眼は一筋の光を観る

%e4%b8%80%e7%ad%8b%e3%81%ae%e5%85%89%e8%b7%af一筋の光路 自分の眼の観る感覚を思い巡らしてみる。目の事など何も分からない者が眼の機能を考えるなど困ったものだと自分を責めながら書かせてもらう。目の機能はカメラとは違う。網膜に像を映す訳ではない。カメラはフイルム、撮像画素等の平面に全面に被写像を映す。眼球も水晶体と言うレンズ体があり、カメラに似ているが、網膜に被写像は写さないと解釈する。網膜は光の量がどの程度かは判断する機能を持っているかもしれないが、像の認識の機能はなかろう。網膜全面に亘っての細胞に光の情報を分別、認識する機能を持っていると解釈することが感覚的に困難と感じる。済みませんが科学的裏付けもデータもない話です。

黄斑 眼底に点々の模様が見えるようだ。その模様の意味は眼球の機能としてどのような意味なのか。2.黄斑って何ですか に解説されている。さてその黄斑で視界の全てを認識するとすれば、水晶体のレンズをカメラのような機能で捉えることは難しいだろうと考える。その事に対する合理的解釈は光ファイバー機能の『硝子体管』しかなかろう。硝子体管は人の幼児のときには、見えるが成長すると消えてしまうものらしい。眼球の硝子体と同一の蛋白質であれば、消えて見えなくても光の通路としての役割だけは残っている筈だ。そのファイバーの切断面に現れる模様がファイバー一本一本の形として黄斑の模様になっていると解釈したのである。眼球の光ファイバーと色覚 がその意味での解釈。この記事についての「つっこみどころ・・」の論評がある。人の色覚を物理的に説明 に在るように色覚についてはなかなか分からないようだ。

一筋の光を観る 視界を観るのは眼ではなくて脳機能である。人が物や景色を見ると言う事は、取り入れた光の強さや波長を弁別し全体の映像の意味を統合して理解する機能は脳である。おそらく入射光の残影として記憶しながら全体の景色を理解認識しているのだろう。カメラのレンズによる屈折効果で眼球は映像を取り入れている訳でないと解釈した。『ア』と言う文字を読み取ろうとすれば、周りの部分の像はボケ気味になって来る。常に周辺の状況も脳の記憶残像として判別しながら、視点を判断していると考える。観る光はただ一筋の光であると考える。

レンズの焦点距離についての考察の途中の話として取り上げた。

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