ヒトゲノムの解析が済んで、遺伝の仕組みが相当明らかになったのだろう。高校生の学習教科科目『生物』の内容を見てもとても難しい。せめて高校生の学習内容位は、それこそ常識として理解していなければならないだろうと思う。ところが歯が立たない程難解である。最近理化学研究所の生命科学に関する論文投稿問題の事件が世界を揺るがしている。生命科学はその最先端の研究が我々市民から見れば、余りにも内容が専門的すぎて、内容を理解するにはかけ離れ過ぎてしまった。そんな事で、少しは細胞分裂の基礎くらいは知らなければならないと思う。しかし、筆者の感覚と巧く噛みあう生物学になっていないようで、我が能力の無さを噛み締めるだけである。そんな中で、勇気づけてくれる写真に出合えた。生物とこんな形で関わる事の偶然が人生と言う意味なのかと感謝する。日本雨蛙の生態に触れた時と同じ自然の神秘かもしれない。その写真集が次の本である。ライフ写真講座ータイム ライフ ブックスーを見て に挙げた例の写真に感動した。その写真をここに載せさせてもらう。
この二枚の写真は、ライフ写真講座全15巻の内の1巻、特殊撮影からの拝借である。その人体の神秘をさぐる部の中で、生命のはじまりと言うページp.178(レンナルト・ニコルソン「輸卵管組織」1970年)とp.179(同 「生きている胎児」1965年)の二枚組である。
素人無鉄砲流感覚 素人は柵(シガラミ)が無いから自由奔放に解釈できる。その素人なりに、生命のはじまりについて考えた。ここでは『生物学』の学問的解釈と違った観点からの考えを述べる事になりそうだ。自分の脳細胞が減少している中での生命解釈など当てにならないと見られよう。しかし、結構得意になっているのである。しかし、意見を公開するには、それなりの緊張と不安が入り混じる恐ろしさを抱えている。その緊張は精神に刺激を与えるから、脳の活性化には役立つかと甘んじて受け入れる。生命のはじまりは母の胎内での卵子の受精から始まる。その受精卵が生命の源として、新たなたった一つの世界に育つのである。人だけでなく生物に二つと同じものは無いと観る。その生命の原型が人に育つまでの第一歩がどんな神の秩序で船出するのかと思うと、その謎の深さに言葉も無い。それを『受精卵の秘密』とでも名付けようかと思う。おそらく第一の『細胞分裂』程、生命の輝く瞬間は無いだろう。そこに全てのはじまりがある。どんな意味の細胞分裂なのだろうか。
受精卵の秘密 何の手掛かりも無く、ただ感じるままに思い描くのである。しかし、そこには上に載せた「生きてる胎児」の写真が切っ掛けになっている。思えば今まで自然の生物の成長する姿を眺めていた事の中に見た光景が重なって来るのである。例えば、オタマジャクシを見れば、その卵塊からの成長の過程で、頭だけが大きいのは誰もが知っている。当然お腹も頭のように見えるだけかも知れないが。何故尻尾がそれほど長く伸びなければならないのかも理解に苦しむ不可解な成長過程である。結局尻尾は不要となり体の中に収まってしまう。あるいは尻尾の長さまで腹部が成長して、尻尾の役目を終わるのかもしれない。そこまで詳しく観察はしていないから曖昧である。何を考えているかと言えば、成長の秘密になっている事は、先ず『脳』から始まる点に有ると言いたいのである。
無色無受想行識
学識経験の無い素人が生命のはじめの姿を想像に任せて描いたものである。何かオタマジャクシに似てしまった。細胞分裂と言う生物学の理論からは程遠い絵図である。母体の中の暗闇で、生命の輝きが始る。受精卵と言うたった一つの細胞が生命を形作って行く。何も見えない、何も聞こえない何の導きも無い全く何も無い『無』の世界から歩み出すのである。この初めの『受精卵』も既に細胞としての生命である。エネルギーからなる原子分子で構成されて、複雑なDNA、蛋白質など必要な要素を備えた立派な生命となっている姿と言えよう。受精卵が起こす生命の革命は父方母方の両方からの遺伝情報のDNAをどのような何方の軍配の采配で46個の遺伝情報に組み替えるかに掛かっていよう。そこから遺伝情報の生命の法理に従った伝達が始ると解釈する。細胞分裂と言う伝達の方程式に載せて、どのように生命の形を構築して行くのだろうか。DNAの染色体に依って、教科書的な、大学入試対策方式解釈で、細胞分裂が続くとしたら、その結果の生命体は同じたんぱく質構造の肉塊にしかならないように感覚的に思える。人体構成の采配は細胞分裂論等及びもつかない神秘の営みで進む筈である。教科書的複雑な論説等特別覚えなければならない意味など何処にも無いと思う。遺伝情報を伝える人体構成の『シーケンシャル制御』の基に起こる細胞分裂の変幻する意味が最も重要な事である。人も『脳細胞』、『中枢神経』そして『末端神経』の生命構成の指令伝達系が初めに構築されると読んだ。それは農作物の生長を見れば、その姿の変化に生命の営みが読み取れると思う。どこが成長するだろうか。初めは先端の春の息吹と言う『新芽』が伸びるのである。同じ生命現象と観ればそう基本的な違いは無いだろう。DNA、ゲノム解析で、相当の部分であらゆるものに似た傾向があると聞いた。それは生命の成長方程式にそれ程の違いが無いからと観なければならない。最先端は常にその環境を認識しながら、成長する方向や成長方法を『中央神経系の元締め・脳基幹』に情報を伝えながら生命の構成を計っている筈である。だから『細胞分裂』は自然の摂理に従った変幻自在の基で進んでゆく筈だ。同じ細胞分裂では肉の塊にしかならない。生命など決して生まれない。くだらない生物理論の一面的な内容を『金科玉条』の如くに信奉する宗教教義様教育だけは止めなければならない。何故そのような自然の仕組みなのかと考える内容の教育にしなければならない。少ない内容でその訳を『問答』する考え力の養成の教育にすべきだ。文科省の検定教科書制度が考える教育の最大の阻害になっている。自主性を踏み潰す政府(国家)主導全体主義教育だから。この事は日本の行政全体、日本人の政治意識に深く染みついた体制指向に原因があろう。新潟県教育行政の過去と未来ー犯罪?-はその個人的事実である。
神経系統の意味 ここで生命の成長する姿を想像して描いた事には神経伝達の方式に関係しているのである。脳から制御信号が『神経細胞』を通して伝達されるとの認識が常識であるように思う。しかし筆者の解釈は違う。全て末端からの外部事象の情報を伝達するのが神経細胞の役割と解釈する。その事が上に述べた成長の過程での神経系統構成の意味に繋がると確信できた。生体構築過程ですでに外部事象の検知機能の役割を創り上げていると考える。制御工学的手法に有る『フィードバック制御』の制御対象の状況を伝える役目が「帰還回路」に課せられている。その「帰還回路」が『神経細胞組織』に対応する。その関係は脳と生体制御の謎や『基礎科学』とは何だろう に述べた。