故郷と未確定の戦後に

「故郷は遠くにありて思うもの」と室生犀星。帰るに帰れない悲しみを詩にぶつけたのだろうか。

故郷古淵

上の絵図は故郷の信濃川を思い出の図柄で描いた。夏は毎日その信濃川に癒されながら、泳ぎ、潜り水と共に過ごした。大河としての記憶は、信濃の国、長野県で大雨が降ると泥水が特有の臭いを撒き散らして、川岸の高みを乗り越えるかと心配する程の大水の流れと成る事の記憶がある。広い川幅一杯に流れる大河の濁流がぶつかり、深く川底を抉り取って、深い淵を形成したものと解釈した。古淵というが文字はどう表記するかは判然としない。絵図の左に自分が大きな川鯉に迎えられた時の思い出を乗せた。

しかし、今は宮中の堰堤で信濃川の水量のほとんどがせき止められ、隧道(昭和7年頃の土木大工事)を通して、二つの水力発電所(千手発電所、小千谷発電所)に利用されている。水量の無い信濃川は信濃川ではない。

何故か『記事が消えた』。保存を拒否するように。 、千手発電所、小千谷。

貝野小学校、貝野中学校の義務教育に理解できない不可解あり。学校の入学は、舞鶴国民学校昭和20年4月である。敗戦の混乱の中、舞鶴から汽車を乗り継ぎ故郷に辿り着いた。信濃川が優しく迎えてくれた。澄み切った清流の中に、手を差し入れたら手の中に『砂っ掘り(スナッポリ)』と呼んでいた砂に潜るカジカのような魚を掴んでいた。感激した。そんな小さな思い出が自分の感性を育ててくれたと思う。9月に入って貝野小学校に通った。その時の担任が誰かは忘れてしまった。小学校の中学年時に、担任は『羽鳥隆二』であった。小学校の前が校庭の続いた貝野中学校であった。中学入学と同時に、小学校の羽鳥隆二も中学校に来た。中学校の担任を『羽鳥隆二』が3年間受け持ちであった。しかも、教科は何も持たれなかった様に、何も覚えていない(社会科を担当したか?)。何か今考えるに、『羽鳥隆二』は筆者の存在が消されている事を隠すために、小学校と中学校の両方を学級担任の役割を担ったのじゃないかと、不可解の取持ち担当であったと。総務省管轄下の憲法編に属する「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」がある。特別な法体系の要の法律である。そこに気掛かりな規則がある。《同法第三章情報処理の開示及び訂正等 第13条 何人も、・・を請求することができる。ただし、学校教育法(昭和22年・・)に規定する学校における成績の評価又は入学者の選抜に関する事項を記録する個人ファイル、病院、診療所・・》とある。開示請求に対して、第13条のただし書きで、学校教育に関する学業の成績等を公開から外すとか(その法理論上、日本国憲法の法思想上の妥当性、理由は?)?

新潟県、新潟県教育委員会は闇の人事を行う。私を採用辞令も出さずに16年間利用した。昭和39年3月20日ごろ、教員免許証の一枚が送られてきた。しかし、新潟県教育委員会からは採用に伴う諸手続きに関する、採用辞令交付などの一切の事務連絡は何も無かった。現在も新潟県教育委員会には人事に関する記録は存在しない筈だ。新潟県教育行政の過去と未来ー犯罪性?-

新潟県公安委員会から、運転免許証の住所欄には新潟県の県名が無い。Wikipediaには三重県表記の免許証が例示されている。新潟県の例はどこか真新しい、新潟県なしで、聖籠町と偽物らしい免許証が例示されている。

長岡市の行政の基本、住民基本台帳に『新潟県』が欠落したままの、犯罪行政に思えて、恥ずかしさを耐えている。何年か前に、新しい『実印』を登録した。その実印登録の証明書には、『新潟県長岡市』が欠落して居て、その次の町名だけが書かれていた。そんな証明書を恥を忍んで受け取った。行政は偉い権威を持っているらしい。民主主義の主権者に対する役人の立居、姿勢は。日本人の意識構造の根底にあるガラパゴス性の正体。非民主主義的な『国は』、「国側」に意味不明用語使用の日本の曖昧さが象徴的にある。氏名に拘るのは基本的人権として日本国憲法で保障されているはず。私は何者でしょう(2)氏名と長岡市政責任私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府

存在を否定されている 私は偽者か

 

未確定の戦後とは?  敗戦で戦後が始まった。連合国のアメリカが主導して日本の戦争責任を問い、「東京裁判」で一応のけじめを付けた。そこから始まるべき本当の『戦後』が未だに確定していないと言わざるを得ない。その「アジア・太平洋戦争」と言う計り知れない近隣諸国への侵略的暴挙の殺戮と破壊、更に日本国家・国民の犠牲と苦しみを強いた真の戦争犯罪者、責任者は誰かを日本人は問うてきたか。日本が誇るべき『日本国憲法』に対して、アメリカの押し付け憲法と毛嫌う人が国会議員の中に多い。惨憺たる姿を晒して、無条件降伏の惨めな敗戦の悲しみを受け止めて、必死に生きる辛さをみんなが耐えてきた。経済成長と言う果実を手にし、世界第二位の経済大国の豊かさも手に感じてきた。落ち着いてから振り返ってみれば、「村山総理大臣の戦争への痛切な反省と謝罪」『河野談話』で表明したように、対外的な日本の姿勢を示す必要に迫られた。しかし、日本人自身がその戦争の責任とけじめを日本人自身にしてこなかった。日本人の政治に対して物言えば唇寒しで、黙って得する気質は役人行政の思惑を利するだけである。昭和10年の日本の政治情勢と日本人の意識構造に変化はない。民主主義という最大の武器での《選挙権》の行使さえ怠って、その選挙棄権の危険性を意識しない日本人の無関心さ。家庭で政治の話は御法度の無関心さ。不断の努力とはこんな嫌われる記事を書くことでは決してないことは分っているつもりだ。A級戦犯が戦後の政治を担い、戦争の推進役の行政官、軍人がその戦後を引き継いできた。少しも日本人は戦争の悲惨な結末を押し付けられながら、『誰』が『何故』と『戦争責任』を問わないできた。それは物言わないでただ従ってきた自身が悪いと思っているからなのだろうか。これから経済競争で、日本が過去の豊かさは得られず、財政破綻の危機に立ち向かわなければならなくなる。それが近隣との摩擦となり、武器に手を出す危険な事態を迎える危機。経済界は政治の戦前への逆戻りを少しも気に掛けない意識がどんなに危険か。「生命と財産を守る」は戦前、戦争前のうたい文句で、人に戦場で生命を掛けさせる口実でしかない。経済界はそれでも儲かれば良いから黙っている。宗教界も何の発言も無い。平和は身を削る犠牲で初めて戦争を拒否することができる。みんな戦争をしたいのか?「想定外」の戦争ではない筈だ。

過去の記事 戦争と平和 日本の魔境ー靖国神社ー 「日本国憲法・基本的人権」、「海軍・戦後処理」、「父と私」と「教育・研究の意義」 『特攻隊』に観る集団的・反人道的・日本全体主義ー良き未来を願って!- 安倍政権・自民党の法的暴走 『愛国心』の正体を尋ねて 国家・民族とは何か

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