世界は重層構造

世界は重層構造

自然の世界を理解しようとすると、その重層構造的姿が理解する困難さを教えているように思う。人間の如何に小さいかを宇宙規模で理解することが大切と思う。

前の記事、エネルギーと空間と質量をまとめるに当って、理解の困難さを知る。理解できたと思うと、またその先にとても深い理解困難な意味が隠されている事に気付く。その道の果てしなさを上の字句にした。自然科学論には程遠い解釈論に成るだろう。数式で表現できないのだから、それも止むを得まい。

誰でも分かる科学論 宇宙論や素粒子論の専門学術論はなかなか市民が理解出来ないと思う。それは数学的抽象表現が論理の基に成っているからと思う。だから、日常用語の言葉で説明できなければ、学術論は論者自身が本当に理解しているのかと疑わしくなる。自然世界を誰もが理解できる筈は無かろう。しかし、ここまでは理解できるがその先はこれこれの理由で理解できないと言う『理解困難さ』を認識出来れば十分であろう。数学的数式による抽象論は誰もが理解できると言う科学論ではない。難しい自然科学の応用研究の内容に対して言っている訳ではない。学校で使う教科書の範囲の記述内容について、少なくとも数式無しで、日常用語で説明できなければ無意味だと言っているのである。

世界、その理解のために 世界は重層構造の建造物でありながら、その根源は単純性に基づいている。単純性こそ多様性の基である。当たり前の例を挙げてみたい。例えば人間という生命と露草という生命の姿には大きな違いがある。しかし、その生命を創る根源に違いは全く無い筈である。そこに思いを寄せたとき、世界を理解する事がとても難しい事に思い至るであろう。人間という生命が、他より偉大であると思えるだろうか。きっとこの論には、東洋哲学と西洋哲学の違いを根底に取り入れて解釈しなければならないのであろう。しかし、何故このような多様性の世界を創ったかを考えれば、その本筋を理解する事がどれほど難しいかは理解できよう。『誰でも理解できる科学論』は誰もがその世界の難しさを納得できる事でもあろうと思う。その基本認識で、間違いのない意識を持ったうえで、世界を理解することに挑戦しなければならないと思う。

単純性とは? それはどのような事か?17個の素粒子論は単純性とは看做せない。『エネルギー』一つが世界を構成する基である。だから世界は重層構造の建造物と看做した。ここに記した事を基に、エネルギーと空間と質量を考えてみたい。

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