2007年3月、詩心 ・・で分抄版『学校』を出した。第一次安倍内閣が教育制度の戦後の流れを圧し止める政治介入を強めていた。「教育再生会議(座長:野依良治)」設置と教育基本法改悪の暴挙に出た。そのことに危機を感じて、小冊子に書いた。
その中にあった。朝日新聞記事(2006年12月16日)に「教育刷新委員会」の委員長であった東京帝国大学の南原繁総長の言葉として 『今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようと、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせきとめようとするに等しい』。
当時は教育基本法改悪の危機(21世紀に入った1月、NHKの教育基本法の改定についての世論調査結果に驚愕)を抱き、書き記したが、僅かの部数しか配布しなかった。今、教育再生実効会議での答申という不当手法を利用し、教育委員会制度まで骨組を改変してしまった。正に現在が教育の危機である。個人的な解釈であるが、「教育基本法」の原法と改定法の意味を読み解き、比較してある。それをここに再掲したい。
教育に効率を求めるべきでない。教員の過重労働の現状は、それだけで教育の中味が崩壊している。物理教育の「何々の法則」化も効率で柔軟性の頭脳を固化する。『電荷』など無いのに『クーロンの法則』が典型的な嘘を示す。
教育基本法が改悪されて、権力・地方行政の首長の意思、信条・思想によって影響を受ける状況が生まれてしまった。その現在の法的な姿は次のように成った。
教育委員会制度の意義 昭和31年に制度化されて今日まで、一応形式的には行政権のあからさまな介入は出来難い状況ではあった。それでも新潟県の行政が違法に介入してきた結果が、現在の筆者の立ち行かない物理学の状況を作り出した。一体この過去をどのように繕うのか。日本としての立ち居が問われていると思う。教育委員会制度の住民自治の方向性に踏み込めず、結局文科省行政権支配の構図に改変してしまった。
教育基本法が改悪されてしまった今、見通しがつかない。しかし、教育基本法の(原法)と(改悪法)の意味を比較しておくことは重要と思う。政治が教育にその思想・信条を持ちこむ介入は、憲法施行前に施行された意味から、特段に違法性を抱えていると認識することが大切と思う。当時の社会的、市民の無関心がこのような危機を招いた意味は大きい。政治は選挙に行かない人間の無関心がその方向性を過つのだ。その意味で、未熟な考察内容ではあるが、ここに載せさせてもらう。
ファイルが縦書き二段構成であり、見難いとは思うがご勘弁願う。20枚のファイル。
以上がその当時に綴った思いである。教育基本法に何が盛り込まれたかを理解して、政治の目論みを注意深く知らなければと。