長い伝統に因って培われて来た学問の中で、この世界の根源を探る哲学的分野に『物理学』が在る。前から大変畏れ多い事ながら、単に電気工学分野の『エネルギー』感覚から、物理学概念の意味への疑問そのままを書き記して来た。失礼の段お詫びしたい。特に『エネルギー』の概念について、物理学では質量なしの空間に存在する『エネルギー』の認識が無いと批判して来た。別の記事で、『静電エネルギー』の意味を考えている内に、少し誤解していたかと思う事に出会った。それはエネルギー単位[eV]である。素粒子加速などの場合に採られる基本的単位である。その概念には質量の意味が何処か隠されているのか、表面的には現れていないような感覚を受けた。そこでその『エネルギー』の概念が良く分からない事も有って、ここで確認しておきたいと思った。
エネルギー単位[eV] 荷電粒子が電場で受ける運動力学とその結果得られる『エネルギー』の意味を少し幼稚ながら具体的な量を基に考えてみる。先ず電場と言う意味から考えてみよう。ただし、空間誘電率ε=1/(36π)×10^-9^[F/m] とする。
電場とは 電場とは電荷によって創られる空間の電界強度の分布空間と理解している。図1はQ0の電荷からr=3[m]の離隔点の電界強度(ベクトル) E1が丁度 1[V/m]となる状態を仮定した。そんな単純であるが、具体的な意味を基に電場とは何かと考えてみたい。図に空間の一点の電界E(x)を示した。その場の電界は両方の電荷Q0 とq からの電界ベクトルの合成として空間の電界強度が決まる筈だ。いま、距離xq をだんだん小さくしてゆくとする。すると限りなく電荷qに近い場の電界強度となる。Q0 に因る電界は小さくなるが、qに因る電界は限りなく強くなる。qが単位電荷であっても距離の逆2乗で無限に大きくなる。自己電荷qによる電界強度は空間電界分布にどう評価すれば良いか。自己電荷qの点では突然不連続の電界分布断裂点となる。この問題はデラックが唱えた点電荷のエネルギー無限大の矛盾と同じ意味と思う。電場の電界強度は『電荷』に因ると解釈する限り、その電界強度の空間分布そのものが『エネルギー』であるとの認識には成り難いように思う。この『電荷』と電界強度と『エネルギー』の関係が電場とは何かを考える原点であった。『静電界は磁界を伴う』になった。
『電荷』と『力』と『エネルギー』 [eV]の『エネルギー』評価単位は素電荷eが1[V]の電位差を通過すると『電荷』が獲得する『エネルギー』と言う意味らしい。ここには質量が表面に現れていない。質量が無くても『電荷』だけで論じられる『エネルギー』量にも見える。『力』は電界強度と『電荷』のみから評価される物理概念だ。『力』によって動かされる『電荷』と言う意味から、その場を通過するだけで電位差の分だけ『エネルギー』が増加する意味に思える。ただ荷電粒子と言えば、そこには質量が含まれているから、その質量に掛かる『力』で加速度運動を起こすと言う普通の運動力学に因って運動エネルギーを持つと言う馴染みのあるジュール[J]で理解はできる。しかし[eV]は『電荷』がただ電場を通過するだけで『エネルギー』を得ると言う意味のようだ。『電荷』が電位差を登ると位置エネルギーのような意味の『エネルギー』を仮想しているかとも思えるが、それは『エネルギー』の増加には成っていない。増加した『エネルギー』分だけ、その『電荷』が逆の方向に仕事をする意味がなければならない。『電荷』が『エネルギー』を持つと言うことはその『エネルギー』は有効に使えると言うことであろうが、電場でどのような仕事をする『力』となるのだろうか。最後に『電荷』Q0 とq が合体した時、運動速度の意味が無い訳だから、『電荷』q はどのような値の『エネルギー』を持ち、その『エネルギー』はどのように電場に影響を及ぼすのだろうか。またどんな仕事の役割・能力を持つと解釈するのだろうか。もう一つ、『電荷』Q0 とq の間にはどちらが『エネルギー』を受け取るか与えるかは相対的なものと思える。図ではQ0が電場の原因として表現したが、その解釈は相対的なものでしかなかろう。
電磁現象における『エネルギー』 上に疑問を呈したように、全く専門家の理論が理解できない能力無しかも知れない。『静電エネルギー』と言う言葉からその意味をどう理解すれば良いかと考えた時、『電荷』が持つ『エネルギー』等は無いとしか考えようがない結論になる。『電荷』が存在すると言うことを認めるとすれば、プラス、マイナスなど無く『電荷』そのものが『エネルギー』の軸性回転流の方向性に因る空間分布形態と看做さざるを得ないと思う。