初版第三刷(昭和62年)をいつも手元において、自分の科学的感性の方向が誤っていないかと自問自答の頼りにしてきた本である。
この本の原著者、W.I.B.Beveridge の卓越した科学研究に対する洞察力には頭が下がる思いでいる。長いことこの本に支えられて、続いて来れたような気もする。自分の思いを的確に表現しているから、その精神的な拠り所にもなっていた。8.素晴らしき新世界(p.155)の5つの研究者の特性はおもしろい。昨日「量子力学」とは何か?の記事を見たら、そこにこの本の事に触れた部分があった。少し量子力学について記しておきたい事がある。上に記事の、150MHzの電磁波で直管蛍光灯が部分点灯する放射現象は量子力学理論では説明が付かない現象と思う。この事は以前から疑問であったので、長岡工業高等専門学校での助教授申請の研究業績の一つに挙げていた。波長2mの電磁波が蛍光灯を点灯するのである。教えた経験も無い電気磁気学を突然教える羽目になった頃のことであれば、もう物理学全体の理論に何らかの疑念を抱いていたのだろうとも思える。今自分の頭の中では、本当に困った状況にある。物理学理論のほとんどが(生命科学や情報技術等科学技術の実用的な面でのことではなく、教育現場での大学教育をはじめすべての教科書の、大仰な大理論という理論の中味が怪しい内容だと言う意味で)、自然科学の科学研究の求める真髄と言えるかとの疑いしか見えないのである。こんなことになった原点は何かと考えても、工業高等学校での実験棟のうす寒い中での半導体回路実験を通してのエネルギー感覚一つしか思い浮かばない。それと、人生全てが人には迷惑な存在でありながら、全くそのことに気付かない勝手気儘な言ってみれば典型的な『アスペルがー』と言える社会的に協調性の欠落した独自性が今日まで続いて来たと思える。常識的世間に従わない性格が、科学常識をも破壊する原動力となって来たことは間違いない。所謂社会の『逸脱者』と看做される危険と現実の狭間に生きて来た。ここまで来るのに、自分が反省しながらも社会常識に与する訳にはいかなかった。自分の愚かさを知り、『大愚』とは良寛さんが使った雅号だから、『小愚』くらいを使えばよろしいかとも。