アッツ桜に思いあり

アリューシャン列島の端に、アッツ島とキスカ島がある。アジア太平洋戦争の日本兵の玉砕した島がアッツ島である。アッツ桜はその島の芝桜であろう。アッツ桜

アッツ桜 きっと北の短い夏を彩る花だろう。花に雌しべが見えない。そんな孤島、アッツ島で戦闘を命じられた兵隊はどんな思いでいたのだろうか。食糧の補給計画も、その余裕も無い初めから無謀な戦いを命じられた兵士の思いを考える。アメリカ軍を相手にどんな戦いをして、何を最終的な目的に描いていたのか。日本人の、日本連合艦隊の軍事参謀の未来予測の立たない滅茶苦茶の計画。ただ腹芸で分析力の無い、幼稚で、無謀な政治政策。今の日本の行政官僚、政治家の外交・内政に対する手法も当時と余り変わりない状況が読み取れて、大変気掛かりである。厚生労働省の行政計画の余りにもお粗末さは、今朝の新聞のアルツハイマー研究の記事にも有る通り、年金問題から、老人介護問題などどれをとっても未来予想に基づいた適正な行政計画など出来ていない。政治家も老人の選挙対策上、財政破綻を見ぬ振りしてやり過ごしている。少しもあの戦争の無謀な姿とどこも変わらない。秘密保護法、集団的自衛権全て的確な未来予測の欠落した政治状況に見える。戦争の日本政府の検証が無いままに来た日本の欠陥がいつでも、日常政治手法に噴き出す。

アッツ島 アッツ桜の花が、日本よ二度と誤りをしないで欲しいと、玉砕した兵士の思いを伝えていると思うのだ。

キスカ島 昭和17年夏、父は舞鶴鎮守府、特務陸戦隊員としてアッツ島の軍隊の苦境を立て直し、救うために「北潜戦隊進駐救援作戦従事(軍歴表の墨塗り部)」。昭和18年7月明神島発、占守島着を経て、命からがら北海道に辿り着いた。食料も、武器も無い中で、戦闘が出来る訳がない。気が狂う者も出たと。蛇やネズミを食べて生命を繋いだ。ネズミなどは高級な食材であったらしい。ドラム缶の中で湯に入っている最中に、攻撃され頭を湯に潜していると、弾丸がその湯の中をプシュと音を立てて行く。撤退する時、天の恵みで雲が上空を覆った為に、敵の戦闘機から逃れて帰れた。故郷の駅に着いた時は、立つ事も出来ず、信策祖父ちゃんに背負われて家に辿り着いた。私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府

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