京都府舞鶴市溝尻、舞鶴国民学校1年生の時に8月15日の敗戦を迎えた。その後の足跡も定かに見えないまま。どうにもならない人生に『是しかないと登る坂道』。そんな思いで過ぎて来た。情報化に偏極した人間世界に就いて行けずに今に辿り着いた。話したい事は山ほどあれど、話すだけの社会常識の手段を持たずに茫然と時を見つめる。6年前に、せめて時代について行こうかとワープロ代わりにパソコンを買って、思い付くことを書き連ねて来た。多くの方の支えがあって、お陰さまでブログとやらを通して、幾らかを伝えることが出来た。しかし、それも学術世界とは程遠い日常生活の道端で誰もが見かける不思議な自然の語りかける姿を素直に受け取って、表現することばかりである。突き詰めると数学で記述できない様なことばかりになってしまったかも知れない。気分は、舞鶴市溝尻に『乙姫様』の街があるようで、丁度竜宮城から帰った浦島太郎の途方に暮れた自分を噛み締めているようだ。
もし、大学で学生に講義をするとすれば、50年前の黒板にチョークを使ったような授業となるだろう。そんな時代遅れの世界にしか対応できない自分を悟った。しかし、「雷は電荷が原因の自然現象ではなく、水蒸気の『熱エネルギー』が基なんだ」という物理現象を市民科学論の基本としてみんなに理解して欲しいと切望する思いは強い。こんな経済的利益にならない自然科学論は科学研究の競争の対象ではない。分野は「哲学」になろう。余りにも科学理論の原理の常識からかけ離れ過ぎているから。『電荷』否定の世界を確認する科学漫遊の旅は『日本語』だけの書き方しか知らない世界になった。
『瞬時電磁界理論』とは から始まった科学論ではあるが。