いつまでも同じような事を繰り返して情けなくも思う。また電流かと言われそうだ。しかし、『電流』は物理学理論の根幹をなす概念であり、200年以上の科学理論をひも解く鍵となって来た論拠でもある。自然科学は理論武装されて、その基礎岩盤は盤石と解釈されていよう。その基礎が論理的に『嘘』であったとしたら、自然科学論の権威も地に落ちてしまう。専門性とは?、人間の思考性とは?等と疑問が溢れかえってしまう。それ程の意味を『電流』が抱えているとすれば、徹底的に究明しなければならない。電流とは何か?それを負電荷の『電子』の逆流で解釈して良いものか?などを電気回路から考えてみたい。
考える電気回路は単純な直流の電熱負荷回路とする。同様の回路で、2005年日本物理学会第60回年次大会にて、「誤った電流概念」の標題で発表した。余りにも私が論じる理屈が常識からかけ離れ過ぎているため、理解されなかったと思う。発表時に、指摘されたこと覚えている。導線の中に『電界』は無い筈だと言う発言に対して、導体の中にも電界はありますよ、と言われた。やはり納得して頂けなかった。そこで、もう一度その導線内の電界の意味を考えてみよう。街の電気の専門的学習書を見れば、電子がどのように流れるかと解説されている。導線の中を切り開いて電子が流れている様子を見る事が出来ないから悩ましい問題である。ここでは数式を使わず、電気磁気学の内容を説明したいが、せめて電子の運動方程式だけは使いたい。実は、この記事を書くための下準備に、電子科学論の無責任と自然と科学の間にで電子の運動方程式を取り上げた。電子が動くには、その保有する電荷に対して、電界が存在しなければならない。電子電荷は負であるから、プラスの電荷の方向に電気力で引かれるクーロン力の原理で解釈される。電界が無いと『電子』は動けない。だから、導線内にも電界があることになるのが常識からの帰結である。しかし金属内には電界など存在できないと考えるのも私のような電気技術屋からみれば、それも常識だと思う。量子力学や、超伝導等の理論からは、導線内にも電界が存在して当たり前という常識が解釈の基になるのであろう。それらの異なる専門家間の常識論が必ずしも同じではないのが、これまた常識と思う。その場合の論理を取り上げるには、単純で、誰もが汲みとめられるものが良かろう。
さて、導線とヒーター負荷の中を電子が移動するとすれば、その流れる電子数は同一でなければならないだろう。導線の中の通過電子密度も負荷の電子通過密度も同じはずだ。その移動の原動力は力学的な運動方程式を満足すると解釈しなければならないのであろう。そこで、導線内の電界を生じる原因を探してみよう。
思考模擬回路 右のような模擬回路で、電流即ち電子流の意味を考えてみよう。電源100Vをダイオード4個で整流すると、コンデンサで電圧の平滑化をすれば、ほぼ140ボルトのほぼ一定の直流が得られる(使用ダイオードの耐圧電圧300ボルトは欲しい)。導線は無酸素銅でも贅沢に使う。ヒーターはカーボンを想定した。抵抗値Rは固有抵抗ρとして、R=ρl/A (断面積A、長さl)である。その辺を模擬図にどう整合させるかは難しい。そこは御勘弁いただきたい。
電界の発生源 電界の発生はどのような理屈で認識するか?金属導体の銅Cu内でまず考えてみよう。技術屋は金属導体はすべて同一電位に在り、金属内には電界は存在しないと感覚的に捉える。どうも高度な数学的論理で捉える理論家は金属内に電界が存在すると考えるらしい。電気理論の教科書的解釈によれば、電界は『電荷』のプラスとマイナスの存在によって初めて理論付されるとなる。クーロンの法則が大切であるとして、電気の教育の入り口で教えられる。そんな大事な『電荷』が教育されるなら、導体Cu内の電界の説明もする義務があろう。電界が無いと電子は身動きできないのである。Cu内にどんな電荷分布を想像すれば良いのだろうか。子供たちを指導する教育関係者は未来に向かってどうするのだろう。
電子eの流れ? 直流回路の電流はどこの回路の部分をとっても、一定値の流れと言うことになっている。今図のようなダイオードがONしているとする。その時流れる電子は図のような流れ方で捉える。電流Iは、I=dQ/dt[C/s]のような回路金属内の電荷分布の時間的変化率で定義される筈だ。
電子の加速度αの意味? 例え電界があるとしたら、電子は電界によって加速度運動に入る。電気回路内でどんな加速度運動をするのだろうか。電流一定値との電子運動の論理的整合性は?
何が間違っているか? 『電荷』の存在を信じた事が嘘の始まりである。