月別アーカイブ: 2015年4月

楡ケヤキに自然を観る

40年程傍に置く楡(ニレ)ケヤキの盆栽が有る。元気がないので、植え替える事にした。起した根に驚いた。生きる生命の強烈な姿が現れた。

楡ケヤキ楡ケヤキ

姿作りの技がないため、曲がりながら背が伸びて仕舞った。

根張り根張り

鉢の中に隙間なく張り巡らせた根の姿。こんな盆栽の手入れの日常作業に、自然世界の本質が見える。物理学理論で捉えられない自然の奥底の真理が見える。『エネルギー』が自然世界の本質であると。太陽の光の『エネルギー』が生命を育てる。この土の中の根は何が根の『質量』に変換したかと考える。殆ど土は消えて、全部楡ケヤキの生命の中に消えてしまった。楡ケヤキの成長した幹や根は何がその『質量』に変換したのか。殆ど栄養も与えず、ヒモジイ思いの中で、限られた盆の中の土を栄養に変換して、生命を育ててきたのだ。欅は落葉樹だから、冬前には青葉が枯れて土に落ちる。限られた世界で、太陽光線を源にした生命の営みである。

世界の根源 すべて『エネルギー』一つが創り上げたものだ。宇宙の広大な広がりも、基は『エネルギー』という物理量が創り上げている。決して17個の素粒子が創り上げているのではない。『光』-『熱』-『質量』は『エネルギー』の諸相である。この図案化したものが世界を描くである。今年の年賀状にも。

エネルギーで観る線路電圧

エネルギーは空間でその本領を発揮する。久しぶりに専門的内容の論述をする。専門的という意味は、過去の常識論に何らかの修正をするという意味であろうと考える。1864年に示されたマックスウエル電磁場方程式が余りにも有名である為、電磁波は光を含めてすべて縦波だと言っても、殆ど信じてもらえない。OKWaveなどに質問しても、解答は教科書の常識から抜け出せないものが多い。確かにマックスウエル電磁場方程式を電界、磁界という概念で解釈しようとすれば、どうしても進行方向に対して横波として取り扱わなければ、表現のしようがない。それらはすべて『電荷』概念を実在の物理量とした仮定の上で理論を構築した結果であるからそれ以上の論議がかみ合わないのである。そこで『電荷』無しでどう解釈するかを尋ねてきた。今回は再び、『電圧』の意味を線路電圧として解釈し直してみようと纏めた。『電圧』は空間のエネルギー密度分布の意味を表現した技術的評価量であると。 電気回路の電線の間には電界があると考える。その電界と言う意味は一方の電線と他方の電線にそれぞれ電荷がプラスとマイナスで分布していると考えた結果に依って、電気力線が生じる。その電気力線がある空間を電界と呼ぶ。これが現在の世界の教科書での電界の解釈である。それは電気(電荷)の影響の有る特殊な空間の世界とでも考えれば、電(荷の影響する世)界と言う意味が分かり易いかもしれない。しかし、本当は電荷など存在しないということになれば、それに代わる電界と言う空間の本当の姿をどのように解釈すべきかの課題になる。その電界と言う空間の本当の意味は、電線間にエネルギーが分布しているから、そのエネルギーの量的強度が空間を特別な影響下にしている訳だと考えるべきである。そのエネルギー分布の解釈から、電線路の電圧とは何かを解説したい。

線路電圧と空間エネルギー分布線路電圧とは 電圧が掛った導線路間に電圧計を繋げば、如何にも導線の電位差を表示すると思える。だから導線の間の空間にエネルギーが分布しているために電圧計に『電圧』が示されるとは理解し難かろう。しかし、『電圧』とは空間のエネルギー分布の積分の意味と解釈すべきものなのである。上の図は電源が交流の場合で示した。たとえば三相電線路であれば、三本の導線間に時間的に変動するエネルギー分布が現れる。交流電圧であれば、無負荷、負荷エネルギーの伝送が無くても電圧分布に相当するエネルギー分布が時間的に電線路全体で変動することになる。しかしその状態の変化は電線路全体に対して、『光速度』という極限速度に近い対応で起こるので、エネルギー分布は瞬時対応で追従する。光速度の意味が電気回路にもたらす事を電力送配電系統と電気の波に示した

マックスウエル電磁場方程式の虚像 人間の頭脳の内部思考には不思議な傾向が読み取れる。それはとても大きな社会的影響力を持ち、長い歴史の岩盤のような基礎を成す。19世紀初頭から電気の実像を科学的という手法で探り込む研究が本格的に始まった。そこには、導線材料とその周りの空間に現れる現象の意味を理解しようと言う人間の本能的競争が起こった。空間の電気磁気的現象を方程式にまとめたのがJames Clerk Maxwell(1831-1879) である。人類に影響を与えた最初の科学技術の恩恵は空間を伝播する電気信号による通信技術と言っても良かろう。その空間の信号伝播を説明する理論がマックスウエル電磁場方程式である。その解釈を超える便利で有用な理論が有る訳がない。そこで空間電磁場解釈法は理論的に完成したのである。しかし、それはあくまでも『電荷』概念を自然科学の根本的拠り所としたという前提での解釈法でしかない。『電荷』概念は自然科学論を展開するには、これ程の有用な理論構築の簡便さという意味で、便利な人間的手法は無かろう。大学はじめ、電気磁気学の専門的学理を電気の最終目的としておく事によって、その教育上の権威と威厳を強固に保てると言う社会的優位性がある。あんな、発散、勾配および回転の微分式を操るだけでどれ程優越感に浸れるかは、市民的立場からすれば推して測れる。大学よ、空間のエネルギーに目覚めよ!大学の虚像から脱却せよ。どうせ空間の電界や磁界が有る訳ではないのだから、マックスウエル方程式を解説しても、その真偽は検証できない安全係数の保障の中に有る。無い電界や磁界の意味をここで少し説明しておこう。 空間のエネルギー分布から見た電界、磁界の解釈を示す。 電磁界と線路電圧電界、磁界の意味 電線路内の電磁界をマックスウエル電磁場方程式で表現できるだろうか。電気理論の根本は、電界強度を解釈するにも、『電荷』が必要である。所謂クーロンの法則である。プラス電荷からマイナス電荷への電気力線描像によって解釈される。電線路内の空間にその手法で解釈をこころみたら如何であろうか。実際に技術開発で、電波送信の実験的評価をするとき、空間の電界や磁界がどんな値であるかなど全く価値がないのである。測定できないのである。空間を伝播する光のエネルギーの状態などその光速度を考えてみれば、実験的計測法で評価など出来ない事ぐらい分かろう。要するにマックスウエルの方程式は学校での電磁気学のお飾り的教育効果しかない。この事を今改めて述べる事ができるのは本当に幸運であると言える。それだけ科学の理論と人間との関係を、市民の感性で哲学的に考えなければならない時代になったともいえる。ただ残念な事は、この解釈の初期が私には履歴が抹消された事実の只中にいた事である。昭和60年(昭和39年からか?)から63年の言いようもない闇の中に隠されたままである。 『瞬時電磁界理論』とは 『静電界は磁界を伴う』の解説 新世界への扉ーコンデンサの磁界ー 単位の換算について エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系をご参照ください。

ジャガイモたった一つに

こんな事に目くじら(目角メカドとも書くらしいが、語源を知らない。日本語の故郷の臭いがする)を立てちゃいけないよ。人格が傷つくから。

IMG_1094ジャガイモの癌?

庶民にして見ればこれも農業問題に見える。TPP参加に揺れているが、このジャガイモの品格を製品の資格として問題にしたい。折角調理しようと皮をむき、割って見たらこの有様だ。子供の頃種イモから処理して植えて育てて収穫した。こんな芋は見たことがない。何か表面は立派に見えるが腹を割ったら真っ黒けだった。そんなのやだよ。商品偽装問題になりそう。最近こんなジャガイモが時々ある。生産者はこんなジャガイモを売って良いのかな。科学技術が発達すると、製品の品格が落ちるとはこれ如何に。多寡がジャガイモ一つ、されどジャガイモ。ジャガイモの本来の生命を冒涜する人間の思い上がった遺伝子工作が無ければ良いがとお祈りしたい。自然の神様に申し訳ないと。

停滞性気性日本

異常性突出と停滞性気性の混合型日本。なんか何処かに有るワクチンかと間違わないで欲しい。今日の毎日新聞の記事、野坂昭如の「七転び八起き」 第200回「思考停止」70年 生命の危機 敗戦から学べを読んだ。思考停止の文字に惹かれた。今の日本の状況に疑問を抱かざるを得ない。日本の民主主義とは何かと考えて仕舞う。日本は民主主義でない精神状態の国民の集まりと同じではないかと。多くの日本人の特徴として、何故か政治権力に対しての批判は口を閉ざして発言しない風潮が見える点に在る。権力に逆らう事は不孝者と思われるようだ。政治の話は政治家に任せておけば良いと。お上に楯突くなど以ての外だと。それは日本人の過去の歴史的摺り込み学習の『脳特性』が大きく影響していると思う。家父長制度、天皇の神格化の強制のいわゆる『封建制』社会意識。それが太平洋戦争の敗戦を境に、急激な政治制度の変革に見舞われた。中央統一政権の下で、それが朝廷であるか武家政権であるかに関わりなく、長い鎖国の下での閉鎖島国性が精神構造の髄に染み込んでいた。明治の開放大転換制度も朝廷・天皇による臣下制度の家父長封建社会の継続の道を歩んで来た。それが敗戦により「民主主義」という未知の別世界に放り込まれた。そんな自由な世界が有ったのかと驚きながらも、それまで天皇に養われている下僕のような精神性に強制的に押し込められた「臣下」の庶民はその恩恵を享受した。それまで天皇を奉りながら、敗戦に陥れた政治家・軍人の責任者にとっては旨みと権威が削がれて誠に不愉快な制度になったとの思いであっただろう。そんな訳で、誰も自ら戦って民主主義を手にしたことの無い日本人しか居ないのだ。それこそ、自ら望んで獲得した自由・平等・公平の制度ではない。民主主義など欲しくなかったのかもしれない。お上の下す命令にただ従うだけを常識的な大人と考えているのじゃなかろうか。選挙になれば、顔役を無批判に支持する古典的封建制の統一に従う。カネさえ回ってくれば、自衛隊が兵器を持って海外に行こうと『国』が言うのだから(『国』と言う何者もいないのに)止むを得なかろうと。NHKのトップと同じ考えで。ガチガチの国粋主義者内閣でも、アメリカも軍事協力さえ有れば無条件支持になる。日本国憲法第9条を制定した占領下の法律を御都合だけで無視しても良いと、今も占領下のような日本と看做す。天皇制で、象徴とはどういう意味付けだったのか。民主主義国家における象徴「天皇」の法の基における平等の精神は国民にどのような精神的感覚を植え付けているかを考えない訳にはいかない。全ての人が平等・公平・自由の価値観の基に於いて初めて民主主義精神の意味が理解できるはずと思う。敗戦に於いて、天皇が国民に謝罪をして来なかったことがとても大きな問題と思う。広島、長崎の原爆で日本人を殺し、悲惨な生きる苦しみを背負わせた責任。勿論アメリカが落とした原子爆弾が原因であることに、その犯罪性に最大の責任がある。しかし、そこまで負ける事が分かりながら、戦争を継続させた事による大量死に至った責任が有る。真珠湾攻撃を決行した無能の責任がある。如何に敗戦に至ったかの原因・戦争突入の経緯とその意味を日本人自身が検証してこなかった事がいつまでも心のわだかまりとなっていると感じる。戦後の心を開放することができない事態に至っていると感じる。戦後70年という節目がその重い意味を、本当の民主主義とは何かの問いに答えるべき時を連れて来たと思う。その曖昧な精神的疑似民主主義の上に戦後制度設計を作り上げてきた責任は官僚組織の『国(意味不明な)』意識に現れている。主権者が国民一人一人であるという民主主義の根幹が生きていない。男女同権と言うのであれば、天皇が男女同権の意味を率先して示す制度でなければならないのにそれが通用しない国会議員の意識は戦前のままに残っている。国民の象徴であれば、男女に差別があっては象徴の意味を成さない。家父長意識が消えない日本。子供たちにこんな曖昧な状態を残してはいけない。

福島第一原子力発電所崩壊と原子力発電所再稼働事件 福島県人が今でも原子力発電所周辺には住めないままである。この事態を考えた時、日本国憲法の国民の基本的人権の保障という意味を理解していないとしか見えない。政府はその事を理解していない。何があっても、居住権を奪う事は許されない。天災が原因ではない。人工の発電所が起こした環境破壊が原因で住めなくなったのである。憲法の保障する基本的人権を侵害していることには間違いない。その事に少しも気付かない振りをしている。そこには停滞性気性の日本が見える。

敗戦後70年 過去の戦争責任を日本人が問わずに来た。だからまた過去の戦争への道を、再び歩もうと言う状況を作り出している。経済性以前の人道上の信義の問題。