(2020/01/11)追記。小面を打てばわが身の時雨かな 空道。私は何者でしょう(2)氏名と長岡市政責任」のブログ記事が消えていた。その意味は何か?昭和から平成に霞が関と。
どうしてこうも不可解が身に纏わり付いているのか。科学理論や自然現象の常識的解釈に多くの疑問が湧く。矛盾を感じることが多い。
銀行通帳の不可解 自分が知らない内に銀行通帳を作ったことになっていた。その日時は確かに精神的な混乱に、ストレスが追い打ちを賭けていた頃である。昭和63年8月1日 が銀行通帳を新規に作った日となっている。その通帳開設者の署名と印鑑の字体を見たが、確かに似ているがはっきりとは確認できなかった。通帳を作る必要など無かった。既に給料(?)の受け取り用の通帳があり、それを破棄して新しく作り変えるような事をする訳がない。当時は、「瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義」電気学会電磁界理論研究会(同研究会資料 資料番号EMT-88-145. 昭和63年10月)への投稿論文執筆に忙しく、他の事に関わるような暇はなかった。この論文の内容は、昭和61年秋に長岡工業高等専門学校電気科の高電圧実験設備で撮り留めておいた静電界中の磁界検出実験の写真データが殆どを成すものである。長岡技術科学大学には、高電圧実験設備がなく、実験を続ける事は出来なかった。また、一つ思い当ることがある。その年の7月に大学の図書館で調べ物をしようと、カードを差し込んだら、入館を拒否された。電気系長にその事を話したら、『そんな事をするからだよ』と意味も分からない言葉で笑われた。そのカード事件が身分失効の電算機処理に掛かったのかもしれない。それにしても、新しく銀行通帳を作りかえる必要は何もなかった訳で不可解にして薄気味悪い事件。
初めての銀行との関係 昭和35年夏の事、新潟大学六花寮でアルバイト募集に応募し、大学研究者のお手伝いをした。山下地区の平地広場で、アイソトープに因る地盤調査の研究のようであった。アルバイト代の支給場所が新潟市大畑町に在る日銀新潟支店で、そこで頂いた畏れ多い事があった。日銀のアルバイト代の支給など有り得るのかと?
給与振り込み用銀行通帳 新潟県立新津工業高等学校に16年間いた。しかし銀行通帳への給与(?)振り込みはなかった?だから通帳は持っていなかった。初めて銀行通帳を作ったのは、住宅取得のため、昭和50年頃の年末であった。その通帳への振り込みは長岡技術科学大学、昭和55年であった。その通帳がどこかで切り替えの昭和63年の事件通帳になる。
人権事件だ。