ザ・ピーナツが唄った有名な歌がある。恋のバカンス、岩谷時子作詞、宮川泰作曲。ため息の出るような あなたのくちづけ 甘い恋を・・。
これから暑い夏が来る。そんな季節に似合う『熱』の歌か。歌詞にある「金色に輝く熱い砂の上で」の熱い砂の意味に『熱』の意味を探ってみようかと思った。
気体分子運動論を斬る 『熱』をITで検索すると、その正体を妄想物理学論で解説されている。妄想と言っても、現代物理学理論の世界の常識論として幅を利かせている論説である。皆そんな解説を覚えなければならない科学常識が世界に蔓延している。誠に悲しい事である。実力も無いのに、若さぶって熱い砂の上で、裸で恋でもしたいものだとこの妄想を膨らましてみた。『熱』が気体分子運動論で処理されている現代物理学は正さねばならない。『熱い砂一粒』の中に『熱』の世界を感じ取ろう。科学的自然観を素直に表明すれば、また嫌われる。
一粒の砂 砂一粒に『熱』を重ねて見た。ウイリアム・ブレークの詩文の一部を添えた。エネルギー(ENERGY)とは?にある。その言葉も丁度ここで『熱』の本質を見抜くに当てはまるようである。哲学的で、その深い捉え方が気に入っている。裸で砂の上に二人寄り添えばどんなに暑かろうかと妄想が膨らむ。下から砂の『熱』が皮膚に射し込む。そうです『熱』が射し込むのです。決して砂の中の分子運動が恋をやっかんで、振動して皮膚を傷める訳ではないのです。砂・砂の鉱物分子が振動なんかしていません。アチチ、アチチと砂がお日様に焼かれて、射し込んだ光の『熱エネルギー』を恋人同士の皮膚にエネルギー放射をしているだけなのです。皮膚に射し込むのが『熱』と言うエネルギーなのです。夏陽射しの中に立てば、太陽からの光が直接顔や衣服の面に射し込む為に、そのエネルギーが『熱』になるだけなのです。空気の振動が皮膚や衣服を振動させる訳では決してございません。振動されても熱くはなりません。光エネルギーが直接体の中に射し込むから『熱中症』と言うのです?これは冗談ですが、丁度『熱』が身体の『中』に入る事から起きる『症状』と読めば、現代物理学理論より説得力があるだろうと自画自賛したい。一粒の砂が赤外線、可視光線あるいは紫外線等の所謂熱線と言う光エネルギーを放射して、環境に比して余分なエネルギーの不平衡をエントロピーの何とやらで、平衡させる物理現象でしかないのである。高尚な市民の立入れない学識経験者の学理等申し訳ないが信用出来ない。一粒の砂の中に、その自然の心を読み取る事が出来るのである。自然を見ないという有名な物理学者の話も聞いた事がある。数学で世界が見えるように考えておられるようであった。数学などほんの一面しか自然を表現できないだろうと感じている。
熱とは内部エネルギー? 内部エネルギーと言う言い方がある。内部エネルギーとは何か。どこにどのようなエネルギーかと質せば、結局何かの振動エネルギーとなる。じゃあその振動エネルギーとは何かと質せば、実に曖昧である。アインシュタインのブラウン運動などが引き合いに出されたりする。目に見える物・ブラウン運動で解釈するなど滑稽である。『熱』を見る事は出来ない。光の正体を見る事が出来ないと同じ事である。景色や風景、物の姿を見る事は出来るが、光を見る事など出来ない。光は透明であり、形も姿も見せない。
エネルギーの正体 光を含めて、現代物理学理論は『エネルギー』の正体を認識していないのだ。エネルギーは振動もしていないし、姿も見えない。エネルギーの代表的姿は光と言えば良かろう。光一粒を見る事は出来ない。光速度に対応する観測の術は無い。光エネルギーの空間的像を描いた、光とは何か?-光量子像ー。