今日の朝日新聞別冊Be版に、マイナスイオンの話が出ているのが目に入った。
最近は肝試しと言う言葉も聞かなくなった。子供の頃に聞いた事がある。夏の日に、陽が暮れて暗くなった頃、村の少年団組織で計画された『肝試し』があったと。それは墓地の中で、決められた道を通り恐怖に耐えて、何かを無事成し遂げるような話であった。筆者の頃はもうそんな行事はなかった。村には小学生は3年生から6年生までで組織された少年団(2~30人)がある。6年生が1年間の定例の行事計画の日程等を決める。春に、火の用心の夜周りの班分け(4~5名)が先ずある。夜周りは、棒状の鉄丈で、ジャラジャラと音の出る重い用具と大きな拍子木がその夜周り道具であり、順番に次の班に渡してゆく。御宮様の掃除なども有ったようだ。また1年で最大の行事は「新嘗祭」のような秋の取り入れが済んだ10月の末ごろ、村の引き受けてもらった家に全員が一晩寝泊まりして、夕飯と朝ご飯を食べ一緒に過ごす風習があった。寒くなりがけだから、炬燵も用意して貰って、皆が雑魚寝のように過ごした。米や野菜、味噌・醤油、薪など必要な物を皆で持ち寄り、当番のお世話いただく家の方に面倒を掛けるのである。誤解されると困るので書いておくが、男と女はもちろん別組織の少年団になっている。その夜は、遅くまで起きているものも居れば、早く寝てしまう者も居る。だから翌朝になると墨で悪戯書きされる者も居て、大変である。いじめとかそういう陰湿なものでないから大笑いで少し恥かき位で済んでしまう。色々の耐性を養うには悪いだけでもないのだろう。今は無理な、良き頃の昔話になってしまった。そんな行事を集まって決める『常会』と言うのが時々あり、連帯感を養ったのかも知れない。筆者は余り役に立たない方だったし、『肝試し』だけは経験しなかった。お墓には死人が出ると、野火で燃やすから、十分燃え切らない為か『リンが燃える』と言う様に、青い火がお墓周りに立ちあがったようだ。それを『人魂』とか言って気味悪いものだったのだろう。そんなものも昔は「幽霊」と結び付けて、恐ろしい思いで過ごしたのだろう。
と言う訳で、話が余談ばかりに滑ってしまったが。要は「マイナスイオン」も幽霊と同じで、存在しないニセ科学論の代表的な物と言えよう。マイナスイオンが商売と結び付いて、世の中には沢山出回っているから困るのである。悩ましいのは、明確に科学論として「マイナスイオン」が虚言であると説得できない事なのである。科学者が『電荷』が在るという。それならプラスとマイナスで、自然科学論の論拠として世界の物理学者、自然科学者が論じているのだから、マイナスイオンがないとは言えないだろうから、何とも言いようの無い代物なのである。どだい「電荷」がニセなのだから、『マイナスイオン』は幽霊と言っておくのが適当かと思う。正体の無い存在の怪しいものを幽霊と言うのが古くからの習わしに合っているかと思う。それにしても、『電荷』の空間概念がどんな物かだけは、存在を唱える科学者には明確に真摯に答えて頂きたい。それが科学者の現代的課題と言いたい。市民に対する科学技術社会の責任と。