科学技術は何を求めてきたか。昨年暮れにIH調理器をインターネット通販で購入した。カタログの定価は数十万円である。通販は5分の1の値段だ。しかしそんな調理器は欲しくなかった。今までの電気コンロ式の調理器で充分である。有れば一万円程度の筈だ。しかし電気製品製造企業は既に製造していないから、市場には存在しない。全電化住宅方式には、ガスも無く電気しかエネルギー源が無い。原子力発電方式で、夜間電力を給湯方式に利用して、電力の24時間平準化の政策を進めてきたのだ。夜間電力は今石油燃料の消費に、為替円安の逆効果を受けている。科学技術完熟時代の生活は、融通性のない極端に統一化された生活様式をせざるを得ない。白熱電球が市場から消える運命と同じだ。その電気調理器に現代科学技術の矛盾と技術劣化の社会状況であることを問題点と指摘したい。技術革新と言う製造現場に求められるものは社会生活の豊かさと幸福を市場を通して届ける事ではなかったか。ブラウン管テレビで十分な質素な市民生活の豊かさを根底から崩したのは何か。VHSのビデオ録画は簡単で、市民生活にはそれで充分であった。いま新しいデジタル方式のテレビになって、映像が鮮明になったと言うが、そんな鮮明さを本当に誰もが欲しかったのか。全て業界の思惑で、市民のささやかでも、貧しくても生活できる市場環境を強制的、強権的に破壊してきたのではないか。
今日(8/20)、you tube でGLOBIS TVの動画 G1サミット イノベーションと社会変革 茂木健一郎氏×社会学者 古市憲寿氏 および、知性とは何か 茂木健一郎氏と国領二郎氏 を聞いた。自分よがりに解釈して、どうしても『電荷』否定の科学論が世界の物理学概念を根底からひっくり返す事柄になっていると、そこにつなげて考えてしまう。話の中に、質問で、イノベーションを妨げている壁は何か。や、非典型的知性と言う言葉が語られていた。とても興味がある話で、楽しませていただいた。その講話質疑を聞いて、筆者も思いを述べてみようかと思った。トーマス・クーンの科学革命の本を読んでから、自然科学の世界に隠れている本質は何かと探ってきた。もし、英語で表現できたら、自分の科学の世界観を広く知って頂けるものをと考えるが、英語表現世界からは昭和63年で完全に抜けてしまった。まさかここまで、電磁気学の具体的諸問題を『電荷』否定の論理で解明できるとは正直思っていなかった。どうせ英語は、日本語でITの世界に発信するとも考えられなかったから、やる意欲も生まれなかった。何と言っても、ワープロで文章をつづり、配布していたがワープロが壊れると困る。そこで2010年にPCを購入した。インターネットの世界に日本語でも考えを発信できることを知る。訴えるべき内容は途轍もない科学革命の真相を示すことであれば、日本人の保守社会であってもその衝撃は計り知れなかろうと思った。ほぼ4年間が過ぎて、多くの分野と具体的問題の解釈を示せた。少しでも物理学を考えられる人はもうすでに『電荷』の存在しない事は理解できるはずだ。しかし、膨大な科学論全体を俯瞰して『電荷』概念を否定する認識に与するだけの自信と覚悟で論ずるには心許無いであろう。それは科学理論の持つ概念集積の共通認識の宿命であるから。特に日本の教育関係機関に関わる物理学の専門家にとっては、科学論の根底まで掘り下げて、確信しなければ『電荷』否定の立場は取れないのと伝統的科学論手法との間のジレンマの壁に突き当たる。科学会の権威ある立場になれば、誰もがその専門分野から離れられない宿命を背負い、本音を隠した体制の道しか残されていない。しかも筆者が認識する自然科学の世界は社会的常識から離れ過ぎているから、科学論に乗せる用語も適切にならない。『電荷』も電界、磁界の用語も使わないで、電磁気学を論じることが世界共通用語認識に繋がらないから進退が極まるのだ。『不立文字』の科学論に成ってしまう。日本でこの科学革命の論理を取り上げるには、内閣・日本政府関係機関特に文科省が戦後問題に関係するからなお難しい課題に思える。
全体と個人 「戦争と平和」の問題が大きく現在の日本に関する世界の課題に成っている。政治・行政組織の現行制度で、イノベーションの意味を考えてみよう。イノベーションの壁は大学である。既存の社会形態を保持することを最大の権威と体制保守にしている。『電荷』なしに授業ができるか?個人として、舞鶴鎮守府の戦後未処理問題に突当ってしまった。その壁は論理の世界ではない。哲学の世界でも自然科学論の世界でもない。繋がりの絶たれた、杜子春流の世界から抜け出す術が見えない。存在を日本政府に否定されたとしか理解できない者がどう存在を主張できるか理屈が見えない。存在を否定した日本政府の全体に個人が関われるのか。全体の壁に対する個人の問題だ。答えは日本政府に在る。故郷と未確定の戦後に 。
技術と理論 科学技術に無知、または経験のない科学者は感覚的な物との響きに無関心になり易い。理論を専門に経験的に関わっている人は数学的記述の世界にしか姿・像を捉えることができなくなる可能性が大きい。空想は何次元にも広がるのだろう。世界は時間を含めて4次元だ。5次元、多次元は空想の世界だ。世界の実在性から離れた世界観だ。理論にはエネルギーそのものの実在性は見えにくい。感覚的に「エネルギー」を感じ取ることで初めて技術的実世界の意識が芽生える。
哲学と経済 哲学は経済的利益に無関係である。哲学は世界の真理を探る学問である。哲学を学問とするには、自然科学を学ばずには不可能である。人間の全ての面も社会制度の全ても一体として捉えなければ哲学の世界にはならない。経済的利益は自然科学の真髄とはつながる訳ではない。哲学は専門領域をすべて俯瞰しなければその真の姿には辿り着かない。
革新の壁 革新は経済効果を生むとは限らない。経済的利益を目的にした変革・改革はない。根底を揺さぶるものは心の純粋に響くことだ。社会意識の変革である。儲けを考えるのはイノベーションにならない。人は儲けたいから、変革に進まない。それが壁である。教科書に『電荷』無しで電気理論が書けないから。真理は嫌われる。結果的には変革が経済的利益に結びつく場合があるかもしれない。しかし、科学技術は既に利益を求める大量消費の可能性は飽和に達してしまった。
IH調理器と電気コンロ 科学技術に経済的利益を重ねて追い求めてきたが、その現代社会の矛盾が表題のIH調理器と電気コンロに象徴的に示されている。人がその人間的価値をたった一つの金の力で評価する時代になってしまった。金儲けが嫌いな人間は「人」としての価値がないように見くびられ、捨てられる社会になってしまった。日本の過酷な労働条件下、派遣の不安定な人の政治的虐待社会が当たり前とみなされる異常さ。家と水と僅かな食べ物でも生活できる多様な生き方が社会制度として保証されなければ、何が変革・改革と言えるか。安い電気コンロが使いたい。高度の制御機能は不要で、自分の意思で動作が管理できる電気製品が欲しい。真理が生き、嘘のない世界が欲しい。儲け競争だけでない世界が未来の変革だ。
求められる意識改革 エネルギー大量消費社会は、地球環境を人類・生物の生存を不可能にする未来につながることを認識することである。大都会の冷房空間で豊富な資金力に物を言わせる指導者に社会変革の意識は生まれない。未来の自然予測能力がない。