月別アーカイブ: 2015年7月

日本語に愛をー憲法と日本人ー

愛国心をと言う言葉が政治用語の如く唱えられる。日本の国を愛せよという意味より、政治権力の意向に従う国民になれという意味に聞こえる。人がその思想・信条および意思を伝え、人の意見を謙虚に聞こうとすれば、そこに表現された言語の意味を素直に理解するように心がけるのが、国を愛する大事な面を成すであろう。外国語に疎い自分には、言語活動で意見を表明するには日本語しかない。言語能力にそれ程自信は無いが、最近頓に気掛かりの日本語の文章がある。

第九条第九条

誰でも分かるであろう。日本語の代表的な文章で、しかも日本人が守らなければならない日本人としての生き方を世界に表明した『日本国憲法』の条文である。これはとても良く意味が伝わる日本語としての名文と思う。簡潔で伝える内容が解り易い。憲法の文章を理解し、その意味に従う生活が大事な愛国心の基本となるのじゃなかろうか。

さて翻って、今日本の政治の方向を決めようというとても気掛かりな、国権の最高機関・国会で意味の分からない法律が審議されている。日本語を愛する一人として、考える。日本国憲法の第二章戦争の放棄として特別に規定された第九条の日本語の文章である。政治は解り易くなければならない。政治に携わる者には、第九十九条でその憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。と決められている。武力を行使できるという意味がどの文面から読み取れるのか全く理解できない。日本語の意味を理解出来なくなれば、日本と言う国と日本人の根本が理解できなくなり、日本が存在できなくなる。それは日本の品格に関わる。

電気の眞相(2)ー電圧とは何かー

眞相というものに辿り着くまでの道程には、これでもかこれでもかと壁ばかりが立塞がる。物事の本質はさまざまな鎧や武装で身を固めていて、なかなかその本性を現さない。それは過去の科学技術を築き挙げて来た先人の苦闘によって得られた解釈法であるが故なのだろう。だからその概念・認識は世界に認められた常識となっているものである為、どんな人にもその解釈の基本を否定することは困難な事であるのだ。だから真相は姿を現さないということになる。一度世界の科学常識を疑えば、その奇妙さが次々と疑問の山となって立ちはだかるのであろう。電気の眞相などという程の事ではないかもしれないが、得心できる事に辿り着いてみれば、花や蝶・風の有り触れた日常に観る風景とあまり違わないものに思えてくる。それは『専門』という鎧を脱ぎ捨てて初めて、心を通じ合えるもののようだ。嘘も虚飾もない世界。そんな思いで、電気工学の基本概念『電圧』とは何かを分析してみよう。

単相交流線路電圧 先ず電圧の例として、単相交流線路を取上げて見よう。一般家庭に供給される配電線路は、その線路の長さも数キロメートルの短さである。高圧配電線(6300V)から柱上変圧器を介して100V、200Vの配電線路である。仮に周波数f=50[Hz] で考える。

単相交流の電圧単相線路

電圧計で計る電圧値は、線路間の空間に分布するエネルギー密度によって決まる電気量である。空間エネルギー密度分布とは上の図で示すδ(x,y,z,t)が電線路の間の空間に分布しているという認識を採るものである。その電線間に広がるエネルギーの分布模様が如何なるかは捉え切れない。おそらく電線導体の近傍で最も密度が高くなっているだろうとは予測できる。計測器で測定できるものでは無かろうから、その分布状況を捉える事は困難であろう。電線路間の光エネルギーと同じ物理量を計測器で測定する様な事なのだから難しい。そんなエネルギーが電圧の眞相であったからこそ、それを認識するのは困難であった筈である。だから逆に『電圧』が如何に科学技術概念として有用であるかと言うことにもなるのである。しかし自然の真理として『電圧』を捉える事は、やはりどこかに矛盾が生じる事に突き当たるのである。無意識的に『電圧』概念を真理と見る事は延いては科学技術の過信や、社会的矛盾を抱えてしまう危険も大きいということであろう。『電流』と言う科学技術概念も同じ事である。それは存在しない『電荷』概念によって世界の自然科学を構築して来た現在に通じているのである。エネルギーで観る線路電圧 にその意味を述べた。電圧計で計れるから、電圧は世界の真理として物理的な実在量との認識になるだろうが。もう一度説明する。実は線路導体間の空間に存在するエネルギーの分布がその物理的本性なのである。2本の電線に電源から電圧をかける訳であるが、それはどのような意味・物理的現象なのかということを考えなければならないことになる。電源電圧V=100[V]として、その正弦波状に変化する電圧が線路間の空間にどのようなエネルギー分布として実在する現象なのかということになる。50[Hz]なら、その1波長の長さは、エネルギー流の速度がほぼ光速度であるから、λ=6000[km]の長さになる。(2015・8・18追記)ここでの光速度が少し気掛かりになった。実際に商用電力の伝送速度が本当に光速度と見做してよいかどうかは、確認できないから分からない。今日気に成って検索したらこのぺージが出たので、光速度と決め付ける訳にはいかないかと思い、少し追記させていただく。今まで少しも気にせず、ほぼ光速度と一般常識を鵜呑みにしていたがその光速度と言う速度の速さは少し遅いのが実情かもしれない。その点お断りさせて頂く。その上での以下の記述である事をご理解いただきたい。一サイクルの波長が日本列島の長さの2倍程になるのじゃなかろうか。先ず、空間のエネルギー密度とは一般にどの程度の値なのかを示しておこう。光速度との関係から極めて小さなエネルギー量である。

空間のエネルギー貯蔵限界空間のエネルギー貯蔵限界(絶縁体空間では誘電比率で増加する。その場合は速度も減速。)

裸銅線の電線路で、電圧とエネルギー流の関係を図に示そう。

電圧のエネルギー分布仮想的エネルギー流

上の図はもし電線路が一波長分あるとすれば、電圧に対して線路上での空間エネルギーが往復振動して、線路電圧に対応する筈である。電圧と言う電線路間のエネルギー分布がその時間的変化に対応する為に位置的にそのエネルギーが移動して、線路の電圧分布に適応しなければならない。そのエネルギーは電源とのやりとりよりその近傍で対応する為の移動になると言う意味を表現した。実際は単相線路は数キロメートルでしかないから、上の電圧に対するエネルギーの流れも柱状変圧器との間の流れとなる。上の図は電圧と空間エネルギーとの関係を理解する為の基本的視点を示したものだ。しかも無負荷での電圧との関係だけに着目したものだ。ついでに一言付言したい。家庭内の配線などのようなビニル絶縁電線の場合のエネルギー伝播速度は、ビニル絶縁体の誘電比率によって決まる。もし誘電比率3とすれば、伝播速度は光速度の1/√3倍程に減速するかもしれない。この線路エネルギー分布とエネルギー脈動の関係を理解するに参考となる例を挙げておこう。  「量子力学」とは何か? 新津工業高等学校 この自作実習設備での150MHz定在波は正に上の線路間エネルギー分布とその線路内脈動の説明に有効であろう。

単相線路電圧と負荷 負荷の変動に対して、常に電源側で電圧保持機能が果たされなければならない。離れた地点の負荷の変動を電源が瞬時に知らなければ対応できない。それはどのように自動的に制御されるか。負荷に供給されるエネルギーの流れを決める原因は何か。『負荷への電力供給の原理』ここに述べる事は、今まで頭の中で曖昧模糊としていた状況を明確に捉え切った解釈法である。『電圧』分と『電流』分の二つの科学技術概念に囚われて、エネルギー流をどうしても分離して解釈する事に頭の働きが固執していた。線路空間の電圧の意味を空間エネルギー分布として捉えた事から、瞬間的に負荷電力供給の意味が開けた。エネルギーで観る線路電圧 が起点になった。その事をここで述べる。電線路の電圧保持エネルギー分布から負荷にその内の幾らかが吸収される訳である。例えば白熱電球を例に考えれば、電球フィラメントにエネルギーが貯蔵され、高温度までエネルギーの吸収が続き、光放射とのエネルギー入出力の平衡までの過渡現象を経て定常エネルギー負荷となる。この辺の負荷特性の物理的意味を考える事も、納得するには難しい事である。しかし。負荷へのエネルギー供給は線路間空間の電圧保持エネルギー分布量の一部からのものであると解釈しなければならない。負荷のエネルギー吸収が線路電圧保持のエネルギー空間分布に歪みを来たす。その歪み補償の為に、その歪み状態は光速度で電源側まで伝達される。自動的に電源電圧保持の制御でエネルギーの平衡状態が回復される。負荷変動の状況は自動的に電源側電圧保持及び周波数制御によってエネルギー供給の平衡が保たれる。それが負荷電力供給の線路の物理的原理である。その複雑と見るか単純と見るかの電力系統機能を科学技術という現代社会基盤を『電圧』『電流』等の科学技術概念で構築して来た意味を、深く理解することがまた重要な事であろう。それを学ぶ意味が「真髄」という意味の理解にもなろう。

三相送電線路系統 単相と三相では、その電圧に関わる空間エネルギー分布の示すエネルギー流の状況が全く異なる。三相の電力伝送も、負荷変動がなければ、伝送エネルギー量は発電端から負荷までの送電線路空間内を直流と同じ一定値で流れる訳である。電圧保持エネルギー分布も、単相とは異なり、送電線路上のどの地点でも、三相電線路内を流れる訳でなく、その場で相順に従った線路空間内で回転分布流となっている。三相系統は別の機会に記すことにする。

コイルと電圧とエネルギー

(2018/10/13)追記 変圧器の奇想天外診断(2015/06/03)から始まった実験であった。この記事では、その実験結果についてはその不可解な意味の解明がなされていない。天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)(2015/08/14の記事)にその意味を示した。

(2015/07/29)追記 オームの法則の顔を立てれば、電流は流れずの皮肉な証明になるとは?電流の流れない回路の抵抗体の電圧は電気理論否定の科学的証明。文末の実験結果がそれだ。

世界の根源要素は唯一『エネルギー』だけである。素粒子に相当するものの基が『エネルギー』である。ならば電気磁気学の対象とする電気現象の基も『エネルギー』一つで解釈できなければならない。昭和62年電気学会全国大会で発表した『静電界は磁界を伴う』#(自分の無能を曝す恥じながら、この時期は既に昭和60年末当たりで身分の所属が抹消されていたようであり、今年になって『以下余白』の不覚で知った驚愕でがっかりの人生だが、間違った教育行政の人権侵害は日本の政府犯罪と認識しながら、個人には太刀打ちできないながらも一言付言しておく。文科省の教科書では電気現象の本質には到達できない。)#での『電荷』概念否定の旅の終わりに纏めるならば、このコイルと電圧とエネルギーの話に集約されるように思う。昨日新しく電圧検出器に5000円程奮発して、デジタルテスター(sanwa PM11)を購入した。改めて電気回路のコイル周りに存在する空間エネルギーの姿を明らかにしたいと、実験をすることにした。先ず、エネルギーと磁気現象の関係を理解しなければならない。磁界・磁気概念の本質  が参考になろう。長岡工業高等専門学校で既に昭和60年度に職歴が抹消されていた訳で、昭和62年4月の学会発表がここまでの全ての科学研究の基本になって来た『瞬時電磁界理論』とは が削除された事になっている。この発表はどう生かせばよいか?

再実験(1) 紙筒コイル実験。情無い(ツレナイ)ヒューズ遮断のお粗末な結果を改めてやり直したい。もう一度回路図を示す。

紙筒コイル紙筒コイル

今回はコイル終端1’と2’間に負荷ランプを繋いだ。負荷5Wランプオン、オフの場合について終端側の線間の電圧を測定。実験状況。ランプ負荷付紙筒コイルコイルとランプ負荷

実験結果。

①端子1’ー2’間にランプオンのとき。電源電圧ほぼ100Vで3’ー2’間電圧22.8V、3′ -1’間電圧61.6Vであった。コイル3-3’には全く電圧は掛けていない。何故第三番目のコイル(3-3’)との間に大きな電圧が検出されるか。紙筒コイル負荷①

②ランプ負荷オフのとき。ほぼ同じく電圧が検出された。3’-2’間電圧23.0V、3’-1’間電圧62.3V であった。結果は負荷の有る無しには関係ない事を示した。

③コイルとランプの直列回路。電源電圧100Vを端子1-2’間に印加。端子2-1’間にランプ負荷。これは電気回路の代表的L-R回路である。3’-2’間電圧22.8V、3’-1’間電圧62.1Vが計測された。1-2’間の電源電圧100.8V、負荷端電圧2-1’間100.7V。また、3-3’間は0.0V。

紙筒コイル負荷②コイルとL

(2015/08/03)追記。やっぱり不可解だ。コイル1と2は直列のインダクタンスLの機能を持つ筈だ。しかしランプ抵抗のみの負荷の結果だ。どこにも、電流iによるLdi/dtの意味が見えない。更に、コイルは1、2と3をほぼ揃えて、接近して巻いたから、コイルの位置関係は、コイル3が1と2の間に巻かれているとも考えられる。その時の電圧測定値で、1’-3’間と2’-3’間の電圧値に大きな差がある事を改めて考えなければならない。コイル3が回路接続としては完全に浮遊した、どこにも繋がっていない、教科書の電気理論から見れば、無意味な電線なのだ。それが何故3倍近い電圧差で、電圧が現れるか。この関係は、他の前の実験や下の鉄心回路においても同じ意味で不可解な電圧測定値の結果である。いわゆる電気回路現象の電気理論から解釈した場合の不可解と言う意味である。この不可解こそ、積み重ねて来た科学理論への疑問の意味を解く鍵になる。電線路空間に分布する空間エネルギー分布の認識がその鍵となる。

再実験(2) コイル巻き空間が鉄心の場合。実験器具の配置を示す。鉄心コイル

この実験は変圧器のコイルと鉄心の機能を考える切っ掛けを得たくて試みたものである。それが変圧器の奇想天外診断である。その結果をもう少しはっきりさせる再実験である。

実験結果。

①鉄心コイルに負荷。回路図の上に検出電圧を示す。鉄心にコイル負荷①ランプ負荷

実験とその意味・内容 コイルの意味は単に鉄心に3本の線を揃えて巻き、更にもう1本4番目の線を別に巻いたコイル群で、コイルの意味には変圧器の巻線とは全く無関係の構造である。この実験を思い付いたきっかけは、新世界ー科学の要ー及びエネルギーで観る線路電圧におけるエネルギー認識を深めて、変圧器のエネルギー伝送機能を物理的に明らかにしたい思いが基になった。決して電気技術者が専門家として考える実験ではない。理論を知っている人なら、こんな奇想天外な世界に入る訳がない実験である。

計測電圧の意味 全く無意味なコイル巻き回路の実験で、電圧が比較的再現性ある値で得られる事に大切な物を含んでいる。更にこのコイルが紙筒の場合でも出た電圧の同じ傾向にはトンデモナイ驚きである。なかでも、離れたコイル4-4’との間にまで17.5Vの電圧が検出された意味は何と解釈すれば良いか?解釈の基本的認識には巻線周りの空間に存在する『エネルギー』しかもその速度が光速度の流れに拠っていることを理解しなければならない点である。巻線間に現れる電圧の大きさについて、どのようにその意味を理解するかは今後の課題となろう。なおこの①の実験のコイルを考えれば、いわゆる『電流と磁気』の解釈を採ろうとしても、空間の場に対して打ち消してしまう訳で、教科書の理論的な意味合いは全く通用しないと考える。それは紙筒コイルも同じであろう。

②鉄心リアクトルとランプ負荷直列回路 紙筒空心リアクトルと同じ接続で実験。その結果の測定電圧を回路図に示す。この結果と他の測定結果との間に有る差異にどんな意味があるのかは未だ分からない。鉄心にコイル負荷②

③1’-3’端子に負荷接続は? どんな結果か楽しみだ。実験結果を図の示す。

誘導回路に負荷誘導電圧

上の①で、1’-3’間に49V程の電圧が計測された。その端子間に5Wのランプ負荷をかけて、各端子間の電圧を測定した結果が上の誘導電圧である。ランプ負荷の定常点灯時の負荷抵抗は2000Ω程であるが、単にテスターで計ると240Ω程度だ。実験結果は、誘導電圧は負荷接続で、端子短絡と同じ意味を示す。電圧はゼロとなる。ついでに、コイル4との間の電圧を示した。結局線路の近傍に張られた電線路にも誘導電圧が現れる現象として良く知られたものである事に解釈は落ち着いた。なおコイル4の誘導電圧は値もコイルに手を触れる事で変化する。この場合の誘導電圧は変圧器鉄心の意味はほとんど含まれていないと考えて良かろう。ただ少しエネルギー分布に鉄心の存在が空間環境に影響はしていよう。

④追加実験(2015/07/28) ③のランプ負荷の代わりに、高抵抗を繋いでみた。1’-3’間の電圧測定結果。1[MΩ]負荷時:6.4[V] 。10[MΩ]負荷時:32.4[V] と結果を得た。この結果はやはりコイル3とコイル1との間に電圧が生じていると見做さざるを得ない。コイル3には電源電圧は印加していない。しかも、変圧器誘導電圧などでもない。確実に存在する電圧という電気量(科学技術量)の意味をその根拠から解釈しなければならない。結論は線路空間のエネルギー分布が電圧の本性である。抵抗1[MΩ]に6.4[V]の電圧が掛っているとなれば、電気の基本法則オームの法則により、それは電流が6[μA]流れていると電気理論では解釈する。しかし、コイル1と3は電気回路として電流が流れる閉回路には成っていない。どこをどのように電流が流れると解釈すれば良いか。これも電流は流れず と言ってきた一つの実験的証明になる。こんな結果に行き着くとは不思議だ。やっぱり常識外れの奇想天外に意味があったか。検定教科書による教育が心配だ。

誘導電圧について 送電線路などで、近傍の線路への誘導電圧計算式がコンデンサ結合回路の等価回路で解釈されている。結局は、それも空間のエネルギー分布の積分値としての電圧計算の物理的意味なのであろう。計算式には実測値に対してあまり意味はなかろう。ただ、それらの式も科学技術的解釈には貢献しては来たとは思う。

最後に電源スイッチを示しておく。

コンセント型電源スイッチコンセント型電源スイッチ

和包丁の切れ味

家に一本の和包丁がある。その切れ味は正しく芸術の域にある。日本刀に近いのかと思う出来栄えである。職人の心が輝いている。
銘に 宏元作 はがね本割込

宏元作 はがね本割込宏元作

はがね本割込とは刃の鋼が包丁の背まで割込まれている物のことを知った。砥ぎ尽くして、使いこなして包丁の姿が無くなるまではがねが残るものであると。普段使いにはしていないのであまり砥ぎもしないが錆びない。切れ味の鋭さは、トマトの熟したものを切る時に分かる。トマトの皮に刃を当てると、吸付き動かせば、どんなに熟したトマトでも綺麗に輪切りされる。こんな本割込みの包丁は包丁売り場では見かけない。はがねと同じ厚みの3枚を合わせて鍛え上げられた包丁である。正に使うと芸術品の扱いに思える。包丁の名品名品(奈良で購入した)

 

情無い(ツレナイ)ヒューズ遮断

(2015/7/13)実験追記。今日は新しい組み合わせで、実験をした。特に目新しい結果は得られなかった。しかし、前回の勘違いとなったガラス管ヒューズが強く光ったにも拘わらずヒューズが切れていなかった現象について、その意味が分かった。今日の実験でも、最初は緊張して電源スイッチを投入した。ヒューズが遮断するかどうかを注意しながらスイッチ投入。今日も相当の光度で光った。普通なら当然ヒューズが切れたと判断する筈だ。前回の事があったので、今度はヒューズの状況を確認した。しかし驚くことにやはり切れていなかった。じゃああの光は何だったのかとまた悩んだ。もう一度電源投入をした。しかし今度はヒューズが光る事もない。こんな実験結果には、科学の再現性と言う意味からして頭が混乱するのである。原因はダイオードの全波整流回路も負荷として電源に繋がっていた事であった。整流後の直流側に電界コンデンサ10μFを繋いでいた。その突入電流がヒューズの発光現象の原因であった。そこでもう一度直流電圧を放電して、再度突入状態を観測した。ヒューズはまたピカッと光った。今度はヒューズは切れていた。結局3度も同じ発光をした訳だから、相当ヒューズの質量も減少していた筈で、切れて当然である。それにしてもガラス管ヒューズの特徴を今回の実験勘違いが教えてくれたことを偶然の知見としたい。電気的現象に関する結果は今回は得られなかった。測定器の問題を解決したい。

(2015/7/12)追記。誠に残念なお詫びの記事です。新しくヒューズを取り替えて、再実験。ヒューズは切れない。どうも意味が理解できずに何度も確認する。しかし、0.1Aヒューズは切れない。端子1’と2’にランプ負荷5Wを繋いでもヒューズは切れない。先回ピカッと光って切れたヒューズを確認したら、切れていなかった。この結果は余りにも衝撃的な失敗の面目丸つぶれを示す。ヒューズの光った意味は何だったのか未だに理解できない。試しにヒューズの抵抗をテスターで計ると10Ω程度の値を示すことを知った。通電時の抵抗のオームの法則の関係とは別の意味の抵抗値だと思う。結局下の実験結果は私の初歩的な、恥ずかしい間違いであった。お詫びします。

そこでもう一度確認した。負荷ランプを繋いでも、繋がなくても動作に変化はない。端子1’と2’間には電源電圧が掛っている。問題は端子3’との線路間の電圧値である。紙筒コイルの変圧器鉄心の場合との大きな違いは当然の予想通り、僅かな電圧しか現れない事である。しかし、3’-2’間より3’-1’間の方がやはり僅かに大きいようである。この端子3’との間に現れる電圧の意味は鉄心の有る無しに関わりなく、微小電圧でも検出されることの意味は大きい。空間線路間エネルギー分布の検出と言う意味は電圧の意味を理解する電気磁気学の基本現象と理解しなければならない。ここから改めて実験が始まる。鉄心の意味を探る為の。

決して電気屋が考えない実験をした。やっぱり常識外れと電気に断られ、肘鉄を食らったような目にあった。スイッチを入れるとフューズ遮断だ。余りにも情無い(ツレナイ)と思った。しかし自然は嘘を言わない。その現象を大切に考えて見よう。これも世界に初めての実験結果だから。(2015/7/12)ヒューズが遮断されていなかったとは余りにも恥ずかしい話です。世界には通用しない結果だった。御免なさい。
電気実験 こんな愚かしい実験は誰もしない。しかし実験の思い付きの根底には物理学・電気磁気学への深い哲学的疑念が基になっているのだ。変圧器の奇想天外診断の実験結果が問いかける真理への道筋に咲く花を探す旅でもあるのだ。決して科学理論の常識には自然の真理は待っていないからはみ出さなければならないのだ。それが実験目的である。実験内容。それは紙筒に3本の線を巻きつけた。その2本に電源100Vの電圧をかけた。結果はヒューズ0.1Aが切れて、電圧を掛けられなかった。「何故か」の問答になる。

紙筒コイルに電圧印加実験回路2

変圧器は鉄心にコイルを巻く。奇想天外実験で、予想外の電圧が検出された。当然のこととして、磁心である鉄心の物理的機能原理を明らかにしたくなる。フューズ遮断と言う実験の失敗を論じるつもりはない。その先にどんな方法で実験を進めるかが面白さになる。その先の見えない生の裸を曝しながら、科学論を展開してみようと考えての失敗の公開である。

IMG_1147実験写真2

この実験は丁度新品のビニルコードの束の一方の端に電圧100Vを掛けたと同じ事になる。その時電源が過負荷遮断したような状況の結果である。しかも負荷は何も繋いでない無負荷状態である。こんなことは電気磁気学理論で考えられないのである。だから価値がある実験と思う。少しヒューズ容量を上げてまた実験を試みる。ヒューズを購入するまで中断。0.1Aヒューズでの再実験で、上に記事は間違いだったことが判明。

戦争とは破壊だ

何故人間は戦争をするのか?知る限りの人類の歩みは戦争に因って足跡を残して来た。戦争の過ぎ去った足跡に平和も幸せもすべて破壊して悲しみだけを残した。

戦争とは戦争

人として生きる基本的人権。あらゆる事柄の真理、眞實更に正義。社会の安全と平和。人の生活する幸福。これらは戦争によって悉く切り捨てられる。押し潰される。昭和20年6月23日、沖縄に起きた悲劇がそれを物語る。それでも戦争を続けて、広島・長崎の原爆の壊滅的悲劇に導いたその責任を日本人は検証していない。そんな人の尊厳が押し潰される意味を上の筆墨に込めた。

人の安全と生命・財産を守る為にと触れ込まれる戦争準備法案は決して安全でも生命・財産を守るものでもない事だけは間違いない。戦争の意味を知らない者達が画策する日本国憲法違反法案である。地方議会で、今正に戦争準備法案が通るかと言う瀬戸際に立っても、その成立阻止の決議も否決されている。決して戦争を止めようという意思が見えない。長岡の花火は有名であるが、戦争を否定する意思が見えない。戦争の悲劇を語る集会はあるが、アメリカと組んで共同の戦争準備法案を進める道を歩いているようだ。