憲法第1条:日本とドイツ

今日本人の意識から戦争の記憶が消え去ろうとしている。知らない世代が殆どになった。総理大臣も全く実感はできない戦後世代である。ほんの僅かに90歳以上の方々が、戦場や空襲の恐ろしさを実体験しただけの時代になってしまった。戦後世代には戦争の意味も中々理解できないかもしれない。どんなに非情で、鬼畜の精神状態に置かれる等という状況は理解できなかろう。それは自分も経験が無い。銃を持って、敵に狙われる暗闇に立たされている状況など考えられない。発狂するような不安感に苛まれるようになるのだろう。平和を守るとは、何があっても戦場には行かない決死の覚悟をする事である。ずるずると周りに引きずられて、戦争に加担するのが人間の弱さである。今は、まさに自民党の政権下で、その武器を取って戦闘に走りはしないかという危険な政治状況にある。アジア太平洋戦争と日本の戦争責任をすべての日本人が考えなければいつまで経っても戦後の意識が始らないと感じて来た。教科書からも消え去る状況にある。文科省が戦争の実態を消し去ろうとしている。

ドイツ基本法第1条ドイツ基本法

ドイツ基本法を最近知った。この第1条[人間の尊厳、基本権が国家権力の拘束]が素晴らしい。1949年制定で、日本より2年遅い。しかもそれから40年もの歳月を経た1989年11月9日(日本の年号が改まった平成元年)に東西ドイツを隔てていた壁が破られ、はじめて統一ドイツへの歩みを始めたのである。今も憲法としての基本法が、ドイツの基礎を支えていると思う。あの非情なヒットラー政権の忌まわしい歴史の事実を、アウシュビッツ収容所の現実世界と共に忘れず記憶に残し続ける努力があってこその現在と未来と思う。どんな国の人間も、危険なものを本質的に持っていることを覚えていなければならない。今のドイツの精神を輝かせた基礎をヴァイツゼッカー元大統領が示したと思う。

日本国憲法第1条憲法第一章天皇第一章天皇

憲法の条項の構成に思う。この憲法は昭和21年2月(敗戦の翌年)上旬、ほぼ1週間の短期間に連合軍GHQの民政局で原案を創り上げたと聞いて、理解している。その当時の憲法制定(昭和21年11月3日憲法公布、現文化の日。翌22年5月3日憲法発布記念日)までの詳細は外交文書として残され、公開されているのだろうか。今でもアメリカに押し付けられた憲法と不満を言う国会議員、憲法第99条憲法擁護義務違反者がいる。主権者たる国民から憲法改正の意見が噴出している訳でもないのに、国会議員が先走って、憲法改正の擁護義務違反を唱えている不思議な憲法規定第99条。制定当時の文書が公開されなければ、主権者たる国民は政治家の発言を検証しようがない。外交文書は特定秘密保護法で破棄され、消されるようじゃ、未来が危ない。政治はすべて主権者国民のものである。政治家は主権者国民の為の政治執行の代理として責任を負っているのだ。政治の重要な足跡は歴史的検証が可能であるように残すのが政府・内閣の義務である。

天皇は象徴である。 第1章第1条に天皇は象徴と規定されている。この憲法の第1条が天皇の規定になっている意味は、GHQの草稿が明治憲法の構成を踏まえてなされたからと考える。明治憲法には明治憲法天皇大日本帝国憲法第1条

と第1条から第17条までが天皇に関する規定である。現日本国憲法は第2章第9条が戦争の放棄である。第3章国民の権利及び義務 第10条から第40条まで。旧憲法(明治憲法)は第2章臣民権利義務 第18条から32条まで。憲法の構成は新・旧ほとんど同じである。戦後の日本国憲法の原案が、GHQの方々によって2月上旬の短時日の内に草稿されたと聞いている。驚くべき能力と感心し敬服する。その草稿が9ヶ月後の11月3日の憲法公布に至るまでに、如何なる経過を辿ったかは知らない。今でも気掛かりな文言がある。『政府』と『国』の用語の表現内容にどのような認識を持って決められたかである。『国』という用語をGHQの委員がどのように理解していたかが不可解である。アメリカ国民が『国』という統治概念を『政府』以外に理解できるのかが不思議である。『政府』とは日本の用語使いでは、どうも外務省が外国との関係で捉える用語に思えて、理解できない。私は『政府』を行政機関・内閣すべてを含んで解釈する。総務省、法務省、防衛省、文科省、経済産業省等すべての行政機関を指すと考える。行政機関が自分の省の業務を『国』と解釈し、表現する慣行には違和感を感じる。その時の『国』にはどのような意味を意識した結果なのか。また裁判では、必ず『国』という用語が使われ『政府』とは言わない。裁判には『政府』という用語の意味は存在しないかの如くに聞こえる。裁判員制度もある訳だが、『国』という用語の意味が理解できない。『政府』と何が違うのか?特に、明治憲法では『国』という用語・概念が無いように思う。戦後の憲法で初めて、『国』がでてきた。アメリカでは『国』と『政府』との違いをどのように定義するのだろう。憲法制定時における、その法文作成過程を知りたい。そこまで理解しないと、アメリカに押し付けられたなどという発言議員の真意も理解できない。

象徴とは 新憲法では、天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴と定義された。憲法学者やその専門家の皆さんが十分研究を重ねて論じていることであろう。しかし、専門家の論説は日常用語での解釈しかできない自分には理解し難い。象徴とは、(広辞苑第2版によれば)主として抽象的な事物を示すに役立つ形象または心像。想像力に訴える何らかの類似によって抽象的な或る事物を表す記号と見なされる感性的形象。とある。この用語解釈によれば、確かに日本国とは具体的にこれだと示せないと言う意味では、抽象的な事物になるから、その象徴という意味を天皇の規定に使うことなのかもしれない。日本国民は誰もが抽象的な事物ではない。しかしその統合となれば、具体的に是だと示せないから、抽象的事物に当たると言う意味で、その象徴と定義したと考えれば用語に相当する意味である。この用語を法文に使う時点で、どのような論議があったのかを知りたい。 広辞苑の用語解説によれば、日本国の象徴として、富士山を挙げるとしても、それ程違和感もない。しかし人間を象徴と決める法律用語にはなかなか受け入れ難いものがある。どこまでも、象徴という概念には、自己主張を持つ個性としての精神的人間性という存在を否定している規定に見える。政治状況がいかなる状況になろうとも、戦争になる危険な状況になったとしても、政治的な発言も個人としての見解表明もできない存在に閉じ込める規定と成っているのではないか。内閣の助言と承認の下での行動という意味は、内閣の特定秘密保護法や集団的自衛権の発動などについても、全く意見を表明できないような意味での象徴ではないか。日本国も、日本国民もその象徴の為に、自己主張が抑制されるような感じも受ける。第一章で、天皇は、内閣の助言と承認、指名あるいは国会の指名、議決により、とすべて人間の本質的社会性を規定する基本的人権が、法律上の日本人に付与されている筈の権利が与えられていない。このすべての人間に公平・平等に与えられるべき基本的人権が、付与されていない天皇が象徴という状況を認めるべきなのかと、相当の精神的葛藤を伴いながらも素直に納得するには至らない。天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。とは福沢諭吉の言葉にもある。この言葉は、すべての人間に特殊な階級を創ってはいけないと言う事を言っているのだ。非人間的な人権で差別化された、象徴という事が本当に許されるのか。英国には憲法が無い。英国の王室に近い制度に日本があると言う解釈もある様でもある。英国の人権意識と民主主義は長い歴史を通して、盤石なものになっている。その点で、日本の意識はあやふやな状況にあり、比べられない。日本人の人権意識は行政官僚をはじめ、相当怪しくなってきた。憲法が国家権力の為にあると言う意識にある点で、明治の時代に近いものがある。その中での、象徴という存在がなかなか理解できないのである。権力迎合、大衆迎合気質が日本人の基本的性向に思える。車座社会とか、村社会という表現で言い表されるようだ。異なる個人意識の尊重が基本的に認められにくい社会性の中での『象徴』が持つ意味は平和に有効かと危惧する。一つ参考に挙げておく。 「象徴」の意味を考える に論じられている解釈は何か物足りない。

天皇と戦争責任 象徴は政治的意見を内閣に伝える事が出来ない。政治の戦争への道を止める事が出来ない。人間としての基本的人権が認められていないから。政治に利用されるだけの存在に思える。第4条 ・、国政に関する権能を有しない。はそういう意味である。それは、先の70年前の敗戦で終わった旧憲法(明治憲法)に、第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス とある。この意味をどのように日本語として解釈するか。天皇は神様の如く、人間とは異なる神格化された存在で崇め奉られていたと観て良かろう。日本では、天皇に戦争の責任があると言うのは、極めて少数の意見と看做される。何故明治憲法の下で、条文通りに解釈しないのか不思議である。天皇に責任が無くて、何故8月15日の終戦の宣告を天皇がしなければならなかったのか。そこに全ての意味が含まれている。天皇に戦争責任が無いかの如くに、戦後を歩いて来た。政府は天皇に戦争責任があるとは決して言わない。あの全権を持つ天皇に責任が無くて誰に責任があると言えるのだろう。政府、政治の中枢にいる者には天皇の戦争責任に触れれば、それが自分自身に跳ね返る責任になるからでもあると解釈したい。それは日本が戦争前後での政治の形体・制度に断絶が無いと言う意味に繋がるのである。日本国憲法で、新しい民主主義国家になったと言っても、明治時代の『法例』を廃止し(中曽根、竹下内閣時には改正をしている)、民法、刑法を全面的に書き改められなければならないのに、戦後もその法的束縛が日本の社会・政治制度を縛って来た。春、秋の叙位叙勲制度(国家体制維持に効果)も明治時代の訓令の名残と解釈している。戦争前後での精度に断裂が無い。戦争の意味はその根底にある多くの問題を抉りださなければ、その意味を検証したことにはならないと思う。戦争の意味を考える時、何故戦争に至ったかは何故天皇が静止できなかったかに全てが掛っている。天皇は生命を掛けて、責任を全うしなければならなかったのである。勝っても負けても戦争の責任は全て、天皇にあった筈だ。何百万人もの人命が失われた事の責任を持つ戦争である。法令違反で、謝罪し頭を下げる会見風景とは次元の異なる話である。基本的人権という概念から考えて、天皇は神の如くの存在とみなされ、全権を掌握していた特別の存在であった筈だ。飽くまでも法治国家としての法律的解釈からの認識である。人間としての基本的人権が全ての人に平等、公平であると言う意味をどのように解釈するかに掛かっていよう。天皇はその全ての人にという範囲に属さない存在である。法律の専門家の解釈では難しいが、日常生活用語から解釈すればの素人の捉え方である。この天皇の世界平和への道標としての働き方の意義を考えた時、政治に対して何も発言できないことが有効なのかに疑問を感じる。現憲法の第4条で、国政に関する権能を有しないとの規定がなされていることは、象徴という概念での法的意味合いである事に由来していると言えよう。今の自民党政権での短兵急な国民主権者を法的に束縛する強権政治動向を目の当たりにした時、憲法第1条の意味が特別な重要性を持つ問題に思える。政治の世界で、象徴の果たすべき意味合いと意義を改めて考えてしまう。

第9条(第二章 戦争の放棄)と象徴天皇の法的意義 国の交戦権は、という国とは誰のことか?国権の発動たる戦争と、の国権とは誰のことか?国の交戦権は、これを認めない。の国とは誰のことか?ここに在る『国』、「国権」は総理大臣ではない。第9条は武器、武力による国際紛争に加担することを禁じている。どんな法律で工作しようと、憲法第十章第98条に於いて、すべての法律の武力行使は禁じられる。それを守るのが第99条に示された天皇・・国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員に課された義務規定である。戦場に武力行使を容認する様な自衛隊を送る事は憲法で否定されている。その戦闘に加わる自衛隊公務員は憲法第99条違反者である。もしそのような派遣をする場合に、天皇にどの条項を持って関係を付け得るのか?戦争は国事行為なのか?

自由・平等の基本的人権 その観点から見た時、ドイツ基本法と日本国憲法の第1条をどのように考えるかと、余りにも大きな違いに戸惑う。海に囲まれた島国の特殊性は、日本人の意識に大きく影響を与えているだろう。自分の人生の意味を考えた時に、基本的人権を如何に解釈すれば良いかという意味を紹介の記事に重ねて観てしまう。舞鶴市溝尻海軍住宅(佐官住宅は塀付き、父は尋常高等学校出でしかないが、教範長、下士官としてその向かいの住宅)から、戦中、戦後の足跡が消されている。ミズリー号での『無条件降伏調印式』の日本代表団を9月2日ゴムボートで送迎したことから戦後が始まった。その事実が戦争を忘れない日本の戦後の始まりになった筈だ。その映像が消されて、戦後も戦争そのものも忘却の彼方に霞んでしまう。

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