世界はなぜ天然色か

この問いに答えることは科学論か哲学か。光と波長は物理学の話になろう。色覚と認識は生物学の話になろう。その両方とも科学論のようだが、両方を合わせて考えると科学論では収まりきれないように思う。光には色はない。色がない光を瞳に取り入れるとそこには色彩豊かな風景が見える。赤いバラの花びらが何故赤いかは答えようがない。紅葉の葉はアントシアニンが云々と解説されるが、アントシアニンがなぜ赤いかには答えられないだろう。眼と脳の認識の生物学的解釈が関係して来るからなかなか難しい。光には本質的に色彩は無いのだから。この世界の生物全ての生まれ来た存在の因縁に関わる事柄と観る事も出来よう。何故空気があり、水があるかを尋ねる事にも匹敵する存在の根源を問う事でもあろうから。それは哲学の領域の話となる。世界は調和と多様性の創造物で創られている。目の前の世界の意味を一つ取り上げても答えは見つからない。簡単に科学論で世界を理解できるとは考えない方が良いのだろう。多様性と個性が世界の豊かさの指標でなければならない。山の樵(キコリ)、炭焼き、街の仕立て屋さん、文房具店、靴屋さん、そこにはそれぞれの専門の職人が居た。コンピュータ制御ミシンが故障すれば廃棄するより方法がない。人の世界が貧相な色彩の世界に変わって行く。この競争と言う世界、それが人類が求めて来た理想の未来なのか。

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