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エネルギーと空間と質量

World Reality今朝、朝日新聞の読書欄に 怒り心頭の物理学者 科学哲学者と大激論 の副題で記事が載っていた。これから少し、科学哲学者らしい論考をまとめようかと思う。論点を端的に表現すれば、上の筆字に成るかと思う。いつまでも自然科学の本質への追究はやめる事が出来ない。市民が主役の科学論の世界になる為に。

『エネルギー』 このエネルギーという言葉が何を指すかを本当に理解しているだろうか。何とか自分なりの解釈を探って来た。エネルギーの分類

なかなか新しい纏めにするにはあやふやな感じが否めないが、現在の自分なりの感覚で、エネルギーの分類を試みた。少なくとも、質量に固執した狭いエネルギー感覚だけは脱して欲しいと願う。そんな思いで一つの試みを提示する。

エネルギーの分類としたが、それぞれのエネルギーには特徴がある。一番分かり易いと思う「運動エネルギー」を取り上げても、質量に付帯したエネルギーという事は、質量の他にエネルギーが増加した事なのだろうか。即ちエネルギーE=mc^2^のエネルギーが質量という中に含まれているのである。その事は最後の『質量』の話のときに論じたい。理解し難いエネルギーが位置エネルギーである。ポテンシャルエネルギーと洒落た用語で使われるが、本当のところ分からない概念である。このように1つ1つ解釈する意味を述べるべきかとは思う。熱エネルギーも『温度』との関係で、人によりその解釈する内容が異なると思う。あるいは、「お前だけが常識外れの解釈をしている」と罵られそうな気もする。物体・質量の温度が上がると言う事は、そのものの中にエネルギーが蓄えられたからと解釈すべきであろう。振動の運動エネルギーだと言われそうだが、そんなものではないと解釈する。調理用電熱器が高温になるまでには、どんな手段であろうが、エネルギーがそのヒーターに蓄えられたからである。冗長になるからやめましょう。

圧力エネルギー 自分の分類の意味が気になった。④圧力(音圧)エネルギーの意味に戸惑った。音圧、音声は局所性には分類されないだろうと思った。明らかに媒体(物体)に乗って、媒体を乗り継ぎながら、伝播する縦波の音声衝撃エネルギー(音声のエネルギー波を観測できれば、正弦波ではないと考える。例えば、人の声帯から発せられる波も正弦波とは考えられないから)の連続波である。だから音圧は局所性に入れるべきではなかろう。関連する記事を挙げておきたい。楽器などの弦は、振動が波を打っているが、それを縦波と観る。三味線と縦波に弦の歪み張力伝播解釈を記した。ここでの圧力エネルギーはボイル・シャルルの法則で解釈できるもので、圧力と体積の積で捉えるエネルギージュールの量である。大気圧を取り上げれば、地表で1気圧という空気圧は1㎡当たり、10トンの圧力がかかっている事になる。そんな圧力を感じないがそれが実際の事である。その空気1立方メートルの体積が空気媒体に保有する圧力エネルギーで、98キロジュールとなる(10トンは1万キログラムだから、その圧力は9.8×10^4^[N/㎡]となる故)。そんなエネルギーが身の回りに有るなど少しも気付かないで生活している。海底4000mの圧力エネルギーは相当なものである。そこで地盤沈下が起きれば、その津波エネルギーも計り知れない。これらはそれぞれの場所に局所化されて蓄えられているエネルギーと看做す。ついでに、道草問答(1)ゴム風船で、大気圧下のゴム風船のエネルギーを計算するのは難しそうだ。大気圧に加算されるゴムの張力と体積が必要だから。

Space 空間の意味を問う 改めて『空間』とは何かと考えてみると、漠然としか思い描けない。大まかに答えようとすれば、二通りの観方があるようだ。一つは日常生活上で意識する空間。もう一つは少し特殊な理数系の思考に上る物理的空間。

日常生活上の感覚空間 部屋や田畑あるいは山並みの広さ。空を見上げて見える広がりや月、星を眺めて思う遠景。

物理的空間 運動方程式を展開する思考空間。特殊な高等理数教育で訓練された専門的頭脳集団の一般相対論的認識空間。その思考には、人間中心的自然観で解釈する傾向があるように思う。それに対する光規定空間(自説)。光速度基準で捉える光規定空間は特殊相対性理論や一般相対性理論的空間認識の数学的解釈論の難解さはないうえに、本質的にそれらの論理を否定した簡明さに重きを置いた論である。ただ、光の規定空間をわれわれ人間が意識し、確認出来るかというと、それは本質的に無理である事を知らなければならない結果になる。何故なら、我々が自分の運動状況を知ることは出来ないからである。だから、光の観測はすべて相対的観測結果である。その事を前に空を見上げてで記した。更に、『特殊相対性理論』は詭弁論等に関連記事あり。

この「エネルギーと空間と質量」を考えると、そのつながりが複雑に見えて、別に項目を分けて記したくなる。それが世界は重層構造エネルギーの共振現象である。

空間を科学の対象として捉えるとき、そこに何か物質や物の存在する領域として考える。運動方程式は物が『質量』の場合である。しかし『光』を対象とするとき、その速度を人間が制御できない事から、『光』そのものの特性を考察対象の空間の中でどう理解するかの他力本願的解釈にならざるを得ない。光の『光速度』とはどの空間に対してなのかを人間は知り得ないのだ。ただ物理的解釈の対象としての「空間」を捉える一つの拠り所は、空間定数の透磁率と誘電率の定義定数しか持ち合わせていない。この定数は、運動方程式の『質量』に対しては全く考慮されないし、する必要もない。しかし、微視的量子の問題になれば、その定数を無視することは出来なくなる。その基本量の問題が「光」の場合である。光は『光子』と言う粒子あるいは量子的捉え方が量子論の基礎になっている。電気工学では、空間とその空間定数は密接に結びついた対象として見るが、素粒子論や宇宙論では空間特性にその定数を対象に考える事が無いように思う。『時空論』と言いながら、誘電率や透磁率が論理に出る事はないように思う。私は、電気工学の基本として、それらの定数無しに考える事は出来なかったから、「光量子」でもエネルギーを考えるにその定数無しに考えられない。Energy in Space空間にエネルギーEがあるとすれば、その定数の影響を必ず受ける。原子、分子構造の中で、変化する電磁エネルギーや光エネルギーは正にその空間特性故の変換をするものであろう。少し話が飛躍するが、揚羽蝶の翅の放射光等が幾何学空間的特性で決まると考えている。その空間が空間定数のどのような値で捉えるべきかは今のところ明確ではない。しかし空間構造と光エネルギーの共振現象と看做したいのである。「Color cell」とその空間を勝手に名付けた。色の世界を尋ねて で名付けた。その空間定数で捉える空間にエネルギーEが存在する時、どんな特徴を持つエネルギーに変化するかと言う捉え方をしたい。『質量』になるか『光』になるかはすべてその空間の広がりと特性で決まると捉えたい。

日常生活の中で、その空間と光の意味を取り上げてみる。お日様に当たると、太陽光のエネルギーが衣服や肌に入り込む。そのエネルギーで暖かいとか暑いと感じる。エネルギーが皮膚の表面の細胞か、その表面空間かに入射すると考える。その光には質量など無く、光そのもののエネルギーの縦波でしかない。皮膚細胞の空間形状と光波長の寸法に関係する現象であろう。入射したエネルギーは皮膚の中で光のままで居る訳はない。量子力学によれば、皮膚の細胞の分子か原子の周回最外殻電子の運動エネルギー(質量依存)として吸収されて何とか理屈をまとめなければならなくなる。空間に『エネルギー』が質量に依存しないで独立に存在すると言う解釈が無いようだから、止むを得ない。そんな行方不明のエネルギー論は採りたくない。どう考えるかと言えば、光エネルギーが皮膚の中に入射して、速度ゼロ状態に変換すると考えて良かろう。どこにどのように吸収されるかは分からないが、何らかの質量に変換すると考えたい。光エネルギーと熱エネルギーは、エネルギーの形態が違うだけで、エネルギーに変わりはない。『質量』とは何かと考えたとき、原子量等と、いわゆる物理学理論に基づく厳密な「科学論法」に従って解釈しないと、科学論としては認定されない事になり、エネルギーと質量の関係が落とし所も無いまま行方知らずで済まされる可能性が大きい。オラそんなのやだ、で異議を挟めば、『エネルギーと質量はどちらも同じものである』と言うことになる。こんな直覚的エネルギー空間論は大学等の学術機関の科学論には認定されないだろう。素人論と言うことになる。

質量 最後に質量について考えを述べよう。質量とは何か?質量とは?結論を言えば、空間に存在するエネルギーが局所化して、質量になる。光のようなエネルギーがどのような経過で、質量化するかと言う点が大きな問題である。その基本になる拠り所として、エネルギーの局所空間に渦巻状で停滞すると考える。Binding Energyその様子を図案化してみた。原子、分子の空間構造物の中に取り込まれるには、先ずエネルギーの軸性回転状になると解釈した。原子間の結合も、電子同士の結合では、結合力の理屈が成り立たない。原子表面の磁極間の結合と解釈している。その結合力をバインディングエネルギーと表現した。この用語は元々原子核エネルギーの質量欠損の話に使われている用語である。そこでは、質量と『結合エネルギー』を等価的に捉えた解釈を取り入れている。その解釈は大変有用と思う。磁気が空間内のエネルギー回転流と解釈した事から、論理的に繋がって素直に受け容れ易いものと思う。原子結合力も、エネルギーが原子空間表面に吸収される状況が、エネルギー回転流で収まると睨んだ。

質量とエネルギーの等価則 エネルギーも質量も表面上の形態の違いから、全く異質のものと解釈され易いが、その間には何も差が無いのである。エネルギーはそのまま質量である。ファイルにまとめてみた。質量とエネルギーの等価則

以上で、エネルギー・空間・質量の関係についての解釈は出来たと思う。

日本雨蛙の新生は今

日本雨蛙の生態は、未だに理解されていない。雨蛙と幼生生殖にも記した。オタマジャクシから成長すると誤解されている。日本政府犯罪の偽装と噓には対応の方法が無い。せめて日本雨蛙だけでも、嘘は排除できないものか。日本雨蛙の写真データがIT検索で多く呈示されている。その中で、間違いは新生雨蛙に尻尾が付いているのは、全て雨蛙ではない。先日から雨が数回梅雨らしく降った。朝の散歩で、草むらを探したら、比較的多く生まれていたので写真に撮った。一か所での狭い範囲で撮った写真だ。全て生まれ立てと観て良かろうが、尻尾など全く無い。餅草に

新生日本雨蛙の大きさを示すために。餅草の葉の先に居る。尻尾など無い。

露草に露草に居る。大きさと尻尾の確認。

以下に、同じ時写した日本雨蛙の新生児を示す。新生1新生2新生3新生4

日本雨蛙の生活環境は草むらや灌木である。産まれる前は土の中である。梅雨時の多量の雨で、土が柔らかくなると産まれてくる。

追記(2013/7/6) 2日間雨で散歩無し。今日はまた新生日本雨蛙について気付いた。雨降りの翌日だから、歩道に多くいた。産まれたての雨蛙は、身体の形状も細い事に気付いた。土の中から、マッチ棒位の穴を通して生れ出るから細い事は当然であろう。IMG_0738IMG_0740蝸牛ついでにお客様に蝸牛もお迎えした。

産まれたての追記(2013/7/10)。 9日産れたて10日産れたて

昨日、今日と雨が降った後に生まれた新生雨蛙。もう田んぼにもオタマジャクシ等居ない。決して日本雨蛙が水の中の卵塊・オタマジャクシの生態を取らない事を示すために、繰り返し写真を投稿して証明したい。産まれたてで、小さいながらそのジャンプ力と逃げ脚は素晴らしい能力である。

長岡花火の季節がやってくる。その為に遊歩道の草むらがすべて刈り取られてしまう。花火見物のためである。日本雨蛙の住み家が強制的に取り壊されるのである。日本雨蛙には、「雨蛙権」なる生存の権利がはく奪されても、生命を保証する憲法など無い。それは、雨蛙だけの話でないと言われそうだ。福島原発破損事故で、生きる基本的権利・安心して生活する居住の権利を剥奪しても、その意味を『日本国憲法』の保障する権利と観ようとしない、原発推進国会議員の意識が理解できない。

蜘蛛 その神業

漢字『蜘蛛』は特殊な、難しい文字だ。仏教の講話にある1月15日に地獄の蓋が開くと言うものがある。地獄に送られた罪人に、蜘蛛が糸を垂らして、救おうと言う話である。蜘蛛の糸の話はその蜘蛛の生態に神秘性を感じた事からの話であろう。蜘蛛の巣2

川の上に張られた蜘蛛の巣である。小さな虫が巣に掛かっているから、その巣の糸の模様が微かに読み取れる。中心部には蜘蛛がいるようだ。

蜘蛛の神業 寺院などの古代建築や、古い豪邸などの建築物を見ると、その建造技術は棟梁の技術が故の物と感心する。蜘蛛の空間感覚は、どのような事から生まれるのかと不思議でならない。蜘蛛の巣で、その空間に張る平面は幾つもの遠く離れた支点によって支えられている。その支点を決める空間的認識能力は何によってなされるかという疑問である。蜘蛛の棟梁

上の蜘蛛の巣を二日前に横から写真に撮ったものである。全く平面上に張られている蜘蛛の巣である事が解る。蜘蛛の棟梁と名付けた。こんな川の上で、橋と岸の間に支点を幾何学平面で選定できる能力が、小さな蜘蛛に備わっている事を神業と観る以外言葉が無い。

 

竜のヒゲ

竜のヒゲが庭に在る。天を駆ける架空の動物龍の髭に似ているからの命名かと思う。日本カナヘビと竜のひげにも記した。竜のヒゲと花

竜のひげという植物にも種類は多いようだ。丁度花が咲いていた。

黒竜の髭(新芽)珍しい竜のひげ。葉が黒で、風格がある。写真の新芽は緑だが、暫く経つと先端から黒い葉に成る。

昨年は実を付けた。

竜のヒゲ(黒)の実

フレミングの法則を解剖する

(2017/10/03)追記。以下の記事を考える。科学技術が成熟期に達した今、改めて過去を振り返り見直す必要があろうと思う。フレミングの法則は電磁現象の中でも、電磁力を解釈するに誠に便利で有用な法則である。ただ、便利であってもそれが自然界の真理であるかと言うと、それは違う。科学技術の多くの概念は総体的に良く統合されて、完璧であるかに見えるが、深く考えると辻褄の合わない矛盾や綻びが見えるのである。それは、どこか最も根源的な概念で矛盾を抱え込んでいるからだと考えなければならないのだろう。その矛盾の根源が『電荷』である。科学技術概念と自然の真理とは同じくないのだと言うことを知って欲しい。法則は科学技術の方便としての有用性で価値が有ると言うことを。

繰り返し、生きた生活感覚上の自然科学論を論じてきた。子供達、学生が自然の世界の本質を理解しようと思うとき、ただ学校教育だけでは無理かもしれない。

電気現象を理解する法則の中に、フレミングの法則がある。磁界中での電気導体との『電気力学』を人の手指で表現した法則だ。フレミング(Fleming,John Ambrose)は イギリスの電気工学者(1849-1945)。フレミングの法則を磁場のエネルギー流間の『近接作用力』によって解釈しようと言うのである。アラゴの円板と近接作用力に関連した記事を記した。フレミングの法則とは?

電気現象はすべて電流の電荷と磁界の磁束概念で解釈されていた。しかし、もうそんな概念で電気磁気現象を解釈するのは「科学教育・理科教育」としては未来性が保証できない筈だ。基礎概念の矛盾が大き過ぎるから。自然現象は単純性こそその本質であると認識しなければならない。有名な基本法則を改めて、エネルギー流から問い直すべきと考えて、フレミングの法則を取り上げ、新しい解釈を示したい。そこで、先ず左手の法則の旧来の解釈を示す。フレミングの左手の法則

単純な回路を示す。磁石の上に、平行導線を張り、そこに摺動電線を渡す。磁石はN極とする。摺動電線には電流 i [A] が流れるとすれば、電線にはf[N]の力が掛り、動き始める。その式 f=Bli で電線にかかる力が求まる。というのである。その示す意味は、実に美しい単純な式で表現されて素敵である。ここで、その式の中で磁束密度B[Wb/m^2]は空間の磁束量であるから、それを測定することは不可能である。測定器具を当てれば、空間の磁束量は測定器によって干渉され、考える磁束量など計れない筈である。もともと磁束という空間内の線量など存在しない物理量である。法則の式は実に素敵であっても、仮想概念でしかない訳だから、一つの理解の解釈手段でしかない。それは技術的な手法で有用であっても、厳密な測定など出来ない量である。次に電流も、同じく電流計で計測できるが、それが電子の逆流のどんな数量を測定しているかと言えば、矛盾的概念故に解釈に窮してしまう。『電動機』の技術的解釈手法として有用であるが、一つの方便でしかないと言う事を理解しなければならない。自然現象の本質を表現していると言うような「理科教育」的解釈は間違っている。少しも『真理』などではなく『方便』でしかない。フレミングの右手の法則

同じ回路で、右手の法則を示す。電流 i が流れる。力 f で摺動電線は速度Vの方向に動く。その電線をその力以上の速度で仮に動かしたとすれば、どのような状況になるだろうか?電池の電圧Eに対して、e≧Eとなる速度で動かせば、電流は流れなくなるか反対の向きに流れ出す。電源を充電することになる。それが『発電機』の原理解釈の技術的な意味を表現した右手法則である。発生する電圧の方向が摺動電線の電流と逆方向に生じるからである。

右手(発電機)と左手(電動機)が対象的に表現されている事は技術法則として非常に有用である。改めて、技術理論と物理的真理とは同じくない事を理解すべきである。フレミングの法則の近接作用

磁石の近傍空間を周回するエネルギー流を観測する事は出来ない。その流速度も分からないが、局部空間に閉じ込められているエネルギー流であるから、光速度に比べて遅いと考えたい。磁界について、磁界・磁気概念の本質に磁石近傍空間のエネルギー流で説明した。

左手の法則は磁場内の導線に流れるエネルギーが電流と逆向きに図のように、緑色の流れになるだろうと解釈する。磁石のエネルギー流を青色で記した。その磁石のエネルギーと銅線のエネルギーの間に、『近接作用力』Fが働くと解釈した。その二つのエネルギー流の方向は同じ向きである。エネルギー流が同じ向きで重ね合わせられる場合は、そのエネルギー流の間に空間的に局所化し、より急峻なエネルギー分布状になる性質を備えていると解釈したい。

右手の法則は磁場内で導体の相対速度を増すと、磁場のエネルギー流との間に強い反発作用を受けると解釈した。導体側では、磁場エネルギー流に対抗するように、逆向きのエネルギー流を生むと考える。その発生するエネルギー流の向きは起電力eと逆向きで、磁場エネルギー流に反発する摩擦流の意味を持つ。その現象は、電磁誘導の『レンツの法則』に相当するとも言える。

(2017/10/08 追記) 不図気付いた。科学社会のエネルギーと運動力学 (2016/08/26) で発電機と軸の関係を述べた。その機械系統の『エネルギー』伝送機能は負荷トルクが軸に掛からなければ、発電機能を果たせない。即ちフレミングの法則で、発電機の固定子巻線(電機子巻線)に対して磁極が回転して起電力が誘起されると言う意味だけでは、発電機の機能の運動力学としての意味を説明したことには成らない。磁極と電機子巻線間で力の負荷が『エネルギー』伝送の欠かせない条件である。発電機から送電線路へ『エネルギー』を送り出すには電線路側からの磁極の回転にブレーキが掛らなければ不可能である。『エネルギー』送出の意味をフレミングの法則に加える必要がある。さらに、エネルギーとは何か―電力系統に観る― も参考に挙げておきたい。

ついでに、単位についても記した。磁束密度B[Wb/m^2]と長さl[m]および電流i[A] の積が何故力の単位F[N]に成るかは簡単ではなかろう。ヘンリーHとファラッドFおよびエネルギーの単位ジュールJに基づく導出を付記した。

生活電気と『光速度』

(2017/04/16 追記) 以下の文章はとても恥ずかしい。しかし、電気現象の全てが『エネルギー』の光速度伝播現象だとの意味に気付いてほしい。長くこんな基本的な問題が放置されていた事に不思議な思いでもある。(2022/07/03)追記。以下は書き換えさせた頂いた。

マックスウエルの電磁場方程式の十分条件欠落(静電界は磁界を伴う)を指摘して、すでに26年が経過した。電気回路と『光速度』の関係について、やっとその実相を捉えた。これこそ『電気磁気学』の眞髄である。(2018/12/05)追記。電気エネルギーの伝送と光速度の関係について、御理解いただきたい事がある。下の図に示したように電気配線はビニルなどの絶縁電線である。金属導体の表面を電気エネルギーは伝送される。絶縁電線であればその絶縁体がエネルギー伝送の伝送空間媒体になる。だから絶縁体のエネルギー伝送速度はその誘電率と透磁率によって決まる伝送速度になる。光速度と言う意味は従って厳密には毎秒30万キロメートルより遅くなるので、その点を御理解いただいて以下の記事をお読み頂きたい。それは変圧器の奇想天外実験(2015年の実験)ではっきり理解できた。回路の光速度エネルギー流

公的な学術研究機関、大学および大学院が自然科学に関する『基礎概念』に真摯に向き合わないで今日に至った。過去の法則や発見を盲目的に信奉してきた結果が今日の科学概念の間違いを社会に広めて来たのである。端的な事を挙げれば、『電荷』の存在の『嘘』がすべての始まりと観たい。マックスウエルの電磁場方程式で、電気現象が光に基づくと理解したように認識しながら、電気回路が『光の速度』との関係で捉えられていない。少しも光との関係で、電磁気現象を理解していない。科学研究者の社会的問題として取り上げなければならなかろう。

大学等の学術研究機関の研究者も学校教育での教育内容(高等学校の理科教育等)についてもっとその内容に注意を注いでほしい。家庭の電気配線にはFケーブルという配線が使われています。導体材料は軟銅線で、それを塩化ビニルで被覆絶縁した2本をまとめて更にビニル絶縁被覆を施した配線である。電気の教科書は、その導線の金属内を電子が通ると説明している。そんなのは『嘘』である。Fケーブルの断面で示した。そこを電気エネルギーが電線に沿って、電線の近傍空間を流れるのである。電圧の極性+・-の方向性で、電気エネルギーの流れる向きが異なる。図のような場合は、下の電線の周りから、負荷に流込む。それは配線電源の電圧で決まるエネルギーの量の分布に対して、負荷にはそのうちの一部が使われ、消費される。(2022/03/17)追記。『エネルギー』の流れる姿は現在次のようにまとまった。  瞬時電力の具象解剖 (2022/02/03)

電気配線で、負荷消費電力がどの程度のエネルギー流で賄われるかを試算したので示そう。それが図の下の配線図である。負荷消費電力を1kWとしよう。ほぼエネルギーの流速は「光速度」であるとしよう。それは回路の定数から決まると見られる。配電線の長さ1m当たりにどの程度のエネルギー分布密度かを算定した。負荷供給分だけで計算するとすれば、 w c = p [J/s] , w=p/c [J/m] から計算できる。僅か 3.33[μJ/m]の密度分布のエネルギー流で1kWの負荷に電力が供給できるのである。エネルギー流の速度が『光速度』であるからだ。如何に『光速度』が自然現象で大きな意味を持っているかを理解しなければならない。家庭電気の中で、『光速度』の意味を理解することが如何に大切かという事である。

スイッチ Sの意味。電気配線で、必ず回路に使われる部品がスイッチ、ブレーカーである。電気配線に切れ目が僅かにあれば、電気回路でのエネルギー流の機能は停止する。基本的には金属などの導体が繋がっていなければ、エネルギー流は遮断される。電線周りを流れるエネルギーはスイッチ端子間で遮断され、流れられない。

電線の太さと電気エネルギー流 電線は『電流』の値に対してその使用する太さが必要である。例えば、導線で単線太さ1.6mm直径程度の物が家庭用屋内配線(軟銅線)の普通の太さだ。その電流値は27A(電気設備技術基準で規定2018/12/02追記。一般家庭の配線は技術基準でも15[A]まで(1.6mm軟銅線)となっている。)まで条件により流せる。だから、電線の太さについて、『電流』が電線の内部を流れるからだと思い違いを引き起すのはやむを得ないかもしれない。しかし、電流(電子の逆流)は流れていないのである。それは電線導体の周りをその表面に沿ってエネルギーが流れるのである。ただエネルギーの流れる密度は電線導体の表面に沿って流れる為、その電線表面空間の面積が必要なのである。導線の実質の断面積など無関係で、空間の広がりだけは必要なのである。だから、導線のその中が中空でも、どんなに薄い銅の膜でも、表面積があれば良いのである。その空間の限界貯蔵エネルギーは計算してみれば、とても小さい値である。その空間の貯蔵可能なエネルギー密度は小さいものである。その代わり、速度で「光速度(秒速30万キロメーター)」という恩恵を自然が与えているのである。

参考:力学から見た電流矛盾および回路とエネルギー流ー電流解剖論ー

無限を手のひらに

無限を手のひらに

今は、少し高揚した気分。ウイリアム・ブレイクの詩文に似た言葉。エネルギー(energy)とは? にある。いつ書いたかも定かでないが、額に入れてあった。そんな文字に気分が乗る。昨日投稿した回路とエネルギー流ー電流解剖論ーについて思いを巡らしていた。電気回路の物理現象が氷解したと納得した。全て『光』のエネルギー一つがその真髄を担っているのだと。無限と永遠の不可思議に出会った気分だ。電気現象が光で解釈出ると確信した。

回路とエネルギー流ー電流解剖論ー

毎日が人権侵害国家・日本。自然科学は数式で表現できる内容は極めて限られた範囲にしかならない。己の心に照らし合わせて、自分が納得できる核心に迫るだけかも知れない。回路とエネルギー流長く追い求めてきた一つの結論を表明する。電流は流れずと言い切って来た。電気回路はエネルギーを供給する機能設備である。(2017/12/16)追記。図のエネルギー流(緑色の流れ)で電源の正極に流れ込む必要はないと考え直す。2015年の変圧器の奇想天外診断での実験で、天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)にまとめた線路間のエネルギー分布がその根拠である。以下の記事は、その電源への流入を除けば、的を得た回路のエネルギー流の解釈である。また電流計のコイル内のエネルギー貯蔵量が負荷のエネルギー消費量を直接示す意味は巧く出来ている事だ。以上追記。どのようにエネルギーが負荷に供給されるかは、物理学の究明すべき核心になる。単純な直流回路で、負荷にエネルギーが供給される基本認識を示したい。回路に流れるエネルギー及び貯蔵されるエネルギーを緑色で表現した。その流れる方向と分布を自分の心に共鳴する姿で表現した。回路配線の負側から負荷を通して電源のプラス側に流れ込むと解釈した。負荷抵抗にはそのエネルギー回流の有る分が抵抗表面からエネルギー密度流S[Js^-1^m^-2^]が内部に吸収され、エネルギー貯蔵される。その量が状況に釣り合う時点でエネルギー平衡になり、熱・光の放射量と吸収量が釣り合う。コイルのインダクタンスLにはいはゆる磁気エネルギーとして貯蔵される。
電流概念 電流と言う物理量は無い。電流と言う科学技術量はある。電流計で計測する量は誠に巧い科学技術量である。直接エネルギー流を測ることは出来ないから、電圧計と電流計とにより巧くエネルギー消費量の時間微分値を計算する方法を考えたのである。電流と電圧の正体にその計測するものの意味を記した。技術の持つ深い意味をくみ取らなければならない。しかし同時に、自然科学理論としてそれらの技術量を認識するには、あくまでも「物理量」ではない事を理解しなければならない。

エネルギーの回路主循環流量と負荷吸収消費量ー仮説ー (2018/12/05)追記。この記事を書いた2013年にはまだ十分電線路内のエネルギー流に付いて確信には至っていなかった。だから電源を通して循環するエネルギー分が有るかと迷っていた。その迷いで「主循環流量」等の意味で解釈したのであり、それは間違っていたと今は理解している。だから以下の記事は無意味であったと後悔している。以上追記。回路の電気的規模は感覚的にも、電圧が大きく規模を決めるようである。回路に流れるエネルギーの流量には、回路の電気的規模に基づく主循環流量と負荷が要求する消費量の二つがあると捉えた。これを計測する事は出来ないと思う。あくまでも自分の感覚的共鳴点としての認識である。電圧規模と回路特性により、回路主循環量が決まる。負荷の状況により電流計で計測する流量が負荷吸収量を示すように見える。その状況を図の回路の中央に循環流で示した。エネルギーの循環流速度は光速度に対してどの程度の値かは認識できない。しかし光速度に近いだろうから、主循環流量のエネルギー流量が小さくても、大きな負荷電力を供給する事は容易である。何故なら、エネルギー流量が小さくても、光速度での循環流は連続で、1秒間の負荷への積算エネルギー供給量は大きくなる。その具体的な計算例を、生活電気と『光速度』に示した。

アラゴの円板と近接作用力

アラゴの円板と近接作用力アラゴの円板は日常生活に関係したところで利用されている。家庭の積算電力量計が家の玄関口に在る。使用電力の時間積分で、消費量の取引量を測るメーターである。円板に流れる『渦電流』が円板回転の原理として有名な電気現象と看做されている。回転円板はアルミニュームが一般的である。電流あるいは電子を切り捨てると、渦電流による解釈も物理現象としては納得できない。磁石周りの磁気をエネルギー流として解釈した訳であるから、そのエネルギーに基づく力を求めなければならない事になる。上の図に、磁極N を動かすと、アルミ板の周辺に回転していたエネルギー流と磁石のエネルギー流の間にずれが生じる。そのずれの遅れを取り戻そうとするエネルギー流間に力が生じる。アルミニューム板を磁極に近付けると、磁石磁場がアルミニューム板を突き抜けて、表にも生じると解釈する。

アルミ箔上に現れる磁石磁場の砂鉄模様。

アルミ箔の磁場(2019/05/22)追記。問答を一つ追記して置きたい。この砂鉄模様はどのようなマグネットでも観測できる。理論では磁場は一定とする等と解釈条件が付けられるのが一般的である。しかし実際は、マグネットの磁場模様は一様ではない。中心には磁場は無く周辺部に強い磁場が見える。 《さてその訳をどのように解釈するか?》が問題。磁石磁場の砂鉄模様と同じ模様がアルミ箔を通しても得られる。このアルミ上の砂鉄模様も磁石を動かせば、その動きに連れて移動する。

 

鉄磁場

鉄の金属板を磁石上に置いた場合の磁場の砂鉄模様である。適当に手元のブックエンドを利用した。

 

 

鉄ブックエンド

 

参考にそのブックエンドとその配置図も右に示す。アルミ箔と異なり、鉄板を通すと、少し様子が異なる。

アラゴの円板と言う磁気との関係は鉄板では成り立たない。非鉄系の金属板、アルミか銅板と磁気との間で起きる現象である。そこには、磁石の移動に対して『遅れ』がある。誘導電動機における『すべり』の意味と同じ現象である。その現象を磁気エネルギーの二つの回転流間での近接作用力として解釈すべきと考えた。遅れの生じたアルミ箔にまつわるエネルギー流が磁石磁場エネルギー流に追随するようにエネルギー流間の近接作用力を生み出すと解釈した。そのエネルギー分布がどのような関数形式になるべき『近接作用力』表現になることを求めているかは未だ捉え切れていない。その一つの表現式が渦巻の解剖になろうと考える。

磁気概念の参考:磁界・磁気概念の本質をご参照ください。