原子が結合すると分子に成る。分子には水素分子から蛋白質の高分子まで、その種類は無量大数程あるのだろう。分子構造をどのように判定するのかは筆者のような素人には理解の域を超えて、難しい。ただ素人には素人なりの自負心を持っている。その素人が不思議に思う事がある。水素分子H2は分子で最も質量が少ない分子だ。それに比べると酸素分子O2は16倍の質量だ。それらは大気の標準状態では、共に気体である。(追記)ここに書いた事は、前にすでに書いた二番煎じのようになった。水のお伽の世界で述べていた。
水分子H2O 酸素原子1個に水素原子2個(水素分子分)が結合すると、水分子H2Oと成る。この水と言う代物が誠に不思議な存在に思える。水溜りになれば、水分子は水で、それは確かに液体だと思う。しかし空気中には標準状態で、酸素分子も水分子も全く区別がつけられない混合気体の構成分子と感じる。空気も標準気体で考えれば、偉い定数アボガドロ定数の支配する科学常識の世界で解釈しなければ、科学的でないと強制的に排除される。水分子と酸素分子の空間的大きさはどのように異なるのかと考えると、科学常識の世界からはみ出さないと思考が進まない。質量は酸素分子の方が明らかに重たい。酸素原子に軽い水素原子が結合した水分子は酸素分子より重い訳ではないのに、感覚的には液体と言う特質で、酸素分子より重いと解釈しなければならないように感じるが、それは錯覚と言うもので認識すべきなのだろうか。アボガドロ定数の顔を立てれば、酸素分子も水分子も空間的体積は同じでなければならないと成るだろう。酸素原子と水素原子は空間的大きさ・体積は同じだろうか。同じだとしたら、水分子は酸素分子の空間的には1.5倍程になるだろう。そうするとアボガドロ定数にはその辺の理解不可能な辻褄をどう合わせれば良いかをご解説頂かなければならない。(2019/12/20)追記。自分の疑問を書き連ねているだけのようで誠にお恥ずかしい。水の分子(気体)も酸素分子も水素分子も気体であれば、すべてアボガドロ定数の分子理論に従うとなっているようだ。しかし、水の水蒸気を考えれば、水分子が温度(エネルギー量[J]保有評価量基準)によって膨張や収縮をすると解釈したい。そうでなければ、あの蒸気機関(水蒸気タービン)の力は生まれなかろう。水蒸気の空間占有量・体積[㎥]が変化すれば、アボガドロ定数に従う訳ではないと考える。水分子も酸素分子も同じく気体分子運動論で解釈すべきと言うのだろうか?
単純な疑問 常温で、重い質量の酸素分子が気体で、軽い質量で、しかも空間体積は大きく密度が小さいにも拘らず(?)、水分子が液体になるとはこれ如何に?こんな誠に詰まらない疑問を披露する事自体を恥ずかしくも思う。