日別アーカイブ: 2014年8月16日

鉄Feに思う

元素の多様性 元素の多様性は科学の基本認識に成っていて、そこに見えるそれぞれの特有な性質が不思議な世界と成っている。何故それほどに元素毎に異なる特性を示すかが不思議でたまらない。原子の核とその周りの空間形状がどのような特性上の意味を作り出すかがとても興味のあることだ。外殻電子の周回運動での原子論は、原子間の結合に対して矛盾が多過ぎる為、受け入れ難い。そんな単純な疑問を基にして、元素論で、鉄Feが最も安定した位置にあると考えられている。全ての元素は何らかの変化をしながら最終的には鉄元素になるだろうと言うように考えるのが、現在の科学常識論である。そんな科学論が信用できるかと疑問のまま抱えていた。
2014年8月9日朝日新聞記事(be版 e6面) 今さら聞けない 鉄 の記事の内容に触れて考えた。科学論は宇宙の彼方の話に結びつけて語られる場合が多い。この記事もそうである。日本原子力研究開発機構、原子核物理学の専門家の考えが参考に成った記事のようだ。原子核物理学と宇宙の科学論が繋がる話としての、とても広範囲の学問領域を俯瞰する哲学的専門家の壮大な宇宙論と原子の核論とを結びつけた科学論であるようだ。それを一般市民への啓もう科学論としての意味付けで記事にされているように考えた。
鉄は酸化すると何故赤い? 鉄の酸化・還元の例には良くヘモグロビンが取り上げられる。血液が何故赤いかの解説に鉄の酸化現象で解説される。鉄錆は赤っぽくなる。顔料(ベンガラなど)や絵の具にも鉄分が多いのだろう。鉄錆が赤いのは鉄原子の結合が空間的に変化し、酸素原子との結合での光吸収の原子結合による格子構造に、入射光の波長を変換する変化現象が生じるからである。光を吸収すると言う事は、その光エネルギーを吸収するだけではエネルギー保存則原理を説明していない。酸化鉄がその格子構造内で吸収した光エネルギーの波長を変換して放射するから反射光が赤く認識出来るのである。光が赤い訳では勿論無い。人間の色覚との関係で波長を識別しているだけである。その時の鉄元素がどのように空間的に変化しているかが物理学・化学として究めるべき点である。何しろ原子の空間形状を観測できる科学技術的手法が確立していないため、それは究極的な疑問点・課題でもあろう。

(2014/9/5)追記。人の血液は赤い。マグロの赤身も赤い。検索で調べれば、みんなヘモグロビンやミオグロビンの分子構造の中の鉄原子の酸素結合で解説されている。例えば、マグロ等のミオグロビン分子量は1万7800で、1個のヘムを持つなどとある。1個の鉄原子の酸化がそんなに強力に、マグロの赤身肉の赤色発色の意味を持つだろうか。人の血液も、ヘモグロビンの鉄原子が赤色の原因だろうか。血液中の全成分比率で、鉄原子Feの占める割合は体積、重量比で如何程だろうか。それ程鉄の色彩効果があるだろうか。人が光の中で、赤色波長の6000~7000Å付近の色覚で認識する原因が鉄原子の寸法数Åとの関係で、理解しようとしても空間寸法で何千倍の差をどのように納得すれば良いのだろうか。鉄が水の中に在るからと考えても、その寸法の整合性が取れない。科学論的解説は私のような市民的科学観からは理解困難な事柄が多過ぎる。血液の赤色の不可解を取上げた。

鉄安定論への疑問 新聞記事への単純な疑問がある。鉄と地球磁場。ウランと鉄の行き来過程(ウラン元素まで鉄元素通過後の質量集積過程の理由とウランから質量減少して、鉄元素に戻ると言う意味不明な論理?)。元素構成・変化過程の基の物体・素粒子・エネルギーは何か?水素は何故無く成らないか。水素は何が基か?

8月8日書き出しのままの保存記事。公開し、追記で進みたい。「赤色」は本当に不思議がいっぱいだ。スイカの赤、バラの赤の分子構造は?(9/5)追記。ヘモグロビンの赤の原因が分からないと同じく、何となく似た色の『スイカ』を思い付いた。検索で調べたら、同じように『スイカは何故赤いか?』と質問している。疑問を持つ人が多いようだ。しかし原因がヘモグロビンとは言えないようだ。水の中で赤く見せる謎を市民科学論で解けたら嬉しい。スイカの中味は殆ど水であろう。スイカの中味を構成する格子状の網目が水分とスイカ養分を蓄えているのだろう。そんな切れ目に光が当たると、赤色の光を反射・放射する訳である。入射光を波長変換する光変換作用がスイカの赤色の訳であろう。網目分子空間構造と水分の光屈折現象以外捉えようがない。ついでに、薔薇の深紅も表面の結晶構造が光変換するからと解釈する。光も粒子 等ではない事を理解しないと光の変換作用を感覚的に納得できない。光は波長が変化する。色の世界を尋ねて

放射性原子核物質

(2014/08/19)昨日は火事でもないのに、前の道路に梯子車の大型消防車と救急車が留まっていた。総務省の関係か?今日も大型消防車が前の道路に留まっていた。胸糞悪い鐘と同じか。

福島原子力発電所が崩壊した歴史的事実をどう捉えるかは科学技術社会の生き方を考えると同じ程大切な事である。『原子力平和利用』という国際的用語がある。平和と付けば、良い事のように思い易い。その現実的世界の姿は『原子力発電所』である。しかし、『原子』とその「放射線」の物理的意味さえ科学的な認識が正しく確信的であるかと言えば、『否』と言わなければならない。放射線が粒子か波かも曖昧なのである。『エネルギー』の意味さえ捉えきれていない物理学理論であれば止むを得ない。人体への放射性原子核物質の影響を的確に捉える事も出来ていないのである。年間許容の放射線量という言い方も、極めて曖昧な科学認識に基づいているのである。筆者のような学術機関に属せずにきた、いわゆる素人がそんな大それたことを言っても何の影響も無かろう。しかし、放射線医学の専門家の方々が、統計的に過去の放射線量の医学的資料を把握しているから、それに基づいた標準的判断と評価は認めなければならない。問題はそのデータが原子核理論の不確定な部分に依存していることからくる、評価基準のあいまいさは逃れられない。時にいい加減な専門家群が政治的な関係から曖昧さを更に悪用することが起こり得ると言う危険性を、専門家村は持っている。『電荷』の否定が原子核理論の根幹を揺るがしているから、曖昧さの科学理論と言う事になるのであり、それがまた残念なことでもある。

書き出し(8/14)のまま下書き保存もうまくないので公開する。今朝(2014/08/17)の朝日新聞に政府広報「放射線についての正しい知識を。」が載っている。「放射線の線量」ミリシーベルトの単位の意味が気になって書き出した記事であるので、政府広報を参考にして少し考えてから、まとめたい。

政府広報を参考にして 読ませて頂いたが、やっぱり殆ど理解できない。政府広報の標題が「放射線についての正しい知識を。」である。科学用語を使うには、その用語の科学的意味が明確でなければ何の説明にもならない。専門家群の為の共通理解用の専門用語では本当の専門家ではない。その用語の意味が市民が理解できるような解説でなければ意味がない。その市民の為の科学者であり、その処遇で保障されている訳だ。誰もが理解すると言う事は、日常用語で翻訳して誰もが分かる理屈の通る解説でなければならない。評価基準は何何ミリシーベルト[mSv]という単位で解説される。100mSv以下であれば安全だ。というとき、それは(100[mSv])どんな意味を含んでいるのか。物理学では、単位1[Sv]=1[J/kg]の換算である。シーベルトとは日常使うMKS単位系では全く使わない。そこで、熱エネルギーの単位ジュール[J]なら、何とか理解につながる可能性がある。そこで、1[kg]当たりのジュール[J]量がシーベルト[Sv]という事になるが、その1[kg]当たりという1[kg]は何を指しているのか。計測量を普通の野外計測器で測るとき、何[kg]当たりという、計測対象の質量[kg]を計っているのか。そんな幼稚な基本的評価に関する量的基準値が理解できない。専門家とは、そのような専門的評価量を噛み砕いて、一般の市民が分かるように解説して初めて専門家と言える。今回は、東京大学医学部付属病院 放射線科準教授 中川恵一氏が解説されている。更に国際原子力機関(IAEA)保険部長《当時?》 レティ・キース・チェム氏である。筆者のような素人は、何[kg]という「何」を計測対象の人の体重かとも勘違いしそうである。何のキログラムかさえ説明がない。政府広報としては、一般の市民を対象にした広報であるから、市民が理解できない数量を解説しても税金の無駄使いである。その事を良く心掛けて欲しい。

100[mSv]とは? どうも話によれば、年間被ばく量が100[mSv]以下であるかどうかの話のようだ。放射線とは、普通はその強さは単位時間にどれ程の放射線を人体に照射されるかが問題であると思う。例えば、ある放射線放射元素の物体が塊に成ってそこにあるとする。その放射線量を計測する時、その塊の質量を計り、その値を基準として、放射線計測器で全四方に放射する線量を計れば一応何[Sv]という意味に通じる。それにはその塊を計測器内に取り込み、放射線量全部を量[J]で計らなければ、何々シーベルトという意味にはならない。さて、その塊が藪の中に有ったとする、そこを人が通るとき、被曝量をどのように評価するかである。その塊の傍に何時間も居続ける必要がある時と、瞬間的の通り過ぎる時とをどのように評価するのか。時間的な物理概念が全く入っていない計量値である。時間が長くても、短くても被曝量の評価をどう解釈するのか全く分からない。

内部被曝 庭や道路、公園あるいは山林の放射線を計る。相当の高レベルの放射線が計測された。空から地表に降り注いだのだ。人が生活し、住んでいた場所である。空気中を放射性原子核物質が降り注いだ。人は呼吸をする。空気中の放射性核物質も一緒に体内に取り込んだのだ。文科省はそのデータが出るのを隠して、隠蔽している。政府の責任で生じる放射線障害を隠して、責任逃れの為である。屋内退避など何の役にも立たない防災対策である。

(続く)