以前『スズメの恩返し』と言う記事を書いた。自然は愛響ー揚羽蝶ーの揚羽蝶との触れ合いにも人間的な視点からの解釈では理解できない事がある。雀の行動で、不可解が有る。
人間の科学技術の成果と看做せない程の急激な生活空間の激変の時代に遭遇してしまった。草原や空き地が有れば、資本主義の競争原理で、道路を作り、ショッピング街に一変してしまう。草原で生活していた、人間の知らない生き物たちは地球上の「生命」とも見做されずに、その大事な生活空間を失ってしまう。
当時はまだ身の周りに地球の季節にあった生命が溢れていた。自然の仲間と一緒に生きているという感覚が得られた。最近は、季節の気温が四季のリズムから外れてしまい、花(花海棠)も咲かずに春を過ぎたり、秋の実をついばむ小鳥も訪れなく、突然秋に雪が降る。
2001年の記事を拾い書きしたい。 “ 何年か前の秋のこと、庭のハウス小屋の中に、ふと見ると落ち穂が数個散らばっている。落ち穂といっても籾粒ではあるが。そこで籾を扱うようなことをした覚えがない。何でこんなところに落ちているのかと訝しい思いで、拾って捨てた。ところが数日後にまた籾粒の穂(結構大きい穂)が落ちている。その当時は、格別深く詮索もしなかった。今年の夏(2001年)のある日のこと、残り残飯を雀の餌にと庭にばらまいていて、小屋の籾粒の一件を思い出した。《待てよ、あの籾粒は雀が運び込んだのだったか》と。雀は雪がまだ残る春早くから、餌の食べる量が急に増える。早々と子供を育てるようである。夏までに何度も子供を生み、せっせ、せっせと育てるのである。その様子を観察するに、子供を生む回数も餌が十分あるかどうかの状況に合わせているように見える。その年は貰ったカビ臭い古古米があって、それを冬から7月はじめまで雀の餌に撒いた。多くの雀で、近所迷惑だったと反省している。7月になると、急に雀は来なくなる。暑い夏を避けて、山にでも引っ越すのだろうか。夏場の過ごし方を子供に教えるのかもしれない。”
小屋に落ちていた籾粒は、自分が扱ったものではない。考えられる事は雀が持ち込んだと思う以外ない。最初の籾粒は、稲籾がぱらぱらと落ちていた。しかし次の籾は右の絵図のように稲穂のままで落ちていた。雀が運び込むには大き過ぎると思えるような籾の穂である。他に稲穂を扱うような者が居ない事から、雀の仕業としか考えられない。その意味を考えた。雀の恩返しか、来年も子育てに協力して欲しいという願いなのかは分からない。小屋の中に籾粒が二度も落ちていたことをどのように理解すれば良いかは本当のところは分からない。雀が運ぶには重すぎるとも思うが何とも不思議な出来事であった。
イルカは利口だから、人間と海の中で遊んでくれる。動物がどんな思いで人間を見ているかは、人間側からはなかなか理解できない。しかし太古から同じ地球上に生まれて来た生命であれば、どこかで人間がそのつながりの絆を見失ってしまったのかも知れない。人間より、人の身の回りに居る多くの生命は人間の心と行動を良く理解しているのかもしれない。言葉は動物との絆を失う最初の切っ掛けになったかもしれない。雀の生活権をいとも易々と破壊する人間の所業は同じ地球上の生命の仲間を見捨てているように思えてならない。いつかは人間が生きられない地球環境になることを分かる時が来るだろう。人間以外の生命を殺し続ける人間の科学技術依存の生活が原因で。地球 いのちと神。