月別アーカイブ: 2017年6月

電力用ケーブル

自然現象の奥深くに隠されている本源は見え難い。科学技術にその自然現象が応用され、今日の地球上に人間の生活圏を拡大して来た。科学技術は応用の科学である。本源から見れば、電力系統のエネルギー供給機能で未だ多くの無駄がある。導線導体内を電子と言う『電荷』流の概念には、矛盾があるようだ。先に太陽発電設備から大量の導線が盗難に遭ったと言う話を聞いた。金属銅が資源として狙われた。電流など流れていないのだから、導線材料等中空導体で良いのだ。そこで提案の電力用ケーブル。

中空導体の電力用ケーブル 中心部は冷却材でも流しておけば良いのだ。空中配電線でも低圧絶縁ケーブルでも、電気エネルギーは導体間の空間を伝送されるのであって、その導体表面のエネルギー密度が一番高い。その絶縁材料の誘電特性等でエネルギー伝送量は考慮されるべきである。コンデンサの強誘電体特性も電力ケーブルもその原理は皆繋がった自然現象の本源に因るのだ。太陽光発電のケーブル盗難を監視する必要もない大電流用電力ケーブルが実用化されれば良いのだが。本来なら特許になる筈だろうが?

等価回路変換定理の適用例

Yoshihira Kanzawa (金澤 喜平)名前が正しく翻訳されない訳は自分の存在を否定されているようだ。舞鶴鎮守府から帰還していないか?

何十年も専門家としての学術機関に所属することもできず、仕事も無く社会的繋がりなしのお恥ずかしい立場で過ごして来た。普通はそれぞれ専門の研究分野を極めるものであろう。今やっと電気現象の道らしきものが観えてはきたが。本当にどう処すれば人並みの生き甲斐を得られるかの方策も見つけられずに、能力の無さを曝け出して来た。どこかで、『以下余白』のお墨付きを頂いたまま、昭和39年の所属の不可解が観えて来ても人生をやり直す訳にも行かずに今日を過ごしている。昭和62年、63年の居場所もなく彷徨っていた諸行無常の重ね日がそのままに、逸脱者と罵られていた日々を思い出す。今日は少し電気工学の専門的内容で、一つ具体的例題を取上げてみよう。先行きにどんな結果が得られるかも確認せずに思い付くまま書きながら。昨年(2016)の睦月の29日に等価回路変換の定理をここに発表した。この定理は余りにも単純な変換式であるため、どうしてこんな式が得られたかを自分でも不思議に思っている。しかしとても良い変換公式であると感心している。それに関連して、定抵抗回路の問題にも触れることができ、電気回路現象の奥深さにも刺激を受けた。今回はその『定抵抗回路』の問題に等価回路変換の定理を適用して、その具体例から定理の有効性を取上げてみたい。大学の講義では取り上げられないだろうが。

定抵抗回路例 去年初めて、定抵抗回路と言う面白い回路があることを知った。今回はやはり去年電気回路の中に隠れている意味を等価変換回路で見つけた。その回路変換の例に定抵抗回路を取上げてみたいと思った。先ずは定抵抗回路の意味を少し見方を変えて解釈した。

定抵抗回路と時定数 定抵抗回路の意味を時定数と言う回路概念から考えてみれば、分かり易い理由があった。上の回路例では二つの回路ブロックZ_1 とZ_2 が直列に繋がった回路である。単純にそれぞれの回路の電源電圧に対する電流の位相差が時定数に隠れている訳である。Z_1はT_1の時定数の分だけ位相が遅れる意味を含んでいる。Z_2はT_2の時定数によって電流が進む位相になる。遅れと進みの位相回路が直列に繋がれている訳だから、全体で周波数に関係なく電圧に対する位相差がゼロとなると言う意味が隠されている訳である。時定数と言う意味から解釈すれば、定抵抗回路の意味が分かり易くなる。ところが、回路時定数と言う概念の次元を考えると、そこにはまた不可解な意味も含まれているのである。

等価回路変換の定理と定抵抗回路 ここでR-L-Cの直列回路を定抵抗回路への等価的回路変換をする場合を例題にして、等価回路変換の定理の適用を試してみる。

定抵抗回路への等価回路変換 実際に適用を試みると、基本的に変換後の定抵抗回路の条件を満たすべき事からの制約があることに気付いた。元の直列インピーダンス回路を図のような(R)+(L)+(R)+(C) の元回路とした。(RL)回路と(RC)回路をそれぞれ等価変換して、並列回路の直列接続の定抵抗回路にする。等価回路変換の定理を適用して定抵抗回路の回路要素を算定すると、(変換要素値)のような変換式になる。同じ抵抗値であるべきR’が①と②のように異なる算定式になる。ここで一筋縄では解決しない問題だと初めて気付いた。この問題の解決策は一つある。ωT=1の条件を満たせば成り立つ。R’=2R 、L’=2Lおよび C’=C/2となる。

回路要素の条件 定抵抗回路に条件がある。その事から等価変換する元回路にもその条件の制約が掛る。少なくとも、元回路が純抵抗回路の条件を満たす必要があると気付いた。従って、どんな元回路でも定抵抗回路に変換できる訳ではない事だった。余りにも当然のことであった。

回路要素間の制約条件 定抵抗回路に要求される要素間の条件は上の通りだ。元回路に求められる条件は上の(2)式である。定抵抗回路は電源周波数に無関係に純抵抗R’と等価な回路である。この両回路間、元回路とその等価変換された定抵抗回路間には [T=T’]と言う関係が成り立っている。不思議だね。

例題 元回路のインピーダンスZ=R √{4+(ωT-(1/ωT))^2^} の直列回路をそれぞれ、R-L とC-Rの二つの回路ブロックで並列回路に等価変換すると定抵抗回路に変換される。そんな例題を取上げた。

定抵抗回路条件を満たす要素値の例題を選ぶに少し苦労した。しかも商用周波数の50Hzでの条件の為、無極性のコンデンサ容量が大きくなってしまった。抵抗値もR=21.22[Ω]と切れの悪い値だ。元回路も一応共振条件で、等価的には純抵抗となっている。R’ とC’を算出してください。時定数と共振現象はまた未知の迷路に入りそうだ。

地球は太陽が造った

酸素はどのように生まれたか。

水はどのように生まれたか。

塩はどのように生まれたか。

植物はいつ生まれたか。

海はどのように出来たか。

動物はどのように生まれたか。

太陽の光がなければ地球に何も生まれない。

太陽光で地球は大きくなった。

酸素がなければ水は生まれない。

酸素と水と塩と植物がなければ動物は育たない。

太陽光線で植物が繁茂し、土となり動物が溢れ地球が大きくなった。

地球の内部地下にはその歴史が積層構造を成して記録に留められている。

植物がなければ酸素も水も増えなかった。

海がなければ人間も動物も生まれなかった。

と地球のいっぱいの不思議にそんなことを考えた。

電流と哲学対話

これも科学論(市民の分かる) 科学論は科学者が組織する機関や学会の合意の共通認識の範囲に限られた基本原則を守った中での論議しか許されないのだろうか。電気工学の技術的感性に基づいた自然世界の観照を通して、身に付いた感覚から物理学理論を学習させてもらって来た。所謂専門的常識論に囚われずに自由に自然世界の実相を心に映して、自然との対話を積み重ねて来た。科学理論の中でもその最も基礎理論となる電気磁気学が電気工学技術論と近いことから取り組み易かったため、その内容を分析し、解剖することを通して多くの理論に矛盾の不整合性が存在すると考えざるを得ない事態に至ってしまった。初めはこんな事態になるとは考えていなかったことに戸惑いもある。科学常識からは異端の認識からの科学論は科学論とは言えないのだろうか。失礼ながら電気現象に少しは関わりを持って過ごした昔の過去がある。そんな者にも、数学的数式は使わなくても、日常の言葉だけでも電気現象の基本概念『電流』の意味位は解釈できる。毎日電気磁気学の高度な授業展開をなさっておられる専門家の皆さんは『電流』とは何か等とはお考えになられないのでしょうか。電流は流れずと主張する者からの科学論であるが。

電流と電子の関係 電流とは電子の逆の流れを言うと解説される。決して電気工学の専門家は深く電流の意味を追究しない。それは物理学の領分であるからなのか。しかし、物理学の中の電気磁気学の専門的教科書を開いても、そこには電流そのものの意味を追究する解説は殆ど無い。電線の中を電子が流れていると断定した専門的定義の基で解説が進められる。一方物理学理論の根本的概念を構成する電子には、素粒子論のレプトンとして質量(9.1091 ×10^-31^[kg]等)と電荷(1.602 ×10^-19^[C])から構成されていると認識されている。電流の概念では電荷の他に、特に質量の必要性に言及したその姿を解説する物理学論を見かけることは無い。電流の単位は電荷の時間微分で定義される。しかし電子には質量がある。その電子の流れに因る電流には電荷だけで良いのだが、何故か電子と言う物理学概念に従えば、質量も一緒に流れることになる。何故に電流が電荷の他に質量も伴う電子の逆流として解釈しなければならない概念として電気現象の根本的常識になっているのか。皆さんは少しも疑問を抱かないのでしょうか。

光速度との関係の不明確性 電気現象はほぼ光速度で伝播する。その速度に電子がどれ程素早い対応をする論理的根拠が示せるだろうか。例えば1kmの配電線に電源電圧を印加したとする。電子は導線の内部を流れると解釈されるようだ。単相交流回路として、二本の導線があり、負荷は何も繋がれていない無負荷の配線とする。負荷端で導線は繋がってはいないから完全に分離した二本の導線が平行に張られているだけである。その時導線内の電子に掛かる電界はどこからどのように掛けられるのか。電源側からただ電圧のそれぞれの(プラスとマイナスの)極をどこも繋がっていない二本の電線につないだだけである。なぜ電線の導体内部に電子に運動を起こすような電界が掛ると言うのだろうか。電力変換技術を通して身に付いた感覚からすれば、導体である電線内部には電界等発生する訳など有る筈が無いと言う認識が定着している。導体内部に電界は無いと。離れた電線に電圧を掛けると電子が電線の終端まで運動力学の質量に加速度を生じる原因が発生し、電子運動が起こり、電線全体に電圧分布が生じると言うのだろうか。この電気現象にはマイナスの電子だけで、プラスの電荷にお出まし頂く余地は無いように思う。電子に運動をさせる加速度の基である電界と言う電気概念はどのように掛けることになるのだろうか。平行の電線が何処ででもが繋がっていなくても、ほぼ光速度で電線間には無負荷終端まで『エネルギー』が伝送され、保有されるのだ。決して電子が『エネルギー』を運ぶ訳ではない。

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  1. 放電現象と電荷・電流概念 (2010/08/02)
  2. 電流計は何を計るか (2010/11/10)
  3. 磁界・磁気概念の本質 (2010/11/16)
  4. エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 (2010/12/18)
  5. 電流は流れず (2010/12/22)
  6. ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/01/30)
  7. 新世界への扉ーコンデンサの磁界ー (2011/02/20)
  8. 『電荷』と言う虚像 (2011/04/08)