今年は書き初めで、魯迅の道を書いた。今年の三が日の新聞記事は戦後70年という重い課題に関わるものが多く、読み応えが有った。朝日新聞4日のオピニオン記事、人類学者川田順造氏の記事に魯迅の言葉が有った。
『希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。』
魯迅の名言として有名な言葉のようだ。確かに初めから道がある訳ではない。
魯迅の著作を読んだ事が無かった。平易に誰もが理解出来るやさしい表現でありながら、とても深い意味を込めていると思った。とても気に入った。この四半世紀、余りにも科学常識からかけ離れた感覚の世界を彷徨って来た。それはとても科学の道と言えるものではなかった。しかし、今になれば不思議なことに少しも戸惑う事も無く、当たり前の自然世界の実相を唱えて来たのだと確信に変わってしまった。しかし、未だ『道』とはなっていない。多くの人が歩きだすまでは『道』とはならないから。多くの人が歩くとは、教科書に『電荷』否定の論理が唱えられた時であろう。誰がその『道』への導を施すのかである。
道筋に咲く(的は『エネルギー』である)
『エネルギー』に辿り着くまでの流離いの中で、多くの道草から微笑みの実りを得られたようである。
書き初めは墨を磨って書こうと思った。磨りながら墨の香りが心地よく鼻腔をくすぐる。気にもしなかった墨であるが、確かめてみた。文字が読めた、正倉院宝庫云々とある。
若草山の茶店で買う。墨の銘の意味が分からない。