月別アーカイブ: 2015年3月

意識とは何か

「文藝春秋」2015年 4月号を買って読んだ。立花 隆氏の記事 「脳についてわかったすごいこと」 を読んだ。話の内容が『臨死体験』についての脳の働き方のようである。間もなく、NHKで放送される予定の話のようだ。私には、このような脳の機能の科学論はあまり興味を持てない。何か超常現象の話とも思える内容だから。どうもNHKはこの種の話が好きなようである。初めに「意識とは何か」との解釈の話から入っている。『臨死体験』など経験がないから、余り考えるつもりは無かったが、『意識とは何か』と疑問を呈されているので、その点で興味を覚えて、自分なりに考えてみた。記事の中では、その問答が主題となって、多くの科学者の研究を紹介して踏み込んではいるが、解答となる結論は示されていないようだ。

「意識とは何か」を考えて この「意識」とは何かと問う意味を考えた。その問いを出すことの意味を考えた。「意識」という意味が分かっていないから「意識とは何か」という『問答』になっていると思った。結局、「意識」という用語の意味が元もと定義できる程はっきりしていないと言うことでしかなかろう。「意識」の用語の意味がハッキリしているなら、「意識とは何か」という問はでない筈だ。「意識」そのものが分からないのである。結局『脳とは何か』と同じ意味ではなかろうか。記事は『臨死体験』を『脳』の機能から解釈しようとしているのだと思った。『臨死体験』など科学論としてなりたつ訳はなかろうと、素人の直覚から思った。とても面白いと思った話が有る。麻酔がなぜ効くのか、科学的には何も分かっていないという麻酔科医の話である。そこでまた疑問が浮かんだ。それでは何故睡眠薬は効くのかも分からないのだろうかと?何故睡眠が必要なのだろうかと?脳の機能回復に必要と言われても、何故かと疑問が湧く。すべての生命は睡眠が必要なのだろうかと?ミミズも眠るのか?細胞も睡眠をとるのか?睡眠が生命=脳の本質を説く鍵かもしれない。細胞の働きは何が支配しているのか?自律か、他律か?『脳』と繋がっているか?何にも分からない事から始まる。

これからも、科学は常に解釈の余地を残し続けると思いました。の結論に安心した。

ベースアップが生活苦の空回し

今賃上げが話題だ。賃上げ、ベースアップという経済行為は何を目的にしているのか。経済学は何と答えるのか?日本では、昭和35年(1960年)代、池田内閣の『所得倍増』政策で、みんな所得は上がり続けた。それが生活苦から逃れる事なら、みんな豊かに成って、幸せの筈じゃないか。賃金水準は昭和40年に比べればとても高い。しかし賃金上昇は何の意味が有るのか。賃金が上がれば、商品の価格、生活費の上昇を来たす。水道料金、電気量、衣服、燃料費などどれもが高騰する。賃金上昇分はそこに全て消えてしまう。結果は今までと同じ生活苦が残る。資本主義の競争原理は、弱肉強食による格差拡大以外の何ものでもない。高所得者から特別税を徴収する原理を社会正義の原則にした政策以外は、未来社会は加速度的に精神荒廃社会に向かう。経済学者は賃上げの意味をどう説くのか?黙っていられないので。

心に刻む歴史 に触れて

戦後70年が重く心に圧し掛かる。1995年8月7日東京、国立教育会館・虎ノ門ホールでのワイツゼッカー元ドイツ大統領の来日記念講演録の本を読んだ。

心に刻む歴史写真271

荒れ野の40年に次ぐ、2冊目の日本での講演録を読んだ。現自民党、安倍政権の政治動向・精神性において、戦後歩んだ武器を使わない平和の道筋と相当かけ離れた危険な兆候を感じてしまう。ドイツの政治指導者・ワイツゼッカー元大統領の歴史認識に触れ、その思いが如何に大切な事かと心に刻まなければと思った。その本の一部の言葉を、書き写させていただく。

心に刻む歴史20頁より写真272

今週(2015/03/09)ドイツのメルケル首相が日本を訪問された。どうしても日本とドイツの戦後と現在の世界における評価を比較してしまう。あの忌まわしい第二次世界大戦に対する評価の歩みが両国で相当異なっている。それは、朝日新聞2015年3月4日の記事、20年前の採決欠席 安倍談話へ続く 一連の関係記事によく示されている。 戦後50年の『村山談話』と戦後60年の『小泉談話』が載っている。それを引き継ぐ70年談話が安倍政権の下で出されるようだ。しかし、戦後50年の自民、社会、新党さきがけの3党での国会決議において、『植民地支配』、『侵略的行為』の文言が入ったことで、安倍晋三自民党議連の事務局長代理は国会決議に反対して欠席したとある。『植民地支配』も『侵略行為』も無かったと言う意味で反対の意思表示の為に国会決議を欠席したのだろうか。そのところの本当の気持ちは本人からの表明が無ければ分からない。その時の表明態度はどのような考えからかは、現在の総理大臣という政府の責任者として、また戦後70年の節目に当たり、国民に説明して欲しい。その年1995年8月15日に戦後50年の『村山談話』として村山富市総理大臣が発表した。大変良かった。この朝日新聞記事は現在の安倍政権の戦後70年談話に対する理解に重要な役割を示した。そこで、上の心に刻む歴史の20頁のお話が意味するものがとても大切に思える。次の21ページに「自らの歴史と取り組もうとしない人は、自分の現在の立場、なぜそこにいるのかが理解できません。過去を否定する人は、過去を繰返す危険を冒しているのです」とある。その点で、『村山談話』は反対の多い中で、一つの区切りとして良かった。それが現在の安倍政権下で、とても気掛かりな状況に思えて心配である。日本の国会議員の中に、歴史を無かったものとして隠したいという思いが見え隠れしている。靖国神社参拝も同じく、アジア太平洋戦争の歴史の真実の否定、その戦争(侵略と植民地支配)の肯定に繋がっている。

悪しき政治権力者 多くの者を自分の支配欲の対象と考える。その代表例がヒットラーである。皆の幸せや未来への平和の政治などは考えない。憲法が自分の権力の為に有ると考える。ドイツ基本法第1条の認識は無い。憲法第1条ー日本とドイツー故ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領に思う。何故か悲しい思いで綴っている。

見えるもの 見えないもの

(2017/11/10)追記。昨日検索して、「見えるものと見えないもの」に多くの記事があることを知った。哲学者のモーリス・メルロ=ポンティの著書が有名である。標題が似ているがこの記事は検索には出ない。しかし、何かとても新鮮な感覚で興味を持った。電気現象の本質は正しく「見えないもの」に当たろう。見えないものを観るとは、眼で見えないものだから心で読み取るものと言えよう。それは形があっても、見えないものも多い。花の花弁の形や色合いは見て理解できる。しかしその花弁が何故その形になったか、花弁の色は何故その色に見えるのか。と考えると、それは哲学か自然科学の領域に踏み込んだと見られよう。光には本来色は無いのだ。しかし光を観てその色合いを理解する。その訳を理解できるかと問答にもなる。見えないものとは不思議なものである。『電荷』など見えない代表例であろう。存在しないもの『電荷』が存在すると科学常識になって世界の認識が定まっている。見えないものほど素敵な哲学的思考対象は無い。石の囁き聞こえますか等と聞こえる訳が無い話が話題になっている。化石の話になれば、シェールガス掘削も話題になっている。地下3000mにガス層があるらしい。それを聞いた時地球が3000m径が小さかった頃とはいつ頃の時代で、どんな地表の生物圏を成していたのかと見えない地球に妄想が及ぶ。太陽が地球を大きく成長させて来たのだと。地球の過去の姿ももう見えないものに成った。地球上の今の姿しか観ることはできない。地球は太陽が造ったに見えない疑問を綴った。地球も最初から地球ではなかった。見えない事が広がる。

人は見えるもので世界を知る。しかし、見えなくても世界を理解できる。文字や絵図が世界の共通認識に時間と空間を広げる。最初は言葉も文字もなかった。人はどのように理解し合っただろうか。それは心での思いの交換しか手段がなかっただろう。手で触り、目で見て、五感で会得するしか方法がなかった。しかし、文字、図形・記号で人は共通理解を得やすくなった。言葉・文字が世界認識に欠かせない。目の前にあるものならば、見たり触ったりで理解できる。問題は、見えないものをどのように理解するかである。自然の姿は見えるから分かる。自然を見なくても理解できると言う人もいる。具象と抽象の問題でもある。具象はそこに姿・形が有ることである。抽象は見えないものを探り出すことに関係する表現手段であろう。自然を見て、その意味をどう理解するかは人によって異なる。理解の方向や解釈法で異なろう。絵に描いても、抽象的な場合は、描く人と観る人との間に共通理解ができるかというと難しい。人が言う学問が複雑になると、人の思考形式が抽象的な世界認識手法に広がって行く。見えない世界の領域が広がる。表現手段が日常用語から離れると、共通理解が益々困難になる。特殊階級の分野別の世界観で制限される。所謂専門性というものである。専門的学問領域の閉じられた世界が増える。それが見えないものの共通理解に投げかける問題と成る。自然科学が次々と特殊用語・専門用語を生み出し、共通理解困難な領域を広げてきた。人々が同じ社会に生活しても、考えること、理解し合う事が全く異なる分断社会を創り上げてしまった。その状況を共通に認識、理解し合うにはより基本的な事柄から掘り起こして、日常用語で表現することが求められる筈である。

観察と観照 共に観の文字が有る。「察」は詳細にという意味らしい。「照」は光を放つ、光輝く等の意味らしい。一般に、観察は目の前に有る具体的なものを詳しく読み取る理解の仕方と思う。それに対して、観照は物事を冷静に見つめること。直観によって美を直接的につかむこと。等と辞典に有る。自然の観照と言えば、自然を前にして、その本質を観測者の心に写し照らして認識する。と言う位の意味で私は理解している。観照によって認識する世界も抽象的世界なのかもしれない。それも、確かに目の前に有ると、誰もが理解できるものではないかもしれないから。その観測する人の心に写しとる点で、目で見る事とは違うから。その観照の文字を書いてみた。

観照心で見る

見えないものの中の真理と偽理 自然科学は難しい。自然の理解に数式の解釈法を導入すると、殆ど抽象的な論理になる。数式は見えないものを表現する手段に利用される。見える現象から、見えないものを探り出して、法則とするのが一般的な科学手法である。その代表例が『クーロンの法則』であろう。『電荷』も見えない。見えなくても、『電荷』が有るからだと考えれば、その現象から『電荷』の存在を確認出来ると考えることもできる。実際に、空間に存在する物そのものを見る事ができなくても、その中味を見ることなど出来なくても、『ある』と考える事はできる。そこに、見えるものと観えないものの関係が浮かぶ。

電界 その空間を観測する。色々の電極形状による電界と解釈する空間の姿が有る。幾つかの例を挙げる。

電極と電界電極と電界

教科書的解釈 ①は球電極に高電圧を掛ける。球表面に細いビニル片を張り付けておく。教科書の解説通り、球表面に『電荷』を考えた時の「電気力線」に相当するように、ビニル片が空間に広がる。これが見える現象である。②針対針電極間の空間電界は?教科書の解説によれば、プラスとマイナスの高電圧が印加されて、針の先にコロナが発生する。針先の空間の空気分子が電界で絶縁破壊し、薄緑色に光る。高電圧工学では、空気の絶縁強度は30kV/cm 程度と言われている。針電極の先端が尖っているため、電荷密度が高く、電界が強くなり、空気絶縁破壊が起きるのだと解釈される。コロナの形状はマイナス電極の方が強く光る。コロナが伸びると、火花放電に伸展して電極間短絡になる。③針対平板はリヒテンベルヒ像(写真乾板)による衝撃電圧の判定に使ったようだ。その放電模様の読み取りは困難であろう。

『電荷』否定による解釈 ①金属球に電圧(エネルギー)を与えるのであるから、エネルギーは高いところから低いところに広がろうとする。当然空間に媒介体ビニル片を通して絵図のようになる。多分マイナスかプラスかで様子も違うだろう。②針の先端にエネルギーが流れ込む。尖っているから、針先のエネルギー空間密度が高くなる。空気の絶縁破壊は気体分子が保有するエネルギー量の限界に達して、光エネルギー放射を起こす現象と理解する。極性による違いが有る。マイナス電極では、コロナはプラス電極より発達し易く、空間を通してプラス電極への負荷エネルギー供給分も含まれるからと考える。プラス電極近傍は針先端と周りの空間との回転エネルギー流分だけと考える。先端の高密度化で、コロナ現象を起こすと。この電極周辺でのエネルギー流の解釈は、新世界ー科学の要ーによる。

見えるものと見えないもの 見えるものは誰もが目の前に観察できる現象である。その見えるものから、その奥に隠れている本質を観る事は見えないものの認識の問題に当たるだろう。今までその見えないものを『電荷』という物理概念で理解していた。『電荷』は見る事が出来ない。その『電荷』の存在を理解できる人が電気の科学論を理解できる人ということになっていた。『電荷』は誰もが存在すると、科学常識として認識の基礎に据えていた。見えなくても存在すると理解していた。その基礎的常識を否定することは、世界の科学論を否定すると同じ程度の無謀なことでもある。科学論は実験的に証明して認められると成っている。『電荷』の存在は、見えなくてもその存在を説明するに合理的な手法が有れば、科学論として認知される。大多数の人がそれで納得すれば良かった。それが社会常識と成る。上の①の球電極の実験などは『電荷』と電気力線に基づく理論構成の為に、その解釈を進める強力な手法であった。摩擦電気の説明も同じく誠に強力な説得力を発揮した。摩擦すると、何故クーロンの法則に反して、プラスとマイナスの電荷に分かれるのだろうか。そんなにクーロン力は御都合のよい法則なんだろうか。摩擦したからと言って、電荷が分かれる意味が理解できない。熱が発生するのは、摩擦熱と言うから分かるが、その熱は何処に行ったのだろうか。また持論であるが雷は熱爆発だ。雷が電気現象というのは凧上げの話から現在まで常識である。

論理の矛盾 科学論は論理的であると言えるだろうか。人間の考え方には、結構都合よく見る解釈が多いようだ。有る時は『粒子』また或る時は『波』という解釈法にその意味が隠されている。都合良い一方的な見方をし易いように思える。そこに見えないものの意味が有る。『電流』は電流計の針の振れで、その値の大きさを目で確認出来るから『電流』が流れていると誰もが思う。しかし、超伝導現象も同じ事で、電線の中を流れているもの等何も無いのである。『エネルギー』が電線の表面を光速度で流れているのである。電流は流れず生活電気と『光速度』 を参照願います。

新世界-科学の要ー

少し遅すぎた。新世界への扉ーコンデンサの磁界ーに対する解答である。『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づく電磁界の本質ーを昭和62年電気学会全国大会で発表してから、電磁界の本質に辿り着くまでの年月は長かった。今年の桃の節句に、ようやく本質を捉えた。余りにも単純すぎる結論である。その結論を示そう。(2017/11/02)修正追記。下の図のエネルギーフローにはやはり電気的『極性』が無い点が欠点である。電極の負極性側のエネルギー流の電極面にそう流れは図の通りで良かろう。正極性側は少し修正したい。2017/11/07 訂正した。

静電界静電界のエネルギー流のエネルギー流

次のように修正する。

写真590コンデンサ内のエネルギー貯蔵機能を考えた時、極板間に二つのエネルギー流があるとは考え難い。静電界と言う空間にはエネルギーが貯蔵された状態である。コイル内の磁気エネルギーもコンデンサ内の誘電体エネルギーもエネルギーに違いは無い。『電荷』での解釈には矛盾で論理的に成り立たなかろう。そのコンデンサに相当するロゴウスキー電極間の高電圧の空間にはコンパスで検出される磁界が存在する。そのコンパスと静電界と言う空間の間には『エネルギー』一つで統合した解釈が出来るのだ。そのコンパスのエネルギー流と平板コンデンサ間のエネルギー流との間の相互協調力(エネルギーの流れが同一方向に合わさることで力が強まる意味)で、コンパスの指示方向が決まると解釈する。平板電極でも上部電極と下部電極の周辺で、それぞれの磁気方向が反対になる。その訳を修正前の図では、下部電極(正極の電極)でも表面からエネルギーが流入すると解釈して、そのコンパスの指示方向が決まると考えた。そこに早とちりがあったと反省して、修正した。しかし、この解釈も実験的に明確にその原因・理由を示せる訳ではないので、あくまでもロゴウスキー電極に因る実験データをどう解釈するかの筆者の感覚に因るところが基本になっていることを申し添える。以上追記(2017/11/07)した。

その発表当時の認識は、只電磁界理論の論理的矛盾を確信していたから、発表内容については些かも不安を抱いたことはなかったが、エネルギー流の実相を捉えるところまではいっていなかった。『静電界は磁界を伴う』の解説に矛盾の意味を記してある。しかし、上に記した結論に至るには磁場のエネルギー流を捉える必要があった。2008年に日本物理学会で、磁力密度 f=rot(S/v) を発表するまで、待たなければならなかった。その結論が磁界・磁気概念の本質である。地磁気とコンパス にエネルギー流とコンパスの指示方向の意味を解説した。その磁石とエネルギー流の力の関係から、静電界の磁針の指示方向の変化する訳が明らかになる。以下#・・#の部分は早合点の間違いとして削除する。#留意頂きたい点は電界の極性には無関係である。プラスとかマイナスとかの電界方向には全く関係ない。金属電極の表面に沿って、外部から中心方向へ『エネルギー』が流れ込むのだ。従って、電極ギャップの中間平面から外部に『エネルギー』が流れ出ると解釈しなければならない。その『エネルギー』の流れる閉ループは、電極外部空間での様子を捉えなければならないが、そこまでは分からない。また電極中心軸には『エネルギー』の流れは無いと解釈する#この結論を持って、長く追究して来た『電荷』概念否定の長旅は終わって良かろう。クーロンの法則を斬るの説明でもある。

ここに示した静電界のエネルギー流の解釈が、すべての電磁界の本質を理解する要である。エネルギー流の速度は光速度に近いだろうが、電極によって拘束されている点から、どの程度の速度かは分からない。

『電荷』による科学理論、原子構造論、あるいは分子結合論や分子立体構造の解釈にも認識の変革が要請されるだろう。少なくとも、学校教育での『電荷』の取り扱い方は緊急を要する問題である。理科教育全般の問題でもある。『電荷』概念による教育は無駄なのであり、間違っている。

コンパスの回転現象 電極の周り、東西南北で、エネルギー流の方向は変化する。例えば西側で考えれば、上部電極付近では地磁気の方向と電極エネルギー流による磁気方向は逆向きになる。その結果、磁針に働く力も二つの逆向きの力が作用することになる。その為、コンパスが交互に不安定な力関係で回転する現象を来たす。それは当時の実験中に経験した現象であった。東側でも下部電極付近で同じように回転現象が見られるだろう。

『電界』も『磁界』も『エネルギー流』である。電界も磁界も自然の物理としては同じ、ただ『エネルギー』の観方でしかない。この解釈が『物理学』の基礎概念と成らなければ、真の科学技術の重要性を理解できない。大学は日常生活の最先端科学技術を的確に理解する為の基本を教育する機関でなければならない。高尚な学理など何の役にも立たない。実学の指導に徹するべきだ。実学ほどその根底は深い。原子核燃料のウラン235の原子構造を説明できますか?外殻に電子が92個回る原子構造が論理的に成り立つ訳が無い。空想の論理で大学が遊んでいる。

『以下余白』の不覚  30年の科学基礎理論の研究もその原点で不毛と成るか。外務省、法務省、総務省等日本政府の戦争処理に掛かっていよう。住所履歴に京都府舞鶴市溝尻海軍住宅が無ければ?私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府 。