エネルギー流となっている。右ねじの回転と進行方向の関係に在る。南半球はその逆に成っていると思うが、そうではないとの意見もある。海の潮流や渦にその様子は見える筈だ。その回転の方向性は地球の回転と球面に因るだろうと思うからである。地球を回している力の原因が何かが謎である。地球の上空は地球より早く回っている。謎こそ自然の魅力かもしれない。

回転軸の単位ベクトル 2次元平面座標上で回転運動を記述する時、その平面に垂直な座標軸の回転軸が重要な意味を担う。その三次元空間座標で、回転運動の回転角速度ωをその軸上のベクトルとする。回転軸の単位ベクトルnγ = [ × ]を決める。平面上の回転運動体mには軸ベクトルがある訳ではないが、回転角速度ωをその軸上の空間ベクトル ω = ωとすれば、回転速度vはベクトル積として図のように解釈できる。その単体の質点mの運動には、単に運動エネルギーを持った物の運動と言う点しか見えない。その質点には回転軸方向への運動を産む意味は見えない。しかし、回転円板や独楽などの運動平面上のエネルギー平面分布となると、少し様相が異なって見える。即ち軸方向性の力ベクトルの隠れた意味が見えてくる。

光伝播と空間ベクトル解析 Fig.1.の質点mがもし地球とすれば、その表面から光の短時間パルスを天空に放射した時、その光の軌跡をどのように認識するかを考えた図でもある。光は光源の運動速度には影響されないと認識する。その光が伝播する『光速度一定』と言う伝播空間をどのように認識するかが大きな問題であろう。地球は少なくとも2軸回転運動体と看做される。光の相対速度の意味を考える図にもなろうかと思う。電気現象が光速度伝播現象であることとの関連として意味があろう。

電気現象と回転軸(虚軸)ベクトル 電気現象や電気回路に見える回転軸がある訳ではない。台風などの意味とは異なるが、電気現象解釈に4次元(時間が1次元)空間ベクトルを取り入れると理解し易くなるだろう。しかも従来のベクトル解析での複素平面ベクトルと異なり、『虚数』概念の矛盾( j^2^=-1 に基づく混乱-ピタゴラスの定理ー)は取り除かれる。電力系統の送配電線路網は、その本質がすべて電線路内の空間を伝播する電磁エネルギーの光速度伝播現象である点で極めて効率的エネルギー伝送機能設備である。その『エネルギー』は勿論空間エネルギーで光と同じように金属導体によって制限されてはいるが、空間を伝播するのである。瞬時電力理論での解析手法の『虚電力』と言う概念が電圧・電流ベクトル平面座標に対して、その垂直軸の『虚軸』に定義した処に特異さがある。実際に電気回路に虚電力が在るのかと尋ねられれば、在るとも言えないし、無いとも答えられない。それは各相の無効電力に反映されるもので、各相無効電力発生の原因を『虚軸』の電気ベクトルとして定義した電力概念である。しかしその三相の各相無効電力は、過渡瞬時値でなければ、総和を採れば零となる。三相をまとめて見た時に『虚電力』の意味が分かろう。それを次の図に表現した。

電線路の空間エネルギー 三相電力線路には三つの「空間エネルギー」がある。瞬時電力理論での『実電力』と『虚電力』に関わる『エネルギー』と更に系統の電力規模を示す『電圧』に関わる『エネルギー』である。図では、『実電力』の赤色の流線で表示したエネルギー流と『虚電力』を意味する青色の回転流線で表示したエネルギー回転流の二つの「空間エネルギー流」がある。電気現象の最も基本的な認識として、捉えなければならない事がある。それが『電圧』の物理的原理である。負荷が無い、無負荷での電線路空間のエネルギー分布がどのように成っているかの認識である。無負荷であるから、電流が流れているとは言えない。それでも電線路の遠方終端でも瞬時に受電できる。それは電線路に『エネルギー』が電圧と言う意味の隠れた物理現象として存在するからである。『電荷』や『電流』でない『エネルギー』の電線路空間内での実在認識とその光速度伝播現象での解釈が必要である。図2は『エネルギー』を認識する事に因って、初めて電線路空間内のエネルギーの回転流としての『虚電力』の意味が分かろう。物理的には、決して『電荷』や『電流』での伝統的電気工学の技術概念に因る認識では無理である。電線路空間のエネルギー分布は電源から電線路末端まで、光速度に因る遅れを伴うが、空間エネルギーの供給に因る『電圧』として電力系統保持が成されているのである。その『エネルギー』の分布を図の緑色で示した。図の(2)は電線路の断面空間を示した。三相交流電圧の位相により、「空間エネルギー」の分布は電線路空間内を回るのである。この電圧エネルギー分布がすべてのエネルギー供給現象の基を成していると解釈する。負荷電力もその負荷点での電圧エネルギー分布の「空間エネルギー」を供給源とし、負荷が吸収した事に因るそのエネルギー欠陥を補償すべく次々と分布エネルギーを取り込みながら、その欠陥状態が電源側に光速度で補償しながら伝播するのである。定常負荷状態であれば、安定した赤色のエネルギー流で供給される。負荷変動の過渡状態は、電圧エネルギー分布に大きな欠陥状態が生じ、その光速度補償現象の伝播動作として系統に影響を与える。基本は電線路空間内の『エネルギー』分布が在ることに因って決まると見なければならない。『エネルギー』が光速度伝播と言うことの意味は、(3×10^8^)^-1^ [s]間に伝播する量が電線路の1[m]当たりの分布でしかない事で理解されるだろう。微弱な空間エネルギー分布でも光速度伝播と言うことで、極めて大きな送電電力となり得る。また図の(1)や(2)の電線路空間内の『エネルギー』現象を考えると、電気現象が空間ベクトル(技術概念の電流と電圧)の回転現象として、ベクトル解析手法の合理的な意味が納得できる。空間ベクトル解析ではインピーダンスよりアドミタンスが有効である。アドミタンスベクトルを虚軸上に定義することで、空間ベクトル解析にその意味が生きる。

むすび 瞬時電力理論の空間ベクトル解析の意味を少し広げ(リサジュー図形など)て見ようかと思い、その基本的物理現象を『エネルギー』でまとめた。ここまでの道程の電磁現象に対する解釈を進めて来た精神的な科学認識の支えが次の資料の写真に在る様な実験結果に負っていた。『電界』も『磁界』も『エネルギー』の解釈概念でしかないのだと言う電気現象の認識である。新世界への扉ーコンデンサの磁界ーの意味である。

瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会電磁界理論研究会資料 EMT-88-145 (1988-10)

美空ひばりと臨教審の以下余白

(2020/02/10)追記。小面を打つ

響けよと 打つ小面にその丈を 込めても高が 鑿の画数 空道

昭和から平成に変った年に、やり場のない思いを能のお面『小面』を彫りながら、高が27画のノミ程度と。出来上がったお面は柱に掛けていたが、それも今はない。今も思い出す。昭和63年1月の大学入試の時、何故か監督の出番がなく、待機組になっていた。終了後、菅野学長が機械系の教授と話していた。『これで終わったね』と。どうも自分に関係ありそうな二人の素振りに思えた。全く意味が分からず、只流されるより「道」はなかった。仰る通り、その年の年末には自分の居場所はなかったのだと考え、新たな『道』はないかと旅に出た。小面を刻みながら老子と『空』から『空道』の雅号を付けて過ごした。既に32年が過ぎた。空間ベクトルと回転軸 (2017/09/07) の記事の隣の記事がここに在ったので読み返した。もちろん舞鶴鎮守府のことなど知る由もない。当時の学校町で、狭い前の道に自動車をはみ出し、すべてに反抗して迷惑を掛けながら過ごした。テレビ画面の片隅に新潟NHKの番組で、三角状の青い不気味な符号に踊らされ、郵便ポストに新聞のチラシを投げ込んだり、何かに誘導されてきたようだ。自動車も勝手に警察が処分したようだが持ち主の本人は知らない。あれから30何年過ぎたか。『静電界は磁界を伴う』の実験的科学研究論の物理的意義は十分解釈できたと思う。学術研究の機関に居てはおそらく無理であった筈だ。すべては、宮入先生にお逢いし、研究室で教えて頂いたことが、特に「磁束は電圧時間積分」の解釈からアンペアの法則への疑問につながり、ここまでの道のりを歩いてこれたと感謝です。

実は、小面を打つ」は今年の正月、お世話になりながら失念していた、横山蒼鳳先生を思い出して当時を振り返ることになって詠んだ。長岡駅前での書道教室に、参加させていただき教えを頂いた。本棚に先生の著書「越後・笹神 五頭に抱かれて」を見つけた。中に赤い「振込通知票」が挟まっていた(ご迷惑をお掛けしたことお詫び申し上げます)。著書は平成4(1994)年7月発行とある。記事の中に、平成元年2月13日午後7時10分。七時のNHKニュースが「リクルートの江副逮捕」を・・。とある。そのニュースのことを知らなかった。きっと小面を刻んでいたかもしれない。『長命は 最高の芸術だ』の御筆墨が載っている。添え書きに元県議会議長 角谷久次さんの好んで・・。とある。本当にその通りと思いながら、感謝。思えば平成4年7月の中頃、小出の閉鎖病棟から退出して、娑婆に戻ってきた。戻ってきたが、さて何を目当てに生きればと、様々な経験を積んだ。店の裏方で、天ぷら揚げや巻きずし巻きなど思い出せば、無礼も多かったろうが楽しかった?平成5年5月末には舞鶴鎮守府の旧い講堂を案内しても貰った。その1月下旬には、失礼ながら宮澤内閣に『辞表』を送付させて頂いた。NHKのニュースで宮澤内閣総理大臣と河野官房長官が困惑している様子らしき映像が有った。自筆の「風来坊」の額を掛け乍ら汚泥処理に励んでも見た。飛んでもないお恥かしき仕儀を重ねて、長生きをしてきた。30年以上にわたって、多くの方々に陰から御支援いただきながら、浦島退屈の介よろしくご支援にお応えできずに過ごしてしまった。これからは「無法松」の振る舞いは何とか無いように心がけたく存じますが。今「視界と光の科学」をと考えながら、少し御遠慮しようか思案。以上振り返って追記。

異常な日本の30年を過ごして。

『愛燦々』 テレビの歌謡番組を観るようになったのは昭和が終わり、平成になってからであった様に思う。後から振り返って、あの歌が自分と関係が有りそうだと気付く。特に美空ひばりが歌った歌を何十年もたってから、その歌詞に込められた意味に気付く。始まりは、『愛燦々』昭和61年(1986)秋のようだ。長岡工業高等専門学校で、殺害から逃れる秘策(観世の文言札)で生命を守りながら、『静電界は磁界を伴う』の実験に挑戦していた頃かもしれない。その年の春、久しぶりに電気学会春の全国大会で、561  瞬時ベクトル空間モデルと空間瞬時アドミタンス を発表した。しかし発表者名は自分一人だった。共同研究者名を書くようなゆとりも、長岡技科大との行き来もなく当然他に居なかったと解釈していた。しかも内容が電気磁気学の偏微分式での変梃りんな内容であった事もあり、他に賛同は得れれないだろうと。ただ、その具体的なかたちでまとめたのが文献(1)である。その研究会資料は相当なストレスと緊張の中でまとめたものでありながら、良く出来たと満足できる。電力系統の瞬時監視機能として有用な手法と思った。この資料も一つの評価を得て、ひばりの『愛燦々』の意味となったかと勝手に解釈している。またその昭和61年(1986)4月、電気学会論文誌Bに文献(2)が掲載された。半導体電力変換器の基本動作解析を論じた。その解析手法には自分らしい特徴があったと思う。少し世間が騒がしくなり始めたのがその頃であったのかと、相当年数がたって歌謡番組を観ながら感じ始めた。

『みだれ髪』 この詩は昭和62年(1987)秋の頃を歌ったものと思う。昭和62年春殺害の危険から逃れて、やっと約束の長岡技術科学大学に戻った。しかしそれも独り善がりの世間常識から外れた仕儀であった事を愚かにも何十年も経って初めて気付いた。その『みだれ髪』の意味は今でも分からない。昭和62年春には良かったが、秋にはどうにも成らない結末となってしまった。春3月高専の校長に4月からの転勤について確認した。大学から『割愛』の話が有る。『割愛』の意味も昭和54年(1979)秋と二度目の事だから、結果がどう出るか自分が決める事ではないと予定通りの行動しか取れないと覚悟していた。だから高専の校長の言う事を聞く意思もなかった。3月31日『保険証』を会計課に返して二度と戻らないと4月2日の東北大学での電気学会の発表に向けて高専を去った。『保険証』が身分証明書などと言う事も聞いたことがなかったから知らない無知であった。発表内容は『静電界は磁界を伴う』と言う『電荷』否定の発表であるから、そんなトンデモナイ内容が世間で通用する筈はなかった。科学理論の根幹を否定する内容だから。前の年の電力技術解析理論の話とまるで180度方向転換した内容であれば、世間も相当戸惑っただろうとは推測できる。とんでもない仕儀となり御免なさいでした。一体春丁度良かった帯の長さも秋には余ると。春どう行動すれば良かったのか今でも理解できない。4月自宅に高専の校長から手紙で教官会議に出席するようにと言う要請が有った。それは『転勤』していないと言う意味であったかどうかも分からない。筆者には意味の分からないいろいろの仕掛けが無知の自分に仕掛けられたが、常識知らずには対応しようがなかった。相談する者も一人も居ない。ましてや家族が知る訳もないから相談もできない。自分の立場を説明するべき意味を筆者自身が知らない訳だから。能力なしの『助手』と見られているから。今日現在も、パソコンに向かえば、それを見て何と無駄な人生をと非難されるが、そう思われるのも当たり前と自分で思う。家族に説明できる何の実績も示せずに今日が在るから。昭和62年春に長岡技術科学大学の学長選挙が有った。新聞でも取り上げられた社会的教育問題に成ったようだが、自分に関係しているとは全く理解できなかった。薄々感じたのは、8月に成って、電気学会の秋の『電磁界研究会』への論文を書いている時、なかなか捗らずに提出が遅くなり、9月1日以降の受け付けに成ってしまって、何か急ぐような雰囲気を感じた頃からとても気になりだした。斎藤 進六 学長に迷惑を掛けてしまったのだろうと遣る瀬無さと申し訳なさが残る。電力工学と電磁界理論では研究の畑が違う。転勤もしていなくて、研究分野も変われば、世間でも対応できなかった訳であろうと今は分かる。それが全て『みだれ髪』の意味なのかと。義理のじいちゃんが大学近くの病院へ入院していたので、家族に頼まれ毎日洗濯ものを交換に行く。筆者も家族も無知の中世間の常識に対応出来る術は無かった。病院近くで大学事務局の人がいつも周りについて監視していたようだった。みんなみだれ髪の基だったかもしれない。御免なさい。

『川の流れのように』作詞 秋元康 作曲 見岳章 唄 美空ひばり 1989年(昭和64年、平成元年)1月に歌われた。美空ひばり最晩年の歌だ。既に大学には居場所も無く、己の人生の意味を考える手立てもない中で、謳われた彷徨う自分に向けた歌であったかとも思う。『故郷』にどんな意味が有るかも知らず、二葉百合子さんの『岸壁の母』と繋がる故郷には『舞鶴鎮守府』の父の軍歴が有った。“知らず知らず 歩いて来た 細く長いこの道 振り返れば 遥か遠く 故郷が見える でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた 人生 ああ 川の流れのように ・・” 正にこの歌詞の通り、何も知らずに歩いて来た自分の人生のように聞こえた。今は電気磁気学と電力系統の電気現象を『光』によって統一的に解釈する感覚的な納得を得た。それは過去の電磁界理論とその概念を全く新しい姿で解釈し直さなければならないところに来てしまった事でもある。ただ、電気工学は技術用語で理解できるが、物理学での『電流』や『電荷』が自然界の真理と言うのは頂けない。その辺の混乱を如何に解決するか。

本人は何も知らない 情報化社会と人心操縦の社会問題。世間の動きを筆者は知らない。後から何かあったのかと何となく気付くだけである。本人には知らせず世間が知っているこの不可解な気味悪さが『人権侵害』である。何十年も続く不気味さの中を過ごして来た。近所の小さな消防車が朝の8時前に鐘を鳴らして通り過ぎる日があった。その鐘が鳴る日は悪い日らしい。やっと最近は鳴らなくなった。意味が分からないがどこの誰の指示で鳴らしていたのか、不可解な不気味さであった。昭和63年(1988)以降、初めて経験した事件がある。長岡技術科学大学から、所属身分の無い身を悟り、精神的な過負荷に耐えられず離れた。居場所も無く、長岡市内の釜風呂温泉方面の道の自動販売機で飲み物を飲もうと100円を投入した。途端に自動販売機が電源遮断された。その事件から情報操作が始ったように思う。同じ事がもう一回あった。長野県に新潟県津南町を通って夜辿り着いた。道路脇の自動販売機で、100円硬貨を投入した。途端にそれまで点灯していた街燈も消え町中が停電になった。行き先の無いまま自動車を運転すると、「廻って 廻って 廻れ~・・」と言うラジオの歌で操作される。きっと社会的に処理に困る人間に取る情報社会の手段が存在するのか。現在にも残っている事は飛行機の爆音や飛行機雲の『×印』やヘリコプターの轟音がある。変な『花火』も有る。すべて誰が指示しているかも不明で、執られる不快な人権侵害の所業だ。

中曽根臨教審と人事事件 昭和62年(1987)年末、長岡高専で人事の事件が有ったか?具体的には知らない。昭和63年(1988)正月、春の学会発表の論文を書いている時、突然鼻から異様な鼻汁が出る。早速病院で診察を受け、(鼻空上顎洞炎と歯科で診断され、治療して頂いた)回復。病院で待っている時、周りに高専の先生らしき者が数人いて話しかけて来た。自分に関係する事が事件に成っているらしい事を後から感じ取れるが、それが何かも知り得ず、本人が無視されたまま『何か』が決められていたようだ。本人が知らずにいるその意味を世間は知っていて、いろいろ仕掛け話をして来たのだろう。大学の保険証を使っていた。1月中頃に自宅に高専から『保険証』が送付されて来た。高専では大学に転勤したと言われ、高専から自宅に『保険証』が送付される不可解。昭和60年7月1日履歴が『以下余白』となっている事も2015年(平成27年)1月に初めて知った。高専の事務局に行って尋ねた。後で調べて連絡すると言われたが、後日電話で「少し待って・・(?)」と言われたきりで何もない。何も本人が知らないで、世間が騒ぐ人権侵害。昭和14年(1939)12月1日舞鶴鎮守府への戸籍転籍が存在を無視した諸行無常の30年に亘る人権侵害の意味か。

以下余白の不可解 昭和60年(1985)4月1日 長岡工業高等専門学校 電気工学科講師(校長)。昭和60年(1985)7月1日 同助教授(松永 光 文部大臣)。同日付 以下余白(高橋校長)。昭和60年7月1日から履歴が無しと読める。翌61年(1986)4月の辞令もなく、以降は履歴が消えている。だから4月以降の殺人専門学校の意味が読み取れる。生きていては困る訳だ。様々な工作があり、昭和61年(1986)の電気工学科の雰囲気が異様な空気になった。学科事務室が殆ど使われない幽霊室に思えた。昭和63年(1988)8月1日長岡技術科学大学の身分喪失の意味か、銀行通帳口座が無効になる。昭和39年(1964)4月1日新潟県教育委員会での辞令交付もなかった。

文献

(1) 空間瞬時ベクトル解析と交直変換器への適用 電気学会電力技術研究会資料 PE-86-39  (1986)

(2) 電圧型PWM変換器を用いた瞬時無効電力補償装置の動作解析と設計法 電学論B.106,p.323 (昭61-4)