夕飯のおかずはロールキャベツだ。合挽き肉からキャベツの葉に巻き込むのも結構難しい。落としブタで煮込みをしていると、蓋の周りから沸騰の蒸気が噴き出す。眺めていて不図思う。この水蒸気は水分子がボイルシャルルの法則に従って、体積膨張をしたものだと解釈しながら眺めている。物理学理論によれば、水分子の体積膨張とは解釈せずに、気体分子運動によって解釈するのだろう。ボイルシャルルの法則は、気体分子運動論から見ると、どこに行くのだろうか。まさか水の沸騰現象だけは「ボイル・シャルルの法則」で解釈するのじゃなかろう。ナベ底の水分子が、加熱されてそれ以上の熱エネルギーを吸収し切れなくなったために、水分子が極端に体積膨張して、供給される熱エネルギーを沸騰として外部に放出するのだ。水の分子は水素二つと酸素一つの化合分子だ。一気圧で、体積膨張する訳だから、膨張時の分子の空間寸法はとんでもなく大きい。その時の酸素も水素もその原子そのものが空間的に体積膨張すると考えなければならない。原子が空間寸法で拡大するという原子の解釈は無いようだ。原子論では、外殻電子の周回軌道半径が拡大するという解釈だ。その半径は水の沸騰時の体積膨張などとは考えていない。そもそも外殻電子の周回モデルなどの原子構造は考えられないから、全く別の原子像を考えなければならない。水の沸騰現象を見て、改めて原子寸法を全く違う認識で捉えなければならないと感じた。
水の沸騰を読めば、原子構造・寸法を考え直す。酸素原子も水素原子も沸騰で爆発的に体積膨張する。気体分子運動論は間違いだ。原子もエネルギーの局所化による質量的観測形態でしかない。熱エネルギーも原子質量と本質的に別物ではなく、ただその観測者側の概念的常識論が問題なだけである。
水素爆発の意味が理解できない。水素が空気中に7%になると爆発するという。酸素との結合と思うが、燃料電池の意味にもなるが、何故水分子になるとエネルギー放射するのかが理解できないのだ。水のお伽の世界 。
昨日の明けた今朝、やかんで湯を湯を沸かしながら沸騰の様子を見た。少しも水蒸気の体積膨張の様子が見えない。ただ水面がぼこぼこと波立っているだけで、水蒸気が膨らんでいるとは見えない。昨夜は、ロールキャベツが立派な味に仕上がっていた。美味かった。ロールキャベツの煮方は、内蓋に皿を使って煮ていた。表面は肉の煮汁で、水面と言うより油面となっていた。だから水蒸気が体積膨張した球状の塊のまま鍋の煮汁表面の縁から噴き出して来たのだ。それを見て、気体の体積膨張を読み取ったのである。水の沸騰現象は、表面に油があると良く観測できる。勿論、ロールキャベツのアク・油は途中で、表面からよく取り除いて食べた。日常生活の中に、自然は素顔を見せてくれる。自然に心を寄せてこそ、自然科学と言えよう。少しも研究費が掛らない真の科学論。今回、材料で『干瓢』を買えなかった。もう伝統的な食材も手間がかかり、職人が消えて行く悲しい思いを味わった。経済成長は、伝統的職人が消えて行く事なんだ。