日別アーカイブ: 2015年4月5日

停滞性気性日本

異常性突出と停滞性気性の混合型日本。なんか何処かに有るワクチンかと間違わないで欲しい。今日の毎日新聞の記事、野坂昭如の「七転び八起き」 第200回「思考停止」70年 生命の危機 敗戦から学べを読んだ。思考停止の文字に惹かれた。今の日本の状況に疑問を抱かざるを得ない。日本の民主主義とは何かと考えて仕舞う。日本は民主主義でない精神状態の国民の集まりと同じではないかと。多くの日本人の特徴として、何故か政治権力に対しての批判は口を閉ざして発言しない風潮が見える点に在る。権力に逆らう事は不孝者と思われるようだ。政治の話は政治家に任せておけば良いと。お上に楯突くなど以ての外だと。それは日本人の過去の歴史的摺り込み学習の『脳特性』が大きく影響していると思う。家父長制度、天皇の神格化の強制のいわゆる『封建制』社会意識。それが太平洋戦争の敗戦を境に、急激な政治制度の変革に見舞われた。中央統一政権の下で、それが朝廷であるか武家政権であるかに関わりなく、長い鎖国の下での閉鎖島国性が精神構造の髄に染み込んでいた。明治の開放大転換制度も朝廷・天皇による臣下制度の家父長封建社会の継続の道を歩んで来た。それが敗戦により「民主主義」という未知の別世界に放り込まれた。そんな自由な世界が有ったのかと驚きながらも、それまで天皇に養われている下僕のような精神性に強制的に押し込められた「臣下」の庶民はその恩恵を享受した。それまで天皇を奉りながら、敗戦に陥れた政治家・軍人の責任者にとっては旨みと権威が削がれて誠に不愉快な制度になったとの思いであっただろう。そんな訳で、誰も自ら戦って民主主義を手にしたことの無い日本人しか居ないのだ。それこそ、自ら望んで獲得した自由・平等・公平の制度ではない。民主主義など欲しくなかったのかもしれない。お上の下す命令にただ従うだけを常識的な大人と考えているのじゃなかろうか。選挙になれば、顔役を無批判に支持する古典的封建制の統一に従う。カネさえ回ってくれば、自衛隊が兵器を持って海外に行こうと『国』が言うのだから(『国』と言う何者もいないのに)止むを得なかろうと。NHKのトップと同じ考えで。ガチガチの国粋主義者内閣でも、アメリカも軍事協力さえ有れば無条件支持になる。日本国憲法第9条を制定した占領下の法律を御都合だけで無視しても良いと、今も占領下のような日本と看做す。天皇制で、象徴とはどういう意味付けだったのか。民主主義国家における象徴「天皇」の法の基における平等の精神は国民にどのような精神的感覚を植え付けているかを考えない訳にはいかない。全ての人が平等・公平・自由の価値観の基に於いて初めて民主主義精神の意味が理解できるはずと思う。敗戦に於いて、天皇が国民に謝罪をして来なかったことがとても大きな問題と思う。広島、長崎の原爆で日本人を殺し、悲惨な生きる苦しみを背負わせた責任。勿論アメリカが落とした原子爆弾が原因であることに、その犯罪性に最大の責任がある。しかし、そこまで負ける事が分かりながら、戦争を継続させた事による大量死に至った責任が有る。真珠湾攻撃を決行した無能の責任がある。如何に敗戦に至ったかの原因・戦争突入の経緯とその意味を日本人自身が検証してこなかった事がいつまでも心のわだかまりとなっていると感じる。戦後の心を開放することができない事態に至っていると感じる。戦後70年という節目がその重い意味を、本当の民主主義とは何かの問いに答えるべき時を連れて来たと思う。その曖昧な精神的疑似民主主義の上に戦後制度設計を作り上げてきた責任は官僚組織の『国(意味不明な)』意識に現れている。主権者が国民一人一人であるという民主主義の根幹が生きていない。男女同権と言うのであれば、天皇が男女同権の意味を率先して示す制度でなければならないのにそれが通用しない国会議員の意識は戦前のままに残っている。国民の象徴であれば、男女に差別があっては象徴の意味を成さない。家父長意識が消えない日本。子供たちにこんな曖昧な状態を残してはいけない。

福島第一原子力発電所崩壊と原子力発電所再稼働事件 福島県人が今でも原子力発電所周辺には住めないままである。この事態を考えた時、日本国憲法の国民の基本的人権の保障という意味を理解していないとしか見えない。政府はその事を理解していない。何があっても、居住権を奪う事は許されない。天災が原因ではない。人工の発電所が起こした環境破壊が原因で住めなくなったのである。憲法の保障する基本的人権を侵害していることには間違いない。その事に少しも気付かない振りをしている。そこには停滞性気性の日本が見える。

敗戦後70年 過去の戦争責任を日本人が問わずに来た。だからまた過去の戦争への道を、再び歩もうと言う状況を作り出している。経済性以前の人道上の信義の問題。