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コンデンサとエネルギーと電荷

特にこの1,2年コンデンサの電気現象を考えて来た。IT検索したら、高校生などの質問があって、それに教えられた。一応高校の物理の教科内容になっているようだが、考えると中々一筋縄では答えられない。疑問だけが残る。次の二つの記事が筆者に教えてくれた質問であり、それに答える解答者の解説でもある。さすがに解答者も考えたことであろう。筆者も解答するつもりで、別の視点から考えてみよう。ただその視点が社会的な合意を得るのに困難なものであろう。科学論は一般に過去の先人が築いて来た伝統ある共通認識の基礎認識の上に、新たな発見とか深みを付け加えるもので、そこに新たな共感や賛同を得て互いに達成感を広げるものであろう。社会的な安定した常識の意識が望まれる。それに対して、筆者が述べる科学論は、伝統的な科学常識の教育に携わっている方々に違和感と嫌悪感を抱かれるような内容が多いと自覚している。だから人と融和を重んじるなら殆ど書けない内容ばかりであることも知って居る。気に障る場合はご勘弁願います。『電荷』否定とその概念矛盾認識がその原点に在り、世界の根源要素は『エネルギー』であるとの解釈に基づいているので。余りにも科学常識論からかけ離れ過ぎているから、社会的混乱と言う点で迷惑な事でもあろう。
(1)コンデンサと静電エネルギーについて 高等学校の物理Ⅱの問題を学習して、疑問を提起したものだ。理科の指導内容にはその教科特有の専門用語が使われる。言葉の意味を的確に理解することは、はじめて学習する者には難しいこともあろう。質問者がどのように理解しているかが気になる用語がある。それは『静電エネルギー』である。その『エネルギー』とは何処に在るどんなものと理解しているのだろうか。それは『電荷』でもないし『電界』や『磁界』でもない。静電容量はコンデンサの空間構造の『エネルギー』を貯蔵する容積である。コンデンサ容積内に貯蔵する『エネルギー』を『静電エネルギー』と言っていると思うが、質問者はそうではなかろう。その『エネルギー』を『電荷』で結びつけて空間に実在するように理解するのは無理であろう。物理学での『エネルギー』は電界あるいは電圧に依り受ける『電荷』の移動に対する仕事量の合計値としてエネルギー量ジュールに換算した物として教育されているから。質量に働く力と移動距離で評価する基本的『エネルギー』概念だけで解釈しているから。電気エネルギーは全く質量には無関係の『エネルギー』なのである。光と同じ『エネルギー』なのである。『電荷』があると、どこに『静電エネルギー』が実在すると言うのだろうか。『電荷』の中に在るのだろうか、それともその周りの空間でしょうか。それは教育者側に問う『問答』でもある。結局『電荷』や『電子』の具体性が曖昧なまま、その存在が科学理論の複雑な絡み合いの中に常識化されている処に問題があるように思う。

電荷と静電エネルギー 『静電エネルギー』とはどんな意味で解釈しているかを、筆者の理解する内容で確認したい。物理の教科を教えた事もなく、間違っていると悪いので基本的認識を図に依って考えたい。先ず『静電エネルギー』とは『電荷』が持つエネルギー(?)と理解するのか?『電荷』でなくて空間が保有する『エネルギー』なら大いにその解釈で結構なのだが、どうも物理学理論から推論するとそうではないようだ。『電荷』と言うのも実際は『電子』等に付帯したものとしての、それが持つ『電荷』量という意味で解釈すれば良いのだろうと思う。教科書理論では『電荷』が単独に存在すると言う、質量の無い独立した概念とは捉えておらず、質量に付随した概念として解釈されているようだ。だから『電荷』と言う時は、それは『電子』か『イオン』かの意味で捉えて良かろう。図は中心に『電子』の抜けた原子の集まりで+Qクーロンの原子集団があるとした。現実にはプラス電荷同士が集まるのもクーロン力から考えればなかなか理解し難いのだが、大目に見ておこう。さてそのプラス電荷が空間に存在した時、周辺の全空間には電気力線と言う電界の歪み空間を作り出すと考えて良いのだろう。それが教科書の電界の意味であろうから。全空間の中心が張る立体角は4π[st.rad.(ステラヂアン)]である。半径r[m]の球表面は電界強度E[V/m]のベクトル空間と看做す。そこに何か『電荷』があれば、その電荷には中心の電荷+Q[C]に依る力が働く理論に成っている。それは遠隔力か近接力かも考える必要があるが、先ず空間の電場と言うものをどう解釈するかであろう。その空間は電界があるが、『エネルギー』は存在しないと解釈するのかどうか。空間に『エネルギー』があると解釈すれば近接作用力が有力になるが、教科書のようにただ電界を抽象的に捉えているなら遠隔作用力とする見方になろう。筆者は電界が在れば、それはそこに『エネルギー』が存在することと同等であると解釈するがそれはここでは伏せておく。元々電界なる概念の実在性も理解できない筆者であるから。前置きはそれくらいにして、『電子』に掛かる運動を考えてみよう。『電荷』だけでは運動に依る『エネルギー』の意味を捉えられないのが物理学理論(単位[eV]の概念問題もあるが)だと思う。必ず質量が無いとエネルギー論は成り立たないように思う。『電荷』には力が働いても運動方程式の加速度α[m/s^2]が生まれないから。どうしても質量にお出まし頂かなければならない宿命にある。『電荷』だけでは無理でも『電子』の質量に依りエネルギー論が可能になる。そうするとまた困ってしまう。よく無限遠から『電荷』をその位置まで持って来るにどのような仕事をするかとなる。その仕事がエネルギー論には欠かせない。仕事の解釈は力によって質量を動かした時、力ベクトル f [N]と移動距離ベクトル r [m]のスカラー積で仕事量のスカラーw= fr [J] で捉える。その仕事量は質量を動かすことに使われた消費エネルギーである。普通消費エネルギーと言う場合は、その『エネルギー』は熱として空間に放射される感覚で捉える。しかし、仕事量の幾分(1/2?)かを質量の『エネルギー』増加に変換する場合もある。そこに、電磁気学理論での『エネルギー』のもう一つの単位に[eV]がある。特に素粒子物理学理論等で『エネルギー』と言えばジュールでなく[eV]の単位で解釈するのが一般的である。それは一つの『電子』の電荷量が電界空間で移動した時に『電子』が得ると考える『エネルギー』の量を基準単位とした評価量であると解釈するが、間違いだろうか。その場合、『電子』には質量が在るから電界に因る力で、質量の加速度運動が起こるから『電子』の移動が可能であり、最終的にその質量の運動エネルギー分はどのように[eV]のエネルギー量の中に認識すれば良いのだろうか。[eV]の単位が表現する『エネルギー』の中味は『電荷e[C]』が電位差V[V]間を移動しただけで『エネルギー』を獲得する様な表現単位に思える。しかし、その[eV]単位がコンデンサの電極版間での『電子』などが保有する『エネルギー』に結びつくのか理解が難しい。『電荷』だけのそこには質量の運動力学の基本原理の加速度が見えない。実在物体を移動させる力とは質量の慣性に掛かる加速度を評価した物理学運動原理と思う。そのように質量を伴わない『電荷』のみを移動する運動エネルギー論は物理学理論には無いと思うのだが、その解釈は間違っているだろうか。このエネルギー単位[eV]で思考を整理するためエネルギー単位[eV]を尋ねてに別に取り上げた。さて、質量を伴う『電子』を対象に仕事を考えてみよう。図では、電界に因る力が『電子』に掛かれば、『電子』は加速運動をすることになろう。無限遠からrの位置まで力が掛けられれば、加速度によって相当の高速度運動に成っているだろう。それが力と運動の基本的解釈ではなかったか。そこで、その『電子』の持つ『エネルギー』は如何程と解釈すれば良いのだろうか。再び『静電エネルギー』とは何が持つエネルギーのことか?を考えてみよう。それはコンデンサと言う二枚の対向金属電極に因って構成された空間がその静電容量と言う単位ファラッド[F]の機能の基を成すものである。その空間が空気か誘電体材料かに因って機能の強さに差が生まれる。『静電エネルギー』はどこにどのようにして得られて、何が保持する『エネルギー』と解釈すれば良いのだろうか。『エネルギー』をコンデンサに蓄える仕組みは電気現象として如何なるものであるかと言うことである。このような設問形式で、問いながら考えることは高校生が初めて考える内容としてはそう難しい事ではないだろう。数式で解説している訳でないから、意味を汲んで貰えないかと思った方法だ。何が言いたいかと言うと『静電エネルギー』とは結局具体的にどんな『エネルギー』と理解しているかと言うことであり、曖昧であっては論理の物理には成らないと言う意味を理解して欲しい。誠に難しい教育の社会的問題を論じる様なことになって、読まれる方に申し訳ない思いもある。真理・真髄あるいは哲学とは社会的混乱でもあるのかと?生徒、学生にはこの問題に対処する方法は無い。教育する側、学力試験・入学試験を実施する側に考えて欲しい事だ。ようやく問題の核心に話題を絞ることが出来る。コンデンサの充電現象についての物理的(物理学教科書的ではない)解釈に入ろう。それは『電荷』概念に因るコンデンサ充電問題における矛盾についての考察である。その基本的観点は電気現象がすべて『光速度』の現象である点であろう。

コンデンサ充電現象の意味-『電荷』と光速度現象― 質問者のコンデンサ充電現象の話に入ろう。一定電圧の電源とコンデンサを繋いだら、どんな現象が起こるかが基本の話になる。先ず電気現象はすべて『光速度』の規範の基に在る。そこで、コンデンサ充電とはその電極板のプラス側とマイナス側に相反する『電荷』が集積された状態として理解しているだろう。物理学教科書の『電荷』の現象として考えてみよう。質問者は電源にコンデンサを繋いだ瞬間にコンデンサ電圧が電源電圧になると解釈しているのだろうが、それは止むを得ないことである。電源とコンデンサを並列に接続する図を想像すれば当然である。しかしその電気現象の本質を理解する事には初学者には無理があるのだ。元々教科書が光速度で電気現象を理解する教育内容になっていないのだから。その辺を捉えないとエネルギーが半分になると思うのも当然で、そこに誤解の意味の原因があろう。

図2.コンデンサ充電現象 どんな電気現象も過渡状態では、単純な回路要素で表現できるほど簡単ではない。ただ直流電源にコンデンサをスイッチで接続しても、コンデンサの電圧が瞬時に電源電圧になる訳は無い。それは現象が光速度の遅れを伴うことと、回路周辺の空間がその現象の伝達に影響を及ぼすからである。それは漏れインダクタンスとか抵抗などで表現する事も出来るが、決まった値ではない要素値であろう。厳密な方程式では表現できない。電流と言う技術概念量(is,ir)を考えれば、現象の光速度伝播から、それも電源側と負荷側では厳密には同じ量ではない。ここでコンデンサに充電される『電荷』と言う概念量に基づいて、その充電機構やコンデンサ電圧と『電荷』との間の物理的意味を考えてみよう。コンデンサのプラス電極とマイナス電極の『電荷』の分布を決める原理とその充電機構をどう解釈するか?プラス側のプラスの『電荷』は原子イオンが集まる訳ではないから、電極板から『電子』を引き抜き、電極板金属原子のイオンが残ると考えるのだろうか。その現象も電源側のスイッチSから始まって、コンデンサ端子に現象が伝わることになる。その時導線内にどのような電界(電荷分布に因る)が生じ、『電子』を引き抜く現象が起きるのだろうか。その引き抜き現象が終端のコンデンサまで伝播する様子をどのように解釈できるだろうか。次に、マイナス電極のマイナス『電荷』は電源の負側導線を通して『電子』が流れ込むと考えるのだろうか。そのマイナス側でも同じ意味での光速度伝播現象の解釈が要求される。単純に『電荷』が充電されると言う現象でも、その論理的解釈法を理解するにはとても難しい。『電荷』に因るコンデンサ充電現象はどんな原理で可能か?蛇足であるがもう少し述べたい。『電荷』移動は図1で考えたように電界E[V/m]が無ければならない筈だ。『電荷』は電線導体内を流れると教科書では説明されているから、電線内に電界が無ければ『電荷』は動かない。電源端子の電線内とコンデンサ端子の電線内とでは、同時に光速度を超えて同じ現象には成らない。導線内の単位長さにどんな電界が発生すると考えれば良いか。その電界の発生原理が明確に示されなければ、コンデンサを充電する『電荷』の移動を説明できない筈だ。図1でも述べたように、『電荷』では質量が無いから運動論には適さない。だから『電子』の質量をお借りして、『電荷』だけで良いのに質量まで組み入れた論理となる。コンデンサ電極には『電子』の『電荷』と『質量』を共に充電しなければならない論理になる筈だ。そこで考える、電線内の電界の発生が論理的に解説できるか。どのように電界が発生するのだろうか。抵抗降下電圧とは意味がまったく違うのである。電界と抵抗降下が同じでは、結局『電子』を動かす電界が無いと同じ事である。『電子』『電荷』を動かす電界は『電荷分布』に因ってしか図1の電気力線は説明できない筈だ。導線内に電荷分布に因る電界発生原理を示せなければ、『電子』移動の説明にならない。その『電荷』分布による導線内の電界発生の説明が出来ないなら、図1で論じた電界と『電荷』移動の意味は無用な事になる(本当は『電荷』など存在しないから意味は無いのだが)。『電荷(電子)』は加速度運動方程式に因って力を受けて初めて移動すると言うのが物理学の電気現象の原理の筈であろう。ローレンツ力の磁界加速は円運動で加速すれば中心に螺旋運動してしまう。磁界加速は今回の問題には無関係だ。電荷分布に因る電界しか『電子』は移動できない教科書理論の筈ではないでしょうか。

『電荷』とクーロンの法則 電極板に『電荷』が溜まるとは、どのような電界強度分布から可能なのだろうか。クーロンの法則は同じ極性の『電荷』同士にはその距離の2乗に反比例した排斥力が働く筈だ。どのようにクーロン力を打ち消す力が働くのか、その原理を示すことが理論の物理学としては欠かせない筈と思う。それは摩擦に因る『電荷』発生の解説が古くから受け入れられた解釈手法になっている処に原因があるようにも思う。クーロン力の強さを決める変数が距離と言う科学論の意味を是認するなら、『電荷』集合に対する力の論理的解釈法が示されて初めて電極板の『電荷』分布が論じられると思う。クーロンの法則を超える『電荷』集合の原理が。

静電エネルギー さていよいよ『静電エネルギー』とはどのような電気量で、どこに存在すると解釈すべきかを考えよう。電極板の『電荷(電子あるいは原子イオン)』を素に解釈するとすれば、その『電子あるいは原子イオン』が保持する『エネルギー』と言う意味で捉えるのか。極板に在るそれらの電荷対象は何処で『エネルギー』を保有して、どのような違いを前後で得たのか。『電荷』が『エネルギー』を保有するとはどのような『電荷』の様態の変化を生じると言うのか。『電子』が『エネルギー』を保持したり、失ったりする場合の『電子』内に起こる変化はどのような事で理解するのか。そのように考えた時、『電子』そのものに『静電エネルギー』の保持や消失の責務を負わせるのに矛盾を感じないだろうか。理論的とは、理屈の筋が通っていなければならないのである。矛盾が少しでもあれば、それをそのまま有耶無耶にしてはいけない。しかし、すぐに解決できる場合は余りなかろう。その時こそ、その矛盾を忘れずに何時か解決する時を待つ心掛けが欲しい。『電荷』が『静電エネルギー』を持つと解釈できるだろうか。式での W=CV^2^/2 [J] のV^2^[J/F]([V]=[(J/F)^(1/2)^]であるから) にその責務を持たせる以外ないように思う。『電荷』の次元[C]を『エネルギー』に関係付けて表現すれば、それは[(JF)^(1/2)^] となる。この『電荷』の意味と電圧の意味とをどのように『エネルギー』に関係づけられるかと言う問答になろう。コンデンサの静電容量C[F]は『エネルギー』を貯蔵する機能強度を表現しているが、『エネルギー』を貯蔵する空間的容積ではない。もし『電荷』が『エネルギー』を保有すると言うならば、プラスとマイナスが電極板に向き合う事の貯蔵効果は何なんだろうか。
(2)静電エネルギーの半分はどうなる? 上の(1)に続いて同じ問題であるが、この問題には『電荷保存則』と言う面の意味が強いと思う。質問者の解釈と疑問は至極当たり前の内容であろう。その質問に答えることはまた難しい。『エネルギー』が半分になるが『電荷』は保存されるという前提に在る。電圧が最終的にVになると言う事を実験的に検証できるだろうか。即ち『電荷保存則』が成り立つか?『電荷』の存在を否定する筆者が考える方向は決まってしまう。しかし、最終電圧がどうなるかに残念ながら答える能力もない。その辺の事情を電気現象としてどのように考えるかを述べたい。

電荷保存則と電圧 『電荷』と電圧は電気理論の根幹を成す密接な関係に在る。電圧は電圧計で計測できる。『電荷』は決して測定できない。コンデンサの静電容量は空間的構造体として定義されている。だから電圧が測定できれば、『電荷』は判定できるとなる。しかし、『電荷』が何ものかを確認はできない。『電荷』と考えている物が『熱』と同じ『エネルギー』だなどと言えば科学常識に反する。質問者の求めに答えようとすれば、図3のようにまとめるしかない。科学は実験的に検証しなければならないと言われるが、最終電圧がどのようになるかを計測する方法が筆者には思い付かない。『エネルギー』は電線路空間内で過渡現象の複雑な経過を経て落ち着くであろう。方程式を解く能力が筆者には無い。計測は必ず『エネルギー』を消費しなければできない。『エネルギー』だけが消失して、『電荷』が保存される理由が分からない。

まとめ 電気回路としては極めて単純なものでありながら、その現象を理解しようとするととても難しい事を改めて教えられた。『静電エネルギー』一つの技術用語さえ、長く伝統的に使われているのに、確信を持ってその実像を質問者に示せない。数式で表現される内容の奥に隠された真理はなかなか見え難い。今でも理解できないコンデンサ静電容量の物理学的・電気磁気学的解釈がある。電極版間のギャップが小さくなれば成る程静電容量が大きくなるとはいかなく意味か?ギャップの限界と『エネルギー』の流動模様に関係するか?

電荷概念とクーロン力 電気物理の最初の概念が『電荷』であろう。電気を論じるすべての基礎が『電荷』である。その基礎が理解できない、納得できないと疑問の中を彷徨って来た。高校生の質問がもう一度『電荷』の意味を問う機会となった。まとめとして、『電荷』とクーロンの法則そして電荷の『エネルギー』の関係を図にまとめて見た。コンデンサの電気現象の図は電極にプラスとマイナスの『電荷』が向き合って集まる解説から始まる。――今(2017/09/01/am:9.30)ヘリコプターが酷い騒音を撒き散らしている。誰の仕業か?――筆者は先ずその基から理解できない事に気付いたのが今から30年程前の事であった。クーロンの法則を斬る  に述べたが、コンデンサの電極に同じ極性の『電荷』が集電荷するには相当のクーロン力に因る排力が働く。その排力に逆らって同一『電荷』が集荷する理論的根拠が欲しい。そのクーロン力に逆らう力が示されなければ、コンデンサの『電荷』模様の解釈は理解できないのではないか。もう一点気付いた。『電荷』の『エネルギー』の意味である。(1)プラスの素電荷2個とマイナスの素電荷1個が電気力線の電場内で、一点に集荷した。図1の解釈から、その場合の集合電荷の『エネルギー』は如何程と解釈すれば良いのだろうか。同じく(2)のマイナス素電荷が3個集合した場合は、その総合『エネルギー』は如何程と解釈すれば良いのだろうか。(3)はとても不思議な未解決の『電荷』概念の問題である。プラスの電荷とマイナスの電荷が合体したら、『電荷』はどのような結果になるのか。プラスとマイナスの二極『電荷』概念の根本的問題に思えるのだが、高校生も不思議に思わないのだろうか。『電荷』は消えるのかどうか?

現時点の纏めとしては、『エネルギー』でなく『電荷』を電気現象の基礎概念にしている限り、残念ながら質問には答えられなくて御免なさい。

エネルギー単位[eV]を尋ねて

長い伝統に因って培われて来た学問の中で、この世界の根源を探る哲学的分野に『物理学』が在る。前から大変畏れ多い事ながら、単に電気工学分野の『エネルギー』感覚から、物理学概念の意味への疑問そのままを書き記して来た。失礼の段お詫びしたい。特に『エネルギー』の概念について、物理学では質量なしの空間に存在する『エネルギー』の認識が無いと批判して来た。別の記事で、『静電エネルギー』の意味を考えている内に、少し誤解していたかと思う事に出会った。それはエネルギー単位[eV]である。素粒子加速などの場合に採られる基本的単位である。その概念には質量の意味が何処か隠されているのか、表面的には現れていないような感覚を受けた。そこでその『エネルギー』の概念が良く分からない事も有って、ここで確認しておきたいと思った。

[eV]の意味 ウイキペヂアの記事を参照して調べた。

 

エネルギー単位[eV] 荷電粒子が電場で受ける運動力学とその結果得られる『エネルギー』の意味を少し幼稚ながら具体的な量を基に考えてみる。先ず電場と言う意味から考えてみよう。ただし、空間誘電率ε=1/(36π)×10^-9^[F/m] とする。

電場とは 電場とは電荷によって創られる空間の電界強度の分布空間と理解している。図1はQ0の電荷からr=3[m]の離隔点の電界強度(ベクトル) E1が丁度 1[V/m]となる状態を仮定した。そんな単純であるが、具体的な意味を基に電場とは何かと考えてみたい。図に空間の一点の電界E(x)を示した。その場の電界は両方の電荷Q0 とq からの電界ベクトルの合成として空間の電界強度が決まる筈だ。いま、距離xq をだんだん小さくしてゆくとする。すると限りなく電荷qに近い場の電界強度となる。Q0 に因る電界は小さくなるが、qに因る電界は限りなく強くなる。qが単位電荷であっても距離の逆2乗で無限に大きくなる。自己電荷qによる電界強度は空間電界分布にどう評価すれば良いか。自己電荷qの点では突然不連続の電界分布断裂点となる。この問題はデラックが唱えた点電荷のエネルギー無限大の矛盾と同じ意味と思う。電場の電界強度は『電荷』に因ると解釈する限り、その電界強度の空間分布そのものが『エネルギー』であるとの認識には成り難いように思う。この『電荷』と電界強度と『エネルギー』の関係が電場とは何かを考える原点であった。『静電界は磁界を伴う』になった。

『電荷』と『力』と『エネルギー』 [eV]の『エネルギー』評価単位は素電荷eが1[V]の電位差を通過すると『電荷』が獲得する『エネルギー』と言う意味らしい。ここには質量が表面に現れていない。質量が無くても『電荷』だけで論じられる『エネルギー』量にも見える。『力』は電界強度と『電荷』のみから評価される物理概念だ。『力』によって動かされる『電荷』と言う意味から、その場を通過するだけで電位差の分だけ『エネルギー』が増加する意味に思える。ただ荷電粒子と言えば、そこには質量が含まれているから、その質量に掛かる『力』で加速度運動を起こすと言う普通の運動力学に因って運動エネルギーを持つと言う馴染みのあるジュール[J]で理解はできる。しかし[eV]は『電荷』がただ電場を通過するだけで『エネルギー』を得ると言う意味のようだ。『電荷』が電位差を登ると位置エネルギーのような意味の『エネルギー』を仮想しているかとも思えるが、それは『エネルギー』の増加には成っていない。増加した『エネルギー』分だけ、その『電荷』が逆の方向に仕事をする意味がなければならない。『電荷』が『エネルギー』を持つと言うことはその『エネルギー』は有効に使えると言うことであろうが、電場でどのような仕事をする『力』となるのだろうか。最後に『電荷』Q0 とq が合体した時、運動速度の意味が無い訳だから、『電荷』q はどのような値の『エネルギー』を持ち、その『エネルギー』はどのように電場に影響を及ぼすのだろうか。またどんな仕事の役割・能力を持つと解釈するのだろうか。もう一つ、『電荷』Q0 とq の間にはどちらが『エネルギー』を受け取るか与えるかは相対的なものと思える。図ではQ0が電場の原因として表現したが、その解釈は相対的なものでしかなかろう。

電磁現象における『エネルギー』 上に疑問を呈したように、全く専門家の理論が理解できない能力無しかも知れない。『静電エネルギー』と言う言葉からその意味をどう理解すれば良いかと考えた時、『電荷』が持つ『エネルギー』等は無いとしか考えようがない結論になる。『電荷』が存在すると言うことを認めるとすれば、プラス、マイナスなど無く『電荷』そのものが『エネルギー』の軸性回転流の方向性に因る空間分布形態と看做さざるを得ないと思う。

コンデンサの機能と電気スイッチ

電力回路ではコンデンサは力率補償用設備機器として考えられる。電力回路では実際にコンデンサをそれ程問題にすることは無いでしょう。しかし電気回路の解釈問題としては考えておくべき問題があるようだ。負荷回路にコンデンサを直列に繋ぐことは余りない。誘導性負荷にコンデンサを直列に挿入すれば、R-L-C回路となる。その直列回路で、コンデンサのリアクタンスを大きくするには静電容量を限りなく小さくする必要がある。コンデンサのリアクタンスを大きくすることは回路インピーダンスの総合リアクタンスはマイナスの容量性と解釈すべきだろうか。無限にコンデンサの静電容量を小さくすれば、回路電流は流れなくなり回路遮断と同じくなる。いわゆる電流を遮断する機能を持っているとみることができる。こんな単純な回路の意味を吟味することにも重要な意味がある。元々コンデンサは電気導体が繋がっていない構造を成している。回路としては所謂『電子』の通過を阻止する機能とも見える。電気導体が閉回路を構成していないのである。そんな根本的な意味で、コンデンサの物理的意味を考える考察材料として意義があろう。次の回路を考えてみよう。
1.R-L-C直列回路 ここでコンデンサの電極が離れて、原理的には導体接続を遮断しているスイッチと同じ機能を持っている事を理解してもらいたい。空中の配電線路の2本が離れて平行に張られているのも、見る視点を変えて見れば小さなコンデンサが張られているのと同じ事なのである。

1.直列回路とC  (1)コンデンサ容量をとんでもなく大きな値にした。直列の総合リアクタンスXは9Ωで、誘導性回路となる。(2)はリアクタンスゼロとなる。電源から回路を見れば、純抵抗Rの回路に見える。リアクトルもコンデンサも共に10Ωで、丁度共振状態となる。コイルとコンデンサの間でやりとりするエネルギー量が丁度釣り合って、電源からのエネルギーの関与が無い状態で、電源と切り離された回路要素となる。(3)静電容量を極端に小さくした。C=1[pF]として、そのリアクタンスはX=-3183 [MΩ](負のリアクタンス値) と完全な絶縁状態となる。即ち等価回路のように、コンデンサが回路のスイッチオフの機能を示すことになる。このコンデンサがスイッチのオン―オフ機能を持つと言う意味は、元々コンデンサの電極は離れた導体の遮断状態となっているから、特別な事ではないのだ。ここに、電気回路の『スイッチ』とコンデンサの機能に共通な意味が隠されていただけで、気付かなかったのだ。静電容量が小さければ、電極間の空間に蓄える『エネルギー』の量が少ない訳で、丁度スイッチの接点間の空間に蓄える『エネルギー』が少なくて回路遮断する機能と同じ意味なのだ。スイッチの接点間の空間エネルギー分布に繋がる意味である。それが『物理』である。覚えることで無く、学校教育の目指すべき教育内容は『理解する』である筈だ。本質を捉えることは『一つ』の事柄が広く全体に通じる視点を養える筈だ。
2.RとLCの並列回路 序でに並列回路についてもコンデンサの意味を、電気回路現象の例題として考えておこう。

 2. 並列回路とC  リアクタンス分と抵抗分を分離して考える。コンデンサの静電容量の値を変えて、コンデンサの意味を考えた。(1)は特に容量を大きくした場合で容量性負荷となる。リアクタンスは負である。(2)は共振条件でリアクタンスは無限大となる。従って、リアクタンス回路は定常状態では電源と切り離されたようにコイルとコンデンサ間でエネルギーの遣り取りがなされて、電源のエネルギーを必要としない状態になる。だから等価回路の(2)となる。共振回路の損失があるからそのエネルギー分は電源から受けることは当然であるが、考え方としては電源と切り離されると言う認識で良かろう。(3)のC=1[pF]ではコンデンサの機能はスイッチのような意味になってしまう。だから負荷はL-Rの並列回路となる。

結論 コンデンサの呈する電気現象を『エネルギー』に対してどう解釈するかを考えて来た。従来の伝統的解釈は『電荷』の正と負の概念によって解釈する方法であった。その『電荷』は存在しないと言う科学的常識離れの論を展開し、科学者の顰蹙を買って来たと思う。『電荷』概念に依った解釈法を取れば、空間の『エネルギー』の実体が不明確になり、世界に存在する質量の無い『エネルギー』を認識できなくなる。あくまでも世界は「光」と言う世界の根源要素から出来ていると言う認識に依って、コンデンサの電気現象を論じた。電気スイッチが空間エネルギーの電圧を保持した回路遮断機能と看做す観方で、コンデンサの意味を解説できたと考える。

時定数と回路問答

時定数から観る電気現象で問答として残しておいた課題が有った。一部はLとCと空間エネルギーとしてまとめた。図2 時定数Tと力率角φの具体的な意味の説明がなかったので、少し述べたい。もう一つは等価回路変換の問題であった。電気回路の特性が回路要素によって決まることはそのインピーダンスの意味(虚数概念の矛盾の未解決を残して)を通して良く周知されている。インダクタンスとキャパシタンスの個別解釈で回路動作解釈は少し複雑ではあるが、その伝統的解析で納得していた。しかし、今年になって時定数の交流回路解析における意味の拡大適用を取上げた結果、とても利用価値と解析手法としての有効性が有ると認識を新たにした。
時定数の意義と指標K 電気回路は単純に考えれば、エネルギー消費要素の抵抗とエネルギー貯蔵要素のリアクタンスの二つから成り立つと見做せる。インダクタンスとキャパシタンスと言う個別機能を考えるより、それをまとめてリアクタンス分と認識すれば良い筈だった。その意味を表現する回路定数が時定数である。インダクタンスのエネルギー貯蔵機能とキャパシタンスのエネルギー貯蔵機能とは『エネルギー』の空間に存在する意味をまとめて統合して捉えれば良いだけである。その解釈法を表現する概念が『時定数』であった訳だ。電線路の負荷回路内の電気特性を解釈するには結局『時定数』一つで『エネルギー』の振る舞いを理解できることになる。急に時定数とその評価係数Kが有意義なものに思えて来た。そこで時定数の指標Kと呼ぶことにする。電力回路は殆ど誘導性負荷である。従ってリアクトルのインダクタンスLをその回路の無効電力の原因として認識し、着目する事になる。回路要素としてのLの無効電力を補償する様な意味で解釈するには、リアクタンスが零で、その指標K=0を基本に考えれば良い。それは電源周波数での『共振条件』で、電源から見れば抵抗負荷のみの状態と同じである。

指標K  回路が誘導性か容量性かはリアクタンスXが正か負かで決まる。回路のインダクタンスLに対して、その係数となる指標Kの値がその判断の基になる。K=0ならば、リアクタンスLo=0で回路は純抵抗と等価な特性となる。
問答(1) 指標Kと回路特性 具体的な回路要素の値で回路特性を考えてみよう。

指標Kと回路特性 インダクタンスL=67.54747 mH と数値に見苦しさが有るが、コンデンサ容量C=150 μF とで電源角速度ω=2πf=100π rad/sでの共振条件からの選定値であるためご容赦のほど。その回路要素値の組み合わせで丁度指標K=0 となる。さて指標K=0.7 となるような回路条件を求めてみよう。R およびL は同じまま、コンデンサ容量をC=500 μF とすれば、K=0.7 の条件を満たす。力率角φは角度90 °の0.623 倍となる。力率は0.56 程度の相当の遅れ力率回路になる。K=0.7 の図表解釈。この図表は正弦波交流の場合に於いて、電源電圧値や周波数に関わりなく、どの場合にも適用可能な図表である。 (留意点) この図表での力率角φは電圧に対する電流位相差としては、遅れ位相が『正』で表現してある。実際の電流波形表現では、 sin(ωt+φ)=sin ωt cosφ +cos ωt sinφ に適用する場合は、φを図表とは逆の符号『負』として解釈しなければならない。容量性負荷では、やはり逆の『正』の進相で取り扱う。
問答(2) 等価回路変換定理の適用問答 指標K=0.7 の場合のR-L-C直列回路を並列回路に等価変換してみよう。

問答2 等価回路変換 時定数に因る回路解析の手法の例である。少し数値が有効数字の桁として問題のようにも思う。直列回路と並列回路の回路電流値が等しくなるに4捨5入の3桁程度で良かった。等価回路変換の定理が有効な手段になろう。

人生の不可解 人は社会的存在として自己確認が出来る。社会的存在とはどんなことかと自問自答してもやっぱり分からない。周りの人との関係で生きる社会的自己確認をするのだろう。どうも自分の行動意識は余り周りの事を考えずに、悪く言えば勝手族と非難されそうだ。人とも相談せずに勝手な解釈で行動する。だから顰蹙を買い、嫌われる。工業高校で、生徒の電験3種受験指導を勝手に放課後毎日したのも、嫌味と取られかねない。年には7名程が合格した事も有り、生徒の為には良かったと。内地留学で、学校を留守にするのに生徒の授業や周りの迷惑など一切お構いなしの勝手族であった。最近になって気付いたが、代わりの授業をやって頂く講師が居られるのに、自分の机も整理せずに御迷惑を掛けた。恥ずかしい限りだ。馬鹿の一つ覚えで、ただ電気回路の事ばかりを追い掛けていたような気もする。社会で人と関わると勝手族の行動で、巧く馴染めないようだ。それは転勤できなかった事が原因であった為か、大学でもそうであったし、長岡工業高等専門学校では最初から電気科の教官とは馴染もう等とも思っていなかった。ただ2年間学生に出来る授業で役立てられればとの思いで、学校と馴染む意思は最初から全くなかった。自分が中曽根臨時教育審議会の抹殺対象だなど知る由もなく、意味の分からない中で「生命」だけを守って過ごした。今も訳の分からない中で、こんな電気回路の解析法等を考えている自分を眺めれば、幼稚な馬鹿者以外の何者でもない。勝手に自己満足の解析法などと恥ずかしさを曝している。高専でも、大学でも学生の学習評価会議などには一度も出席の要請連絡もないから、出席した事がなく、高等教育の実際の様子など何も知らない。ただ世の中に流されながらここまで生きて来た。電気工学の伝統のある学問の中でも、『時定数』や瞬時空間ベクトル解析等、未だ新しい未開の分野が有ることに筆者が関わる等と言う人生の不思議も理解に苦しむ事だ。しかし、昭和14年12月1日の舞鶴鎮守府への『戸籍転籍(帰還の記録が見えない)』問題が人生の根底にあるとの、消された人生の疑念は消えない。

ボイル・シャルルの法則と水蒸気

気体の体積膨張と収縮はボイル・シャルルの法則として纏められている。温度と圧力と体積の関係が分かり易い数式で表現されている。筆者にも感覚的に理解し易く、受け入れやすい式である。しかし少し詳しい説明になると、気体定数やアボガドロ定数との関係で解説されるが、その高等理論(特に気体分子運動論)を理解するには能力的に困難が伴う。地球気温の異常さを感じ、豪雨水害の悲惨な生活破壊の多さを見るにつけ、空気と言う気体の中味をどう解釈すれば市民的科学テラシーの常識を持つと言えるのだろうか。酸素O2と水素H2と窒素N2と水H2O(水蒸気)の温度特性に違いが有るからじゃないかと考えるが、それらの個別の気体分析は検索に出て来ない。みんなアボガドロ定数の御蔭で教育されているからか、何処にも違いは見えない。空気中の水蒸気含有率(質量)の温度依存特性でも調べられて居れば分かるのだが、こんな時代だからデーターが有ればと思う。空気中の水蒸気含有率は素人解釈ながら、地球表面に於ける太陽光線の『レンズ収束効果』による気温上昇への拍車をかけないかと気掛かりなことでもある。地球上が水蒸気でその温度特性に翻弄されているような気分だ。産業革命の元になった蒸気機関は水分子の特性を際立てた主役である。現代の原子力発電等の汽力発電所は水分子H2Oの独壇場だ。その力強さは湯灌で水を沸かすと、底から沸騰と言う自然現象で水分子が膨張する様子に見られるが、それも他の気体分子と同じ現象で理解すべき事だろうか?酸素と水素原子が結合した分子H2Oと言うが、とても不思議なことと感じる。ペットボトルの空気(水蒸気)収縮 お茶の飲み残しのボトルを冷蔵庫に入れた置いたら冷やされて細くくびれていた。改めて30数度のお湯をボトルに入れ、冷凍庫に入れて見た。冷やされて氷が出来て、写真のように体積収縮で括(クビ)れてしまった。上空に寒気が張りだし、空気の水蒸気が体積収縮を起こし、上空の低気圧に因る地上の水蒸気を含む空気が急上昇し、竜巻になったり、冷やされた水蒸気が雹になる現象の意味が良く理解できると思った。酸素分子も同じような現象を起こすのだろうかとアボガドロ定数に関する気体論とボイル・シャルルの法則を考えた。気体分子運動論が現代物理学の標準理論になっているようだ。その理論には質量がエネルギー解釈の基本条件になっているから、その理論による水分子H2Oの質量の運動エネルギーで解釈すると成ると、ボイル・シャルルの法則以上に理解不能の筆者だ。以前『温度とは何か』が問うもの でも考えた。

蝉の誕生

日本の夏の有り触れた風景。

クマゼミか?長い土の中での生活から地上の新しい世界に生れ出る不思議な生態の昆虫だ。昨年都合で伐採した椿の根元で暮らしていたのだろう。椿の根は未だ生きているから、そこが故郷。蝉は7年と言うが、今でも雨蛙の地中生活の年数は1年かどうかも分からない。蝉は樹木の表皮に卵を産み付けるらしい。その卵がどのように土の中に入るかを知らない。自然の不思議は心のオアシスだ。

飛び立つ前の準備か。二日後の今日も近くで鳴いている。生まれた場所から離れないで過ごすか。鳴くのはオスだけか?

LとCと空間エネルギー

電気回路には回路要素のLとCがある。インダクタンスLもコンデンサCもエネルギー貯蔵要素だ。インダクタンスLの値はその形状と寸法で決まり、「長岡係数」と言う係数もある。コンデンサCもその形状と寸法で値が決まる。勿論それらの空間環境を占める磁性材料や誘電体材料によって大きく影響されることは当然である。

形状と寸法で決まる訳は何か 時定数から観る電気現象で『問答』にしたL,Cとの関係についての参考記事でもある。電気現象の本質がすべて導体や誘電体、磁性体とその近傍における『エネルギー』の振る舞いによって様々な特性を表すことに在る。すべては空間のエネルギーの存在形態として見ることも出来よう。だから『エネルギー』の貯蔵空間の意味によってインダクタンスとかコンデンサとかの電気要素で捉える分け方になると言えよう。ただ『エネルギー』の量がその要素の空間の大きさで決まるのか、その形状を構成する空間の何が大きく影響を与えるかなど不明な事も多い。そこで、回路要素の形状と機能を『エネルギー』から考えてみよう。

空間エネルギーとは? あまり馴染みのない用語かもしれない。物理学理論には質量を伴わない『エネルギー』の存在、その概念があるのかが分からない。世界は『エネルギー』から出来あがっていると思えるから、物理学理論が理解できない。筆者の頭脳の能力が劣っていると言われれば止むを得ないが。周りを見渡せば、光が世界の姿を教えてくれる。その光はどんな素粒子から出来ていると物理学では考えているのだろうか。太陽から届く光の『エネルギー』は何からできていると考えているのだろうか。その身の周りに在る全てのエネルギーが『空間エネルギー』の姿であると言うのが筆者の考えである。電線路を伝送される電気の『エネルギー』も星から届く星座の光もすべて空間を通って流れる『エネルギー』の姿である。それら全てが『空間エネルギー』である。電熱器のヒーターが熱い熱源として働くのも、白熱電球のヒラメントが光源として働くのも、いわゆる抵抗体の内部に『エネルギー』が蓄積され、その貯蔵限度を超えた『エネルギー』が空間に放射されるだけの現象でしかない。質量のタングステンヒラメントの内部は空間構造を成していると看做せて、そこに『エネルギー』が貯蔵されているのだ。それも含めて『空間エネルギー』と言える。電気回路要素のコイルやコンデンサも『空間エネルギー』の貯蔵空間を構成している構造体である。ただコイルやコンデンサは抵抗体と違って、貯蔵した空間エネルギーは外部空間に放射はされず、必ず電気回路内の空間を通して、電源に回生される。だから基本的にはエネルギーの消費はしない。『エネルギー』を処理しながら、消費しないから結果的に利用されない無効の『エネルギー』なのである。その電力が無効電力と言われる訳である。放送電波や携帯情報端末で取り入れる電波はその電波の波長に同期する共振回路で、空間エネルギーの縦波を取り込み、コイルやコンデンサ内の『エネルギー』を選別して利用している毎日である。空間を『電荷』が光速度で飛んでくる訳では決してない。光の縦波の『エネルギー』が空間と共鳴状態(誘電率と透磁率)で伝送されているだけである。みんな空間エネルギーである。

回路要素と空間エネルギー 空間を電気技術から観ると真空透磁率μoと真空誘電率εoと言う基本定数によって解釈する。空間に存在する『エネルギー』は電気技術的観点から解釈すれば、必ず透磁率と誘電率と言う定数によって判断するように習慣づけられていた。その空間定数と同じ観方で、LとCを捉える。真空透磁率や誘電率が自然の眞髄から観れば、その深い哲学的な意味までは理解できないでいる。一つの自然解釈法の基準定数として理解しているに過ぎない。その観方からすれば、インダクタンスと静電容量のエネルギー貯蔵機能も統一的に解釈できれば良いと思うが難しい。

LCとエネルギー LとCおよびRの違いは何だろうか。先ず初めにはっきりさせておきたい事がある。導体のエネルギーに対する解釈である。一本の導線を張れば、その空間に今までと異なる影響を生み出す。エネルギーが基本的には導体を反射体として捉えるだろう。導体の中に侵入すればおそらく熱エネルギーとして消費されるだろう。極端な例が『超伝導体』である。エネルギーロスが無いと言うことは超伝導体が完全反射体であるからである。逆に抵抗体は極めて効率良く空間エネルギーを内部構造体の中に取り込み熱エネルギーとして貯蔵する特性を持った要素と看做せる。貯蔵限界まで蓄えた結果温度が上昇し遂には放射源となって発光、発熱作用現象を呈する。抵抗体の単位を[(H/F)^1/2^]と評価したのも、エネルギーに対する空間の意味を統一的に捉える観点からである。科学技術法則の単位のΩの優れた点とは別に、自然の物理的、より深いつながりを重視した一つの解釈法でしかないが。LとCについては個別に考えてみたい

Lと空間エネルギー リアクトルと言う用語は電力技術用語かもしれない。それは電力用誘導性コイルと言う意味で捉える習慣だ。リアクタンスはコイルとコンデンサの両方に使う用語だが、電力技術では主に誘導性のコイルが主要な回路要素であるために、その用語を代用したのかもしれない。インダクタンスよりリアクトルと言う使い方が馴染みやすい。変圧器もモーターも殆ど鉄心がその主要な構成材となっている。銅線以外は鉄で出来ていると言えよう。電気磁気学のインダクタンスと言う概念と感覚的に電力技術での捉え方には違いがあるかもしれない。『空間エネルギー』の解釈には、リアクトルと言う鉄と銅線から構成された電力機器が頭に浮かぶ。そこでリアクトルと言う捉え方で、電力用インダクタンスLの意味を考えてみよう。

(L-1)ギャップとインダクタンス E I 型鉄心を用いて、コイルNターンを二脚に巻いた。鉄心EとIの間にギャップgがある。そのギャップ寸法が電気要素としてのコイルのインダクタンスにどのような影響を及ぼすか文献(1)が参考になろう。ただgの寸法がインダクタンスLにどんな関数関係で影響するかは、その意味が明確ではないように思う。『空間エネルギー』が鉄心ギャップ部分に集中して存在する事が大きくリアクトルの特性に影響を及ぼしていることは間違いない。ギャップgが小さくなるほどLは大きくなる。しかしg=0ではリアクトルとしての機能は果たせなくなる。インダクタンスL=∞となるから、エネルギー貯蔵機能は無い。それは変圧器となるから。序でに考えておこう。モーターも重い外側の固定子と回転子との間のギャップがエネルギーの存在する大事な空間であり、ギャップ空間エネルギーの振る舞いを動力発生の原理に解釈を広げられれば、物理的『空間エネルギー』の電気現象の役割がはっきりするであろう。若い方に挑戦して欲しい。

(L-2) 変圧器等価回路 鉄心間にギャップがある変圧器は漏れ変圧器と言う。ギャップ空間にエネルギーを貯蔵する機能でリアクトルと漏れ変圧器は同じ意味で捉える事も出来よう。そのギャップg=0ではインダクタンスL=∞で、リアクトル電流は流れ得ない。エネルギー貯蔵機能も無くなる。変圧器等価回路では、相互インダクタンスMとして評価される。1次、2次負荷電流の相互関係を解釈する為にはMが便利であるからであろう。しかし、変圧器の励磁電流と磁束概念の伝統的解釈法では、磁気特性の非線形性をうまく表現し難い点があろう。それは磁束が励磁電流によって発生する訳ではないと考えなければ解決できない現象である。ファラディーの法則の微分形式には電流と磁束の関係は何も表現されていない。微分形式を積分形式で表現すれば、巻線コイル1ターン当たりの電圧の時間積分で磁束φは評価すれば良いだけである。もし励磁電流で磁束を解釈するなら、非線形回路を書き加える便法もあろうが、余り意味は無かろう。しかも磁束さえも技術的解釈概念である訳で、結局は空間エネルギーの一つの観方でしかないと考える。しかし、その磁束概念は磁気現象を解釈するには大変便利で有用な概念であることには間違いないものである。さてリアクトルの『空間エネルギー』であるが、コイル巻線の導体周辺に分布していると考えざるを得ない。電圧概念が元々空間のエネルギー分布の技術的評価概念であると観れば、その解釈法も理解し易かろう。インダクタンス値がコイルの1ターン長さに因るだろうと言う解釈も、鉄心最大磁束密度Bmと鉄心断面積の積φmと言う設計基準の解釈法とも通じていると理解できよう。V=4.44fNφmの意味もコイル1ターン長との関係で理解できよう。

Cと空間エネルギー リアクタンスの一つにコンデンサがある。コイルとはその構造も空間材料(磁性体に対して誘電体)も全く異なる。同じ電気のエネルギーの貯蔵機能要素である。伝統的には実在しない『電荷』概念で評価している。このコンデンサの静電容量と形状の関係が先の記事の『問答』の解答ともなる訳であろう。コンデンサ容量はその電極間の面積に比例し、電極間のギャップdに反比例すると解釈されている。面積一定のままで、ギャップ寸法dを狭くしたら静電容量が大きくなるのだろうか。極限はギャップ零に近付けることになる。ギャップd=0は丁度電気回路のスイッチを投入したような状態となろう。それはもうコンデンサとは無関係の状態である。空間エネルギーを保持する状態ではなくなる。コンデンサ容量Cはd=0で定義式では無限大となるがそれは意味の無い事である。コンデンサのリアクタンスXcで考えれば、d=0でXc=0となって、インピーダンスにおける意味に矛盾は無くなり理解できる。『問答』のKとの関係も理解できよう。以上がコンデンサの寸法についての解釈としよう。さて、リアクトルと同じように少しコンデンサの機能についてその物理的(物理学教科書的ではない、学習指導要領的ではない)意味を考えてみよう。

電線路とコンデンサ機能 ある配電線路の終端にコンデンサだけを負荷としてつないだ回路を考えてみる。今までも何度か電圧の意味の考え方は述べて来た。その意味をコンデンサ負荷との関係でもう一度整理してみよう。電線路については分布定数回路と言う観方が高周波で採られる。それは何も電圧の周波数に因ることではなく、すべて電線路はエネルギー伝送から観れば、回路としてはコイルとコンデンサの分布回路と観なければならない。電源電圧が正弦波とすれば、瞬時的には電線路全体がその電圧の変動回路となる。何が電線路の電圧の原因を成しているかと言えば、その電線路空間の『エネルギー』分布である。電源から負荷までの電線路空間が電源電圧の瞬時値に対応したエネルギー分布で平衡状態を保持するように、空間を『エネルギー』が自動的に伝送されるから有効な電力伝送設備が可能なのである。それは『エネルギー』の自然界の現象で、光速度伝送する自然現象の御蔭なのである。その自然現象を科学技術概念で便利な捉え方で利用している訳である。上の図で電線路終端のコンデンサ負荷では、電源電圧の変動に対して、光速度での遅れは伴うが、電源電圧に対応するべくコンデンサ内のエネルギー分布を確立するための、エネルギー貯蔵で機能する訳である。コンデンサの電極板導体の面積が広ければ、その面積全体に亘って電圧vcに対応するべくエネルギー分布を行き渡らせなければならない訳だから、多くの『空間エネルギー』を貯蔵する必要がある。そのエネルギー貯蔵に於いては、コイルのようなエネルギー入射を妨げる作用は無いから、極めて瞬時に電圧変動に対応して、素早い応答で機能が発揮される。コンデンサの電気要素としての感覚的認識にはそんな意味で納得できるだろう。誘電体に強誘電体材料が使われるが、その材料のエネルギー貯蔵特性には時間的遅延性などがあるため、特殊な特性を示す面もあろう。最後に付け加えておこう。電源電圧の極性と電線路の『エネルギー』伝送空間について。図に示したような電源電圧の『極性』は(+)、(-)で馴染んでいるから分かり易いと思うが、本当はその『極性』とは何かと問えば分からない筈であるにも拘らず、理解され易いと言う科学技術の恩恵(?)がある。しかし実際に『極性』と言える意味の電気現象に差が存在する事も確かな事であるから、それが『何か?』と疑問に思う。今から丁度7年前に、記事を元のSpaces.live.com/に投稿させて頂いた。その科学論の最初の記事が放電現象と電荷・電流概念である。放電現象は電気現象の意味を解く最初の研究対象でもあったとも見做されよう。そこで『陰極線』と言う得体の知れない流れがあると見做した。(+)側からは流れない事を知った筈だ。その『何か』が流れ出る側が(-)側であると。その応用が三極真空管の熱陰極線の空間電荷制御法になった。乾電池、蓄電池の電源も(-)側が『エネルギー』供給源になっているようだから、交流回路の電線路の『エネルギー』流も(-)側にその流れがあると解釈して良かろうとの判断である。その流れは光の流れと同じだから、科学の論証に従った実験的に検証する方法は考え付かない。

不適格な科学論か? 上に述べた事を含めて、殆ど科学者の検証に耐える根拠が示されていない。それにも拘らず、『電荷』否定から始まった記事は殆ど数学的解析式などもなく、ただ日常用語で『エネルギー』の電気現象における振る舞いを感覚的に納得できる意味を述べさせて頂いた。科学論らしくなくて御免なさい。

文献(1) 大学講義 最新電気機器学 宮入庄太著 (丸善)   p.53~