月別アーカイブ: 2016年3月

磁場とは何か?-物理学の命題ー

物理学の命題 命題と言えば哲学あるいは倫理学の論議に成る様でもある。しかし自然科学分野の物理学の命題である。電気磁気学では、電場と磁場がその論理の根幹を成している。その中で、磁場を取上げてその本質を考えてみたい。どうも自然科学の基礎概念には、論理的な検証に耐えないものが殆どのように思う。何方か磁場とは何かを明確に定義できる方が居られたら、勝手ながらお教え頂ければ有り難い。改まってこんな事を書くにはそれなりの理由がある。先日ニュースに、千葉県での地球の磁場の逆転層の存在の話題が紹介されていた。確かに磁場はコンパスで極性を簡単に判定できる。電場の場合はそんなに簡単に極性判定をすることは出来ない。磁石は日常生活にありふれているものだ。だから磁場が無いなどと言っても信じてはもらえない。しかし、磁場とは何かと自問してみても、磁束がある訳ではないから磁石の周りの磁力を生む原因を物理学理論の中から答を得ようとしてもそれは無理である事だけは解る。そこで物理学の命題と言うことに成る。千葉の地球磁場の逆転層の意味を理解するには、磁場の物理学的明快な理解が市民レベルで出来なければ、その科学的論拠を共有できないと言う誠に困った(自分だけかも知れない?)事態に成るのではないかと思う。科学認識は市民との共有が前提でなければならない。

磁場の原因 磁場を作り出す磁極があるかと尋ねれば、磁極は存在しない事に成っている。磁場を構成する磁束とは何かと尋ねれば、答えられないのである。磁束を作り出す素が無いのである。基があれば、その発生原因を確定できる筈だ。地球磁場が存在すると言う解釈は誰もが疑わない。磁束が地球の北極に入り込んで、中心を通って(?)南極から磁束が出ていると説明されている。と言ってよかろう?はっきり断っておきたいが、磁束などは無いのである。検索しても磁束がどんなものかを明確に説明した記事が見当たらない。地磁気は地球の周りを地球の速度以上の速度で回転しているエネルギー流なのである(2018・11・06追記)。最近は衛星が地球のエネルギー環境に影響を及ぼしていないかと気掛かりだ。地磁気の原因である地球表面のエネルギー流に影響して、地磁気が弱まっているかも知れない。

鋏の磁場 鋏も鉄系の材料で出来ていよう。今回の千葉の話題で思い出した。以前砂鉄模様の記事を書いた時、手元の鋏の磁場が不可解な様子を示した事を思い出した。

鋏の磁場模様鋏の磁気模様 鋏に砂鉄を振りかけた。その砂鉄の模様は鋏の各部の磁気状態を示しているのだ。鋏の先端部は上も下も全体が磁極のS極に成っている。支点部も同様にS極だ。その間の腹の部分だけがN極に成っている。何故このような一本の鉄金属がSNSと不思議な磁石となったか。

S極先端先端S極 地磁気の方向を紙片で示した。コンパスのN極が指すから鋏の先端はS極である。

N極腹部腹部N極

S極握り部握り部S極 何故SNSの3極に成るか?

鋏の磁場模様 この磁場模様に向き合って、我々はどのような物理学理論で心に受け入れれば良いか。この鋏が製品として、出来上がった時点でこのような磁場模様に成っていただろうか。その疑問に答えるには、コンパスと砂鉄の心での磁場模様についての解釈が必要と考える。『エネルギー』の独立した物理量の概念が物理学理論には無い。磁場の砂鉄模様を作り出す原因がコンパスの周りの空間に流れる『エネルギー』による現象であると言う物理的認識を要請している。物理学理論に無い物理的認識を。そこからの解釈は、鋏の切れ味の鋭さの下、その二つのすれ合う歯の摩擦と滑らかさに因って生まれる『熱エネルギー』の仕業と観る。エネルギーは熱も電磁気も光も自然界の現れ方の多様な姿でしかないのだ。磁場も電場も『エネルギー』の人の解釈の姿でしかないのだ。鋏を他にも調べると、3極も2極もある。

科学研究と費用 最近の基礎研究はとても大きな設備投資が要求される。費用でその研究の価値・社会的影響力が推し量られるような時代に成った。砂鉄模様から考えるなど、科学研究等と言えるものではない。日常生活上の感性に因る自然評価法でしかない。しかしその中にこそ自然の真髄があると思う。

日本雨蛙 その土根性

(2016/10/20)追記。今年の観察記録。ネジバナと雨蛙に下の記事の田圃の側溝で今年も同じような雨蛙の子供の姿を写真に収めた。もうそろそろオタマジャクシ説は間違いと気付くかと思うが。

 雨蛙ーその謎ーとして2006年7月20日、小冊子を作って世に問うた。最初は癸未(2003)年に年賀の版画を出した。

写真283版画(2003)  写真に撮って9年後に意を決して絵にして発表した。さらに3年後(2006/o7/22)に「雨蛙 その謎」の冊子として出した。それはどんな百科事典も専門書もすべてオタマジャクシで説明されている中での、専門図書に反論する生態論であるから覚悟の上であった。ずっとこの版画を出してから、疑問と不安の中に居た。

自分を信じる 2006/06/27/ 前日相当の雨が降った。梅雨の終わりの大雨が降るような時期で、不図気掛かりになり、田圃に雨蛙が生まれているのではないかとカメラを持って確認に行った。予想通りに多くの雨蛙が溢れている処に出会えた。先の冊子「雨蛙 その謎」を見ても、誰も専門図書の『オタマジャクシ説』しか信じないようであった。そこで改めてその田圃の側溝での写真を添えて出した。

写真281田圃側溝写真 2006/07/27の記録。

写真280添付文書 この首に付いている虫が幼生ではないと言われる。今でも素直に受け入れられない指摘である。その大きさも、雨蛙の表情も害虫とは信じられない。

写真248ネガフィルムから 上の②の写真である。運良く多くの雨蛙が纏まっていた。確認いただきたい事は、日本雨蛙には決して尻尾は無いのである。人の目に触れる時にはすでに尻尾は退化して無くなっているのです。丁度人間と同じく生まれたときには尻尾はありません。専門図書に尻尾の写っているような写真もありますが、それは日本雨蛙ではありません。学校でオタマジャクシを育てて雨蛙だと考えているようですが、それは必ず尻尾が残っている筈で、そのような尻尾を付けた日本雨蛙は居ません。尻尾の付いた雨蛙などは間違っているのです。日本雨蛙のオスに一匹雨蛙に似たカエルを捉えた写真がある。オタマジャクシから飼育する蛙がおそらくそのカエルであろうと思う。それは雨蛙に似て雨蛙ではない。

雨蛙と幼生生殖 での記事のように、昨年(2015)いろいろご指摘いただいた。首に付いている虫は幼生でないと。しかし、決して日本雨蛙は水の中でオタマジャクシからの生態は採らない事は間違いない。1994年7月22日に収めた写真が長く疑問として残っていた。その雨蛙の語りかけるような表情には、害虫が取り付いている苦しそうな様子は見えない。2003年に版画にするまでに思い出した事があった。春土を掘り返して花や木を植えた。その時土の中に不思議な虫の群れがいた事を後に成って思い出した。水辺の無い場所に30匹以上の雨蛙がいる不思議とその土の中の不思議な虫とを重ね合わせて、日本雨蛙が水の中のオタマジャクシと異なる生態を成して生まれると結論付けた。5月頃、土の中に真白な、細長くて尻尾のある幼虫(ちょうどオタマジャクシに足が生えた)が一塊りに成って群れている姿は一体何だったのかと大きな謎である。その白い虫が土が雨で柔らかくなったときに成長して、土から生れ出るとすれば、すべてが辻褄が合うと解釈した。当然生れ出る時には、その長い尻尾は既に体の中に消え、雨蛙の緑色の姿で現れる。これが日本雨蛙の生態である。しかし、どのように土の中に卵塊(多分そうだろう)を生み、何年土の中で過ごし、その年数もすべて同じ年数ではないのではないかとも感じるなど、全く解らない事ばかりである。断言できる事は水の中ではなく、土の中で生育すると言うことだけである。今でも時に一っ匹で生まれて来る雨蛙の子供が居る事から、年数に関しても解らない。個体によっては蝉に似たところがあるかもしれない。そんな日本雨蛙の不思議に惚れ込んだ。自然科学論の『電荷』概念否定と同じく、不思議はたまらない魅力だ。日本雨蛙の土根性(あえて土に根を持ち生れ出る)と。

コイルの電圧時間積分と角周波数ω

(2016/10/20)追記。読み返して恥ずかしい。何も怒ることはないのに。ただ、電気磁気学で、物理学として教育するに、アンペアの法則やファラディーの電磁誘導則を本当に矛盾を感じないで皆さんが授業をされているのかと信じられない思いが強い。『物理学』の参照基準は『電荷』と『磁荷(この概念は既に存在しないとの科学常識に成っている)』の実在性を否定することであろう。変圧器などの電磁誘導則では、磁束と電流の関係は何も関係付けられていない。パワーエレクトロニクスの学習の最初で、衝撃を受けた電気磁気学の理論的矛盾がその電磁誘導則であった。1970年頃である。それ以降磁束は『電圧時間積分』で解釈して来た。1985年に「電気磁気学」の授業を担当して、アンペアーの法則との関係をまとめて、理論的矛盾を確信した。理解できないことが『物理学』という自然科学のそれこそ参照基準と看做すべき基本の電気磁気学で、論理性が成り立たない事が今も相変わらず生徒・学生に教育されている事である。実際の教育の制度で、文部科学省が諮問して審議会が取りまとめる方式はおそらく戦前からの行政手法として伝統なのであろう。その方式に従った『報告』であるから尊重すべきと言われようが、本当に役にたつ教育行政なのか。誠に見苦しい記事ではあるが、今教育に携わって居られる皆さんが『学習指導要領(高等学校)』の検定内容に矛盾を感じていないのか。少なくとも電流で磁束が発生するなどという矛盾は教育現場から排除して欲しい。『電圧時間積分』についてはロイヤーインバータの動作原理が簡潔に示している。G.H.Royer:A Switching Transistor AC Inverter Having an Output Frequency Proportional to the DC Input Votage (AIEE,July,1955,p.322) この回路はNASAの研究成果の一つと理解している。静止電力変換回路の基礎(2)、新潟県工業教育紀要第8号に実験結果(稚拙な記事ですが)を載せた。

私は怒りを禁じえない。生徒、学生に教育する日本の教育制度を思うと。この度、日本学術会議の報告 「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 電気電子工学分野」がある事を知った。その電気電子工学分野の一部を読ませて頂いた。3.電気電子に特有の特性 (1)電気電子工学に固有な視点と役割 と言うことで縷々(ルル)報告されている。電気電子工学の基礎となるのは、電磁気学や量子力学の物理学ならびに数学である。・・電気電子工学の特質は、物理学と数学の原理・原則から一歩一歩着実に理論を積み重ね、その厳密な体系化のもとに簡略化・抽象化がなされて・・。と言う様に記されている。この報告をどれだけの大学の関係者が参考にして、教育課程編成上の参照基準として参考とすると考えているのだろうか。誰のための誰による誰に向けた報告書なのか?報告書を作成した本人は自分でその報告内容を常に読みながら過去、現在そして未来を考えるのだろうか。電気電子工学と言う意味が解っているのかと、誠に残念ながら疑わざるを得ない。本当に物理学が電気電子工学の科学技術教育の参照基準になると考えているのだろうか。元を質せば、文部科学省の行政上の思惑に因った報告書作りの形式的体制保持事務仕事に原因があるのだろう。『学習指導要領』の内容が古くて、学生・生徒の為に成らなくてもその内容に従わざるを得ない教育制度が支配している日本の国定教育制度なのだ。間違った、役に立たない応用のきかない古い法則にしがみ付いている伝統教育内容に問題があるのだ。具体的例題を上げて、あるべき考え方を述べたい。物理学は、電流、電子あるは磁束とは何かを考えるところにその存在が生きる筈だ。

コイルの電圧時間積分 コイルの電気特性を語るには、その磁束を一つの考察量として取り上げるだろう。物理学では、アンペアの法則で磁束は発生すると解釈するから、コイル電流が磁束発生の原因と解釈する。そんな電流で磁束が発生するなどと言う無駄を教育する時ではない。ファラディーの法則には、磁束と電圧の関係しかない。電流など不要である。コイルが空心であろうと、鉄心コイルであろうと、磁束は電圧だけに起因して発生するのである。磁束の時間微分が誘起電圧だと言うことは、電流など無関係なのである。コイル内の空間の状況で、電流と言う技術概念量は変わるのである。少なくとも『学習指導要領』の電流による磁束発生原因の考え方は破棄しなければなるまい。

周期電圧波形と最大磁束量 電圧波形にもいろいろある。正弦波、方形波および三角波の各コイル電圧波形の場合の最大磁束は次のようになる。

電圧波形と磁束電圧波形と磁束 電圧の最大値が同じ場合で磁束の最大値を比較して示した。電圧の三角波形は実際にそのような波形がある訳ではないが、電圧時間積分の意味を説明する為に比較として示した。電流による磁束発生の解釈を改めて頂かなければならないと思って。

正弦波電圧の場合 コイル電圧と磁束最大値の計算。

正弦波と磁束最大値Vm=nωΦm

電圧・磁束と角周波数電圧・磁束と角周波数

鉄心がある場合は変圧器と同じ現象で、鉄心の磁気特性によりコイル特性、特に電流は変化する。しかし磁束量が基本的に電圧波形だけから決まる点は鉄心コイル、空心コイルには無関係である。

コイル機能の物理的課題(追記) (付記)変圧器設計で使用鉄心の選定にあたり、V=4.44fnΦm ,Φm=Bm×S, 電源電圧実効値V[V],鉄心磁束密度Bm[Wb/m^2],鉄心形状の断面積S[m^2]が使われる。4.44=2π/√2である事を付記させていただく。一つ物理的課題として挙げておきたい。空心コイルの印加電圧限界はどのように解釈すれば良いか?コイルに掛ける電圧を高くすると、コイル内空間のエネルギー密度が空間の保持限界を必ず超える。その時コイルは機能できなくなる。所謂短絡現象になる。その理由は当然空間のエネルギー密度限界があるからだ。空気の絶縁破壊現象は静電界などではほぼ30[kV/cm]で解釈できよう。しかし磁界強度についての絶縁破壊現象の捉え方は無い。エネルギーは電界とか磁界と言う解釈概念では弁別できない筈である。コイルの機能限界はその捉え方に一つの解釈法を与えるものであろう。この事と関連して浮かぶ事がある。時代に消えそうな運命にある「白熱電球」の事である。科学技術としての『二重コイルフィラメント』も低空気圧下におけるコイルである。タングステンフィラメントが使われるが、高温度材料としての有用性からである。二重コイルの空間内にエネルギーが効率良く貯蔵され、高温度空間を作り出せるからの科学技術である。二重コイルも考えて見れば、愉快な電気回路の仲間たち として見られよう。電球フィラメントはコイル機能限界を超えて、エネルギーの発光放射を利用する物理現象である。

圧力水頭「理科基礎(仮称)」の題材として

理科教育の事など余り考えなかったのだが、先般の日本学術会議の提言を読んで、日本の科学技術との関係での「理科教育」の未来が全く見えない事態にあると考えざるを得ないと思う様になった。余りにも学理。学術と言う権威に支配された実態が日本の教育制度の硬直性を曝していると言わざるを得ない。責任は文部科学省の官僚的支配にある。教育は基本的に「自由」を建前にすべきである。政府支配と専門家的権威支配は教育を荒廃させる。制度ばかり小手先の変更をして朝令暮改の繰り返しに過ぎない。現場に負担を掛ける縛りが文科省の仕事のように見える。中味はもっと現実的な内容にすべきである。理論・法則などを覚るだけでは役には立たない。役に立たないような内容の教育しかしていないからだ。そこで、今回は「圧力水頭」と言う水力技術の問題を取上げて見たい。理科教育は科学技術教育に切り替えるべきだとの意味も含めて。能力不足の者が言うことじゃあまり役に立てないかとも思うが、考える題材として取り上げたい。「水」は地球の生命であれば、その様々な現象は学習するには余りあると思う。原子力発電所の再稼働で心配な日本ではあるが、水力発電所はもう過去の忘れ去られたエネルギー源になってしまった。その水力発電所の科学技術としての水の力学とエネルギーを眺めて見ようと思う。津波の意味を知るには圧力水頭の意味を知ることが重要だから。

フランシス水車の水力発電所

水力発電所の圧力水頭発電所の圧力水頭 貯水ダムの水のエネルギーを利用する発電所。水の水力学はベルヌーイの定理で理解している。結局は水のエネルギー保存の理解の問題である。ただ、圧力水頭と言う概念は運動エネルギーでも位置エネルギーでもないもう一つのエネルギーである事を理解しておくべきだろう。ファイルにしたものを載せる。

運動エネルギー流体の質量

エネルギーと水頭エネルギーと水頭 流体には3つのエネルギーがある。位置のエネルギー、運動エネルギーそして圧力エネルギーである。圧力エネルギーは総水頭から位置エネルギーと運動エネルギーを除いた残りのエネルギーになる。

圧力水頭圧力水頭 現代物理学の分野に気体分子運動論がある。気体の圧力と熱エネルギーの関係の基礎理論である。気体と液体の圧力で、基本的にどのような違いがあるのだろうか?余り物理学理論では、圧力エネルギーの実在性を認識していないのではないか。静止水圧については道草問答(7)水圧と水頭に述べた。この圧力水頭が波 「理科基礎(仮称)」の題材としての葛飾北斎の波の理解に欠かせない意味である。なお水車についてはフランシス水車-水力ドットコム-によく説明されている。

素心へのお告げ

再び暦の裏書に出会う。『最初に誰がμ0[H/m]、ε0[F/m]を定義し、提唱したか。2009.3.24』と書き出しに在る。その続きに、素心の悟り、素心へのお告げとして、ウイリアム・ブレイクの詩が記してある。

一粒の砂素心へのお告げ 以前エネルギー(energy)とは? で記した。それでも大体の意味は解るが、英語の原文も記されていたので、もう少し具体的に意味を表現したらと意訳してみた。素心へのお告げと題を付けたが、素心深考とか素心蘭等と素心は良く使われている言葉であるようだ。素心の悟りでは少し雰囲気が違うかとも思い、イギリスの西洋的宗教観からお告げとした。しかし、神と言っても自然そのものからの、純真で、天真爛漫な人の心が饗応して感じ取る自然世界の眞相に目覚める啓示であろうかと思った。砂一粒は固い質量の世界の形、一輪の花は儚い生命の輝きを表すと観た。人生の山道を登る傍らに、咲く一輪の花がほほ笑む一瞬を。後半は、物理的時空観。

写真201詩の英文 この詩文の意訳の心算である。

波と量子力学

光はなぜ進むか光と世界 光は不思議の世界を演出する。光のエネルギーはなぜ光速度で伝播するのか。自然を理解するとは楽しくて、難しい。

次の時代を担う子供達の為に何が必要か。競争によって勝ち取らなければ、幸せな人生につながらない様な社会が理想なのか。己と戦うのは自己の社会的貢献に役立ちたい願いの実現に成る。等しく学習する権利と環境は経済的な格差の無い状態で、すべての子供達に与えられる事が社会的制度の基本だ。学習環境の一つに教科内容があり、そのあるべき姿はどうであるか。最近「波」について、その教育内容を考えてしまうことが増えた。教育内容が大学への専門的知識の詰め込みに成ってはいけないと考える。全ての人がある程度科学技術について理解できなければいけない時代に成った。現在の科学技術は新たな革新的成果を実現する程余裕のない段階に達してしまったのである。技術的開発の飽和状態に成ったしまった事を認識すべきである。自動車を生み出す、冷蔵庫を考えだす、トランジスタラジオを作り出すなどの社会生活の革新的変革はもう望めないところに来たのだ。科学技術革新の飽和の時代なのだ。その事を知って欲しい人が、経済、政治、金融、法律などの社会制度の構築を仕事とする方々なのである。その事を知らずに未来の社会制度を考えては、実に危険な事に成るのだ。人手が足りないから、人件費が経済利益の業績に負担だから、チャップリン(街の哲学者)が指摘したロボット化社会の人の道具化視点社会が許されるのか。危険な科学技術に、無人運転機械(自動車、ドローン)の街中への導入は代表的な科学技術社会の未来の危険を目指す物になる。エレベータがどんな技術、電力(動力)で運転されているか。津波の原因は何か。クレーン運転の安全はどう保たれているか。海水温の上昇がどんな気象災害に結びつくか。先日のフィジーでの強風災害の秒速90メートルが何故発生するか。みんな日常生活に結びついた事柄である。

波はエネルギーの縦波 光は自然世界の波の代表である。光のエネルギーはプランク定数 h[Js] によって解釈される。電子の描像を捉えるのに粒子と波動の二つの見方で理解されているのが現代物理学理論の実情である。その理論的基礎を成すのが量子力学である。ド・ブロイの波長、シュレーディンガー波動方程式などがその量子力学理論の基礎として構築されている。その発端になったのが、1900年に発表された、マックス・プランクの放射理論で、光解釈の不思議な概念の基本定数・プランク定数hである。波動と言えばシュレーディンガーとなるが、そこには運動エネルギーとポテンシャルエネルギーしかなく、オイラーの公式の虚数概念に基づく解釈法が採られている。そんな虚数が自然世界の実像を描写できる訳がないのに、数学的抽象化の虚像科学論の専門科学になっている。電子の描像を波動性と粒子性のジレンマから抜け出せない原因も虚数に象徴されている。

写真198プランク定数 10の-34乗と言う途轍もない小さな数値である。量子力学理論の根幹を成す定数だ。この定数について長い事疑問のままで来た。科学理論の世界を支配している定数と言えよう。しかし私は、その論理性、正しさを未だに認識できないのだ。

プランク輻射式の解剖プランク輻射式の解剖 (1)式が論文に示された式である。単位[J/m^4^]は書かれていない。この式から導出されたプランク定数hが長い科学理論の歴史を彩り、現在の科学界を支配していると言ってよかろう。その式の持つ意味を一応簡略に書き換えたのが(4)式である。さてこの定数の何を疑っているかである。密閉した金属の壺、黒体の内部空間から放出される光の温度変数に対する放射スペクトラム曲線を示していると言うが、その測定が可能かに疑義を呈するのである。どんな測定法で、E[J/m^4^]の物理量を測定できると言うのか。まさかE[N/m^3^]でもないだろう。何方がこの測定結果を検証したのだろうか。光の波長を分離して、各波長ごとに正確に測定できると考えるのでしょうか。光の強度は光束量の単位ルーメン[lm]で計るが、人の目で感じる感覚も比視感度によるフィルタにより、受光する光のエネルギー量の強度には比例しない。光エネルギーを正確に測定する全波長に亘って、波長分離して計測できる方法など存在するのだろうか。しかも単位が単位であるから。また、黒体の内部空間構造が球形であるか、立方体であるかによって、放射光のスペクトル分布曲線も異なると考えられる。空間内部反射によってその分布も異なるだろうと考える。先ずその黒体放射分布を確認したいものだ。誰も検証しないで認めていたとしたら、科学理論の実験的検証論拠は如何なることになるのか。上のプランク輻射式の解剖は熱輻射理論に関する考察で述べ、プランク定数を解剖するでも論じた。この熱輻射理論については、文献「熱輻射と量子 物理学古典論文叢書1 物理学史研究刊行会編 東海大学出版会」の論文翻訳によって学習させて頂いた。また光の空間エネルギー描像はプランク定数の概念に基づいて考察した。光の一波長分でも、各光はそれぞれの波長ごとにエネルギーの基本単位を持っている。その光量子描像を光とは何か?-光量子像ーに示し、そこでプランク定数の概念についても解釈を示した。しかしそれで全てが解決し、納得できた訳ではない。その疑義がプランク輻射式の単位、次元の問題である。(2016/05/03)追記。プランク定数の物理的概念、それは次元から上の記事に描いた解釈以外は無かろう。それは波長λ[m]の光一粒のエネルギーをε[J]とすれば

h=τ×(H/e)×λ^3^ [Js]

=ε×τ [Js]

ただしτは一波長の周期[s] 、H/e は光波頭エネルギー密度の平均値[Jm^-3^] およびλ^3^は光一粒の占有体積[m^3^] である。なお、プランク輻射式の次元の問題は実験的に確認しなければならない問題として残る事になる。

光はなぜ進むか 光は光速度で進むから、それだけで十分で何も考える必要はない。それ以上の問答は「哲学」の領域だと言われるかもしれない。じゃあ哲学者が論じられるか?やはり自然科学者の領分であろう。光が進む物理的原理があろう。その自然現象の本質を認識出来るか出来ないかを子供たちに伝える事が大切な「理科教育」である。生物学で、生命を支配する遺伝情報のDNAが何故4つであるのかもこの上ない不思議の世界である。解ったふりをするより分からない事を伝える事がより大切なのである。それが「考える」教育なのである。しかし波がエネルギーの縦波である事位は理解し、教育に組み込むべきである。光が何故進むかの疑問に答えるには、電気回路のエネルギーの振る舞いに着目することがその一つの道標となろう。電線路間の空間にエネルギーがどのように、何に縛られて伝送されるかを理解しなければならない筈だ。真空空間を電波が何故損失無く伝送されるか。自然空間の科学技術論の解釈概念である「誘電率と透磁率」の物理的意味を認識することと、電気回路の『共振現象』におけるエネルギーの振る舞いとの関係を総合的に認識すべきである。そこに自ずから答えが見えて来る筈だ。数学的抽象化だけに頼らず、自然を見詰める心が大切である。